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論争始末──美濃部達吉遠望(35) [美濃部達吉遠望]

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 1913年(大正2年)2月に発足した山本権兵衛内閣は議会第1党の政友会に支えられていたから、ある意味で政党内閣だった。桂太郎と西園寺公望が交代で首相を務める流れからいえば、桂内閣が倒れたあとは、政友会総裁の西園寺が政権を引き受けるところ、西園寺は山本権兵衛を次期首相に推薦した。そして、総裁の座には原敬が就任することになる。
 山本権兵衛自身は薩摩出身で、日露戦争時に海軍大臣を務め、戦後、海軍大将となった。その意味では、山本内閣は松方正義以来の薩摩閥の内閣といえなくもない。海軍内閣でもあった。
 桂太郎は、それまでの西園寺との蜜月時代に終止符を打とうと考えていた。そのため、みずからも政党をつくり、立憲同志会を発足させたが、思ったほど人数は集まらない。護憲運動によって50日ほどで政権を投げだすことになった。そして、失意のまま、病気のため、その年10月に亡くなる。
 だが、山本内閣自体も長くはもたない。行財政整理に着手し、軍部大臣現役武官制廃止を実現したところで、海軍を舞台とする汚職事件(いわゆるシーメンス事件)が発覚した。その結果、ふたたび激しい民衆運動に見舞われ、わずか1年ほどで退陣を余儀なくされるのである。
 護憲運動によって桂内閣が倒れ、山本内閣が発足して、しばらくたったころ美濃部達吉は「国体問題その他」と題して、憲政研究会で長い講演をおこなっている。その内容は5月発行の雑誌『太陽』にも掲載された。
 上杉慎吉との機関説論争に決着をつけようという思いがあふれていた。

 この講演で、最初にふれたのが、いわゆる国体問題である。
 そもそも国体とは何か。大日本帝国憲法第1章第1条には「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と規定されていた。「教育勅語」には、天皇のつくった国において、臣民が忠孝をつくし、心を一つにして立派な国をつくりあげていくことこそが、わが「国体」の精華だというような一文もあった。
 日本は天皇の国である。
 憲法に定められている以上、公法学者である達吉はもとより、国民のだれもがこの国体を否定するわけにはいかなかった。
 しかし、日本の国体は万国無比のものであり、日本の憲法も外国の憲法とまるで異なった制度だとする考え方は「排外主義」におちいりやすい。そう指摘することを、達吉は恐れなかった。
 この講演の前、雑誌『東亜の光』に発表した論考「国体問題と憲法」でも、達吉は空騒ぎに似た国体擁護論のうさんくささを批判していた。
 国体論をもちだす人びとは、概して反立憲思想の持ち主で、政党政治を嫌っている。かれらは国家の統治権は君主のみが有するとして、そもそも国家が国民からなる団体であることを認めようとしていない。君主独裁が日本の国体だとは、とても思えないと達吉は論じた。
 そのさい、達吉が、天下は一人の天下ではなく、「天下は天下の天下なり」という古くからの江戸儒教の言い回しをもちだしているのがおもしろい。国家は一人の持ち物ではない、とりわけ近代の立憲国においては、国家はけっして君主の統治の目的物ではない。君主が国を統治するのは、君主一個人の私利のためではなく、国利民福のためである。
 立憲国家においては、君主はみずから統治権を振るうのではない。国家の目的を達するために、憲法に定められた国家の最高機関として統治者としての役割をはたすのである。
 その意味では、統治権の主体は国家そのものであり、君主ではない、と達吉は断言する。にもかかわらず、いわゆる国体論者は、それは君主をないがしろにするものだと機関説を非難する。しかし、それは立憲国家が何であるかがまったくわかっていないのだ。機関説においても、君主が統治の最高権限の主体であることは言うまでもない。

 今回の憲政研究会の講演でも、達吉は国体論者の妄論を批判した。
 国体論はおうおうにして排他論、排外主義におちいりやすい。国体が日本特有のものであることを強調するのはけっこうだ。だが、かれらはおうおうにしてイギリスやドイツ、フランスなどにもそれぞれ国柄があり、憲法が定められていることを忘れてしまう。日本を含め、こうした国々もすべて立憲制度をもっている。というより、日本の憲法はそもそもヨーロッパの立憲制度を取り入れたものなのだ。
 達吉はいう。

〈日本の憲法を論ずるについても、ある程度までは、外国の立憲制度と同一の理論をもって説明せねばならぬということは、立憲制度を日本が採用している以上は当然のことで、日本にのみ特有な憲政というものがあるべきはずがない。比較憲法の研究はここにおいてか生ずるのであって、日本の憲法をもって全く外国憲法の翻訳物であるとすることが誤りであると同時に、これをもって世界に比類のない日本独特のものとなすのもまた大いなる誤りである。〉

 立憲制度において重要なのは、代議制にもとづく議会、内閣制度、司法権の独立、さらに国民の自由権だと達吉は強調する。これらは大多数の近代的立憲国に共通したものだ。ところが、国体論を掲げる日本の排外主義者は、立憲制度をないがしろにして、日本は特別の国家だといい、日本が天皇の国であることをあがめる。かれらはまるで国家は日本にしかないと思っているかのようだ。
 達吉は痛烈な皮肉をとばしている。

