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深刻なコメディ、笑えるサスペンス──『グランド・ブダペスト・ホテル』を見る [映画]

 7月5日の土曜日、つれあいにつきあってもらって、車で横浜にでかけました。神奈川近代文学館で開かれた装幀家、菊地信義さんの講演会を聞くためです。テーマは「装幀の余白から」だったかな。楽しい話でした。最初、緊張していた菊地さんも、話しているうちに緊張がほぐれ、最後は落語のようになり、おおいに笑わせてもらいました。
 とくに印象的だったのは、紙には表と裏があり、それと同じように文芸作品にも表と裏があるという話でした。作品は表だけ読んでいたのではだめで、裏を読んではじめて全部を味わうことができる。そして、わからないということがわかったときに、作者と出会っている自分がいることを了解できるという部分が印象に残りました。
 電子本が登場して、紙の本がだんだんと駆逐され、そのうち紙の本は「昔の本はこんなかたちをしていた」という説明つきで、考古学博物館の片隅に展示されるようになってしまうのではないかという危機感を、菊地さんはいだいていました。
 会場の人もぼくも、これを冗談のように聞いていましたが、ほんとうは冗談ではすまないかもしれません。そもそも江戸の和本だって、いまこれを読むことのできる人は少ないですし、当時の和綴じ本はたしかに博物館の展示コーナーに陳列されているわけですから。
 話が終わったあと、グーテンベルクが印刷機を発明したのと同じように、電子本には将来の可能性があるのではないか、と質問した人がいました。これにたいし、菊地さんがそんな将来に住みたくないときっぱり答えたのもよかったです。
 携帯だかスマートホンだか、だれもが端末をもたされて、管理されている時代はそら恐ろしいとも語っていました。
 広辞苑で「たんまつ」ということばを引いてごらんなさい。「物のはし。すえ」となっていて、さらに次の項目に目をやると、びっくりしますよ。「たんまつ」の次は「だんまつま」、断末魔で、その語釈は「死穴」。
「たんまつ」のあとは「だんまつま」が待っている。その組み合わせの妙に会場からは大爆笑がおこり、ぼくも思わず笑ってしまいましたが、考えてみれば、これはおそろしい終末論の予言です。
 いま時代は経済主義から国家主義に向かっているというのも、そのとおりだなと思った次第です。

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 そんな講演の話を書いているうちに、ふと思いだしたのが、先週ららぽーとのTOHOシネマズでみたウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』という喜劇映画のことです。
 記憶はすでに茫々としているので、あてになりませんが、舞台はヨーロッパの東の端のとある国、その山のなかにある「グランド・ブダペスト」という豪華ホテルです。
 映画の構造は年代としては3層にわかれていますが、中心になるのは、ホテルの伝説のコンシェルジュ、ムッシュ・グスタヴ・Hの大冒険物語だといってよいでしょう。時代は1930年代後半、隣国のファシストがまもなくこの国を占領しようというころです。
 あつかわれている時代はとてもシリアス。でも、この映画でまじめな顔をしているのは無機質な表情で機械のように命令どおりに動くファシストの兵士や看守、警察官だけです。あとは全員どこかおとぼけ、なかでも主人公のとてもスマートなおとぼけぶりが堂にいっています。悪人たちも、どこかへんで(関西のことばでいえば、けったいで)、けっして憎めません。
 話の筋は簡単です。
 グスタヴ・Hは全身全霊で客へのサービスにつとめる名コンシェルジュで、マダムDはそんなかれにほれこんでいます。そのマダムDが自宅で急死し、グスタヴに値打ちのある絵を1枚、遺産として残します。
 ところが、その死はじつはマダムの長男による毒殺だということがわかってきます。遺産を独り占めしたい長男は、こともあろうにグスタヴに濡れ衣を着せ、そのためグスタヴは警察に追われる身となります。囚われの身となったグスタヴが、ホテルのロビーボーイ「ゼロ」とその恋人の手を借りて脱獄し、真相をあばくのです。
 雪の修道院、雪原の対決、そして、とうとうホテルで強欲な長男をやっつけるまでの話が楽しいこと楽しいこと。大笑いしてしまいました。
 昔の映画を見ているようでもあり、美しいノスタルジックな画面にうっとりし、とぼけた役者たちの表情に魅入られるうちに、あっというまに2時間の夢の世界が終わっていました。
 この映画の味は、1935年に公開された山中貞男の『丹下左膳』とどこか似ていると思ったのが自分でも不思議です。ぼくはもちろんBSでこの映画を見たのですが、丹下左膳を演じた大河内傳次郎はいい役者だなあと感嘆しました。そのとぼけた感じが、ムッシュ・グスタヴ・Hを演じたレイフ・ファインズと何となく似ていると思った次第です。
 そういえば、丹下左膳もみなしごの「ちょび安」をかわいがっています。グスタヴ・Hの相方にはおなじく、みなしごの「ゼロ」がいます。
 グスタヴは最初ロビーボーイに雇われた「ゼロ」を、どこかはずれの国から、ふらふらとやってきた少年だと、こばかにしていました。ところが、話を聞くうちに、この少年が大好きになり、どんなことをしてもこの少年を守ろうと思うようになります。少年「ゼロ」は、戦争で家族をすべて失い、故国を追われた天涯孤独の身だったことがわかったからです。
 国家や財産にではなく、孤独に寄り添うというのがグスタヴ・Hのやさしさの源なのかもしれません。グスタヴ・Hの最後は悲劇です。でも、かれは少年とその恋人を守るため、堂々と機械のように動くファシストどもと渡りあいます。
 人生につらさはつきものです。でも、ちょっぴりとぼけた生き方で、それをやりすごすことはできます。とくに国家主義の時代に生きつづけるには、すこしとぼけた生き方が必要になってくるかもしれませんね。でも、いちばんだいじなのは、孤=個としての人への共感。でも、もういいんだ、とぼけていても、言いたいことは言っておかないと、あとが悔やまれる。ニヤニヤ、ハラハラしながら映画を見終わったあと、ぼんやりそんなことを思ったのでした。

『アクト・オブ・キリング』について思うこと [映画]

