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ハラリ『ホモ・デウス』(まとめ) [本]

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   1 神の人へ

 ベストセラーになったハラリの『サピエンス全史』は、ホモ・サピエンス(賢い人)と呼ばれる現世人類が、これまでどのような歴史を歩んできたのかをふり返ったものだった。これにたいし、同じ著者による本書は、その人類がホモ・デウス(神の人)に進化しつつあることを示そうとしている。
 最初に著者は、これまで人類につきまとった悩みは、飢餓と疫病と戦争だったと書いている。しかし三千年紀(紀元2001〜3000)にはいったいま、人類はこれまでのそうした悩みを克服しつつあるという。
 ほとんどの国では、実際に飢え死にする人は少なくなった。むしろ、過食のほうが飢饉よりもはるかに深刻な問題になりつつある。
 疫病や感染症にたいしても、20世紀の医療は空前の成果を挙げた。ペストや天然痘、インフルエンザはもはや脅威ではなくなり、エイズやエボラ出血熱などの新たな感染症にも対処できるようになった。
これからも新たな病原菌が出現する可能性はあるが、けっして悲観するにはおよばない。「自然界の感染症の前に人類がなす術もなく立ち尽くしていた時代は、おそらく過ぎ去った」と著者はいう。
 20世紀後半以降、大きな戦争はまれになった。核兵器が戦争の恐怖を思い起こさせるいっぽう、わざわざ戦争をして土地や資源を奪い取る必要もなくなったからだ。国を豊かにするには、戦争より交易のほうが有効であることを人類は学んだ。
 サイバー戦争やテロがおこる可能性は残っている。だが、それによって大規模な世界戦争が発生することはまずない、と著者は断言する。
 飢饉と疫病と戦争をもはや自然や神のせいにするわけにはいかない。「私たちの力をもってすれば、状況を改善し、苦しみの発生をさらに減らすことは十分可能なのだ」
 人類の活動が地球の生態系を破壊し、ひいては人類そのものを危険にさらしつつあることは否定しがたい。だが、それでも、人類は止まることなく、さらなる進化をめざそうとするだろう。その方向を著者はホモ・サピエンスからホモ・デウス(神の人)への進化と名づけている。
 これからの人類のプロジェクトのひとつは、不死への戦いである。
 人間はいまや生命を技術的に処理しうるようになった。がんやアルツハイマー病はまだ克服されていないが、結核がそうだったように、それが克服されるのも時間の問題だ。腎臓や網膜や心臓も移植できるようになっている。
 遺伝子工学や再生医療、ナノテクノロジーの発達はめざましい。20世紀に人類は平均寿命を40歳から70歳に伸ばしたが、21世紀にはそれがさらに伸びる可能性がある。
「死との戦いは今後1世紀間の最重要プロジェクトとなる可能性が依然として高い」。科学界と経済界はそれを応援し、不死を売り物にする大きな市場が生まれることはまちがいないだろう、と著者は予測する。
 もうひとつの人類のプロジェクトは、幸福の増進である。
 1人あたりGDPが増え、自動車、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、テレビ、コンピューターなどの商品が普及し、教育、医療、福祉が充実しても、かならずしも幸福度が増大するとはかぎらない。そのことは先進諸国での自殺率の高さをみてもわかる。GDPはかならずしも幸福度の指数ではない。
 幸福度は物質的要素だけではなく、心理的なものや身体的な感覚によっても支えられている。どんなに社会が豊かになっても、そこに不安や緊張、不快感、憂鬱な気分が広がっていけば、人は幸福を感じないだろう。
 快感と至福は幸福をもたらす原動力である。だが、それは長続きしない。人は心地よい感覚の再現を求めて、どこまでも前に歩みつづけようとする本性をもっている。そこで、「世界中の幸福レベルを上げるためには、人間の生化学的作用を操作する必要がある」と、著者は主張する。
 いまでは向精神薬や興奮剤が、憂鬱になったり気分の落ちこんだりしたときに、ごくふつうに用いられるようになった。こうした薬は病人だけではなく、注意力散漫の子どもや前線の兵士にも処方されているという。
 だが、そうした薬も、使い方を誤れば、犯罪の原因にもなる。
 さらに次の段階にいたれば、脳に電気的な刺激を与えたり、遺伝子を操作したりして、人間の活動をコントロールすることも可能になるだろう。
 そこまでして、人間は幸福すなわち快感を求めるべきだろうか。
 ブッダは快感への渇望滅却こそがだいじだと唱えた。しかし、資本主義はあくまでも快感を追求しつづける。それによって「毎年、より優れた鎮痛剤や新しい味のアイスクリーム、より快適なマットレス、より中毒性の高いスマートフォン用ゲームが生みだされ、私たちはバスが来るのを待つ間、一瞬たりとも退屈に苦しまないで済むようになる」。
著者は人間の本性からみて、ブッダよりも資本主義に軍配を上げる。
 人類はどこに向かおうとしているのか。「人間は幸福と不死を求めることで、じつは自らを神にアップグレードしようとしている」。
 そのための手段となるのが生物工学、サイボーグ工学、非有機的な人工知能(AI)の開発だ。これらは人間をアップグレードするテクノロジーである。
 21世紀中に人間はホモ・サピエンス(賢い人)からホモ・デウス(神の人、ないし超人)に進化する、と著者は断言する。これは人が不死と幸福を追求しつつ、そのための超能力をもつことを意味している。
 進化のスピードは上がっている。それはだれにも止められない。

〈現代の経済は、生き残るためには絶え間なく無限に成長し続ける必要がある。もし成長が止まるようなことがあれば、経済は居心地のよい平衡状態に落ち着いたりはせず、粉々に砕けてしまう。〉

 遺伝子工学によって、人類はこれまでにない、より健康で美しく賢い子孫をつくりだす可能性をもつようになった。生殖にあたって、欠陥のあるミトコンドリアDNAを交換することももはや不可能ではない。デザイナーベビーの誕生もSFの世界ではなくなっている。
 地球のすべての人が不死と至福と神性を手に入れるというわけではないが、そうした方向への挑戦はとどまることはないだろう、と著者はいう。
 ここで、おもしろいのは、著者が、そのいっぽうで、人間至上主義は同時に人類の凋落への危険性をはらんでいるとみていることだ。
 絶頂と絶望のあいだを綱渡りしてみせるのが、ハラリの思考の特徴である。それでも、あくまでも絶頂に賭けるところに、かれが受ける秘密があるのかもしれない。
 とはいえ、ここまで読んで、ぼく自身は国家と資本主義による人間の統制がますます進展するように感じて、すこし憂鬱になる。あるいはホモ・デウスがホモ・サピエンスを支配する未来がやってくるのだろうか。

  2 人間とは何か

 著者の方法がおもしろいのは、生物学(動物学)と歴史学を融合しながら、人類史を俯瞰的に見渡そうとしていることである。
 第1部「ホモ・サピエンスが世界を征服する」の冒頭、著者は、われわれの毎日の生活のなかで、ライオンやオオカミやトラは、動物園を除けば、もはやおとぎ話やアニメの世界にしか存在せず、実際に「この世界に住んでいるのは、主に人間とその家畜なのだ」と指摘している。

〈合計するとおよそ20万頭のオオカミが依然として地球上を歩き回っているが、飼い馴らされた犬の数は4億頭を上回る。世界には4万頭のライオンがいるのに対して、飼い猫は6億頭を数える。アフリカスイギュウは90万頭だが、家畜の牛は15億頭、ペンギンは5000万羽だが、ニワトリは200億羽に達する。〉

 この具体的な指摘には、なるほどと思わず納得してしまう。
 過去7万年間、ホモ・サピエンスは地球の生態系に、じつに大きな変化をもたらしてきた。マンモスなど大型動物を絶滅に追いこんだのはホモ・サピエンスの仕業である。
 狩猟採集の世界では、アニミズムが人と動物との対話をもたらしていた。それどころか、人間はみずからの祖先をヘビやトカゲなどの動物と考えていた。つまり、人間は動物の一種にすぎないと思われていたのだ。
 しかし、いまでは動物はヒトより劣った存在とみなされるようになった。これは農業革命のもたらした意識変革である。農業革命は家畜をもたらした。「今日、大型動物の9割以上が家畜化されている」
 家畜の身になってみれば、人に守られ、育てられる家畜の運命は悲しいものだ。たとえば、イノシシの遺伝子を引き継いだブタは、さまざまな欲求や感覚や情動をもっている。にもかかわらず、かれらは食肉としてしか評価されず、その目的に沿ってだいじに育てられる。
 ここで、アルゴリズムという用語が登場する。
 アルゴリズムというのは、いまはやりのコンピューター用語だ。
 人を含む動物は身体をもち、その身体を感覚や情動や欲求にもとづいて動かしている。その動きはアルゴリズムにしたがっている、と著者は考えている。
「アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るための、一連の秩序だったステップのことをいう」
 つまり、アルゴリズムとは欲求の実現に向けての段取りや計算といってよいだろう。
 人を含め、すべての動物は、感覚や情動や欲求をもち、アルゴリズムに沿って行動する。ブタにはブタの、人には人のアルゴリズムがある。
 親子の情動的な絆は人もブタも変わらない。にもかかわらず、人は子ブタや子牛を生後すぐに母親から引き離して、もっぱら食肉として育てる。
 有神論の宗教が、こうした行動を正当化した、と著者はいう。
古代ユダヤ教では、子羊や子牛が神のいけにえとしてささげられた。ほとんどの宗教は、神だけではなく人間をも神聖視している。魂をもつのは人間だけであり、動物には魂がなく、人のために存在していると解された。
 こうして神は作物や家畜を守り、人は神に収穫をささげるという構図ができあがった。
 動物たちにも共感を示したのはジャイナ教と仏教、ヒンドゥー教である。どんなものも殺してはならないと教えた。とはいえ、こうしたインドの宗教も、牛の乳をしぼったり、その力を利用したりすることまでは禁じなかった。
 農業革命は経済革命であるとともに宗教革命でもあったという。動物は感覚のある生き物から、ただの資産へと降格された。そして国家が成立すると、国家は征服した人間集団を資産として扱うようになる。人間による人間の差別も発生した。
 そして、その後の科学革命と産業革命が、人間至上主義を生みだす。人間は神に代わって自然を動かし管理する存在になった。
 人間がこの世界でいちばん強力な種であることはまちがいない。だが、力のある種の生命が、ほかの種の生命より貴重かどうかは、じつはわからない、と著者はいう。
 人間には魂があるが、動物には魂がないという説はあやしい。
 ダーウィンの進化論がいまでも恐れられるのは、ダーウィンが魂が存在しないことを立証したからだという著者の見方はおもしろい。ここでは、神を信じないが、人間至上主義には懐疑的という著者の考え方が垣間見られる。
 進化論は人が分割できない不変かつ不滅の個からなるという信念をしりぞけた。ダーウィンは、あらゆる生物学的存在は、小さく単純な部分からできた複雑な器官の集合であり、それは徐々に進化したものだと考えた。進化論によれば、永遠不滅の魂なるものはどこにも存在しない。
 動物とちがって人間には心があるという言い方にたいしても、著者は反論する。

〈心は魂とは完全に別物だ。心は神秘的な不滅のものではない。目や脳のような器官でもない。心は、苦痛や快楽、怒り、愛といった主観的経験の流れだ。これらの精神的な経験は、感覚や情動や思考が連結して形作っている。感覚や情動や思考は、一瞬湧き起こったかと思えば、たちまち消える。……永久不変の魂とは違い、心は多くの部分を持ち、たえず変化しており、それが不滅だと考える理由はまったくない。〉