〈かつてある有名な国学者の書かれたものを読んでいた中に、ダルヴイン[ダーウィン]の進化説を批評して、人が猿から進化したなどというのは全く外国の説で、日本人は決してそんなものではない、日本人は神の子孫である。そのことは古事記に明瞭であると言って、古事記の文章を引抄して、進化説が誤りであることを断定せられているのを見たことがあったが、世間で申すいわゆる国体論、すなわち日本の国体を理由として国家理論に反対しようとするのは、ちょうどこれと同じ論法であろうと思うのである。〉

 国家思想が成熟していない状態においては、国家とは君主が領土や人民を支配している状態を指すと見られがちである。君主神権説や、君主が国家の上にあるという考え方、あるいは君主がみずから統治権の主体であるという考え方がそこから生まれてきた。しかし、それらは国家を統一的な団体とみる近代以前のとらえ方だ、と達吉は論じた。
 国体というのは、ほんらい国の根本的性質を指しており、それは政体と同義である。しかし、日本ではなぜか国家を成り立たせている根本条件が他の国々とは違って万国無比であることを強調するために国体という言葉が用いられる。すなわち日本の国家の基礎をなしている皇室の尊厳、国民の忠君愛国を強調することが国体という用語の目的なのだ。
 日本の国体はどこまでも維持し、尊重しなければならない、と達吉も言わざるをえない。後世のわれわれから見れば、当時、国体は踏み絵のように人と世間を縛る呪文だったと思わざるをえない。
 国体は守らなければならない。だからといって、日本は天皇の独裁国家ではない。日本が近代的な立憲国家であることは、他国と変わらない。君主専制政治は断じて日本の国体ではない。
「日本においてはかつて君主専制の歴史はないと考えるのであって、そこが日本の国体のありがたい所以であろうと思う」と達吉はいう。

 達吉は終生、天皇主義者でありつづけた。達吉にとって、天皇機関説は天皇をないがしろにするどころか、近代の日本国家に天皇を絶対的存在として組みこむ磐石の国家構想にほかならなかったのではないか。
 したがって、達吉に言わせれば、政党政治も近代日本においては、天皇が存在してこそ成り立つということになる。

〈私は議会を設ける以上は政党政治に至るのが自然の勢いであると思うが、しかしながら政党政治には多くの弊害が伴うものであって、その弊害を除くだけの準備ができなければ、容易に実行すべからざるものであると思う。〉

 講演ではそう話している。断固、政党政治、議院内閣制の実現を唱えるわけではない。それが、達吉の現実感覚だった。たとえ議会第一党から総理大臣が選ばれる場合がありうるとしても、内閣を組織できるだけの実力のある政党がなければ、そんなものは有名無実に終わってしまうとみていた。
 かといって、政党政治が日本の憲法に背き、日本の国体とも相いれないという考えは取らなかった。政党政治だからといって、大臣を任命するのは議会ではなく、あくまでも君主の大権による。だが、その任命は君主の個人的な好みによるのではなく、大臣にふさわしい者として信任するというのが立憲政治というものだ。

〈政党政治の行われるにいたるのは、議会の多数党の首領がよく、至尊のご信任を受くるようにならねばならぬ。言を換えて言えば、真に国家の信頼に値するに至らなければならぬ。それだけの価値あり実力ある政党があり、首領があるにあらざれば、いまだ政党政治の行わるべき時期にいたらないのである。〉

 いまの時代は、まさに藩閥政治から政党政治の過渡期にあると思っていた。だが、政党政治の弊害がないわけではない。ひたすら党勢拡張を目指そうとしたり、卑劣な手段で政府を陥れたり、権力を濫用して自党の利益を確保したりするのは、政党政治につきものの行動だ。それに対しては国民の監視が必要であり、とりわけ新聞の果たす役割が大きい。しかし、何よりも政党が天皇の信任を受けるように、切磋琢磨し、政治的な実力をつけることが求められる、と達吉は考えていた。

 講演の最後に達吉が注意を促したのは、権力者の一部に何かというと「君主の大権」を持ちだして、言論の自由を封殺しようという傾向があることだった。桂太郎が発足させた新党にも、君主の大権を尊重するという綱領が含まれていた。
 もちろん、天皇に統治の大権、すなわち統治の権限があることはいうまでもない。だからといって、その決定に臣下がくちばしを容れることはできないと言うのなら、税金が高いということや裁判が公平ではないということを含め、いっさいの議論ができなくなってしまう。
 ほんらい国家の行動は国利民福に適合したものでなければならず、それを批評することは少しも差し支えないことだ。したがって、天皇の大権が発揮されるさいも、必ず大臣の輔弼(ほひつ)を伴うことになっており、これを批評し論議することができないというのは大きな誤解だ、と達吉は論じる。

〈すべて大権の発動はいかなる事柄であっても、みな国家の行動であって、至尊のご一身の行為ではない。その間に区別すべき理由はないのである。国家の行動は国民の全体に関係する公の行為であって、国民は充分にこれを論議することができなければならぬのである。〉

 大権が立法と対立するという議論もおかしい。立法も君主の大権の一つであって、法は君主の裁可によって成立するのだ。大権が立法の上にあるという議論には、議会を否定しようという意図が見え隠れしている。いかなる勅令であっても、法律によってこれを改廃することは可能なのだ、と達吉は言いきる。
 天皇主権論によって議会政治を押さえこもうという旧来の元老政治を達吉は批判した。これによって、天皇機関説は疑いもなく、国民のあいだに受容されていくはずだった。だが、そうはならない。デモクラシーが容認されるいっぽうで、議会政治を否定する軍部の勢力が次第に大きくなっていくからである。

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