 これは映画かもしれないが、映画ではない。実際に起きたことだ。
 連休前、千葉劇場でこのドキュメンタリー映画を見た。友人に勧められ、ウェブ上でいくつかの評を読んで、見てみたいと思った。はじめて行った千葉劇場は100人ほどしかはいれないミニシアターで、平日の昼間とあって、がらがらにすいていた。
 1965年にインドネシアでは謎の「9・30」事件が発生する。10月1日未明、軍の若手将校が立ち上がり、クーデターを画策していたとされる軍幹部を殺害した。その背後には共産党の陰謀があったとされる。反乱そのものは、スハルト将軍によって、たちまち鎮圧される。そのあと大統領のスカルノは、幽閉され、大統領の座を奪われていく。反乱鎮圧後、ジャワ島をはじめインドネシア全域で、共産主義者にたいする100万人とも200万人ともいわれる虐殺の嵐が吹きすさんだ。そのあとスハルトは軍事独裁政権を樹立し、経済開発を推し進めていく。
 この映画の主人公アンワルは、共産主義者を1000人殺したと自慢するギャングだ。そして、映画はかれに実際に殺したときの様子を「演技」してもらい、それをフィルムに収めるという手法をとる。なんともユニークである。
 アンワルはいまや好々爺だが、1965年当時は北スマトラのメダンで映画館のダフ屋をしていた。もともと映画好きで、ジョン・ウェインやマーロン・ブランド、アル・パチーノにあこがれていたという。だから、自分が映画の主役になることを喜んで引き受けたのだろう。
 共産主義者を大量に殺害したことは、いささかも後悔していない。むしろそれで軍から誉められ、地元の名士になっていったのだから。赤の連中を抹殺したのは、アンワルの自慢であり、カメラの前で嬉々として実際の殺害の様子を再現してみせる。
 殺害の場所は、当時新聞社があった事務所の屋上だ。最初は順番に屋上に連れていって、ナイフで刺し殺していた。しかし、それだと血だらけになってしまうので、アンワルは座らせた相手の首に針金を巻き、それを引っぱって殺す手口を考案する。アメリカのギャング映画で見た手口をまねたらしい。それを再現してみせるアンワルは得意満面の様子。
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 実にこわいのは、殺害すべき人間を選定していたのが新聞社の社主だったことである。その社主もこのドキュメンタリー映画に登場して、当時の様子を語っているが、かれの前に次々とつれてこられる共産党員らしき人物は、かれの目配せひとつで殺すか、許すかを決められ、殺すとなると、屋上のアンワルのところに連れていかれる。
 なにせ、新聞社主は地元の共産党情報に精通しているのだ。その新聞社に勤めていた記者は、当時そんなことが行われているとは思いもしなかったと証言するが、おそらくかれも見て見ぬふりをしていたのだろう。
 カンプン・コランという村の虐殺も再現されている。これを実行したのはパンチャシラ青年団と呼ばれる右翼団体だ。結成されたのは、赤狩りが本格化した1965年秋から66年にかけてのころだろう。
 映画では、いまも政府が支援するパンチャシラ青年団が、当時の虐殺の模様をドキュメンタリータッチで実演してみせる。撮影には政府の現役大臣も応援にかけつけるくらいだから、この村民皆殺しは「虐殺」などとは思われておらず、むしろ誇るべき「撲滅」ととらえられているのだ。
 映画ではアンワルの子分で、かつてパンチャシラ青年団の演劇部に所属していたこともあるヘルマンが、マツコ・デラックスばりの女装をして登場し、華を添える。
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 ヘルマンも共産主義者を大量に殺した親分のアンワルを慕っている。かれは映画の撮影中、実際にパンチャシラの応援を受けながら、州議会の選挙に立候補して、落選するのだが、その際、資金集めのために地元の商店からみかじめ料をせしめるシーンも映画に収められている。軍と政界、ギャング団は一体の存在なのだ。
 役者でもあるヘルマンは、美しいインドネシアの自然を背景に親分アンワルの栄光を称える存在として登場する。アンワルとヘルマンが湖や滝を背景にみせる「死の舞踏」は、幻想的で美しく無気味でもある。
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 この映画で、虐殺の実行者であるアンワルは、最初、語り手にすぎないが、次第に再現者となり、次に役者となり、監督役ともなって、最後は犠牲者の役を演じるまでになる。そのころから、かれはだんだんと変わっていく。
 カンプン・コラン村の撮影のあとでは「残虐だったのは共産主義者たちではなく、われわれのほうだった」と認めてしまう。拷問室で犠牲者の役を演じ、針金で首を絞められるシーンをとったあとは、すっかりことばを亡くしてしまう。そして、実際に処刑のおこなわれた事務所の屋上にのぼったアンワルは、激しく嘔吐するのだ。
 フィナーレの滝のシーンも無気味だ。映画のなかで殺した者と殺された者が全員登場し、滝を前にして美しく舞う女性たちとともに踊る。そしてワイヤを首にかけた死者が、それをはずし、アンワルにかけると、それが金メダルになる。そのとき、死者はこうささやく。「私たちを処刑して天国に送ってくれたことに1000回の感謝を」
 このときアンワルもまた満悦そうな表情を浮かべる。

 このドキュメンタリー映画は何をいわんとしているのだろうか。イデオロギーに関係なく、人はだれでも時に殺す者にも殺される者にもなりうるということだろうか。われわれは1970年代後半に、カンボジアでポル・ポト派の大虐殺があったことも知っている。
 人が多くの人を殺すのは、たいていだれかにそれを認めてもらいたいからである。映画を見てもわかるように、殺すこと自体はひとつの技術にほかならない。しかし、その技術を取得した者が、たちまち殺人者となるわけではない。なんじ殺すなかれのしきいが突破されるのは意外と簡単である。あいつは敵だ、敵を殺せという命令が発されるだけでよいのだ。
 アンワルの物語は、イデオロギー対立が激しかった1960年代のインドネシアにかぎられた特異な事例ではない。それは、いつでも、どこでも起こりうることだ。個ははたして、敵を殺せの命令に、どこまで耐えられるか。これはそのことを問う映画でもある。

映画『ヘルタースケルター』について [映画]