 ロボットやコンピューターに心や意識はない。こうした装置は何も感じないし、何も渇望しない。あらかじめ入力されたデータにもとづいて、動くだけだ。
 いっぽう人を含む動物には感覚と情動がある。人間も動物も感覚と情動にもとづいてデータを処理し、行動する。ここには無意識のアルゴリズムが潜んでいる。
 問題は心や意識とは何かということだ。
 これが意外と解明されていない。

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ケネス・ルオフ『天皇と日本人』をめぐって [本]

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(2019年9月20日、早稲田奉仕園セミナーハウスにて)

 本日はお招きいただき、ありがとうございます。人前で話すのが苦手なので、うまくしゃべる自信がありません。たいした話もできないと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。
 きょうは、ことし1月に発売されたケネス・ルオフ先生の『天皇と日本人』についてお話しさせていただきます。私は皇室評論家ではありませんので、皇室の内情についてはよく知りません。小室さんと眞子さまがどうなるかといった問題はわかりません。あくまでも訳者としてのこの本の紹介にとどまります。
 ルオフ先生は1966年生まれで、ことし53歳。歴史学者としては、まだ若い先生といえるでしょう。ハーバード大学を卒業し、コロンビア大学で博士号を取得され、現在アメリカ西海岸のオレゴン州にあるポートランド州立大学で、主として日本近現代史を教えておられます。同じ大学の日本研究センターの所長も兼任されています。
 日本には年に3、4回いらっしゃいます。その都度、東大や学習院、北大、京都の日文研などで講演をされています。5月の代替わりのときも日本にいらっしゃって、NHKワールドに出演されていました。10月の即位式のときも、日本に来られて、同じくNHKワールドに出演されることになっています。また10月には小学館から小林よしのりさんとのユニークな対談集がでる予定になっています。日本だけではなく、韓国や中国、ブータン、タイなどにもいらっしゃっていますから、まさに国際的に活躍されているといってよいでしょう。
 これまで日本語に訳された本としては、大佛次郎論壇賞を受賞した2003年の『国民の天皇』、2010年に出版された『紀元二千六百年』、それからことし出版された『天皇と日本人』があり、いずれも私が翻訳を担当しました。
 きょうは『天皇と日本人』を中心にお話しさせていただきます。この本には「ハーバード大学講義」という副題がついていますが、去年9月にハーバード大学のライシャワー日本研究所でおこなわれた講義がもとになっています。講義といっても一般学生が対象ではありません。どちらかというと日本研究者の集まる会合での発表で、発表のあとには学者どうしの活発な討議が交わされました。こうした発表会は毎年開かれているようですが、これをみると、アメリカの日本研究はかなりのレベルを保っていることがわかります。
 ところで天皇、あるいは天皇制の問題はだいじなのですが、いまでもとても話しにくいテーマでもあります。天皇について語ろうとすると、戦前、戦中なら特高に引っぱられたにちがいありません。最近テレビで「やすらぎの刻」という倉本聰のドラマを見ているのですが、ここでも思想を取り締まる特高や憲兵がよくでてきます。
 いまはそんな時代でないことはわかっているのですが、それでも天皇について語るのは、なんとなくはばかられる雰囲気が残っています。そこで、新聞でもテレビのワイドショーでも、日本の皇室はいかにすばらしいかということが、どちらかというと強調されて、皇室を客観的にどうとらえたらいいのかという視点はおろそかになってしまいがちです。そのいっぽうで、皇室のあり方を批判する人のなかには、左派なら素朴な皇室否定論、あるいは右派なら戦後民主主義批判に走る人がいて、ここでも日本の皇室にたいする冷静な評価は失われがちです。
 本書でも述べられておりますように、ルオフ先生は、利害関係のないアウトサイダーの見方が、時に役に立つことがあるとおっしゃっています。それが、日本人にとってはタブーになりがちなテーマを客観的に照らし出して、いま皇室がかかえているほんとうの問題を提示することにつながっていくのだと思います。
 アウトサイダーの視点とは何でしょうか。それは日本史のたこつぼにはいることなく、国際的な観点からものごとをみるということにつながっています。世界にはさまざまな王室があります。代表的なのはイギリスの王室ですが、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、スペインなどにも王室があります。中東ではサウジアラビアが有名ですが、モロッコ、ヨルダン、オマーン、クウェートなどにも国王がいます。アジアではタイをはじめ、ブータンやカンボジア、マレーシアなどに王室があります。そうした世界の王室のなかで、日本の皇室をどうみていけばいいのか。それが国際的視野で日本の皇室をとらえていくというルオフ先生の態度につながっていきます。
 現在、国連加盟国の数は193カ国で、日本が承認している国の数は196カ国です。たとえばバチカンは国連に加盟していませんし、北朝鮮や台湾、パレスチナを日本は国家として承認していません。国の数を数えるのはじつはむずかしいのですが、現在、世界にある国が約200だとすれば、そのなかで王国はどれくらいあるのでしょうか。現在、王室がある国は26カ国といわれます。近代以前は、ほとんどすべての国が王国でしたから、歴史的にみれば、立憲君主国を含む王国の割合は減りつつあることがわかります。
 王制、ないし君主制が廃止されたのはフランス革命以降です。革命や戦争での敗北が、君主制の廃止をもたらす大きなきっかけとなりました。そのような国としては、ざっと思い浮かべてみても、フランスを筆頭に、ロシア、イタリア、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、韓国、中国などの名前がでてきます。最近ではイラン、ネパールで君主制が廃止されました。逆にカンボジアとスペインではいったん廃止された王室が復活しています。
 世界的にみれば、王国ないし立憲君主国は相対的に少なくなっているとみてよいでしょう。日本ではいま皇室を否定する人はあまりいません。それでも1900年と2000年を比べると、世界じゅうで王室のあり方は大きく変化しました。そのいちばんの変化は、君主が以前の絶対的で神聖な政治主体ではなく、ほとんどの国で象徴的な存在へと変化したことだと思われます。したがって、日本国憲法だけが特殊ではないということは認識しておいてもいいのではないでしょうか。
 しかし、共和制が民主的かというと、かならずしもそうとはかぎりません。昔のソ連や現在の中国、北朝鮮をみれば、そのことがわかります。独裁的な共和制もありうるわけです。また民主主義が平和主義と同じともいえないわけです。民主制の古代アテネは軍事中心の都市国家でした。現在のアメリカも民主主義の国ですが、軍事的な国家だといってまちがいないでしょう。ですから、いま日本人が民主主義は平和主義だと思いこんでいるのは、まちがいです。そのことも、ルオフ先生はどこかで指摘しておられます。
 君主国もかならず独裁的になるわけではありません。君主をいただく国であっても民主的で、しかも平和主義的であることも、じゅうぶんにありえます。それは独特の国家のかたちですが、その場合、君主は憲法ないし慣例にしたがって、かならず象徴的存在と位置づけられています。
 ルオフ先生が天皇の象徴性をどのようにとらえられているかについては、のちほどお話しさせていただきますが、その前に先生が日本の天皇をどのようにとらえているかを、ざっとお話ししておきましょう。
これは『国民の天皇』の第1章に書かれていることですが、日本の天皇、少なくとも天皇制は近代の産物だ、とルオフ先生は指摘されています。言い換えれば、天皇制は明治になってから生まれたというわけです。
 260年つづいた徳川時代においては、天皇はあってなきがごとき存在でした。私たちは万世一系ということで、神武天皇から現在の天皇にいたる126代の系譜をたどったりするわけですが、天皇という称号が用いられるようになったのは、7世紀の第40代にあたる天武天皇のときです。それ以前は天皇という称号はありませんでした。
 さらにいいますと、10世紀の第62代村上天皇以来、19世紀の第119代光格天皇にいたるまで、約800年にわたって、じつは天皇という称号は途絶えてしまいます。亡くなったあとつけられたのはだいたいが院号で、たとえば後鳥羽天皇ではなく、後鳥羽院、後醍醐天皇ではなく後醍醐院、桃園天皇ではなく桃園院などと呼ばれていたわけです。
 江戸後期になって、天皇称号の復活のきっかけをつくったのは光格天皇です。光格天皇のとき、800年ぶりに天皇という称号が復活するわけです。ちなみに天皇の即位式と同時におこなわれる大嘗祭も江戸中期まで200年間途絶えていました。その後も、幕府は新天皇の即位にあたって、大嘗祭の挙行を認めないことがありました。たとえば新井白石の時代です。
 ちょっと話がすべりましたが、いずれにせよ、ルオフ先生が天皇らしい天皇をむしろ近代の産物ととらえていることはたしかです。とはいえ、天皇には伝統という側面もあります。ですから、天皇とは近代になってつくりなおされた伝統とみるのが、より正確かもしれません。
 そこで明治憲法についてです。明治22年、すなわち1899年2月11日の紀元節に発布されたこの大日本帝国憲法の第1章第1条には「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と書かれています。ちなみに紀元節はこの日にはじめて施行されました。それがいまは「建国記念の日」という祝日になるわけですね。なぜ、この日が建国記念の日なのか、日本では知らない人がほとんどではないでしょうか。
 それはともかく、明治憲法には、日本という国をつくったのは天皇家であり、「万世一系」でつづいてきた天皇家が日本を統治するのだという考え方が示されています。
 この憲法によれば、天皇は、法律の裁可と執行、議会の召集と解散、議会閉会時の緊急勅令の公布、官僚の任命、陸海軍の統帥権、開戦と講和の権利、爵位や勲章の授与にたいする権限などをもっていました。
 しかし、実際は天皇がひとりでこれを決定したわけではありません。立法に関しては帝国議会の協賛、行政に関しては内閣の各国務大臣による輔弼、司法権に関しても裁判所への付託によって、日本の統治をおこなうことになっていたのです。
 問題は軍にたいする天皇の統帥権でした。これを根拠にして陸海軍は昭和にはいってから次第に暴走をはじめます。
 しかし、表向きの明治憲法には裏の顔がありました。すなわち「元老」の存在です。
 明治体制においては、実際には明治維新の功労者である「元老」が政治をコントロールしていました。「元老」は首相を指名するだけではなく、軍ににらみをきかす存在でした。ですから明治寡頭制ともいわれます。たとえば、元老としては、伊藤博文や山県有朋、黒田清隆、松方正義、そして西園寺公望といった人がいました。
 ルオフ先生もはっきりと「大久保や伊藤をはじめとする明治寡頭政府の指導者たちは、自分たちが目指す国家統一の象徴として天皇を利用した」と書いています。
 時代の変遷とともに、この「元老」が次第にいなくなったあと、日本の政治はだれが主導すべきかという問題が出てくるのはとうぜんでした。議会だというのが美濃部達吉の答えであり、これにたいして軍部だというのが別の答えでした。そのさい、軍部は国体明徴運動を繰り広げ、天皇の統帥権を絶対化していきます。
 そして、先ほど、明治体制の裏の顔として「元老」、すなわち維新功労者の存在を挙げましたが、じつは明治体制にはもうひとつ裏のルールが存在しました。それが天皇を「なまの政治」にかかわらせてはいけないというルールです。
 明治時代に実際の政治を担ったのは、元老によって指名された内閣でした。ですから、明治憲法では神聖にして侵すべからずとされた天皇、すなわち国家の元首としての天皇にあらゆる大権が集中しているようにみえますが、実際の天皇はあくまでも「天の声」、言い換えれば象徴的な存在として位置づけられていたことになります。
 明治憲法とことなり、戦後の新憲法では、天皇は第1章第1条でこう定められています。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
 つまり、天皇は統治権をもつ神聖にして侵すべからずの国家元首ではなく、はっきり象徴と位置づけられるようになったわけです。すなわち象徴天皇です。
 そして、天皇は国政に対する大権をもたず、「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とされたわけです。しかも、その国事行為は内閣の助言と承認にもとづくものでなければなりません。
 総理大臣を任命したり、法律を公布したり、国会を召集したり、衆議院を解散したり、特赦をおこなったり、外国の大使を接受したりするのも、天皇が勝手にやれるわけではありません。それはいわば儀式的、あるいは儀礼的な行為ということになります。
 ほかに天皇には象徴としての公的行為が認められています。国民的行事に臨席したり、全国戦没者追悼集会に参加したり、外国を訪問したり、海外の賓客をもてなしたり、園遊会を主催したりする行為です。
 大相撲を見たり、コンサートを鑑賞したり、宮中祭祀をおこなったりするのは私的行為です。
こうして、国政にたいする権限をもたない象徴天皇は、さまざまな国事行為、公的行為、私的行為をおこなっていることになります。
 そして、何よりも天皇の象徴性が際立つのが、儀式や儀礼、祭祀以外の公的行為においてであるという点は指摘しておいていいと思います。
 昭和天皇については、いまでも戦争責任をめぐる論議があります。昭和天皇は最晩年まで、戦争責任の問題で悩んでいたと伝えられます。
 君主制が崩壊するのは、たいていが革命または敗戦によってです。フランスでも、ロシアでも、ドイツでも、イタリアでもそうでした。日本は敗戦したにもかかわらず、天皇制が存続したというのは、奇跡に近いことです。
 マッカーサーの強い意向があったと伝えられます。国家が君主や皇帝をもつのは、けっきょくのところ、戦争を遂行するためです。したがって、君主や皇帝は戦争の最高指揮官となるわけです。明治憲法でもヨーロッパの憲法にならって、「天皇は陸海軍を統帥す」と定められています。
 したがって、戦争に敗れた王朝は滅びるというのが、これまでの世界史のルールでした。近代においては、ふつう敗戦は君主制から共和制への移行をもたらします。ところが、日本ではそうなりませんでした。これはマッカーサーの意向だけでは説明できないことではないでしょうか。
 それは、おそらく明治以来、いやそれ以前から、天皇が「なまの政治」にかかわらない象徴にほかならなかったことと関係しています。明治維新というクーデターが成功したのは、鳥羽伏見の戦いで「錦の御旗」が立ったからです。明治天皇が直接、維新の戦争を遂行したわけではありません。
 日清戦争のとき、明治天皇が「これは朕の戦争にあらず、大臣の戦争なり」といって、戦争に強く反対したことはよく知られています。また日露開戦のときも、「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という歌を詠んだことも有名です。
 あきらかに戦争への不安をあらわした歌です。昭和天皇は日米開戦前の御前会議で、あらためてこの歌を朗読し、何とか戦争が回避できないのかとの思いを示しました。にもかかわらず、昭和の軍部は昭和天皇による明治天皇御製の引用を戦争への合意とねじ曲げて解釈し、無謀な戦争に突入したのでした。ここでも、天皇の意向にかかわらず「錦の御旗」が立てられたのでした。
 こうしてみると、明治憲法に定められた天皇の役割は、あくまでも建前であって、実際は天皇は「錦の御旗」、すなわち象徴だったことがわかります。
 戦後、GHQが主導して新憲法を定め、天皇を「象徴」としたときも、天皇主義者の右派がさして反対しなかったのは、明治になって日本の天皇制が確立したときに、天皇はすでに生の政治にかかわらない「象徴」と考えられていたためです。そして、天皇は「象徴」であったからこそ、敗戦にもかかわらず、戦後も存続することができたといえるのではないでしょうか。
 にもかかわらず、象徴としての昭和天皇には戦争の影がまとわりついていました。「錦の御旗」の前で、国内でも海外でも、あまりにも多くの人が犠牲になってきたのです。ルオフ先生も、昭和天皇には戦争責任がある、とはっきり書いています。そこで、戦争の影を払拭し、戦後を終わらせる仕事は平成の時代にゆだねられることになります。
 平成の時代に明仁天皇はどのような役割を果たされたのでしょう。ルオフ先生は「国民の天皇」として明仁天皇を高く評価されています。
 天皇の象徴性はとりわけ公的行為によって、それぞれの特徴や個性がかたちづくられます。
 平成の時代は何といっても美智子皇后の役割が大きく、平成の皇室はカップルとしての活動が際立ちます。ルオフ先生が指摘するように、おふたりは、「社会福祉の皇室カップル」でした。それから戦後の自由民主主義体制の支持者でした。戦争の傷跡をいやすことに努めてこられました。
 平成は災害の多い時代でしたが、ご夫妻は多くの被災地を訪れ、被災者に間近で声をかけてこられました。80歳をすぎてもおふたりで全国各地を回り、海外の慰霊にも行かれ、日本であんなに仕事をしている年寄りはいないと言われたくらい、「行動の人」でもありました。こうした公的行為によって、平成時代の皇室の象徴性が刻まれてきたわけです。
 ところで、明治、大正、昭和、平成、そして令和と時は流れましたが、日本人は西暦を利用しながら、不思議なことに元号で時代を回顧する習慣をもっているようです。最近では、平成史とか、平成時代をふり返るといった本が書店にあふれています。
 こうした元号も、昔からあるようで、じつは近代になって改変されたものであることは知っておいたほうがいいかもしれません。それまでの年号は吉凶や天変地異によって、その都度、変えられてきました。天皇の在位とは関係ありません。ですから、光格天皇や孝明天皇はいても、光格とか孝明とかの年号はないのです。その代わり、天明とか寛政、安永とか万延といった年号が用いられました。
 一世一元制が採用されたのは明治になってからです。それによって元号は天皇と結びつき、明治は明治天皇の時代、大正は大正天皇の時代、昭和は昭和天皇の時代、平成は平成の天皇の時代となったわけです。
 平成時代の終わり方の特徴は、明仁天皇が退位されて、時代が平成から令和に移ったことです。天皇の仕事は激務ですから、80歳以上の高齢になって譲位されたのは、とうぜんのことで、むしろ遅すぎたといえるくらいです。
 とはいえ、天皇の譲位は、光格天皇が仁孝天皇に譲位して上皇になって以来、二百年ぶりのことでした。明仁天皇は上皇として、いまも元気で活躍されています。ですから、不思議なことにわたしなどは、まだ平成の時代がつづいているような気がしてなりません。
 最近思うのは、奥さんを亡くしたあと、文芸評論家の江藤淳が平成11年、1999年に自殺したことです。江藤淳は昭和に殉ずるという意識の強い人でした。あるいは、昭和45年、1970年に市ヶ谷で三島由起夫が戦後を全面否定して割腹自殺したことを思いだします。芥川龍之介は昭和2年に漠然たる不安を感じて、自殺しています。夏目漱石は、明治天皇大喪に際して自死した乃木将軍を意識しながら、『心』という小説を書きました。
 こんなふうに、文学者のなかにも、元号意識というものは強くきざまれるようです。ルオフ先生が書いておられるように、はたして元号によって時代区分ができるかどうかは疑問です。しかし、昭和とか平成とかの元号が、日本人の時間意識のなかに染みついていて、それが天皇の存在と組み合わさっているのは奇妙な気がするほどです。
 1989年から2019年までの平成の時代は、どういう時代だったのでしょう。ルオフ先生は平成時代の天皇の象徴性として、憲法にもとづく戦後体制の支持、弱者への配慮、戦争時代の清算と鎮魂、国際協調主義、女性の役割の重要性などを挙げておられます。それは言い換えれば、平和と国際協調、民主主義と平等を基本とする考え方だったといってよいでしょう。
 これにたいし、この時代には日本の状況を別なふうにとらえる動きもでてきます。つまり、平成になってから日本の経済は停滞し、その国際的地位さえ周辺諸国によって脅かされようとしているとみる考え方です。そこから戦後体制を見直し、国家経済を強化し、国力を高めようとするイデオロギーが生まれてきます。それはどこか「大日本帝国をもう一度」という発想に結びついていきます。戦前を反省する立場は自虐史観とレッテルを貼られ、それに代わって、居丈高で国家主義的な史観が再登場してきます。
客観的にみて、平成になってから、日本経済が停滞し、GDPでみるかぎり、その国際的地位が相対的に低下したのは事実です。しかし、だからといって「大日本帝国をもう一度」という妄想は、しょせん妄想でしかありません。こうした発想は、かえって社会の雰囲気をより息苦しくしていくのではないでしょうか。日本は中国や韓国・北朝鮮とまた戦うつもりなのでしょうか。そうでなくとも、争うことはたしかなようです。
 ルオフ先生は象徴皇室の最大の役割を、国民国家の統合と永続性を維持することととらえています。
人口問題をかかえる日本はこれから海外から人を迎え、ますます多様化せざるを得ないというのがルオフ先生の見方です。労働力不足などもあって、実質的な移民が増えてくるのはまちがいありません。そのとき国籍、言い換えれば市民権を付与するのは、従来のように基本的に血統によるという考え方でいいのかと問題提起もされています。
 日本には女性差別も根強く残っています。正規・非正規の差別や経済格差の広がりも深刻です。いまや日本は新しい階級社会になっていると指摘する人もいます。
 こうして多様化し分裂しがちな社会を、どう統合していくのか。さらに国際協調主義にもとづきながら、日本の誇りとなる理念を世界にどう打ちだしていけばよいのか。それがこれからの皇室の課題だろう、とルオフ先生は問題提起されています。それはおのずから「大日本帝国の夢」とは異なるものになるのではないでしょうか。
 しかし、最後につけ加えるなら、いま皇室にとって最大の問題は、皇室が存続の危機をかかえているということです。現在の政府は男子による皇位継承しか認めないという立場です。これは悠仁親王が無事成長し、皇位を継ぐ前に結婚して、何人か男子をもうけるという都合のいい考え方に立っています。奇跡はおこるかもしれません。しかし、これは奇跡に近いことです。
 そんな奇跡をおろおろして待つよりも、いま現に存在する女性を天皇として認めるほうがよほど簡単だし、国際的な趨勢にもかなっている、とルオフ先生はいいます。わたしも、これには賛成です。日本には過去8人の女性天皇がいました。男系の万世一系というイデオロギーにこだわる必要はまったくありません。もし新たな女性天皇が誕生するなら、日本社会の雰囲気もずいぶん変わり、いまよりもずっと開けてくるのではないでしょうか。
 いまの右派が主張しているように、男子による皇位継承にこだわりつづけるなら、そのうち皇位を継ぐ者はだれもいなくなって、天皇もいなくなります。すると共和制を推進しているのは、まさに右派だということになります。それは悲劇です。皇室の存続が可能ならば、皇室は存続したほうがいいに決まっています。大統領制になって、トランプやプーチンような人がでてくるのは困ります。そのためには女性天皇を認めるというのが、現在の皇室の危機に対処する、もっともすっきりした解決策ではないでしょうか。
 最後に日本国憲法をもう一度ながめてみましょう。
「天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
 国民が天皇をつくるということも忘れてはなりません。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(8) [本]

