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ガルブレイス『ゆたかな社会』を読む(1) [経済学]

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 ジョン・ケネス・ガルブレイス(1908〜2006)はカナダ、オンタリオ州の農家に生まれ、オンタリオ農業大学を卒業した。農業の仕事を手伝いながら、大学時代にまとめた論文が認められ、カリフォルニア大学バークレー校に招かれたときから、かれの研究生活がはじまった。
 第2次世界大戦中は政府の物価局に勤め、その後、雑誌『フォーチュン』の記者を経て、1949年にハーヴァード大学教授となった。
 ケネディ政権時代の1961年から63年にかけては駐インド大使を務めている。1972年にはアメリカ経済学会の会長を務めた。
 多くの著書があり、日本でも有名だった。その代表作は『ゆたかな社会』、『新しい産業国家』、『経済学と公共目的』の三部作。テレビでドキュメンタリー化された『不確実性の時代』は大ベストセラーとなった。
 どちらかというと、リベラルなケインズ派の立場をとる。そのため、新自由主義を唱えるフリードマンらから強い反発を受けた。
 多くの本が翻訳されているが、流行に左右されやすい日本の読書界では、いまガルブレイスを読む人はほとんどいないといってよいだろう。
 ぼくもご多分にもれず、大学を卒業して会社勤めをはじめたころに、ガルブレイスの『ゆたかな社会』を買ったものだ。しかし、ぱらぱらとめくったところで、あまりにも難解なため、すぐに投げだしてしまった。その後、原著のペーパーバックも買ったが、これも一瞬で挫折。
 その後、50年近く、この本は本棚の奥に眠っていた。この歳になってもう一度、ツンドクになってしまったその本に挑戦してみようというわけだ。いつものとおり、途中で投げだしてしまう公算は強いが、そのときはご勘弁のほど。
 なお、『ゆたかな社会』は5度にわたって改訂されているが、ぼくがもっているのは第2版の翻訳書(鈴木哲太郎訳)で、いまは岩波現代文庫にその最終版の翻訳が収められているようだ。
 だが、いずれにせよ、ここでの目的はツンドク本の整理である。そこで第2版を読むことにする。

 第1章の冒頭、のっけからこんな文章が出てくる。

〈富はいろいろの利益を伴う。これに対する反論が今までいくつもなされてきたが、どれも広い説得力をもつには至らなかった。しかし、富があるために物事を理解するのが妨げられるということは疑いない。貧しい人は、持っているものが少ないからもっと必要なのだという彼の問題と解決策とをいつもはっきり理解している。裕福な人は心配ごとが多くなるので、それらをどう処理したらいいのかわからないことがそれなりに多い。そしてゆたかに生活することを身につけるまでには、富の使い方を間違ったり、馬鹿げたことをしたりすることがよくあるものだ。〉

 こんな調子で、翻訳が延々とつづく。
 何を言っているのか、さっぱりわからない。頭が痛くなる。
 そこで、たまたまぼくがもっているペーパーバック(第3版)にあたって、ぼくならこう訳すという例文をつくってみた。

〈財産はあったほうがいいに決まっている。それに反発する事例はいつもみられるが、広く納得を得るには至っていない。とはいえ、疑いもなく、財産は物事を理解するうえで強固な妨げとなるのである。貧乏人は自分の問題とその改善策をつねにはっきりと認識している。自分には足りないものが多く、もっとほしいというわけだ。いっぽう、金持ちはさまざまな心配事をあれこれ思い浮かべて、それにどう対処したらいいか思い悩み、どうしたらいいかわからなくなる。その結果、財産の使い道がわからず、財産を悪いことや馬鹿げたことに投じる傾向がよくみられる。〉

 これもすっきりした訳とはいいがたいが、すこしは改善されただろう。ガルブレイスはそれなりにむずかしい。だが、翻訳はよけいに読む気をなくさせる。50年ほど前、ぼくがこの本を投げだしたのも、それなりに理由があったのかもしれない。
 翻訳書はさらにこうつづく。

〈個人についていえることは国についても同様にあてはまる。しかも、諸国民が豊かな暮しを経験した歴史はごく浅い。人類の歴史を通じて大部分の国民は貧困であった。世界の中でヨーロッパ人が住む比較的小さい地域における最近の数世代がこれに対する例外であるが、それは人類の歴史からみればとるにたりないものである。この地域、とくにアメリカでは、かつてない非常な裕福さがみられる。〉

 この部分、ぼくならこう訳すだろう。

〈個人にあてはまることは国民にもあてはまる。しかも、国民がいい暮らしをするようになったのは、ごく最近になってからである。全歴史を通して、ほとんどの国民は貧困下に置かれていた。例外があったとすれば、人類が生存してきた全期間のわずかの期間、つまりヨーロッパ人が占めたほんの世界の一角におけるこの何世代のことにすぎない。こうした地域、とくにアメリカでは、まったくこれまでにない、すばらしい豊かさが実現されており、それはいまのところ未来もつづくと思われている。〉

 このあとも、翻訳書では同じような調子で訳文がつづく。はっきりいって悲しくなる。全部訳し直したくなるが、残念ながら、当方にそんなエネルギーは残っていない。
 そこで、このあとは、わけがわからない部分は原著で補いつつ、少しずつ読んでいくことにしよう。問題はぼく自身の根気がどこまでつづくかだ。
 ひとことだけコメントしておく。冒頭の一文からみても、どうやらこの本の目的はアメリカの「ゆたかな社会」を礼賛することではなさそうだと気づくだろう。ガルブレイス自身が、もともと「なぜ人びとは貧しいのか」というテーマで論考を執筆していたと書いている。
 それなら「ゆたかな社会」というのは反語である。「ゆたかな」の原語はaffluentで、ものが潤沢にあふれているという意味である。すると、これだけものがいっぱいあるのに、人はなぜ貧しいのか(物質面にかぎらず精神面でも)というのが、本書のテーマとして浮かびあがる。そして金持ちとそれに近い政治家や経済学者がいかに貧しい人を理解していないかというサブテーマも浮かびあがるはずである。
 しかし、早とちりは禁物である。まだこれから読んでみようというところだ。ひまな年寄りの特権で、ゆっくり読んでいくことにする。

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