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 最近は2日前のことをほとんど覚えていないというくらいボケが進んでいるので、1週間ほど前、駅前のときわ書房で借りた、このレンタルDVDについても、「びっくりしたな、もお」という程度の印象しか残っていないのがじっさいです。主演の沢尻エリカは『パッチギ!』のときのかわいさが記憶に残っているので、『ヘルタースケルター』のファッションモデルりりこのイメージとの落差に、ぼくのようなじいさんは、7年ぶりにあった孫のような女の子がすっかり変わってしまったのをみて、とまどいを隠せず、この子、強くなったなあと思うより、なにか痛々しさのようなものを感じてしまいました。
 沢尻エリカのひたむきさ、ぶきようさ、まわりに同化しない異和性のようなもの、容姿とは異次元の波立ちのようなもの、それは昔と変わりませんね。うっとり見とれるほど、きれいな女優さんです。でも、よけいなお世話かもしれませんが、なんだか心配な人で、あんまり無理しないで、やっていけばいいんじゃないのと声をかけたくなるくらいです。
 沢尻エリカという人は、役柄に収まりきらない何かを感じさせながら、映画そのものをかたちづくり、ひっぱっていく不思議な女優さんです。ちょっとうそっぽいけれど、それがぴったり映画にはまっているといえばいいでしょうか。『ヘルタースケルター』にもそれを感じました。りりこの役を演じるのは、女優さんにとっては一大決意を要したはずです。大胆なヌードやセックス、それに女の執念や醜さ、嫉妬、狡知も表現しなければなりませんからね。彼女はそれをひたすら演じて、最後に役をはみだす何かを残しました。ですから、これからもいい女優さんとして残っていくのではないでしょうか。
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 ところで、ぼくが言いたかったのは沢尻エリカのことではなく、この映画についてでした。岡崎京子の同名のマンガが原作になっていて、1995年から96年にかけて雑誌に連載され、2003年に単行本化されました。原作者自身は96年に不幸な交通事故にあい、瀕死の重傷を負い、いまも療養中だといいます。
 ウィキペディアをみると、マンガのストーリーがうまく紹介されていましたので、それを引用しておきます。DVDを見たぼくの記憶はたよりなく、あてになりませんので……。
〈素性不明の人気ファッションモデル・りりこは、実は全身を作り変えるほど危険な美容整形手術を施しているという重大な秘密を抱えていた。りりこは、その美貌でトップスターになっていくが、美容整形の激甚な副作用と仕事のストレスで、心身共に蝕まれていく。
 結婚を狙っていた御曹司の裏切り、自身を整形した美容クリニックの隠された犯罪を追う者、生まれながらに美しいがゆえ美に執着しない「期待の新人」である後輩・こずえが登場し、りりこは窮地に追い込まれていき、現実と悪夢をさまよう。そして付き人の内部リークもあり美容クリニックの違法行為が発覚し、りりこの全身整形の事実も公開され、マスコミの格好の対象にされたりりこは記者会見を行うことになる。そのとき既に、彼女の身体も心も崩壊状態だった。記者会見直前、えぐり抜いた自らの左目を楽屋に残し失踪する。
 数年後、海外のロケに出ていたこずえはスタッフに連れられてフリーク・ショーを見学する。そこで出会ったのは、自らを見世物として出演している傷だらけのりりこの姿だった。〉
 ぼくはマンガの原作を読んでいないので、詳しくは比較できないのですが、映画はほぼこのストーリーを忠実に追っています。ただし、左目を楽屋に残し失踪するという場面は原作とはちがっていて、映画では記者会見の場で、何も発言せず、たしかいきなり左目をえぐるという展開だったと思います。それに映画は音と映像、生々しさですね。渋谷の雑踏や女子高生たちのしゃべり声、赤とピンクを基調としたりりこの部屋、そこにおかれた人形や飾り物、壁に貼られたピンナップ、ドラッグの山、そして一転して静かな水族館のブルーなどを、いま思いだします。
 マンガと映画の結合ですから、もちろん事実ではありません。しかし、表層でしか語られない事実より、もっとありうる事実のように思えてくるところが不思議です。いなかから出てきたぼくは、昔も渋谷や六本木という町になじめませんでしたが、いまはさらに背景となっているこうした町が変わってしまって、すっかり時代に取り残されているような気がします。この映画を見ると、大げさにいえば、どこかで近代が終わって、超近代がはじまったのではないかというような感覚にとりつかれます。その意味で、『ヘルタースケルター』は、まさにいまのTOKYOを表現した映画かもしれませんね。
 りりこを操っているのは、桃井かおりが演じる芸能プロダクションの女社長です。全身整形だらけのりりこについて、「あの子が元のままなのは、目と爪と耳とアソコくらい」なんていってのけたりします。つまり、りりこはつくられた商品といってもよいでしょう。これは考えてみたら、すごいことです。モデルは売れるか売れないか、黒字か赤字かで評価されます。そう言いきると極端すぎるかもしれませんが、ホンネをいえば、やはりモデルはそれ自体が商品ということになるのでしょう。
 人間の外にある自然を、これでもかと思うくらい〈人間化〉して、人にどんどん膚接させていくのが、これまで商品のとってきた戦略でした。しかし、現代では、さらに状況が進んで、人間という自然そのものを加工して、商品化する動きが進んでいることを感じます。おっと、これはよけいなおしゃべり。
 注目すべきは、りりこ本人が売れる商品になることを望んでいることです。りりこは苦痛と副作用をともなう違法な整形手術を何度もくり返しながら、それでも売りものとしての美をキープしようとします。うっかり断言できないものの、おそらく「わたしがかわいくみえること」は、女性の共通願望であり、そこには幼いころからしれつな競争があって、りりこに〈価値〉があるのは、そのモデルを彼女が提示するかぎりにおいてなのです。ところが、美の価値などというものは、ちょっとしたことでうつろいやすく、どんどん〈新製品〉がでてくれば、古い製品はたちまち見捨てられていきます。
 りりこという存在は、女の願望が呼び起こした天使でもありデーモンでもあるといえるでしょう。この物語はシンデレラになった女の子が、次第に白雪姫の「悪の女王」へと変身するホラーとみることもできます。心身をむしばまれて「悪の女王」となったりりこは、付き人とその彼氏を精神的に支配して、ふたりに命じて、恋人の御曹司の彼女を襲わせます。新しいライバル、こずえにもものすごい嫉妬をいだきます。そして、最後は付き人の裏切りにあい、全身整形の正体を暴露されて、記者会見の場で、みずから左目をえぐりだすという衝撃のラストとなるわけです(自分にとっての右目が人にとっては左目になるというのも、ほんとうは見るものと見られるものの不思議な関係ではあるのですが)。
 なぜりりこは、オイディプス王のように眼をえぐりだすのでしょう。それはどこまで追求してもたどりつけない美への絶望からでしょうか。それとも賞味期間をすぎたみずからの商品性を、自分の手で引き裂きたかったからでしょうか。ぼくには、よくわかりません。そして、りりこもまた、オイディプス王のように、フリークとなって荒野をさまようわけです。
 あまり教訓めいた結論を引きだしたくはありません。ただ、たしかにいえることがひとつあります。それはりりこが、こんどは美から醜の世界に飛びこんだということですね。「見たいものを見せてあげる」というりりこは、死ぬのではなく、最後に美の舞台ではなく醜の舞台で生きることを選んだのかもしれません。人は美しいものを見たいというだけではなく、醜いものを眺めたいという欲望をどこかに隠しているのですから。
 地獄から天国へ、天国から地獄へ。まさにこの世の実相をりりこは、しっちゃかめっちゃか(ヘルタースケルター)のうちに映しだしていきます。哀しい映画です。自分も含めて、人はあわれです。でも、なんだか気になる一本でした。ありがとう。

映画『ハンナ・アーレント』半解 [映画]