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1987年、バブルがはじまる。東京株式市場の株価は2万円の大台に達する。
しかし、円高が進行していたため(年末に1ドル=122円になる)、日銀は公定歩合を2.5%に引き下げる。
日本経済は輸出中心から内需中心への転換を求められていた。とはいえ、もう十分に物はあった。これ以上、必要とも思えない外国製品を買うこともなかった。あふれたお金は土地と株に流れていく。
1988年、8年にわたったイラン・イラク戦争が終結する。イラクを応援していたのはアメリカである。パーレビ政権を倒したシーア派原理主義のイランを許すわけにはいかなかった。
1979年にサダム・フセインがイラク大統領になっていた。かつて親ソ派だったイラクは、このころ反ソ親米に転じている。
イラクの近代兵器を前に、イランはこの戦争に敗れる。双方の戦死者100万人。とりわけ、イランの若者が数多く犠牲となった。
1989年、昭和が終わる。それは「失敗の時代」のはじまりとなった。亡くなったのは昭和天皇だけではない。手塚治虫、松下幸之助、美空ひばりもこの年に亡くなっている。
竹下内閣はリクルート事件で退陣、宇野宗佑が首相になるが、女性スキャンダルで、たちまち首相の座を失う。
幼女連続殺人事件で宮崎勤が逮捕される。
東欧では、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア、ポーランド、チェコと、共産党政権が立て続けに崩壊する。ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻は処刑される。
そんなとき、日本の株価は3万8900円をつけていた。
1990年、昭和を見送った日本は、どこかまだ虚脱状態にある。
3月に公定歩合が5.25%に引き上げられると、株価は一気に暴落し、3万円台を割る。
バブルが破裂したのに、日本人はそれを直視しないまま、バブルの傷を深くしていく。
1991年、イラクがクウェートに攻め込んだため、湾岸戦争が発生する。多国籍軍が勝利し、イラク軍は撤退、停戦協定が結ばれる。
すでに東西ドイツは統一されていた。それに引きつづき、アゼルバイジャンやリトアニアにも独立の動きがでる。ソ連はそれを武力で押さえ、ゴルバチョフが初の大統領に就任する。
共産党保守派はゴルバチョフ追放のクーデターをくわだてるが、失敗する。そのあと権力を握ったのはロシア共和国のエリツィンだった。これによって、ソ連は崩壊し、12月25日に消滅する。
1992年3月、日本の株価はついに2万円台を割り、8月にはさらに1万5000円を割り込む。
警視庁は佐川急便事件の捜査に着手していた。11月には竹下登元総理が国会で喚問される。
日本人は度重なるスキャンダルにうんざりしていた。
1993年、中東ではパレスチナ解放機構のアラファト議長とイスラエルのラビン首相のあいだで平和条約が結ばれる。だが、これでパレスチナ問題がすべて解決されたわけではなかった。
橋本治はユダヤ人問題は「本来ヨーロッパで処理されるべきもの」だったはずで、それがパレスチナに持ち込まれたことで、問題がさらにややこしくなったと書いている。
日本では不況を打開するために、公定歩合が1%台まで引き下げられた。だが、一向に景気は上向かない。
政治不信は強く、自民党は分裂し、日本新党の細川護熙が非自民連立政権を組んで首相となる。だが、それも長くはつづかなかった。
1994年6月、自民党と社会党が連立を組み、社会党の村山富市が首相に。それを見て、人びとはあっけにとられた。
1995年は、何といっても阪神淡路大震災とオウム真理教事件に尽きる。ふたつとも、まさかのできごとだった。
大震災は日本があらためて地震国であることを認識させた。だが、それからしばらくして、さらに大規模な震災がつづくとは、このとき誰が予測しただろう。それは終わりではなかったのだ。
つづいておこったオウム真理教事件は意味不明のばかげた教理に、なぜ多くの人がひきつけられたのかという謎を残す事件だった。日本は病んでいた。
1996年、社会党の村山富市が首相を辞任、自民党の橋本龍太郎が首相になった。新たに厚生大臣になった菅直人はエイズ問題に取り組み、厚生省がいかに不都合なデータを隠していたかを暴いた。
住宅金融専門会社(住専)による不明瞭な融資をはじめ、さまざまな金融スキャンダルが露見する。
都合の悪いことは隠蔽するという日本官僚社会の体質がさらけだされた。それはいまも一向に改まっていない。
1997年、香港が中国に返還される。タイのバーツにはじまり、韓国のウォンも暴落する。アジア通貨危機である。
「ヘッジファンド」ということばが聞こえてきた。余った巨額のカネが世界中をうろつき回る時代になった。
日本経済は破綻していた。山一証券が自主廃業を決定する。
神戸では、酒鬼薔薇聖斗を名乗る14歳の少年による猟奇的な殺人事件が発生する。
1998年、北朝鮮のミサイル、テポドンが日本上空を通過する。
インドとパキスタンが核実験をおこなう。
大蔵省の官僚がノーパンしゃぶしゃぶで過剰接待を受けていたことがわかる。
和歌山では、毒物カレー事件が発生する。
長野では冬季オリンピックが開かれていた。
不良債権処理に苦しむ銀行への公的資金投入が実施されるのもこの年だ。「バブル経済の破綻による、人間関係の破綻」が広まっていた。日本人のモラルが壊れようとしていた。
1999年、世界の民族紛争が頻発している。
旧ユーゴスラビアのコソボ自治区では、セルビア人によるアルバニア系住民の虐殺がつづいていた。東ティモールではインドネシアからの独立を求めて、住民が決起する。
不景気の日本では、経済効果ということばが魔法の杖となり、「ミレニアム・カウントダウン」騒ぎがはじまっている。
2000年、20世紀最後の年には、少年たちの犯罪が続出する。
愛知県では17歳の少年が「人を殺してみたかった」という理由で、近所の主婦を刺殺する。バスハイジャックや金属バット殺人事件、恐喝事件もおこっている。
柏崎市では、37歳の男による少女監禁事件が発覚する。大阪では23歳の男が「私は神」と称する声明文を用意して、通り魔殺人をおこなった。
橋本治の描く20世紀末の未来図は暗い。

