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水野和夫『次なる100年』を読む(5) [本]

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 第3章「利子と資本」にはいる。200ページあるが、ごく簡単にまとめてみよう。
 日本ではゼロ金利とROE(自己資本利益率)が乖離している。つまり、金利はゼロなのに企業の利潤率は高まっている。
 利子の源泉が利潤だとすれば、ふつう利潤率と利子率は連動する。ところが、それが乖離しているのはなぜか。
 現在、国債利回りは米国だけがプラスで、日本、ドイツ、フランスはマイナスとなっている。そのほうが、米国に過剰マネーが集まりやすいからだ。
 ゼロ金利時代はゼロ成長時代でもある。先進国では、この状態が長くつづくとみられている。
 日本では1998年以降、ゼロ金利のもと企業がつねに資金余剰(貯蓄余剰)となり、家計もまた資金余剰(貯蓄余剰)となって、それを政府(大量の国債)と海外(米国の債券市場)が吸い上げるかたちになっている。
 いったい何がおきているのだろう。
 米国の所得収支が大幅黒字を保っているのは、対外債権の収益率が対外債務の支払い利子率を上回っている(利回りギャップがある)からである。日本の株式市場にたいする外国人株主比率は1990年以降高まり、2020年の時点で20%を超えている。かれらはROE革命の名のもと、企業により高い配当率を求めるようになっている。
 グローバリゼーションは植民地主義の新バージョンだ、と著者はいう。ウォール街は世界じゅうから集めた資本をあらゆる地域に投資し、ウォール街に利潤を戻す。中心のウォール街から遠ざかれば遠ざかるほど、成果にあずかることができない仕組みだ。これは一種の暴力装置だ。
 いっぽう、日本ではどうか。

〈1990年代前半に急激な円高が進行したにもかかわらず、日本の貿易黒字が減少しなかったのは、実質賃金の下落などによって個人が消費支出を切り詰め、輸出を含めた投資を増やしたからである。日本は供給力を増やし、81年以降経常収支黒字を維持してきた。その結果、対外純資産が世界1位となり、その一部が米国債投資に向かう。国際関係における米国の「例外」は、日本の例外(国内のマイナス金利)によって支えられている。それは、非正規雇用や賃金下落そして預金金利の低下によって中産階級の没落という「反近代」的現象をもたらしている。〉

 米国の過剰消費を日本やドイツの過小消費が支えているといってもよいだろう。
 日本では中産階級が没落し、「閉ざされた選抜社会」が生まれようとしている、と著者はいう。巨大都市と小都市、地方のあいだ、正規労働者と非正規労働者のあいだに「深い溝」が生じている。
 日本のメガロポリス化は1960年代半ばからはじまった。人口は都市に集中した。しかし、経済文明はいっこうに進歩していない。
 ほんらい機械化が進むと、生産性が向上し、自由時間が生みだされるはずである。しかし、日本の一般労働者(正規労働者)の年間労働時間は1990年代以降、ほぼ横ばいで、ドイツ、フランス、イギリスより、はるかに高いままだ。
 年収200万円以下ではたらく非正規労働者が増えている。それに比例して、中間層の割合が減っている。日本の賃金は名目、実質とも下落傾向がつづいている。