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 先日、所用があって東京にでかけ、そのついでに岩波ホールで、評判になっている映画『ハンナ・アーレント』を見ました。ホールは満席、観客はほとんどが中高年で、若い人はちらほらといったところ。午後2時半の回で見ようと思い、お昼に切符を買ったのですが、定刻30分前にいったところ、もう席がほとんど埋まっているという状態で、その人気ぶりがうかがえました。
 ところで、これがどういう映画かというと、エルサレムで開かれたアイヒマン裁判をハンナ・アーレントが取材に行き、その記事を「ニューヨーカー」に掲載したところ、読者から猛烈な反発をくらい、孤立無援の状態に追いこまれたものの、彼女がけっしてその主張を曲げることはなかったという話です。ヘビースモーカーのアーレントは映画のなかで、ずっとタバコを吸いながら、議論し、考え、執筆し、講義しています。あまりドラマチックな盛り上がりもないまま、映画は淡々とはじまり、淡々と終わります。
 まるで、煙に巻かれたみたい。回りから何をいわれようと主張をつらぬくところに共感を覚えるけれど、はっきりいって、最初は何がいいたいのかよくわかりませんでした。昔の喫茶店でよく経験したように、タバコの煙がもうもうとするなかにしばらくいて、頭をくらくらさせたまま、夕方の町をふらつく気分で、ホールを後にしたといったらよいでしょうか。
 それでも、いったいあの映画は何だったんだろうと、2、3日たっても気になって仕方ありませんでした。ふつうは、だいたいどんな映画も30分ほどすれば忘れてしまうのに、めずらしいことです。翌日、図書館で『イェルサレムのアイヒマン』を借りようと思ったら、予約がいっぱい。かといって、4000円もする高い本を買う気にもなれず、不勉強は承知で、とりあえず映画についての、ぼくなりの感想をまとめてみようと思いました。
 この映画を現在の状況にひきつけて、ある種の教訓、もしくは励ましにしてしまうのは簡単です(現在は現在なりのむずかしさがあるにしても)。しかし、ほんとうは、この映画のねらいは、われわれが忘れようとしている過去にわれわれを引き戻すことにあったのではないでしょうか。それはユダヤ人を抹殺しようとした戦争の記憶へとつながります。
 虐殺ではありません。抹殺です。日本人は実感として、この歴史を知りませんし、ぼく自身もその恐怖は想像するほかない。でも、なぜ第二次世界大戦中にそんなことが起こったのでしょう。
 1930年代半ばから40年代半ばにかけて、犠牲になったユダヤ人の数は600万人近くにのぼるといわれます。ひとくちに600万人といわれても、そのすさまじさは想像を絶します。
 ユダヤ人絶滅を計画したのはヒトラーです。ポール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史』を読むと、ことの発端はヒトラーのユダヤ人恐怖にあったことがわかります。もともと、オーストリアと南ドイツは、ユダヤ人嫌いが多いことで知られていました。
 オーストリア人だったヒトラーは、ロシアのボルシェヴィズムを率いているのはユダヤ人だと信じていました。また、東欧のユダヤ人がドイツ民族の血統をけがすことを恐れていたといいます。それにヒトラーにいわせれば、そもそもワイマール共和国自体が、非愛国的な「ユダヤの共和国」だったのです。
 1933年にヒトラーが政権をとると、ドイツ全体に反ユダヤの風潮が広がり、ユダヤ人にたいする暴力が日常化します。1935年にはニュルンベルク法が発令され、ユダヤ人は基本的人権を奪われ、一般人から隔離されます。ユダヤの血統をひく者は公職から追放されました。ユダヤ人は学校にも行けなくなります。運転免許証も取りあげられました。
 1939年に戦争がはじまると、ヒトラーは戦争が起きたのは国際的なユダヤ人の陰謀によるものだとして、ユダヤ人の抹殺を広言するようになります。ユダヤ人はゲットーに追いこまれ、過酷な強制労働をさせられ、そしてついに1941年から「絶滅収容所」での大量殺戮がはじまります。それはとりわけ、ヒトラーがソ連に侵攻してからです。
 ヒトラーがつくった強制収容所の数は1634カ所にのぼります。ユダヤ人の殺害方法はさまざまでしたが、とりわけポーランドのアウシュヴィッツとビルケナウ、マイダネク、トレブリンカの「ガス室」が大量殺戮に用いられたのでした。
 ナチス支配下のヨーロッパには、886万1800人のユダヤ人がいたのですが、そのうち593万3900人が殺害されています(実に7割近く)。とりわけ、ポーランドではユダヤ人330万人のうち90%が殺害されました。
 ヨーロッパから脱出したユダヤ人が以前から向かっていた先は、ひとつはアメリカ、もうひとつはイギリス委任統治領パレスチナ、すなわち、のちにイスラエルが建国される地です。
 この映画の主人公ハンナ・アーレント(1906-75)はハイデガー、フッサール、ヤスパースのもとで哲学を学び、1929年にギュンター・シュテルンと結婚、ユダヤ人救援活動に奔走し、1933年にゲシュタポに一時逮捕されたものの、そのあとパリに亡命します。パリではシオニスト運動にかかわりますが、シュテルンとは別れ、元ドイツ共産党活動家のハインリヒ・ブリュッヒャーと再婚しました。
 アーレントは前夫シュテルンのいとこ、ヴァルター・ベンヤミンともパリ時代に交遊を深めています。しかし、1940年、ドイツがフランスを占領するなか、一時ピレネーにほど近いギュルス(グール)の強制収容所に収監されますが、そこを脱出し、アメリカに亡命しました。
 ベンヤミンは亡命に失敗、スペインのピレネー山中で命を絶ちます。アドルノはすでに1938年にアメリカに渡っていました。いっぽう、ベンヤミンの友人でカバラを研究するゲルショム・ショーレムは、1923年にパレスチナに移住しています。ちなみに、レヴィストロースがアメリカに亡命するのも1940年のことです。
 亡命したニューヨークで、ハンナ・アーレントはユダヤ人を絶滅に追いこもうとしたナチスの体制について考えつづけます。それは善と悪、和解と暴力、平和と戦争が逆転する世界でした。つまり、正しいのは悪であり、暴力であり、戦争であって、まちがっているのは善であり、和解であり、平和であるような、問答無用の政治体制です。
 そうした逆転した政治体制、絶対的な政治意志が世間を巻きこみながら、人びとの思考を麻痺させていく仕組みを、アーレントは全体主義となづけました。それはナチスにかぎらずスターリンのロシアも同じだと思えました。彼女はそんな全体主義の社会をもたらさないために、人は思考をもたない生物になるな、と訴えつづけたのです。
 この映画の背後に隠されているのは、こうした舞台装置だということができます。そこで、われわれが忘れかけている過去をもう一度思いだしたうえで、この映画をふり返ると、そこには、これまでぼくがあまり想定していなかったハンナ・アーレントの別の顔が浮かびあがってくることに気づきました。
 不勉強なぼくは、アイヒマン裁判をめぐって大論争が巻き起こったことを、そもそも知りませんでした。映画は1960年5月、アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンを、イスラエルの諜報機関モサドが拘束するところからはじまります。
 アイヒマンはナチスの国家保安本部ユダヤ人課長、さらには親衛隊(SS)中佐として、ユダヤ人を強制収容所に輸送する責任を担った人物と目されていました。しかし、戦後、当局の手を逃れて、アルゼンチンに逃亡していたのです。
 アイヒマンを裁く法廷は1961年4月から12月にかけ、イスラエルのエルサレムで開かれ、その結果、死刑判決が下されました。かれが絞首刑に処されたのは翌年6月のことです。
 アーレントはこの裁判の傍聴を熱望し、「ニューヨーカー」に原稿を書くことを約束して、大勢の記者団とともに、エルサレムの法廷に立ち会いました。映画はここで実写のモノクロに変わり、アイヒマンがこう言っているのが聞こえます。
「それが命令でした。殺害するか否かは、すべて命令次第です。事務的に処理したんです。私は一端を担ったにすぎません」
 検察側は強制収容所を経験した証人を次々と呼び寄せ、アイヒマンの非道なユダヤ人虐殺を暴きたてようとしますが、かれは「私は手を下していません」、「仕方なかった」とくり返すばかりです。
 アーレントは次第に、アイヒマンが怪物でも殺人鬼でもなく、ただの平凡な人間なのではないかと思うようになります。アイヒマンは国家の忠実な下僕として、命令にしたがって、淡々とユダヤ人を絶滅収容所に送りこんだのではないか。
 アーレントはアイヒマンの経歴を調べます。平凡な中流階級の家庭に生まれた男が、電気製品会社や石油会社の営業マンとしてはたらき、会社に解雇されたことで、たまたまナチス親衛隊(SS)にはいり、たまたまユダヤ人課に配属され、職務を忠実に果たしたというのがアイヒマンの実像でした。
 こうした実像をアーレントは「悪の凡庸さ」と呼びました。映画のなかでは秘書のロッテに、原稿をこんなふうに変えたわというところがでてきます。
「一般に悪は『悪魔的』『サタンの化身』──そう見なされがちだ。しかし、アイヒマンには悪魔的な深さがない。彼は思考不能だったのだ」
「ニューヨーカー」への原稿は手間取りました。アイヒマンにはすでに死刑判決が下されていました。それでも、アーレントはなかなか書けませんでした。雑誌の編集長からは、そろそろ原稿をという催促が何度も電話でかかってきます。
 やっと届けられた原稿は膨大でした。「ニューヨーカー」はこれを5回にわけて掲載することにします。しかも、その内容はかなり刺激的で、編集長は自分のクビが飛ぶことを覚悟するほどでした。
 そこには、たとえばこんな箇所がありました。
「ユダヤ人居住地には指導者がいた。彼らはほぼ例外なく──何らかのかたちでナチに協力していた。ユダヤ人指導者は確かに困窮を防いだ。一方で、その指導者がいなければ死者も──450万〜600万まではいかなかっただろう」
 何とアーレントは、ユダヤ人がかくも大量に殺害されたのは、ユダヤ人指導者がナチに協力していたからだと明言していたのです。
 この記事を見た読者はおどろきます。いや、おどろいただけではなく、憤慨しました。ほとんどの読者が、アーレントが、アイヒマン本人を擁護し、それどころかユダヤ人指導者を非難しているととらえたのです。
「ニューヨーカー」編集部には抗議の電話が殺到し、自宅には脅迫めいた手紙が届き、勤める大学からは退職を勧奨され、イスラエル政府からは本を出版しないよう圧力がかかりました。多くの友人からは絶交を言い渡されます。
 イスラエル政府が圧力をかけたのは、記事のなかに、アイヒマン裁判はユダヤ人の保護者を任じるイスラエルのベン・グリオン政権による「裁判ショー」だという一節があったからでしょう。
 それでもアーレントはくじけませんでした。自分の書いたことはすべて真実だと思っていたからです。とりわけ、ヒトラーのユダヤ人抹殺計画に当のユダヤ人指導部がかかわっていたというのは衝撃の事実でした。われわれ日本人でも、そんなばかなことがあるはずがないと思うにちがいありません。
 そこで、よけいなことながら、傍証として、ふたたびポール・ジョンソンの『ユダヤ人の歴史』を引くと、こんなことが書かれています。