〈日本の社会を動かしている人間達は、自分達のなすべきことで手一杯になっていた。そこに“未来”への展望はない。いつの間にかゴールを欠いて、しかし少年達を乗せたベルトコンベアは動き続けていた。動いていればこそ、そのベルトコンベアは“破綻”を示さない。しかし、そのベルトコンベアの先には、なにもないのだ。それが20世紀最末年の日本である。〉

20世紀は終わる。だが、橋本治はけっして明るい21世紀を夢見ていなかった。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(7) [本]

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 1974年、立花隆の「田中角栄研究」が出て、田中角栄が総理大臣を辞任する。ウォーターゲート事件でアメリカのニクソン大統領も辞任する。2年後、ロッキード事件が追い打ちをかけ、田中角栄は逮捕される。それ以降は裁判を闘い、闇将軍の道を歩む。
 1975年、日本は不景気だが平和だった。紅茶キノコがブームになっている。アメリカはヴェトナムから撤退し、北ヴェトナム軍によってサイゴンが陥落。ヴェトナム戦争が終わる。カンボジアでは、ポル・ポトのクメール・ルージュがプノンペンを制圧する。
 スペインのフランコ、台湾の蒋介石が死に、翌年、中国の毛沢東が死ぬ。古い独裁者の時代が終わる。
 1976年、昭和は老いていく。自民党を離党した議員6人が新自由クラブを結成する。脱サラが流行する。
 1977年、アメリカ西海岸で、アップルのコンピューターが誕生する。映画『スターウォーズ』が公開される。ヴァーチャル・リアリティの時代がはじまる。日本ではピンク・レディが次々とヒット曲を生みだしていた。大学闘争をへて、就職した団塊の世代は、もはや社会変革を叫ぶことなく、社会に順応していく。
 1978年、南米のガイアナで、アメリカのカルト集団「人民寺院」の信者900人が集団自殺する。「人民寺院の事件は、社会に異を唱え、そのまま閉鎖され停止してしまった者達の末路を伝えるもの」だ、と橋本治はいう。
 しかし、カネのために生きる近代流の生き方に異を唱える人たちも確実に広がっていた。イランではイスラム原理主義革命によって、親米の独裁者、パーレビ国王が追放された。
 橋本によれば、これはキューバ革命と同じパターンなのだが、これ以来、反米のイランにアメリカは敵愾心を燃やすことになる。
 1979年の日本人は欧米のジャーナリストから「ウサギ小屋に住む仕事中毒患者」と揶揄されている。

〈1970年代を経過して、「モーレツ社員」という言葉は日本人の間に深く定着していた。「貧しさからの脱出」とは、そのまま「豊かさへの一直線」になるはずで、日本人は、あるはずのゴールを目指してひた走りに走っていた。ところがしかし、そのゴールがいつの間にかなくなっていた。〉

 次の時代は「心の時代」になるはずだった。そのころ、京都にノーパン喫茶がオープンする。「フーゾク」が産業になり、「オタク」が出現する。インベーダーゲームとウォークマンがはやる。
 日本人は孤独だった。若者たちは、社会の一角で、社会との無縁を演じはじめる、と橋本治は書いている。
 1980年、山口百恵が引退する。貧しい家で母親に育てられた彼女は、新聞配達をしてギターを手に入れ、テレビのオーデション番組で優勝し、歌手になった。

〈山口百恵は、「結婚」というゴールを勝ち取った。「仕事よりも結婚」を選択し、「結婚しても仕事を続ける」という選択をしなかった。不幸な家庭に育った彼女は、幸福な結婚を望んだ。……「新しい女の時代」に、山口百恵は少しも新しくなかった。山口百恵の新しさは、新しさが主流となろうとする時代に、平気で“古さ”を掲げたことだった。〉

 1981年、イギリスのチャールズ皇太子がダイアナと結婚する。これにより、ダイアナは「世界一有名な女性」の一人となった。
 だが、彼女の華やかな国際親善活動の影には、大きな問題が隠されていた。それがとうとう1996年の離婚、そして翌年の悲劇的な事故死へとつながっていく。
 ダイアナが登場したころ、日本では松田聖子がアイドルになっていた。「20世紀末の20年間、許された大衆の欲望は、無限定な上昇志向となり、社会を変容させていく」
 松田聖子は、そうした大衆的欲望の象徴だった、と橋本はいう。
 1982年、エイズと名づけられた奇病が、人びとを震撼させる。
 エイズは男どうしの性交渉によってだけではなく、異性間の性交渉でも感染することが明らかになる。決定的な治療法はなく、できるのは感染者の発病を遅らせることだけだ。
 エイズは語られなかった性行為の存在を浮上させる。その人類史的意味はどこにあるのだろう。
 1983年、日本は豊かだった。プラザ合意によって、円高が是認される。この年、日本では豊かなアメリカを象徴するディズニーランドがオープンし、そのいっぽうでは、かつての貧しさをえがく「おしん」が放映される。やがて「おしん」はまだ貧しいアジアの国々で喝采を浴びることになる。いまでもアジアの国の人たちが日本を好きなのは、なかば「おしん」のおかげだ。
 しかし、日本ではすでにスクラップ&ビルドが進行し、モデル・チェンジが主流になりつつある。レコードの代わりにCDが登場するように、車も住宅もテレビも冷蔵庫も、何もかもがモデル・チェンジの時代である。
 1984年、「日本は豊かで、国家に頼るまでもなく、民間の力は旺盛だった」と、橋本治は書く。強大な管理社会は求められていない。それよりも豊かさのなかの自由が求められていた。それが可能だったのは、民間の力が旺盛だったからだ。

〈[利潤の追求に]限定された欲望で生きる会社は、国家ほどには表立った抑圧を強制しない。国家に比べて、会社はより気弱な抑圧者である〉

 人がある国に生まれる以上、国家を選択する自由はほとんどない。しかし、会社を選択するのは、少なくとも多少は自由だ。
 だが、会社社会の「日本はただ騒がしく豊かで、モラルは宙ぶらりんのままだった」と、橋本治は記している。
 1985年、円高を背景に、日本人はやたら海外旅行をするようになる。ブランド品を身につけるようにもなった。
 テレビはお笑いの時代にはいり、シロウトの時代にもなる。少女マンガは大きく変わった。サブカルチャーが勃興し、「大衆の時代」が定着する。
 子どものあいだでは「いじめ」が深刻化する。家庭内暴力も話題になり始める。
 1986年、ソ連のチェルノブイリ原発が爆発事故を起こす。その前年、ソ連ではゴルバチョフが共産党書記長になっていた。だが、原発事故の真相はなかなか伝わってこなかった。ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を掲げていたにもかかわらず。
 ゴルバチョフが共産党書記長に就任したとき、ソ連の経済は破綻しかけていた。その原因は大きすぎる軍事予算だった。ゴルバチョフは軍縮に舵をとるが、党内の保守派はそれに抵抗した。いっぽうのアメリカはタカ派のレーガン大統領が「強いアメリカ」にこだわっていた。
 深刻な原発事故は党内保守派の介入を一時的に弱める。そこで、ゴルバチョフはペレストロイカを推し進める。それがソ連の終わりをもたらす、と橋本は書いている。
 ほんとうに、いろんなことがあった。20世紀はそろそろ終わろうとしている。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(6) [本]

