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仲正昌樹『統一教会と私』を読む(2) [本]

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 統一教会にはいり、伝道をはじめると、著者は次第にその活動にのめり込んでいく。話を聞いてくれる学生は少ない。入会してくれたのは、たった一人だった。
 珍味などの物を売る(いわゆる万物復帰)のは苦手だった。そのため、原理研のなかでも、落ちこぼれになったような気がした。それでも、いまさら退会するわけにはいかず、統一教会に身をまかせるほかなかったという。
 やる気をなくしていると、もっと自分を見つめなおせと説教され、ますますうんざりしてしまう。大学でも白い目で見られ孤立しているので、授業にでる気もなくなる。左翼とぶつかるときだけ元気がでた。
 原理研は韓国、日本、アメリカに組織があって、その英語略称がCARPだった。そこにドイツでもCARPを設立しようという話がもちあがる。まだドイツが東西に分かれている時代だった。著者もドイツに行ってみたいと思うようになるが、なかなか行かせてもらえなかった。やがて、チャンスがめぐってくる。ドイツ行きが決まった。
 西ドイツでは最初に北西部のミュンスター、つづいてボンやケルンで伝道や物売りをはじめた。だが、うまく行かない。人間関係もよくなかった。バカにされているようなので、ケルン大学に登録して、哲学を勉強し、学位をとって、みんなを見返してやろうと思った。
 そんなとき、原理研の東京ブロック長から指示があった。日本にいったん戻って、東大を卒業するようにというのだ。いろいろ考えた末、ドイツに帰らず、ふたたび東大に通うことにした。
 信仰歴が6年にもなるのに統一教会のなかで、著者はなかなか認めてもらえなかった。合同結婚式に参加できる「祝福」候補者にもしてもらえない。「祝福」は再臨のメシアによる原罪の清算を意味しているのに、それが認められないというのはどうしてかと、歯がゆい思いをつのらせていたという。このあたりの感覚は信者でないとわからない。
 大学はもちろん、ホームでもだんだん居心地の悪さを感じるようになったちょうどそのころ、ようやく「祝福」の話がでる。相手は日本人で、地方の教会に所属している人だという。知らされたのはそれだけだ。
 こうして著者は1988年に韓国での「合同結婚式」に出席することになる。相手と会ったのは、結婚式の前日で、軽くあいさつした程度だった。
 当日は、文鮮明教祖のお言葉のあと、6500組のカップルが全員で万歳(マンセー)を唱え、そのあと別の会場で、おたがいに棒で尻を3回ずつ叩き合う儀式がおこなわれた。アダムとエバ(イブ)の罪を清算する意味がこめられている。
 しかし、著者にとって相手は好みではなかった。話も合わなかった。
 大学院への進学をめざしたが、面接で落とされてしまう。原理研にはいっていることが大きな理由だった。
 大学院受験に失敗した著者は、統一教会系の新聞「世界日報」に就職する。住まいは駒場のホームから「世界日報」の川崎の寮へ移った。
 そのころ世間では霊感商法への批判が巻き起こっていたが、著者はそれを一種の献金だととらえ、マスコミが嘘の情報を垂れ流していると思っていた。その集めたお金は、世界での布教活動に使われていると理解していた。
 1991年ごろ、「世界日報」でもらう給料は5万円か6万円で、かなり低かった。生活が苦しいのは神が私たちに与えた試練だと思い、感謝して働いている信者が多かったという。
 しかし、けっきょく著者は大学院で学ぶ道を捨てきれなかった。ドイツ語と英語は得意なので、ドイツ思想史に関連する研究者なら、自分にもできるかもしれないと思った。
 こうして著者は三たび挑戦し、ついに1992年4月に東大大学院総合文化研究科に入学することができた。それが統一教会を脱会するきっかけになる。
 合同結婚式でマッチングされた相手とは気が合わず、別れることにした。いっしょに過ごしていく将来のかたちが、どうしても描けなかった。
 仕事場の「世界日報」での人間関係もうまくいかない。記事の論調にも不審を感じた。文鮮明が北朝鮮を訪問し、金日成と会談してからというもの、世界日報でも北朝鮮にたいする論調が露骨にあまくなっていた。
 そんなことが重なって、著者は「もう脱会してもいいかな」と思うようになる。
 親から送ってもらったお金でアパートを借り、奨学金をもらうことにした。相対者の女性とは正式に別れ、「世界日報」を辞めた。退職にあたっては、退職金をもらうとともに、統一教会の批判をしないという書面にサインした。
 数カ月たつと、統一教会の本部から「祝福」を辞退することを証明する書類が送られてきた。これはメシアの意志に従わないことを意味する。その書類にサインして、正式な脱会が決まった。
 その後、著者はドイツ思想史の研究者となり、ふたたびドイツに留学し、統一教会で「失われた10年」を取り戻すべく、がむしゃらに勉強する。博士号を取得し、駒沢大学で非常勤講師をしながら、19大学の公募に応募し、ようやく金沢大学から採用されることになる。