〈[ユダヤ人の]抵抗の可能性をできるかぎり減らすため、ナチは各都市のユダヤ人評議会、各州のユダヤ人連合、そしてユダヤ人全国組織を動員し、ユダヤ人役員自らに『最終解決』の準備作業をさせた。名簿の作成、出生届、死亡届、新規則の回覧、ゲシュタポ名義での新しい銀行口座開設、特別居住区へのユダヤ人の移動、追放のための地図や一覧表作成などの作業を行なわせた。このやり方は、占領地域でのユダヤ人評議会動員のひな型となる。彼らは知らずして、ナチの『最終解決』に手を貸すことになった。こうしたユダヤ人評議会が約1000ほど組織され、1万人がそのもとで働いた。……ナチは最初ユダヤ人からすべての貴重品を取り上げるために指導者層を用い、続いてユダヤ人を強制労働に駆り出し、絶滅収容所へ送り出すのに利用した。その見返りに、彼らは特権を与えられ、ユダヤ人住民を監督する権利を与えられたのである〉

 アーレントが勇気をふるって書きつづったことは、事実だったのです。全体主義は何もかもがさかさまになる世界です。全体主義のもとで、ほとんどの人間は考えることをやめて、見境もなく全体の意志にしたがいます。それはナチス・ドイツやソ連だけではなく、戦時下の日本でも同じだったのではないでしょうか。
 映画では、アーレントを演じるバルバラ・スコラの演技に見とれるだけで、ぼうっと聞き流してしまったのですが、シナリオを読むと、映画の最後、大学の階段教室の講義で、アーレントはだいじな話をしています(これは実際におこなわれたスピーチではなく、アーレントの著書『責任と判断』をもとに再構成されたものだそうです)。
 映画のアーレントはこういいます。
「ソクラテスやプラトン以来私たちは『思考』をこう考えます。自分自身との静かな対話だ、と。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまでが判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。……私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」
 当初はわけのわからないうちに終わってしまいましたが、ふり返ってみると、これは静かな勇気を与えてくれる映画だったと、しみじみ思い返します。
 そして、ちょっとこわくなります。全体主義はいつでも復活する可能性があるのではないか、いや、ひょっとしたら、すでに復活を果たしているのではないか、と。

『風立ちぬ』は腹立ちぬか [映画]

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 映画は洞窟の夢だといったのは、だれだったか覚えていませんが、久しぶりにつれあいといっしょに映画をみにいきました。宮崎駿監督の『風立ちぬ』という映画です。船橋ららぽーとにあるTOHOシネマズは、シネマコンプレックスというのでしょうか、なかにミニシアターが10もあって、そのふたつで『風立ちぬ』を上演していました。ぼくらがみたのは、80人のいちばんちいさなシアターでしたが、宣伝がよくきいているのか、客席も満員でした。子どもから老人まで、客層は広かったですね。
 でも、あまり盛りあがった様子はありませんでした。終わったあと拍手もおこらず、なんだかみんなキツネにつままれたようで、ぼうぜんとしていたように見受けられました。そのためか、ぼくは帰り道の信号のないT字路の交差点で、向こうから車がきているのをあやうく見落とすところで、ひやっとしました。
(以下は映画の内容にふれていますので、これからご覧になる方はお読みにならないほうがいいかもしれません)
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 夢のような映画でした。宮崎駿さんの夢のなかに引きこまれていきます。モデルとなったのは戦前に零戦を設計した堀越二郎という人物です。幼いころから飛行機にあこがれ、東京帝国大学航空学科を卒業後、名古屋に本社のある三菱内燃機(現三菱重工)に就職し、さまざまな戦闘機を設計したのち、紀元二千六百年(昭和15年、1940年)に当時世界最高水準の戦闘機「零戦」を生みだすことに成功します(ちなみに零戦の名称は紀元二六〇〇年のゼロに由来)。このアニメは、基本的に零戦開発物語だといってよいでしょう。
 宮崎さんの実家は、中島飛行機の下請会社でした。中島飛行機は富士重工の前身ですが、「隼」や三菱設計の「零戦」をつくっていた航空機会社です。ですから宮崎さんも幼いころから飛行機にあこがれ、その夢がこれまでのアニメ作品にも投影されていたわけですね。堀越二郎という人は、宮崎さんにとって、神様みたいな人だったにちがいありません。
 で、それがなぜ『風立ちぬ』か、です。『風立ちぬ』は堀辰雄の実体験にもとづいた小説で、結核で亡くなる婚約者、節子の最後の様子を描いています。八ヶ岳山麓と軽井沢を舞台に物語は展開し、著者は療養所でもずっと婚約者につきそい、その死後も軽井沢で彼女のことを思いつづけるのです。
 でも映画ではヒロインの名前が節子ではなく菜穂子になっています。それは堀辰雄の『風立ちぬ』だけではなく、もうひとつの小説『菜穂子』がヒロインのイメージに投影されているからですね。やさしい節子と活発で気丈な菜穂子が合体して、映画のヒロイン、菜穂子が生まれます。
 今回のアニメでは、「戦争」と「結核」が結びつけられています。「零戦」をつくらざるをえなかった時代、「結核」が不治の病だった時代は、不幸な時代でした。ほんとうなら、あまり思いだしたくない時代かもしれません。
 それにしても、同じ堀つながりだとしても、堀越二郎と堀辰雄の「菜穂子」を結びつけるのは、どう考えても無理があるのではないでしょうか。「汚れちまった悲しみ」が捨象されて、純粋な魂のつながりだけが強調されるために、物語は随所で破綻しています。
 たとえば、堀越二郎という人を平和主義者のように扱うのは無理があります。かれは美しい飛行機、すぐれた飛行機をつくろうとしますが、それが敵を倒す戦闘機であることを意識していなかったはずがありません。二郎が軽井沢でゾルゲをモデルにしたかのような白人男性と意気投合し、ドイツの航空機設計家のユンカース博士がナチスに追われる話を聞いたり、いっしょに歌を歌ったりし、その結果、日本の特高につけねらわれるエピソードがはさまれてはいるものの、それでかれが反戦思想の持ち主だったわけではなさそうです。
 少年の二郎が夢のなかで、イタリアのカプローニ男爵から、こういわれるシーンもでてきます。
「いいかね日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ。設計家は夢にカタチを与えるのだ!」
 でも、だからといって、現実の二郎が「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ」と考えていたはずがありません。イギリスやアメリカ、ソ連、そしてドイツの戦闘機に負けない戦闘機をつくることこそが、日本の設計家の夢というものでしょう。そのことをあいまいにしたまま、まるで戦争に無関心であったかのように二郎を位置づけるのは、かえって残酷な改変というものです。
 結核という当時不治の病をかかえた「菜穂子」は、無理やり堀越二郎と結びつけられています。堀辰雄の小説にえがかれる節子や菜穂子の背後には、彼女たちを思いつづけるナイーヴな男たちがいます。ところが映画の菜穂子には陰影らしきものがなく、ひたすら純粋で、きっぱりとし、実に美しくてかわいいのです。
 二郎と婚約していた菜穂子が、突然、高原の療養所を抜けて、たとえ短い時間でも二郎と結ばれようとして、軽井沢から名古屋にやってくるというのも、あまりにも無謀というか、ぜったいに考えられない話です。たしかに、小説の『菜穂子』にも同じような筋立てがあります。しかし、それは映画とまるでちがって、深い哀しみに満ちたたった1日の帰京でした。
 映画では、二郎と菜穂子は上司に仲人になってもらい、その家でふたりきりの結婚式を挙げます(じつに美しいシーンです)。そして菜穂子は、離れで暮らし、毎日、帰宅の遅い夫を、床に臥せったまま、じっと待つのです。ふたりのあいだで交わされるキス。
 二郎と菜穂子は堀辰雄の『風立ちぬ』でも、小説家はサナトリウムの隣室で、病室の様子をじっと見守っていたのに、だいじな戦闘機の設計を託されていた二郎が、結核がうつるのも気にせず、菜穂子と臥所(ふしど)をともにしていたというのも信じられない話です。
 最後に菜穂子は、二郎の設計した零戦ができあがり、飛行テストをする日を待って、そっと山へ帰っていくのですが、死ぬために山に戻った菜穂子を、二郎が仕事を投げだして、追いかけた形跡はなさそうです。こうして菜穂子は二郎との楽しい日々を思いだしながら、ひとりさびしく高原の療養所で亡くなり、日本はアメリカとの戦争に突入して、絶望的な特攻作戦をこころみた末に、敗戦の日を迎えることになります。
 映像の美しさ、音響の工夫に比して、何という残酷な失敗作なのでしょう。そう思いました。でも、1日たって、そうでもないのかなと思いなおします。これはたぶん、宮崎駿さんの夢のなかのできごとなのです。夢のなかで、実在の堀越二郎と小説の菜穂子が、リアルな時空を超えて結びついてしまったのでしょう。その夢に向かって、時よとまれ、汝は美しいといってできあがったのが、この作品なのではないでしょうか。
 ぼくらは映画館という洞窟のなかで、たぶん宮崎駿さんの夢をみていたのです。それはほんとうは戦前の日本が強いられた悪夢だったのかもしれません。でも、風立ちぬ、いざ生きめやも、です。みんな必死でした。もちろん、必死だったから許されるわけではありません。しかし、いつのどんな時代も、風立ちぬ、いざ生きめやもは変わらないのではないでしょうか。まして、生きにくい時代にあっては。そんなふうに思いなおしました。
 日米戦争は奇妙な戦争でした。日本は中国とのあいだで、泥沼の戦争に突入していました。口では勇ましく対米戦争も辞さないといいながら、日本はできることならアメリカとの戦争を避けたいと思っていました。アメリカは国民に戦争はしないと約束しながら、大東亜圏構想をたたきつぶすために、早くから日本との戦争を決意し、しっかりと準備を整えていました。これが日米戦争の実相です。
 戦争にいい戦争などというものはありません。どの戦争も、大義の裏側に野望や邪心が隠れています。日米戦争にしたところで、すべてアメリカが正義で日本が悪だったわけではなく、逆にすべて日本が正義でアメリカが悪だったわけでもありません。戦争はいやなものです。できるなら避けたいものです。日本の正義を唱える歴史修正主義にもいやなものを感じます。
 かといって、零戦をつくりだした堀越二郎の半生を映画にした宮崎監督を「晩節を汚した」とけなすのは、どこかちがうような気がします。さらに平和を願っていたにちがいない菜穂子を、零戦の完成をひたすら祈る武人の妻のようにえがいたなどと、この映画を批判するのも、あまり意味があるとは思えません。たとえ、どんな苦しい時代にあっても、人は懸命に生きつづけ、愛しつづけねばならないというのが、いちおうこの映画のテーマなのですから。
 昭和の時代を夢のようにえがこうとしたのは、まちがいだったという見方は成り立ちます。われわれは戦争の記憶がまだ払拭されていないために、夢を夢として味わうことができないのです。しかし、宮崎駿さんはどこかに悪い予感をおぼえているのかもしれません。また大震災がおこり、茶色い戦争がはじまり、これまで経験しないパンデミックが無気味に広がっていくのではないか、と。その予兆はすでにあります。だとすれば、風立ちぬ、いざ生きめやも、は、いまとりあえず生きているわれわれひとりびとりのテーマでもあるはずです。
 茫洋とした気分に包まれたまま、この一文をつづりました。乱筆のほどご容赦ください。