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 1960年は安保闘争の年だ。首相の岸信介は反対の声が渦巻くなか、改定安保条約の批准を強行した。改定の目的は「アメリカに日本防衛の義務を負わせること」だった。それ自体は一見よさそうにみえる。だが、橋本にいわせれば、それは、日本がアメリカの片棒をかついで、アメリカへの協力姿勢を強めるための改定だった。
「[日本は独立したが]自立がないから、すべての議論は依存の中で空回りする」と、橋本は書いている。
 1961年には池田勇人内閣の「所得倍増計画」がスタートする。そのあと、日本は東京オリンピックを迎え、高度成長に突入する。「所得倍増計画」という選挙用のスローガンは大受けして、前年の暗いムードを吹き飛ばし、人びとに「月給が倍になる」という幻想をいだかせた。もっと働いて、カネ儲けをしようという風潮が広がっていく。
 1962年にはキューバ危機がおこる。ソ連製の攻撃用ミサイルがキューバに持ちこまれていることがわかり、アメリカのケネディ大統領はその撤去を求めて臨戦態勢にはいる。
 これをみると、悪いのはキューバとソ連のようにみえるが、橋本はかならずしもそうではないという。
1959年のキューバ革命は、親米のバティスタ独裁政権を倒した。だが、アメリカは革命指導者のカストロを「赤」呼ばわりして、さまざまな経済制裁を科し、CIAによるキューバ侵攻作戦さえ実施した。その結果、キューバを社会主義陣営へと追いこんでいった。いわば自業自得なのである。
 キューバ危機は回避されるが、「『キューバ危機』とは、冷戦構造の結果ではなく、アメリカのエゴの結果である」と、橋本治は明言している。
 1963年11月22日、テキサス州ダラスでケネディが射殺される。事件の真相はいまだに謎だ。後任のジョンソンはヴェトナム戦争をエスカレートさせ、「北爆」を開始する。ヴェトナム戦争もケネディが準備したものであり、1975年までつづくことになる。
 1964年10月10日、東京オリンピックが開かれる。それに先立ち、東海道新幹線が営業をはじめる。
東京オリンピックは「戦後の廃墟から復興を遂げた東京の市街を、徹底的に破壊するところから始まった」。川の上に高速道路がつくられ、下水道工事が加わり、競技場や周辺設備がつくられ、皇居の外堀が埋められ数寄屋橋がなくなる。その前に、東京タワーが完成していた。
「『作って壊す、壊して作る──そうすれば繁栄は訪れる』という信仰の始まりが東京オリンピックにあるのは間違いない」。日本人はへんなところでせっかちで、ミエっ張りだ、と橋本はいう。
 1965年1月、日本ではじめてスモッグ警報が出される。「公害」という言い方はまだ定着せず、「環境汚染」ということばもない。大気汚染防止法ができるのは1968年のこと。1970年には「光化学スモッグ」が出現する。大量消費が大量のゴミを生みだしていた。
 水俣では10年以上前から水俣病が発生していた。チッソの排水に含まれる有機水銀が原因だった。だが、企業はなかなか責任を認めようとしなかった。
 1966年、日本にビートルズがやってきた。長髪がはやりはじめる。女性のあいだでは、まもなくミニスカートが流行する。
 早稲田大学では授業料値上げ問題などから全学ストが発生し、学生運動時代の走りとなる。
 中国では文化大革命がはじまり、1976年までつづく。「文化大革命は、1959年に国家主席を辞任した毛沢東の逆襲である」と橋本は明言する。中国は、近代化に失敗して失脚した「毛沢東を思想上の“皇帝”とするラジカルな原始時代へ逆戻りする」。
 毛沢東はどこかズレていた。だが、若者たちは、造反には意味があるとのメッセージを受け取る。
 1967年、アメリカでは『俺たちに明日はない』、『卒業』といった「ニュー・シネマ」が誕生する。もはや建前やきれいごとの時代ではない。
 ヴェトナム戦争では「枯れ葉剤」が使われ、ニューヨークでは大規模な反戦デモが繰り広げられる。さらに7月にはデトロイトで、史上最大の黒人暴動が発生した。
 東京では美濃部亮吉の革新都政が誕生する。
 中東では第3次中東戦争が発生し、イスラエルがエジプトに圧勝する。ヨーロッパではEC(欧州共同体)が結成される。
 10月には佐藤訪米を阻止しようとして、三派系全学連による羽田闘争がおこる。新左翼の登場である。
 1968年、医学部の学生処分問題から東大闘争が広がる。使途不明金問題から日大闘争がおこる。フランスでは5月革命が発生する。
 アメリカはヴェトナムで北爆をつづけており、中国では文化大革命が進行している。社会主義からの自由を求めて立ちあがったチェコにソ連の戦車が侵攻する。
 1969年、ニクソンは北爆を強化する。
 東大の安田講堂に籠もる学生たちは、機動隊によって排除された。全共闘運動が広がり、全国全共闘連合が結成される。だが、ノンセクト・ラジカルは集団とはなりえず、けっきょくは散らばっていく。そのなかで過激化したグループが赤軍派などを結成するが、豊かな時代のなかに「新しい思想」は宿らず、ひたすら崩壊の道をたどる。
 アメリカでは40万人の若者を集めたロックコンサート「ウッドストック」が開かれる。宇宙船アポロ11号が月面着陸を果たす。
 橋本治はこう書いている。

〈1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。〉

 1970年、大阪万博が開かれる。万博ではアポロ11号が持ち帰った「月の石」が展示されていた。日本は「繁栄の時代」に突入する。
 3月には赤軍派によるよど号ハイジャック事件、11月25日には東京市ヶ谷での三島由紀夫事件が発生するが、これを契機に「繁栄の日本から、極左の学生も極右の作家も去って行った」。
 ビートルズが解散する。アメリカでは女性解放のデモ行進や、ウーマンリブの集会が盛んになる。
日本では石牟礼道子の『苦界浄土』がベストセラーになった。「公害は、企業と国家権力が『悪』であるというところから始まって、やがては、文明社会・市民社会のあり方そのものが大気汚染・水質汚染を生むというところへ進む」
 1971年は大衆元年だ、と橋本治は書く。銀座では歩行者天国が始まり、マクドナルドが銀座三越に第1号店をオープンした。日清食品はカップヌードルを発売。新宿には超高層ホテルが誕生し、多摩ニュータウンができあがる。繁華街の中心は銀座から新宿・渋谷・池袋に移りつつある。スーパーマーケットの時代がやってくる。
 1972年、グアム島で元日本兵、横井庄一が発見される。さらに2年後、フィリピンのルバング島で小野田寛郎が発見される。沖縄が日本に復帰し、日中国交回復が実現する。
 追い詰められた学生運動の生き残り、連合赤軍のメンバーがあさま山荘事件をひきおこし、別のメンバーがイスラエルのテルアビブで銃を乱射する。佐藤栄作が辞任し、田中角栄が総理大臣になっていた。
 荒井(のちの松任谷)由実が歌手デビュー、『緋牡丹博徒』シリーズの藤純子がスクリーンを去る。歌謡曲に代わって、フォークソングがヒットし、やがて「ニューミュージック」となる。貧しい、つらいに代わって、オシャレが思想になっていく。
 1973年には第4次中東戦争を契機に、オイルショックが発生する。原油価格が上昇し、夜の町からネオンが消える。石油の値上げで、ペルシア湾岸の産油国は一時的に大儲けした。先進国のあいだでは省エネ・省資源の考え方が生まれる。オイルショックの前、通貨は変動相場制に移行していた。円は強く、日本は世界最強の経済大国となった。
 あのころのことを、いろいろ思いだす。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(5) [本]

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 文庫版では下巻。
 1946年には、すでに第2次世界大戦は終わっている。
 だが、すっかり戦争のカタがついたわけではない。
19世紀以来の帝国主義時代の清算も終わっていない。ナチス・ドイツを倒すため、かりそめに結束した米ソの対立も鮮明になってくる。
 20世紀後半は、それらの課題を解決するために費やされたようなものだ。
 インドネシア、アルジェリア、ヴェトナムなどでは、独立に向けての動きがはじまっていた。
 チャーチルは「鉄のカーテン」演説をぶち、ソ連による東欧支配を糾弾する。
 日本は虚脱状態にある。極東軍事裁判がはじまり、新憲法が公布される。ラジオからは、「素人のど自慢」の歌声が流れていた。
 1947年、アメリカで「赤狩り」がはじまる。トルーマンが社会主義とソ連を敵視するようになると、世界はたちまち「冷戦」状態に突入する。
 1948年にはベルリンが封鎖され、朝鮮半島が韓国と北朝鮮に分断される。ヴェトナムも南北にわかれる。
 とはいえ、ベビーブームの年でもある。アメリカでは「キンゼー報告」が発表され、人間の性行動に光が当てられるようになった。
 1949年、ドイツは西と東に分かれる。毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言する。蒋介石は台湾に逃れ、台北を首都とする。ふたつの中国が生まれた。
 東欧はソ連の衛星国になっている。
 1950年、朝鮮戦争が始まる。北の軍隊はたちまち南のソウルを占拠し、釜山に迫った。国連軍はこれを押し戻し、鴨緑江にまで迫るが、ここで中国軍が参戦し、形勢がふたたび逆転する。
 1951年、朝鮮での戦争は膠着状態となる。トルーマンは中国に攻め入るというマッカーサーを解任し、北に停戦を呼びかけた。帰国したマッカーサーの「日本人は12歳の少年」という発言が物議をかもした。
 この年、日本はサンフランシスコ講和条約を結び、主権を回復する。アメリカとの安保条約も締結された。
 ラジオでは紅白歌合戦がはじまり、黒澤明の『羅生門』がヴェネツィア映画祭でグランプリをとる。
 日本人はマッカーサーの発言に憤激したが、はたして日本人は一人前だったのか、と橋本治は問うている。

〈日本人は、占領軍の言うことを聞いたが、自分達の手で軍国主義者を追うことはしなかった。「占領軍がそれをやってくれた」と思う日本人は、それを自分達自身の手でやらなければいけないものとは思わなかった。……その後の日本人達の戦争責任に対する認識の薄さは、おそらくそのことに由来するのだろう。〉