「なんだかんだと騒ぎながら、35歳になるちょっと前に就職できた私は幸運だった」と回顧している。それからは研究一筋。結婚していない。「ひとりでいることに慣れてしまったのかもしれない」という。
 著者にとって、宗教とは何なのか、あるいは何だったのか。
 意外なことに、統一教会のメンバーシップはさほど強靱ではなかったという。
 多かれ少なかれ、宗教と人間は切っても切れない関係にある。宗教とは「精神的な絆」を求める人たちの共同体だ。そのなかでは、神が私を導いていると思えると安心できる。
 そんな共同体は宗教団体だけでなく、国家でも企業でも家庭でも同じかもしれない。いつの時代も、将来は不安に満ちているからだ。しかし、そうした共同体になじめない人たちもいる。
 何らかのきっかけで、そこからはじきだされた人たちは、周囲から奇異にみえる「形而上学的なもの」にみずからの精神的基盤を求めるようになる。そういう人たちが新たに霊的な絆を基盤とする共同体をつくると、それが「宗教」にみえるようになる。
 それはあたりまえのことで、「宗教」をやたら危険視、敵視するのはおかしい、と著者はいう。
 日本でいうカルトとは、反社会的な宗教教団のことである。そこでは、反社会的ということに重点が置かれているが、異端の宗教教団をイメージだけで、安易にカルトというべきではない。信仰の自由は守られなければならないからだ。
「教団の存在自体を否定し、なんとしても解散に追いこもうとするようなマスコミの報道姿勢は、単なるスキャンだリズムだと思う」と著者は書いている。
 マインドコントロールというが、人間を思いどおりに操ることはそう簡単にはできない。多くの葛藤をへて、人は信仰や忠誠心を固めていく。それは統一教会でも同じで、「組織による拘束力や強制力は、統一教会よりも普通の会社のほうが強いようにも思える」。
 左翼が統一教会をはじめ宗教そのものを認めないのは、マルクス主義が宗教的性格を帯びているからだ、と著者は断言する。唯物論的な歴史的発展の法則というのは、きわめて形而上学的な想定である。労働を神聖視するのも、宗教的なイデオロギーである。マルクス主義がはやるのは、それが「疑似宗教的な『共同性』をつくり出すからだろう」。それが極端なかたちまで進んだのが、連合赤軍のリンチ殺人事件だった、と著者はいう。
 いつの時代も、人とのつながり(絆=共同性)と人からの承認を求める志向性は強い。しかし、絆を強調しすぎるのは危険だ、と著者はいう。絆を求めすぎると、特異な教理に帰依しようとする傾向も強まっていく。だれにもそれを阻止する権利はないが、特定の宗教や思想にのめり込むのは、あまり好ましくない。第三者的な視点を失って、考え方が閉鎖的になっていくからだ。
 新宗教は白い目で見られがちだが、信者の側にも言い分はある。自分たちは何も悪いことをしていないと思っているからだ。多くの人から見れば変わった思想であっても、それを誹謗中傷しない、ある程度の寛容さが必要ではないか、と著者はいう。
 どのような社会や組織でも、全体を統率しながら、一人ひとりの状態に心を配るような権力は必要である。人間にはだれしも「私の存在価値を認めてほしい」という欲求がある。「人から認めてもらったり、人を認めるという経験が日常的に不足していると、互いに認めあうシステムを構築している宗教に人が集まりやすくなるのは、当然のことだろう」
 人間にはかならず死が訪れる。しかし、それを常に意識していたら、それこそおかしくなってしまうだろう。自分が死に、魂が消滅すると考えたら、なにをやってもむなしいという気分になり、それこそ自暴自棄にもなりかねない。
 しかし、魂が不死であり、自分のやっていることが神によって見守られているとしたら、不安は取り除かれ、生きることに自信がもてるようになる。著者の場合は、そうした心の安定装置が原理研=統一教会だったという。そして、統一教会に心の安定を見いだせなくなったときに、脱会の道を選んだ。
 入会を決め、脱会を決めるのは、あくまでも個人だ。
 生きていくうえで、だいじなのは寛容の思想だ、と著者はいう。話を聞く前に非難するのは、批判ではなく、ただの誹謗中傷である。おかしな主張を掲げていると思ったら、その中身を批判すればいいという。
 著者は統一教会での体験を後悔していない。統一教会にはいっていなければ、学者になっていなかっただろうという。人とのコミュニケーションができるようになり、ドイツに行くことができ、マルクス主義や実存主義、キリスト教系の宗教哲学を学ぶことができ、取材して記事を書くことができるようになったのも統一教会のおかげだったという。
 もっと早く脱会してもよかったが、研究者としてはハンデがあったからこそ、がむしゃらに努力してきた。統一教会を否定したあとは、自分で自分の道をみつけなければならなかった。いまも心酔し、尊敬している思想家はいないという。
「他人に迷惑をかけない範囲で、宗教を信じたい人は信じればいいし、辞めたくなった人は適当な時期に辞めればいい、と思う」
 それは統一教会についてだけでなく、どんな宗教でもいえることだ。

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