映画『ファウスト』をめぐって [映画]

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先日、東京に出たついでに、銀座のシネスイッチでアレクサンドル・ソクーロフ監督の『ファウスト』を見ました。エジプト・トルコ旅行の時差ボケをかかえていたので、途中うとうとしたものの、いちおう最後まで鑑賞。
何とも気色の悪い映画でした。ぼくがゲーテの原作から感じていたのとは、まるでちがう作品になっていたからです。
筋立ては『ファウスト』第1部を踏襲しています。しかし、ゲーテに向日性があるとすれば、この映画にあるのは向暗性とでもいいましょうか。
原作では、学問の探究に行きづまったファウストが、悪魔メフィストフェレスと、魂をくれてやるという契約を結んで、ハンサムな青年に若返り、気に入った娘を誘惑して、みごと手に入れます。下世話にいえば、ファウストは中年おやじの夢と欲望を体現しているわけです。ファウストをたまらなく引きつけるのが、14歳のマルガレーテ。いまならまちがいなく犯罪行為ですね。
『ファウスト』はいわば悪漢(ピカレスク)ドラマです。悪魔の手を借りて、やりたい放題という話が、おもしろくないわけがありません。巷間に伝わっていた民話のファウストは、最後に罰を受け、神によってからだを引き裂かれるのですが、ゲーテのファウストはメフィストとの契約をものともせず、最後は天国に導かれることになります。
ファウストとの出会いはマルガレーテに幸せどころか悲劇をもたらします。しかし、彼女は亡くなるまでファウストを愛していました。ファウストが自分をもてあそんだなどとは思っていません。年老いたファウストが天に召されるとき、かれをまっ先に迎えたのは、純粋無垢なマルガレーテの魂です。
ゲーテは中世の桎梏をふりはらって、夢と欲望の実現に向かって突きすすむ、近代の自由な悪漢の姿をえがいたのではないでしょうか。そこには、多少かれの自画像も投影されていますが、ここに見られるのは圧倒的な人間讃歌です。