 日本ではGHQの指導のもと、1945年に労働組合法がつくられ、労働組合運動が活発になっていた。1947年にゼネストは中止させられるが、その後も組合運動は衰えたわけではない。
 アメリカは日本を共産主義の防波堤にしようとしていた。1951年、共産党は武装闘争方針を採用する。
 1952年、メーデーのデモ隊は皇居前広場を「人民広場」にしようとして、警官隊と衝突する。いわゆる「血のメーデー事件」である。
 国会では破壊活動防止法が成立し、追放された軍国主義者が次々復帰を果たす。
 1953年、スターリンが寿命を全うして死ぬ。まもなくフルシチョフがソ連の新指導者になる。フルシチョフは1956年にスターリンを弾劾する。この「雪解け」をみて、ポーランドとハンガリー、チェコはソ連の支配権から脱しようとするが、ソ連の戦車が進駐し、それを阻止する。
 1954年、第5福竜丸がアメリカの水爆実験で被曝する。
戦争が終わったあとも、米ソの核実験は平然とつづけられていたどころか、むしろエスカレートしていた。
 その結果、核兵器があまりにも多くなり、「うかつには戦争が出来ない」状態が生まれる。
 防御のための核兵器という考え方から「核の抑止力」という倒錯めいた幻想が生まれる。「冷戦以後の世界には“豊かさ”が溢れ、しかし、なんだか落ち着かなかった」と橋本はいう。
 この年、日本ではゴジラが映画に登場し、プロレスの力道山が人気を博した。中村錦之助主演の『笛吹童子』もヒットする。
 アメリカでは、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』が公開された。
 1955年、石原慎太郎が『太陽の季節』でデビュー。アメリカではプレスリーがはやっていた。ジェームズ・ディーンがスクリーンに登場する。若者の季節がはじまろうとしている。
 1956年、『経済白書』は「もはや戦後ではない」とうたう。日本経済が復興を遂げたという宣言だった。
 政治の世界では、前年、すでに鳩山一郎と吉田茂による「保守合同」が実現し、自由民主党が誕生している。
 橋本治は、鳩山一郎はとても政党政治家とはいえず、「公職追放にあっても不思議はない」人物だった、と書いている。いっぽうの吉田茂は「アメリカ第一主義」で、「傲慢なワンマン総理」。
 このふたりが一緒になることで、政治も復興して、戦前のよき時代に戻ったことになる。その延長上に岸信介が現れる。橋本が「日本には、他に人材がいなかったのか?」と嘆くのももっともだ。
 1957年、ソ連が人工衛星スプートニクを打ち上げる。日本ではそのころ「鉄腕アトム」がはやっている。
 ソ連に先を越されたアメリカは悔しがり、翌年、航空宇宙局(NASA)を発足させる。以来、米ソによる宇宙開発競争が始まる。
 人類が月に降り立つのは1969年である。だが、はたしてその目的は何だったのか。「ヤケっぱちの大人は、『月に行く』だけを考えて、その先を考えていなかった」
 スーパーのダイエーが大阪に誕生したのも1957年である。翌年、ダイエーは神戸の三宮に2号店をオープンする。
 そのころはまだデパートと商店街の時代である。私鉄の駅を拠点として団地の建設ラッシュがはじまる。
 やがて、スーパーが中途半端に高級化すると、激安店が登場する。そして、1990年代にバブルがはじけると、スーパー業界にも過剰投資のツケが回ってくる。
 だが、1958年の日本はまだ貧しく、無限の消費成長が信じられていた。大量生産がゴミの山を生みだすのは、まだ先のことだ。
 1959年4月10日、皇太子の成婚記念パレードがテレビ中継される。このころから、日本中にテレビが普及する。プロレス中継は人気番組だった。だが、橋本は「テレビの普及は、日本人の孤独と貧しさの始まりとも重なりうる」という。

〈テレビがなくても生きていられる──その豊かさを持つ日本人はいくらでもいた。だから私は飽きなかった。だからこそ「テレビがある」以外にはなにもない人の持つ“貧しさ”を感じとってしまったのかもしれない。テレビを見ているだけの人は、テレビを見ているだけで、遊んではくれないのだ。〉

 橋本治にとって、これは子ども時代の実感だった。
 つづきはまた。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(4) [本]

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 相変わらず、ぼちぼち橋本治の『二十世紀』を読んでいます。
 そのつづき。
橋本治流にいえば、歴史は、何かへん、バカじゃないの、と問いかけるところからはじまる。逆に、そう問いかけることが禁じられたり、無視されたりする時代はどこかおかしいということになる。権力が好き勝手なことをするときは、何かヘンで、バカなことが起きているにちがいないのだ。
 1930年代にはいろうとしている。
 早足で、そのころのことを見ておくことにしよう。
 1928年、日本でははじめて普通選挙が実施された。だが、この年には、同時に治安維持法も適用されている。普通選挙と左翼思想の取り締まりは一体となっていた。このあたりは、いかにも日本的だ。
 このころ軍部は満州を手に入れようとしている。そのため、邪魔になってきた張作霖を爆殺した。政府はこの事件を隠蔽しようとするが、真相は次第に漏れ伝わってくる。
 1929年、世界恐慌が発生する。橋本治によれば、恐慌とは、バブルがはじけることにほかならない。当時、アメリカは「世界一の工場主」であり、同時に「世界一の金持ち」だった。そのアメリカがこけると、世界中がみなこける。
 1930年、日本では浜口雄幸首相が右翼に襲われる。こうしたできごとをみると、いかにも日本は暗い時代に向かっていたようにみえる。
 しかし、暗い時代には、かえって明るいイベントが求められるのが不思議なところ。
 1930年は、関東大震災からの復興を祝う「帝都復興祭」の年でもあり、昭和天皇の即位式もあって、各地ではさまざまな行列が催されていた。
 円本ブームもあり、映画はまだサイレントながら、大流行。ラジオでは早慶戦が人気を博し、数々の歌謡曲がヒットしていた。映画館や芝居小屋の立ち並ぶ浅草はにぎわっていた。人びとは忍び寄るファシズムにおののいていたわけではなかった。
 そんな明るい雰囲気のなか、軍部は暴走する。
 1931年、満州事変が勃発する。当時は「満蒙は日本の生命線」という言い方がされていた。じつは、この「日本」とは韓国(朝鮮)のことだった、と橋本はいう。韓国こそが日本の要と考えられていた。日本人はなぜそれほど韓国がほしかったのか。それがひとつの謎である。
 帝国の妄想が膨らんで、日本はついに満州を攻略するにいたるのだが、じつは日本には満州を経営するだけの力はなかった。満州とは「ただ『勝った』という栄光の記憶」にすぎない、と橋本はいう。その栄光の記憶が日本を戦争に引きずりこんでいく元凶になる。
 1932年、軍部は国内でも暴走しはじめる。五・一五事件で犬養毅首相が暗殺されたあと、政府は軍に逆らえなくなる。
 1933年、ドイツではヒトラー政権が誕生する。
 第一次世界大戦後のいじめに、ドイツは切れた。それがナチスの台頭をもたらす。ヒトラーは賠償金の支払いを拒否し、孤立と戦争への道を選ぶことになる。ドイツ国民は、そんなヒトラーに喝采した。
 1934年、ドイツではヒトラーが全権を握り、ワイマール共和国が崩壊する。そのころ、アメリカでは禁酒法が廃止され、「健全な娯楽」として、ハリウッド映画が全盛を迎える。トーキーの時代がはじまっていた。
 1935年、ドイツではニュルンベルク法が制定され、ユダヤ人排除がはじまる。しかし、最初からユダヤ人絶滅政策がとられたわけではない。
「ユダヤ人、消えてなくなれ」というのが、庶民の感情である。ナチスはその感情につけこむ。
 それと同時に、ナチスはスラブ人をも排除の対象にした。ヒトラーはポーランドからスラブ人の土地を奪い、そこにドイツ人を入植させようと考えていた。それがまたドイツ人に支持される。
「スラブ人奴隷化殲滅計画の方が、ユダヤ人絶滅=皆殺しよりも先」だったと、橋本は注意をうながす。

〈人間のこわさというものは、その初めに極端で矛盾に満ちた方針を立てると、やがてそれに合わせてもっともっと極端な矛盾を冒し始め、その極端や矛盾を「極端」や「矛盾」と自覚しなくなるところにある。ポーランド人やユダヤ人を虐殺していたドイツ人達には、おそらく、自分達のしていることが殺人だという自覚はなかっただろう。……ポーランド人は強制収容所へ送られ、ユダヤ人も送られ、同性愛者も送られる。「自分達と違う者」は「いやな者、劣った者」で、そのレッテルを貼られた者は、みんな追放=処分の対象になる。矛盾と極端を容認した者は、やがてその矛盾と極端に合わせて、もっとひどいことを始める。〉

 何かへん、バカじゃないのという問いは圧殺されている。
 1936年、スペイン内戦がはじまる。スペインはその5年前に王政が倒れ、共和国になっている。だが、国内は分裂していた。1933年、フランコ率いる保守政党ファランヘ党が政権を握る。しかし、1936年に左派の諸勢力が人民戦線をつくり、政権を奪取し、保守派を放逐する。
 これにたいし、イタリアとドイツの後ろ盾を得たフランコが武装蜂起し、内戦が勃発するのだ。人民戦線はさまざまなグループの集まりだったが、スターリンがその主導権を握ろうとしたため、内部の対立が激しくなり、独立左派は抹殺された。けっきょく、スペインではフランコが人民戦線側を破り、その後、長期にわたる独裁政権を築くことになる。
 同じ1936年、日本では二・二六事件が発生する。これは陸軍の皇道派によるクーデターだったが、失敗に終わる。
 その後は統制派が軍を掌握し、事実上の軍事政権が確立する。軍は反乱軍を抑えただけではなく、政権をも握ったのだ。新たな軍事政権の最大の目標が満州の保全だったことはまちがいない。満州をより安定的なものにするために、軍は華北の一部を切り取る工作も辞さなかった。
 1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋での衝突をきっかけに、日中戦争がはじまる。だが、当時は日中戦争と呼ばれていなかった。「北支事変」、「支那事変」という言い方がされていた。
 なぜ戦争でなく、事変なのだろうか。日本側は、それがあくまでも突発的な戦闘だとみていた。それに、中国の国民政府を認めていなかった。だから、国どうしの戦争ではないというわけである。
 日本は南京に傀儡政権をつくって、それを交渉相手にして、事態を収拾しようとこころみた。だが、そんなことが思い通りいくわけがなかった。

〈日本は、対戦相手の存在を無視して、この後も中国での戦闘を続ける。なるほど日本人の頭では、「戦争」ではない「事変」なのだ。相手国の存在を否定してかかる戦争などあってたまるものかと思うのだが、日本は、そのように中国を蔑視していたのである。〉

 侮蔑意識と傲慢さが、冷静な判断をできなくさせている。あとは破局まで突きすすむしかない。
 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻する。これにたいしイギリスとフランスが宣戦布告し、第2次世界大戦がはじまる。
 その前に、ドイツはすでにオーストリアとチェコを併合していた。
 20世紀の大衆文化はこのころ黄金時代を迎えている。

〈不思議だが、人間というものは、豊かさの中で破滅への準備をするらしい。……第2次世界大戦前は「豊かな時代」だった。だからこそ戦争は起こったのだ。〉

 思わずうなってしまうフレーズである。
 1940年、中国との泥沼の戦争がつづくなか、日本ではいつのまにか戦時体制が敷かれていた。日本のファシズムには明確なポリシーがなく、いつはじまったかもわからない。
「『一歩踏み出した以上もう後戻りは出来ない』だけで前に進むから、いつの間にかとんでもないことになってしまっている」と、橋本はいう。
 1941年12月7日、日本軍は真珠湾を奇襲攻撃する。ナチスの破竹の勢いに便乗したともいえる。しかし、すでにナチスの党内はガタガタになっており、そのことに日本はまったく気づいていない。
 1942年6月のミッドウェー海戦で、日本はアメリカ軍から壊滅的な打撃を受ける。それ以降、日本は負け続けになり、「限界以上の無茶」を重ねて、ついに焼け野原になる。
 日米開戦前の日本には「アメリカか、ドイツか」の選択肢があり、どっちがトクかはバカでも分かるのに、「日本はバカ以下だった」と、橋本は明言する。
 1943年には、とつぜん東京市が廃止され、東京都が生まれる。行政の簡素化は軍事体制と無縁ではない。「東京が『東京市』のままだったら、東京ももう少し違ったものになっていただろう」と橋本は書いている。一見よさげな都構想なるものには、注意が必要だ。
 1944年は戦争以外、何もない、と橋本治は書く。
 6月6日には連合国軍がノルマンディに上陸し、ドイツ軍は防戦一方となる。ハリウッドはのちにこの時期の戦闘をテーマに数々の映画をつくりだす。映画はいかにも悪役のナチスそここぞとばかり描き出す。これ以降「ファシズムに勝利する自由主義」がハリウッドの定番となる(『スターウォーズ』にもその伝統は引き継がれる)。
 この年、日本も敗退を重ね、ついに11月にはB29による東京空襲がはじまる。
 1945年4月28日、ムッソリーニがコモ湖畔で処刑される。4月30日、ヒトラーがベルリンで自殺する。日本は8月15日に降伏。これにより30年つづいた「戦争の時代」は終わった。
 しかし、その後も、戦争状態は世界のどこかでくり返されることになる。

