『万物の黎明』を読む(1) [商品世界ファイル]
人類学者デヴィッド・グレーバーと考古学者デヴィッド・ウェングロウによる大著。グレーバーにとっては、これが遺著となりました。「人類史を根本からくつがえす」という日本語のサブタイトルがついていますが、原著のサブタイトル「新しい人類史」と、もう少し控えめです。さらに3巻が予定されていました。しかし、グレーバーの急死によって、その構想は突然、中断されてしまいます。
「人類史のほとんどは、手の施しようもなく、闇に埋もれてしまっている」というのが、本書の書き出しです。ホモ・サピエンスは少なくとも20万年前に登場したといわれていますが、そのかん現在までに何がおこったのか、われわれが知っているのは、人類の痕跡や記録の残るごくわずかの時期についてです。
すべてのものごとは先史時代にはじまったといわれれば、たしかにそのとおりでしょう。
キリスト教は、かつて楽園にくらしていた人間が原罪によって汚染され、堕落したという構図をえがきます。ルソーも1754年の『人間不平等起源論』で、かつては平等だった人間が、文明と国家の誕生とともに、しだいに不平等になっていったと論じます。これとは逆にホッブズは1651年の『リヴァイアサン』で、人間はもともと万人が激しく争いあっていたが、これが収まったのは国家が生まれたからだと主張しました。
著者たちは、キリスト教やルソー、ホッブズなどにみられる先史時代のイメージを取り除くことからスタートします。なぜなら、そうしたイメージは真実ではないばかりか、退屈でもあり、また何らかの政治的意図を秘めているからだといいます。
20万年前までさかのぼるのは無理としても、およそ過去3万年前から人類社会がどのように発展してきたかについては、近年の考古学や人類学が新たな証拠を提供してくれているようです。そこからは、従来の歴史観にたいするさまざまな疑問がわきあがってきます。
農耕開始以前の狩猟採集民は、はたしてどのようなくらしをしていたのか。農耕のはじまりが、身分やヒエラルキーをもたらしたというのはほんとうか。都市には階級的区分があったのか。農耕社会には権威主義的な統治者が存在したのか。
最近の研究は、こうした問題にたいして、従来のイメージとはずいぶんちがった像を浮かびあがらせるというのです。
のんびり読んでみることにします。
先史時代の姿を知るには、先史時代を遅れた社会と決めつける偏見を取り除くことがだいじだといいます。最初から人間を利己的なものと規定したり、人間社会は平等なものであるべきだと想定したりすることも、やめたほうがいい。むしろ「人間を、その発端から、想像力に富み、知的で、遊び心のある生き物として扱ってみたらどうだろうか」。
狩猟採集民の世界といえば、たかだか数十人の小集団(バンド)からできていて、人びとは平等だが貧弱な生活を送っていたという見方が一般的です。いっぽう、農耕社会になると部族のなかから首長が誕生し、ヒエラルキーができるとともに、人類は自然状態から脱しはじめるととらえられることが多い。だが、これは裏づけのない思い込みではないか。
じっさい、それはルソー自身が認めているように、ひとつの仮説にすぎなかったのです。
先史時代の人たちがどのようにくらしていたかは、じつはほとんどわかっていません。
アルプスで発見された、紀元前3350〜3110年あたりと推定される、いわゆる「アイスマン」の遺体には脇腹に矢が刺さっていました。明らかに暴力の痕跡です。
これにたいし、カラブリア(イタリア南部)の洞窟で発見された「ロミート2」と称される約1万年前の成人遺体は、かれが障碍者であったにもかかわらず、集団からだいじにケアされ、育てられてきたことを示しています。
このふたつの例は、先史時代について、まったく逆のイメージを呼び起こします。
現在もアマゾンの熱帯雨林でくらすヤノマミは、民族学者のシャグノンによって、「獰猛な人びと」というイメージを植えつけられ、未開人の典型と決めつけられました。さらに、ここには、ホッブズの原理(万人の万人にたいする戦い)が生きているとされたのです。
しかし、ヤノマミについても、まったく逆の証拠もあがっています。ヤノマミは「悪魔でもなければ、天使でもない」ごくふつうの人たちなのです。
著者たちは、西洋文明がいかにすぐれているかという思い込みにもとづいて、いわゆる未開文明をみるのはやめたほうがいいと考えているようです。むしろ逆なのではないか。
〈先住民の生活は、きわめてラフにいうと、「西洋」の町や都市での生活よりもずっと人をわくわくさせるものであったような印象を受ける。〉
貧弱な歴史から決別しなければならないといいます。
人には交換性向があり、人間社会には市場がつきものだという考えもそのひとつです。市場経済がなくても、物品が長距離移動することができるのは、マリノフスキ−の民族誌が証明しています。財の交換はあります。しかし、それは交易とは似ても似つかぬものでした。
夢でみた物品を求めて旅にでることや、呪術師や治療師としてのわざを磨くために村々を訪れること、女たちが集まり身の回りの装飾品を賭けてギャンブルに興じることも頻繁におこなわれていました。
こう書かれています。
〈本書で、著者たちは、人類のあたらしい歴史を提示するだけでなく、読者をあたらしい歴史学に招待したいと考えている。わたしたちの祖先に[未熟ではなく]完全なる人間性を復権させる、そのような歴史学である。〉