ソクーロフの映画に登場するファウストは、何とも無気味です。魂のありかを探して人体解剖をくり返すファウストは、まるで自身が悪魔のようです。
映画にメフィストフェレスが登場しないのは、おそらくファウスト自身が悪魔的人物として設定されているからでしょう。
とはいえ、メフィスト的な狂言回しがいないわけではありません。それが高利貸のマウリツィウスで、かれの武器とするのは、悪魔の術というより、まさにカネそのものの力です(その人物造形はからだの前と後ろがひっくり返っているように、ずいぶん悪魔的でもあり、また資本主義を象徴するようでもありますが)。
原作とのちがいはほかにもいっぱいあります。ファウストは若返ることなく、陰鬱な中年男のままです。そして、可憐なマルガレーテ。おそらく彼女はファウストを愛しているわけではありません。
ファウストはマルガレーテと一夜をすごすために、魂を売り渡す契約をマウリツィウスと交わします。その結果、彼女をだくことができるのですが、そのあたりのえがきかたは、はっきりしません。動いたのは彼女の気持ちではなく、マウリツィウスのカネだったのではないかと思ってしまうくらいです。援交するファウストというのはぞっとしますね。
さらに原作とのちがい。映画で強調されているのは、家族という権力です。
ファウストの父親は映画だけに登場します。この父親は町医者で、中世の拷問道具のようなものを使って、患者を治療しています(スターリンみたいですね)。ファウストにいちいち干渉し、これに息子が反発するのは、おなじみの構図といえましょう。
マルガレーテは母親の束縛から逃れようとしています。教会の懺悔室ではこんなふうに告白します。
「主よ、お許しください。私は孤独です。母を愛せません。母も私を愛してません。私は悪い娘。罰が当たります。母の化粧も額のおしろいも、口の臭いも、苦手なんです。私を救ってください。お許しください。罪深い私を」
こういう設定も原作には見られないといってよいでしょう。マルガレーテはまるで母親の束縛から逃れるために、好きでもないファウストに身をゆだねるかのようです。
そして、ふたつの殺人。マルガレーテの兄と母が殺されます。殺しの手はずを整えるのはマウリツィウスです。マルガレーテの兄を殺すためのフォークと、その母を殺すための毒薬を。
そしてファウストは渡されたフォークであやまってマルガレーテの兄を刺し、マルガレーテは眠り薬と思いこんで、自分の母に毒薬を飲ませるのです。ここにも、ほんとうの犯人は見えないという、現代の殺人事件の構図が投影されているかのようです。
ファウストの助手、ワーグナーがつくりだそうとしている人工生命体ホムンクルスも原作では妖精のようなのに、映画では腐りかけの心臓のような無気味な姿をしています。
ワーグナーは野心家です。ホムンクルスをつくりだして、師のファウストをしのごうとしています。だが、その人工生命体はあくまでも人によって操縦され、自由な意思をもたないみにくい存在です。それは純粋なマルガレーテによって、いとも簡単にこわされてしまいます。ソクーロフが生命科学の無気味さを意識していることはいうまでもないでしょう。
そして原作ではコミックのように陽気なワルプルギスの夜がはぶかれて、映画では草木ひとつ生えない虚無の岩山で、ファウストとマウリツィウスとの哲学問答が交わされます。
魂を渡せと迫るマウリツィウスをファウストは岩山のくぼみに突き落とし、石を投げつけ、さらに山を登っていきます。カネに動かされる世界など、くそくらえといわんばかりに。
それをマウリツィウスの声が追いかけます。
「どうやって食っていく気だ? ここからどうやって出ていく?」
荒野を歩くファウスト。
「これで終わりだ。何もなかったのさ」
マウリツィウスがあざけります。
「終わり? 愚かなことばだ」
「どこへ行くの? どこへ?」というマルガレーテの声も聞こえたような気がします。
ファウストは「あそこへ。あっちだ。はるか先へずっと進むぞ」と、みずからをはげますように自答して、月の出た雪原に向かっていくのです。
ここに救いはありません。あるのは自由をめざす永遠の戦いだけです。
いまの時代にゲーテののびやかさ、のどやかさを求めるのは無理というものなのでしょうか。
ぼくもまた答えのでない問いをかかえたまま、考えつづけています。

「世界最古の洞窟」の中で [映画]

某日。
銀座は久しぶりだ。日劇東宝シネマズで、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』を見る。
いわば映画館という洞窟のなかで洞窟の映画を見るわけだ。
南フランスにあるこの洞窟は1994年に3人の考古学者によって発見され、その代表者の名前をとってショーベ洞窟と名づけられた。その奥には3万2000年前に描かれた壁画が残されていた。ラスコーやアルタミラより2万年も古いというから驚く。現在、洞窟内への立ち入りは厳しく制限され、これからも一般公開される予定はないという。
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映画のパンフレットから、いくつかの壁画を紹介しておこう。
大きな岩壁に何頭もの馬が描かれている。並んで疾走している。激しい息づかいまで聞こえてきそうだ。
その下に描かれているのはサイだろうか。右のほうにはイノシシや牛らしきものの姿も浮かびあがる。
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別の壁に描かれているのはライオンだ。オスのライオンにたてがみがないことからすれば、これは現在アフリカでみられるのとはちがう種類なのかもしれない。
イノシシや牛みたいな動物たちはいまにも飛びだしてきそうで、群れをなしているのがわかる。そのなかでもライオンはひときわ大きい。まるで神のようだ。
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闇の中に祭壇のようなものが浮かび上がる。クマの頭蓋骨がのせられている。人の手形は、おれたちはここで生きていたという証のようなものだ。
洞窟は祈りの場だったにちがいない。旧石器時代の古代人は、ここでいったい何を祈っていたのだろうか。
これからも食料となる動物に恵まれますように。功利的に考えれば、そうかもしれない。でも、願いはもっと深かったのではないだろうか。
ヒトを含め、生きとし生けるものが、あらたな姿に命を伝え、この世界が消滅することなく、いつまでも残っていきますように。洞窟には、そんな願いが満ちているような気がした。
それは、たぶんいまのわれわれの思いと少しも変わらない。この洞窟は現代人の心の奥に開かれた祭壇の場でもある。壁画に精霊の動きを感じた。

『鬼龍院花子の生涯』を見る [映画]

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1982年に公開されたこの映画、夏目雅子の「なめたらいかんぜよ!」のせりふで大ヒットしたのだけれど、そのころぼくは仕事が忙しく、とうとう見る機会を逸してしまいました。ひと昔前の学生時代とちがって、家庭をもっていたので、映画館に足を運ぶ機会は減っていました(この年、見たのはスピルバーグの『ET』くらいですかね。娘たちもいっしょだったかも)。
この映画、テレビでも放映されたことがあるようですが、つれあいがヤクザ映画はきらいなので、見そびれました。で、今回、駅前の店でたまたまレンタルDVDをみつけ、はじめて見たというわけです。
仲代達也の鬼龍院政五郎(鬼政)迫力がありましたね。ちょっとまちがうと、大げさすぎて滑稽になってしまうところを、少し抑え気味にして、それでもすごみを出すというぎりぎりの線をうまく演じていました。
ちょっと見て思ったのは、この映画、典型的なヤクザ映画なので、普通ならとてもテレビで放映できる代物ではありません。公序良俗に反しますからね。
実際、高倉健の「網走番外地」シリーズや、藤純子の「緋牡丹博徒」シリーズ、菅原文太の「仁義なき戦い」シリーズ、その他日活ロマンポルノの傑作がテレビに登場することはなかったし、これからもまずないでしょう。これがテレビで放映できたのは、ひとえに夏目雅子追悼という名目が立ったからです。あのとき、夏目雅子の迫真のヌードシーンはノーカットで流れたんでしょうか。
ところで、今回はじめて映画を見て、気づいたのですが、鬼龍院花子が夏目雅子かと思っていたら、そうではなかったんですね。花子は鬼政が年を取ってからはじめてもうけた実子で、脇役です。
夏目雅子の役は、12歳のときに鬼政にもらわれた養女の松恵で、養女に出て、すぐに鬼政の妾に実子、花子が生まれたというわけです。でも原作でも映画でも、主役はこの花子ではなく、松恵になっています。松恵の眼を通してみた鬼龍院一家の興亡というのが、本と映画に共通するテーマでしょうか。
「なめたらいかんぜよ!」のせりふは意外なところに出てきます。
女学校を出た松恵(夏目雅子)は鬼龍院の家を出て、教師の田辺(山本圭)といっしょになるのですが、その田辺も敵方のヤクザにかどわかされようとした花子を助けようとして、そのあとを追いかけ、殺されてしまうのです(このあたり、原作とちがって、実に安直ですが)。
葬儀のため、徳島にある田辺の実家を訪れた松恵は、田辺の遺骨をわけてほしいと懇願します。しかし、その父親(小沢栄太郎)からヤクザの娘なんかには渡せんと、さんざんいやみを言われたすえに、とうとう堪忍袋の緒が切れて、こう言い放つのです。
「あては高知九反田の侠客、鬼龍院政五郎の、鬼政の娘じゃけ、なめたら、なめたらいかんぜよ」
このせりふをいうときの夏目雅子は、凜としていましたが、すごみがあるというより、とても悲しそうな目をしているのが印象的でした。
『鬼龍院花子の生涯』という映画は、ヤクザ映画のおなじみのパターンを踏襲しながら、男っぽい鬼政の義侠と、一見おとなしそうな松恵の度胸を押し出そうとして、ストーリーとしては完全に破綻しています。そのことは宮尾登美子の原作『鬼龍院花子の生涯』が、みごとな構成をもっているのと対照的です。
原作には、もちろん「なめたらいかんぜよ」のせりふはありません。でも、このせりふがあって、夏目雅子が引き立ったことはたしかです。
ヤクザの組どうしが対立にいたる経緯も、映画はあまりにも単純ですが、原作ではなるほどと納得できます。相撲の地方興行の利権をめぐる組どうしの争い、広沢虎造の浪曲興業では山口組と吉本興業が手を組むのですが、それに反発する別の組が山口組2代目を殺そうとします。2代目が殺されようとするところを、花子の夫が阻止しようとして、命を落とすわけですね。どれも、いまにつながっているように思える話です。
映画は典型的な任侠ものといってよいでしょうが、原作のねらいはまるでちがいます。侠客の家に生まれ、育ち、そこにかかわった女たちが、いかにつらい目に遭いながらも、がまんして(あるいは流れるままに)生き、そして時にあっけなく死んでいったかという話です。
それでも、この映画は夏目雅子のための映画だったといってよいでしょう。いまから見ると、仲代達也の迫真の演技も、どこかうそっぽいですね。夏目雅子という女優さんは、見かけの可憐さとはちがい、自分とは少し離れたところ(らしからぬ役どころ)に駆け上がるようにして演技をします。吉永小百合は何をやっても吉永小百合なのに、夏目雅子は役にはいると、もう夏目雅子とは別のどこかはらはらさせる存在に変わっています。
テレビの「西遊記」で、三蔵法師を演じたのが21歳のとき、そしてこの『鬼龍院花子の生涯』が25歳のとき、『時代屋の女房』『魚影の群れ』が26歳のとき、そして27歳のときの『瀬戸内少年野球団』が映画としては最後の作品となりました。
忘れがたい女優さんです。