〈「危機」はあっても、実際上の戦争は起こらない。“周辺”は騒がしいまま、世界の“中心”は平和だった。ある意味で、歴史はゴールにたどり着いたのである。〉

 だが、ほんとうに歴史は終わったのだろうか。それが、橋本の次の問いかけである。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(3) [本]

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 引きつづき橋本治の『二十世紀』を読んでいる。
 1910年代だ。
 1911年には帝国劇場がオープンする。中産階級のあいだでは「今日は三越、明日は帝劇」といわれるようなライフスタイルがはじまっている。しかし、奥さんたちが着ているのは、まだ着物である。
 平塚らいてうは雑誌『青鞜』をつくる。青鞜は青いストッキングのこと。そのころ、日本ではだれも青いストッキングなんかはいていなかっただろう、と橋本はいう。
 しかし、歴史はファッションやライフスタイルから動いていく。
 ヨーロッパでも、ファッションがシンプルになるのもこのころから。裾を引かないドレスが登場し、コルセットに替わってブラジャーが登場する。
 女性が、ただ見えるだけでなく、ますます見せる存在になっていく。
 1912年にはアルフレッド・ヴェーゲナーが「大陸移動説」を発表する。ゆるぎないと思われたこの大地が動いているという感覚。自己も絶対ではない。国家も絶対ではない。相対的なものだ。相対主義の時代がはじまっている。そのなかで、人はどのようにみずからの針路を見つければよいのだろうか。
 この年、日本では明治が終わり、夏目漱石が『こころ』を発表する。美濃部達吉はいわゆる「天皇機関説」を示した。
 中国では中華民国が成立する。世界は揺れている。
 1913年、第1次世界大戦が勃発する。それは日本にとっては、遠い欧州の戦争のように思われた。したがって、当時の名称は「欧州大戦」。まさか、それが、「第1次世界大戦」になるとは、だれも思っていない。
 日本では藩閥政治に代わり政党政治を求める声が高まっていた。いわゆる「大正デモクラシー」。政治を担うのは、元老と藩閥ではなく、国民の代表であるべきだ。
 東京では笹塚から調布まで、京王電鉄が走るようになる。すでに山手線は走っていた。だが環状線にはなっていない。その要となる東京駅ができるのは、ようやく1914年のこと。
 東京の歴史がはじまるのは、やっとこのころからだ、と橋本治は書いている。
 サラエボから火の手が上がった戦争は、ドイツ対フランス・イギリスの戦いになってしまう。オーストリアとセルビアはそっちのけ。「これを『バカバカしい』と言わずしてなんであろう」
 だが、ナショナリズムをあおって突きすすむ「バカげた」戦争がはじまるのも20世紀になってからだ、と橋本はいう。もはや、戦争は王族どうしの勝手な戦争ではありえなくなっている。
 このとき日本はドイツに宣戦布告して、中国の青島を攻撃する。戦争は好景気をもたらした。イケイケのバブルになる。そのあと、調子に乗って、中国に「二十一カ条」の要求をつきつけたりもした。
 日本は戦争をして領土を増やす(勢力を拡大する)という発想にこだわっている。それはすでに古臭い発想だった。
「近代日本の対外的ゴタゴタの原因は、日本が“市場”ではなく“領土”を求めたその古臭さによるものだろう」と、橋本。
 ヘン、バカげた、古くさが、日本の近代史を読み解くキーワードだ。
 戦争中の1916年にフランツ・ヨーゼフ1世が亡くなると、オーストリア帝国はひたすら解体への道をたどる。名門ハプスブルク家は終焉を迎える。
 1917年、ドイツを出自とするイギリスの王家はそれまでのドイツ風家名を「ウインザー家」とあらためる。
 ヨーロッパでの戦争はまだつづいていた。スイスに亡命中のレーニンはロシアに戻る。3月8日、デモとストライキの騒乱状態のなか、ニコライ2世は退位。これで、ロシアにも皇帝はいなくなり、ロシアは共和国になる。
 さらに11月6日、ボルシェヴィキの武装蜂起により、ロシアでは史上初の社会主義政権が誕生する。
 1918年、やっと第1次世界大戦が終わる。ドイツ帝国からもオスマン帝国からも皇帝が追放される。
ヨーロッパの戦死者はじつに790万人にのぼる。だが、戦争の終わりは、新たな混乱のはじまりとなった。
 1919年は冥王星が発見された年でもある(2006年まで、冥王星は太陽系の第9惑星とみなされていた)。同じ年、フロイトは「無意識」を発見する。ドイツではナチス、イタリアではファシスト党が結成される。
 1920年、日本は好景気が終わり、不景気になる。しかし不思議なことに、そのころ映画が娯楽の王者となり、雑誌が次々創刊されている。チャンバラ・ブームがはじまる。大阪では日本初のターミナルデパートが出現し、宝塚少女歌劇も創設される。
「右肩上がりの成長神話」が登場したのもこのころだ。
 大衆時代は国家(や経済)の拡大を希求する時代でもある。こうして、戦いへのアクセルが踏まれる。

〈第1次世界大戦中の好景気は、日本に「帝国主義的な世界進出」を可能にし、その後の不景気は、「この不景気をなんとかしろ」という形で、日本を帝国主義的侵略の道──戦争へと進ませる。〉

 第2次世界大戦が起こるのは、第1次世界大戦がきちんと終わらなかったからだ、と橋本治はいう。
 戦勝国は敗戦国に過剰な賠償金の支払いを求めた。取れるものなら取ろうという欲が、戦争を引き延ばし、次の戦争を引き起こすことになる。
 1922年、イタリアではムッソリーニが政権の座につく。
 イタリアが国になったのはようやく1861年になってからだ。それまでもイタリアはあったが、ひとつのまとまった国ではなかった。そこにイタリアのややこしさがある。
 第2次世界大戦を引き起こす枢軸国──ドイツ、イタリア、日本──はある意味では、いずれも新しい国だ。
 ムッソリーニが実施した武装デモンストレーション「ローマ進軍」はほんらい鎮圧されるべきであったのに、かえって国王によって評価され、ムッソリーニは首相に指名される。そのあとは、やりたい放題。その無茶ぶりがかえって喝采を浴び、それがヒトラーに引き継がれていく。
 1923年、レーニンは脳卒中で再起不能となり、翌年亡くなる。その後はスターリンが実権を握り、ロシアに恐怖政治を敷いていく。
 ヒトラーはいわゆるミュンヘン一揆をおこし、逮捕されるが、8カ月ほどで釈放され、その間に『わが闘争』を執筆する。
 日本では関東大震災が発生し、大きな被害がでるなか、朝鮮人や無政府主義者が殺害される。不安と妄想が広がっていた。
 1924年、監獄から出てきたヒトラーはバイエルンで活動を再開する。そのころワイマール共和国に反対するグループが南ドイツに集まっていた。そのなかで、ヒトラーは頭角を現していく。
 1925年、パリではアール・デコ(装飾美術)が登場する。アール・ヌーヴォーが貴族的、ブルジョア的だったとすれば、そのあとにつづくアール・デコは、きわめてシンプル。「大量生産を可能にした近代工業によって送り届けられる『中流市民のための美』だった」
 そうした簡略化された美的感覚は、その後、世界中に広がっていく。モダニズムはビジュアルなのだ。
 しかし、世の中はますます欲の時代。

〈第1次世界大戦後のヨーロッパを第2次世界大戦へと導くのは、敗戦国ドイツに対する容赦のない賠償金取り立てである。……「二度とドイツが立ち直れないくらい、徹底的に痛めつけてやれ、取れるものは全部搾り取ってやれ」という発想になる。〉

 そうした強欲が、ドイツの反発をかき立てることにフランスやイギリスはあまりに無自覚だった。
 1927年には、芥川龍之介が「ただぼんやりした不安」ということばを残して自殺する。その翌年、関東軍は張作霖爆殺事件を引き起こす。
 さらに、それから3年後、満州事変が勃発する。日本はどうしても満州を取りたかった。
政党政治は阻まれ、葬られた。天皇の名のもとで、軍部が勝手にそのエゴを肥大化させる時代がはじまろうとしていた。
 きょうはこのあたりで。のんびり気ままな読書です。それにしても、橋本治という人は、近くだけでなく、ずいぶん遠くまで見ていたのだなと感心します。

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橋本治『二十世紀』を読んでみる(2) [本]

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 何かヘンだというところから始まるのが橋本治流である。
 この本では1900年から2000年までが扱われている。
ふつう20世紀といえば、1901年から2000年までというのが常識だろう。スタートが、なぜ1900年ではないのだろうか。
それは紀元1世紀を考えてみればよい。西暦の紀元はキリストの生誕によってはじまる。ところが紀元ゼロ年という年はないのだ。だから、1世紀は紀元1年から100年までということになる。
 ところが、実際にヨーロッパでは1900年に「新世紀」が盛大に祝われたという。1900年はもはや世紀末ではないという気分はよくわかる。
このころはヨーロッパの全盛時代だった。ヨーロッパで世紀という発想が意識されるようになるのは、18世紀になってからで、それまで新世紀の到来を祝うという習慣はなかったという。
 しかし、ヨーロッパにとって、20世紀は「栄光の100年」にはならなかった。
1901年、イギリスではヴィクトリア女王が死に、日本では昭和天皇が生まれる。
 橋本治はこんなふうに書いている。

〈大英帝国の象徴ヴィクトリア女王の死によって始まる20世紀とは、イギリスとヨーロッパが段階を追って没落して行く時間でもあった。第1次世界大戦があり、第2次世界大戦があり、この二つの大戦を通してヨーロッパの国力は削がれ、20世紀後半の世界はアメリカ・ソ連の二大国のものとなる。しかし1980年代になるとこの二大国も傾いて、世界は「日本の時代」になる。昭和天皇を“象徴”としていただいていた日本は、やがて空前絶後の繁栄を誇るようになり、そしてその日本は、昭和の終焉と共にガタガタになる。なぜなんだろう?〉

 いまや「米中冷戦」の時代である。
なぜ、こんなふうに歴史は動くのだろう。
 それはともかく、橋本治がおもしろいのは、大きなできごとよりも、むしろ身近なできごとに光をあてるところだ。
 日本にガスこんろが登場したのは20世紀のはじめだという。
それまでガスは灯火として使われていた。ガス灯である。それが電灯に取って代わられると、ガスはこんろとして家庭のなかにはいりこむようになる。
とはいえ、日本の一般家庭にガスこんろが普及するまでには、それから50年以上かかる。戦前は炭や薪が一般的だった。そういえば、小学校のころ、ぼくもかまどで木っ端を燃やして、ご飯をたいていた。
 1903年にはライト兄弟が空を飛んだ。グライダーはすでに発明されている。ライト兄弟が画期的だったのは、モーター・エンジン付きの飛行機をつくったことである。
自動車もすでに19世紀からあった。だが、最初はゴムタイヤがなかった。
 そのあと改良が急速に進む。1903年にはフォードが自動車会社を設立し、1909年には飛行機がドーヴァー海峡を渡り、1914年の第1次世界大戦では、すでに空中戦を演じるまでになる。
 橋本治によれば、20世紀はけっして発明の世紀ではない。