 21世紀の日本では、企業が不釣り合いな利益を得ている、と著者はいう。2001年から19年にかけ、労働生産性は年平均0.61%上昇した。しかし、この期間、実質賃金は年平均0.6%減少した。これにたいし、法人企業の当期純利益は2.1倍に増加した。利潤率がますます高まるなかで、利子率はゼロとなった。
 1870年代半ばから1970年代半ばにかけての1世紀は特別な時代だった。それは電気・化学・自動車の時代で、一人あたりの実質GDPが劇的に増え、生活水準と労働生産性が一気に上昇したものだ。
 しかし、その後のコンピューターの時代は、かつてほどの経済成長をもたらさず、むしろ長期停滞へとつながっている。日本では実質経済成長率がほとんどゼロとなるなか、労働者の実質賃金は減っている。それなのに、大企業、中堅企業の利潤率は高まり、内部留保も増加するという現象が生じている。
 利子率は企業利潤率と同じ水準で推移するのが常態だが、21世紀になって、利子率ゼロの例外状態がつづいている。このことは、企業が資本を貸与する銀行、ひいては預金者に相応の利子を払っていないことを意味している、と著者はいう。
 それだけではない。
「利潤率が著しく上昇している背景には、賃下げと預金利子ゼロによって資産形成手段を奪われ、壊滅的な打撃を被って中間層からの没落の憂き目にあっている人たちの存在がある」
 グローバリゼーションによって、国内での投資機会が少なくなり、海外投資が不可欠となった企業は、海外投資によって企業利益を確保している。いっぽう、国内での純投資はほぼゼロとなるので、経済はゼロ成長、ゼロインフレとなる。
「日本の長期停滞は過剰貯蓄による需要不足ではなく、過剰投資による供給力超過に原因がある」と著者はいう。
 そのことは衣食住をみればよくわかる。アパレル産業では毎年10〜15億着が売れ残り、その多くが廃棄されている。日本の食品ロスは2016年推計で646トン(1人50キロ)。住宅の空き家は2018年時点で849万戸。セブンイレブンの店舗数は2018年段階で2万876店だったが、すでに減少に転じている。
 設備能力の過剰性は衣料やコンビニだけではなく、日本のあらゆる分野におよんでいる。さらに、実物資産は増えていないのに、金融資産だけが増えている。
 通常、利子と利潤は同じ方向に連動する。利子は利潤からしか生まれない。利潤が増えれば利子も増え、利潤が減れば利子も減る。ところが、現在おきているのは、これとは矛盾する減少だ。
利子率はゼロなのに企業の利潤は増えている。成長率はゼロなのに企業の利潤はしっかりと確保されている。
 そうした奇妙な現象がつづいているのは、人件費の占める割合が減り、その分、営業利益が増大しているからである。
 企業が利益を確保するには、まず人件費を削ればよい。1998年に1173万人だった非正規社員は、2020年には2090万人に増えた。そのため、1998年以降、労働生産性は上昇しているのに、実質賃金は減少している。その分、企業の利潤が増えている。
 それを後押しするのが、株主重視の経営だ。しかも借入金利(利息)の低さが企業に一方的な利益をもたらしている。
 こうしてゼロ成長、ゼロ金利のもと、実質賃金は低下しているのに、企業利潤と企業の内部留保だけが増えるという現象が生じている。
 1999年度から2020年度までの22年間に累積した内部留保金は、154.7兆円にのぼる。それは働く人への「未払い賃金」と預金者に利子として払われなかった預かり金にほかならない、と著者はいう。
 グローバルな(米国の)基準に応じたROE(自己資本利益率)と株主重視の経営が、人件費削減を中心としたリストラを継続的に促進させている。その流れは大企業から中小企業へとおよんでいるのだ。

 内閣府の調査によると、6割強の人が「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」と答えている。さらに、6割弱の人が貯蓄や投資など将来に備えるより、これからは「毎日の生活を充実させて楽しむ」と答えている。
 だが、それはあくまでも希望であって、じっさいにはほとんどの人が苦労とがまんを強いられている、と著者はいう。この30年間、国民の生活はいっこうによくなっていない。
 バブル崩壊後の1990年代以降、日本経済はすでに「静態」、すなわち定常状態にはいっている。利子率はゼロで、毎期、生産、分配、消費がコンスタントに循環する単純再生産の状態にある。
 内閣府の世論調査でも、今後の生活がいまと同じようなものと答える人が6割強をしめている。現在の生活が去年と比べて「同じようなもの」と答えた人も2019年には80%にのぼった。
 将来の不安は1位が「老後の生活設計」(56.7%)、2位が「自分の健康」(54.2%)、3位が「家族の健康」(42.4%)、4位が「今後の収入や資産について」(42.1%)となっている。
 大きな不安をかかえていても将来を達観する人が多く、日本では「足るを知る」生活態度が定着しつつある、と著者はいう。つまり、保守的な傾向が強まっているわけだ。仕事はそつなくこなし、「心の豊かさやゆとりある生活」をしたいと思う人が増えている。
 しかし、そこには虚偽の現実が隠されている。
 いくら会社が利益を出しても賃金は下がっている。企業では、まず利益が想定されて、そえから人件費が決められるようになる。非正規労働者の解雇や派遣切りがちゅうちょなくおこなわれる。利益追求のためには手段を選ばないという考え方が台頭している。うそも平気につく。
 21世紀にはいって、理性は敗北を重ねている、と著者はいう。その結果は、身分社会への回帰だ。中産階級を生みだした20世紀は1977年に終わった。それ以降、不平等度をはかるジニ係数が増加に転じたからだ。現在の資本主義社会は18世紀以上に貨幣欲を原理として動く社会になっているという。
 だとするなら、次なる100年はどこに向かうべきか。本書の結論を読んでみよう。

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