〈19世紀は、とんでもなくいろんなものが空想され、必要とされ、利用され、その結果、様々な発明発見がなされた時代なのだが、この19世紀の目覚ましさに比べれば、20世紀はろくな発明発見をしていない。〉

 20世紀になって発明されたのは「飛行機とラジオとテレビと原子爆弾ぐらい」で、ほかのものは19世紀にあらかたつくられていたというのだ。ただ、20世紀には、それらが大量に商品化され、普及し、人びとの生活を変えていくことになる。
 できるだけ大きな歴史にふれないのが、この本の特徴だが、1904年の日露戦争には「仕方なく」ふれている。
日本が近代化の道を歩んだ(つまりヨーロッパの真似をした)のは、「ボヤボヤしていたらインドや中国の二の舞い」になると考えたからだという。そして、「戦争に負けるはずのない大国」であるロシアを破ったあと、日本は朝鮮を支配し、「加害者」になった。
 1906年に夏目漱石は『坊っちゃん』を発表する。

〈夏目漱石が登場して流暢な現代文を書いてくれるまで、我々は今口にしている言葉で文章を書けなかったし、もしかしたら、話すことだって出来なかったのかもしれないのだ。〉

 ほんとうに漱石のなしとげた仕事は大きい。
20世紀にはふたつの世界大戦が発生する。しかし、それを除けば、「意外なことに、20世紀はなにごともない普通の年で満ち満ちている」と橋本は書く。
1908年にはヨーロッパやアメリカで女性運動が広がる。イギリスでは女性参政権を求めるデモ隊が国会に突入する。日本では初の女優養成所がつくられる。
1909年には上海で「国際アヘン会議」が開かれる。
アヘン戦争が勃発したのはその66年前。この時点でも、イギリスは「麻薬を売る自国民の権利」を守ろうとしていた。人に害を与える商品や、つくりすぎた商品を外国に売りつけるといった風習は、カネ儲けに由来する「悪い病気」だ、と橋本は断言する。
世界ではじめて「父の日」ができたのは1910年。「母の日」に遅れること2年。
この年、日本では大逆事件が発生する。
「大逆事件というのは、明治政府がしでかした“社会主義者への弾圧”と、暗黒裁判の典型である」
日本では「父」は圧制者の別名であり、毎日が「父の日」のようなものだった、と橋本は皮肉を飛ばす。
さて、ここまでKindleにハイライトをつけながら書いてきたが、そろそろ限界のようである。やはりパラパラとめくれる紙の本に軍配を上げたい。本にとって、パラパラとめくれるというのは、とてもだいじな要素で、ページをいったりきたりしていると、なぜか活字が頭に飛びこんできてくれるような気がするのだ。
そんなわけで、ここからは、紙の本で、のんびり『二十世紀』を読むことにする。いまのはじまりがえがかれている。

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電子本で橋本治『二十世紀』を読んでみる [本]

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 電子本ははたして読書に適しているのか。
 頭にはいるのは、やはり紙の本ではないかと思ったりするのは、読みはじめてからの印象だが、これは一種の思い込みかもしれない。最近は何を読んでも頭にはいらないのは、紙の本でも電子本でも変わらないからだ。
 電子本のひとつの欠点は紙の本のようにぱらぱらとめくれないことだ。紙の本のように関連本を何冊か並べて、比較することもできない。もっぱら単線的に読むしかない。
 ガイドには、電子本では印象深いところに赤線、いやハイライトをつけて、その部分だけを取りだすこともできると書かれている。
 そういうが、実際にタブレットでハイライトをつけるのは至難の業。けっきょく、ハイライトをつけるには、パソコンに導入したKindleを利用するほかない。しかも、その前後の脈絡をもう一度見直すのはとても面倒だ。
 紙の本とくらべて、電子本のメリットは、場所をとらないこと。それに古典なら、本を探すための時間や手間を節約できること。ぼくの場合でいうなら、マーシャルの『経済学原理』の原文をチェックするときに、ネットでその全文を簡単に見つけることができた。
 いまも読んでみたい本はいくらでもある。たとえば熊野純彦の『本居宣長』。これは電子本になっていない。
 家の本棚のスペースを考えると、これからそう長くない人生で、また分厚い本を何十冊も買いこむのは、何かとためらわれる(それに買ってしまうと、それだけで満足して、けっきょく何年も積んだままになってしまうという悪癖もある)。
 平山周吉の『江藤淳は甦える』は、紙の本で買って読みはじめた。中身がいささかしんどいのに加えて、もつだけで重い。電車のなかでは(といっても、最近、遠出することもほとんどないが)、とても読めない。立ったまま、うとうとしたりすれば、たいへんだ。
 いま迷っているのは佐々木実の『資本主義と闘った男──宇沢弘文と経済学の世界』だ。これは紙の本と電子本がでている。紙の本だと642ページだが、電子本だと持ち運べるKindleに収まる。さて、どうしたものか。
 相変わらず、そんなつまらぬことをかんがえながら、電子本を読むための実験として、橋本治の『二十世紀』(上)(下)を買ってダウンロードしてみた。
 この本は2001年、つまり21世紀になった途端に出版されているから、その素早さといいひらめきといい、橋本治にはやはり脱帽である。かれの本は何冊かもっている。しかし、吉本隆明と同様、いつも流し読みしてきた。
 古今東西の典籍を磁石のように引きつけて、いつまでも元気に活躍するだろうと思いこんでいただけに、ことし亡くなったのを知ってショックを受けた。
 こちらは、まだのうのうと生きている。それで、橋本治をちゃんと読みなおそうと思って、電子本で『二十世紀』をダウンロードしたわけだ。
 ところが、ある日、本棚をながめていたら、すでにちくま文庫の『二十世紀』が上下とも鎮座しているではないか。電子本の返品はできないし、後の祭りである。これも、何かのおぼしめしである。
 そうそう、電子本のもうひとつの欠点、それは参考文献を示すさいに、紙の本のように、何ページからの引用というように、引用箇所を示すことができないことだ。ぼくの場合は、文字を大きくし、行間を広くして読んでいるから(これは電子本のメリットである)、ほかの人とはページ数がことなってくる。どこかにオリジナル本のページ数を示してあればいいのだが、参考文献として挙げるときには、どうしていいかわからない。
 ごたくはこれくらいにして、さっそく読んでみることにする。もっとも、ぼくの場合は、頭の回転が遅くなっているので、毎日ほんの少ししか読めないのはいたしかたない。
 まず「総論」だ。
 むずかしい。橋本治には、わかりやすさのわかりにくさがある。じつは難解というのが、最初の印象だ。そのわかりにくさは、おそらく橋本治が頭でかんがえる人ではなく、からだでかんがえる人であるところからきている。
 20世紀はどのような時代としてとらえられているか。
 これはあたりまえのことなのだが、20世紀になったからといって、19世紀とはまったくことなる時代がやってきたわけではなかった。それは平成が令和に変わっても、何も変わらないのと同じ。
「実際のところ、20世紀とは、終わってしまった19世紀の痕跡を、90年もかけて消そうとしている世紀だったりもする」と、橋本も書いている。
 19世紀とは何か。それは戦争と侵略が肯定された時代だった。この国家の膨張を称賛する発想が陳腐に思えるようになったのは、20世紀の終わりになってからだという。
 二度の世界大戦と冷戦時代をへて、大国どうしが戦争をおこす可能性はほとんどゼロになった。植民地はなくなり、大国による小国の支配も無意味と感じられるようになった。いいかえれば、20世紀は、19世紀の帝国主義と植民地主義からの脱却をめざす苦闘の世紀だったというわけだ。
 たとえば1900年と2000年では、世界の国の数は圧倒的に増えている。現在の国際連合加盟国数は193カ国なのに、かつての国際連盟加盟国数は63カ国にすぎなかった。そのこと自体、帝国主義と植民地主義の時代が終わったことを示している。
 とはいえ、新たな国家の誕生は、しばしば戦争をともなう。20世紀に(そしていまも)戦争がなくならなかったのは、そのためでもある。そのことをつけ足しておく必要があるだろう。
 それでも、橋本治のいうように、帝国主義と植民地主義の時代は、少なくとも終わりを告げた。
19世紀から20世紀にかけて、国家の膨張と衝突が起きた背景には、何があったのだろう。その背景には「商売」があった、と橋本治はいう。つまり、このころから資本の時代がはじまったのだ。
「貿易と戦争=侵略は切っても切れないもの」だった。そういわれると、ちょっとぎくっとするが、イギリスとインド、中国のいわゆる「三角貿易」を考えると、まさにその通りである。商品は国家の先兵でもあった。
 橋本のいうように「植民地獲得競争は、原材料の確保競争でもあるし、輸出商品のマーケット獲得競争でもあった」。
 しかし、20世紀には、資本の膨張に後押しされて国家が膨張するといった帝国主義的行動は、徐々に忌避されていく。経済競争が時に貿易戦争にエスカレートしても、それが国家間の戦争に結びつくことは想定されにくくなった。
 20世紀には、国家は国家、経済は経済と、分離して考えられるようになった。その反面、国家と経済がますます結びつきを強めているのも事実だ。そうしたGDP至上主義体制のもとで、人は日夜、経済戦争を強いられている。
 この先、人はいったいどこに行くのだろうか。
 ハイライトした部分を抜き書きしてみよう。

〈世界史に名を残す産業革命は、人間に「作り過ぎたからいらない」という知恵を与えず、「作ったものは、全部、押しつけてでも売れ」という暴力を生んだ。この事態は今でも続いて、「多すぎるゴミの山」という結果を生み出している。〉

〈物は作られ過ぎて、「新たに物を作る」ということ自体が、もう不必要なことになっていた。だからこそ、〝投資先〟というものがなくなって、「新たなる金儲けのために使われるべき金」は行き場をなくした。バブルの金が、株だの不動産だのへと向けられたのは、そのためである。〉

〈必要な物は作る、必要じゃないものは作らない」――こういう原則を確立しないと、このイライラとした落ち着きのない世界は、平静にならない。手っ取り早く言ってしまえば、私は、産業革命以前の「工場制手工業」の段階に戻るべきだと思う。〉

 もはや商品には使用価値と交換価値があるなどとすましてはいられない。冷蔵庫や掃除機、クーラー、自動車、パソコンにせよ、いったん使い出したら、それなしにはいられなくなる。商品は世界化されていく。もう、これ以上は必要じゃないという線は、いったいどこに引けばいいのだろう。
 橋本治はすでに21世紀の課題を示していたといってよい。すべては「何かへんだ」と思うところから始まるのである。
 これで「総論」は終わり、次は1900年から2000年までのできごとが、1年ごとにつづられている。すごい。少しずつでも読まなくちゃ。
 ところで、繰り返しのぐちになるが、kindleで読む電子本が、よく頭にはいってこないのはどうしたわけか。
 タブレットはたしかに軽くて便利だが、あくまでも流し読み用にしか役に立たないと思う。ハイライトもつけにくい。この原稿を書くだけでも、パソコン上のKindleを利用せざるをえなかった。すると、やっぱり紙の本かと思ってしまうのだが、まだ結論は早い。もう少し、実験をつづけてみることにしよう。

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