「ノルウェイの森」に感動 [映画]

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 きのう東京に出たついでに、たまたま時間が空いたので、昼過ぎの有楽座で「ノルウェイの森」を見ました。前から見たかったのですが、出かけるのがおっくうなのと時間の都合がつかなかったので、ついつい見そびれてしまったのです。
 ぼくはシニアなので、いつも1000円なのですが、この日はファーストデイとやらで、だれでも1000円。それでも400ほどある座席は50足らずしか埋まっておらず、閑散としていました。ちょっと冷えたのか、ラストに近いところで尿意をもよおし、トイレに駆け込んだため、5分間ほど見そびれてしまったのが悔やまれます。
 それでひとことで感想をいうと、感動しました。大空にかけのぼる感動というのではなく、静かに地面に横たわるような感動を覚えました。
 激しくこわれやすい青春を鎮魂し、そっと封印したとでもいえばいいのでしょうか、そういう愛惜にあふれた作品です。
 映画の主人公たちは、だれもが家から切り離されて、ちゅうぶらりんの、その意味では自由で不安な位置に立っています。その青春が、いつかはまた新しい家に行き着くまでの、短く、もう二度と帰らない放浪期間であることは、最初からどこかで意識されています。
 はっきりいってテーマは性愛です。相聞といってもよいでしょう。年寄りだから、つい露骨な表現になりますが、青春のテーマはほとんどそれしかないといっていいでしょう。
 映画「ノルウェイの森」も青春の性愛をえがいています。しかし、特異なのは、それが生ではなく死と結びついていることですね。それが映画に奥行きを与えています。
 恋愛映画は三角関係をえがくものと相場が決まっていますが、「ノルウェイの森」でも、主人公のワタナベを軸に直子と緑のふたりがからんできます。
 直子は死者とともに生きている聖女のような存在です。死者というのはワタナベとも高校時代の友人、キズキのことです。直子とはきょうだいのように、ちいさいときからずっと仲良くすごし、青春の嵐の時代をむかえました。映画によると、キズキは直子とうまく性交渉ができないのを苦にして、自殺してしまいます。むしろ直子のほうに、近親相姦タブーの意識がはたらいたのではないでしょうか。
 その後、直子は死者とともに生きることになります。ある意味で悲惨なその状態を、ワタナベは侵犯してしまいます。直子もまたワタナベを受け入れました。それでふたりは幸せになったかというと、そうではありません。直子はかえって精神のバランスを崩し、森のなかの療養所に彼女を見舞いにいくワタナベもうつ状態におちいっていくのです。
 直子は自分がキズキを死に追いやったことを知っています。しかし、ワタナベとのたった一度の狂おしいまでのつながりは、彼女を生の世界、つまりいまと未来の世界へと連れてはいきませんでした。
 その兆しがなかったわけではありません。おそらく直子はワタナベが好きだったし、ワタナベも直子が好きだったからです。それでも直子は死者をかなたへととむらえませんでした。むしろ死者に対して罪を感じます。そして、罪の意識と現実の愛とのあいだの深淵がますます広がっていくなかで、みずからを罰するように死を選んでしまうのです。
 おそらく緑というもう一人の女性がいなければ、ワタナベも死の淵にのみこまれていったにちがいありません。映画のなかで、ワタナベが波のくだけちる海原に向かって号泣するのは、直子の記憶を胸に刻み、封印するための儀式だったような気がします。
 狂気も死も身近にありました。それでもワタナベが静かに生きることを選んだのは、緑の愛を受けとめようとしたからだけではありません。たぶん、直子の死を記憶し、それを伝えなければならないと思ったからではないでしょうか。
 ワタナベ役の松山ケンイチ、直子役の菊地凛子、緑役の水原希子、みんなすばらしかった。全篇にビートルズの曲が流れています。しかし、その雰囲気はぼくなどが経験した全共闘時代ではありませんでした。いわばアメリカ文学によって再構築された日本の60年代末といってよいでしょう。ワタナベに岩波文庫は似合わなかったと思います。
 トイレに立った5分間をふくめて、ほかにも多々語ることがあるにちがいありません。ほかの魅力的な登場人物や村上春樹の女性観についても。
 でも、いい映画でした。原作をもう一度読んでみることにしましょう。

『カムイ外伝』を見た [映画]

 来年初夏に出版する本の編集作業にはいったので、ちょこっと忙しくなりました。少し気が早いかもしれませんが、あわてて整理すると、時間に追われて思わぬまちがいがでてくるかもしれないので、慎重に構えるに越したことはないでしょう。ともかく、定年後も何かとお声がかかって、多少なりともお役に立てるのは、ありがたいことです。
 庭のキンモクセイが甘く香りはじめました。サルスベリはまだピンクの花をつけています。いつもはサルスベリが終わってから、キンモクセイが金の粒のような花を咲かせたような気がするのですが、ふたつ同時に花が咲いているというのは、やはりことしの猛暑の余韻が残っているためでしょうか。しかし、それは思いすごしなのかもしれません。
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 このあいだ駅前のときわ書房でDVDを借りて、崔洋一監督、松山ケンジ主演の『カムイ外伝』を見ました。あの長大な『カムイ伝』(白土三平原作)を読みとおしたことはないのですが、それでも学生時代、友だちの下宿に行って、部屋の隅に積み重なっている雑誌「ガロ」に連載されているものをときどき眺めた思い出があります。
 それで今度の映画ということになるのですが、結論をいうと、おもしろくなかった。若いころは、『夕陽のガンマン』や『唐獅子牡丹』『総長賭博』『仁義なき戦い』などを見て、はらはらしたのに、どうもこの映画はのれなかったし、何の余韻も残りませんでした。自分がすっかり年をとって、みずみずしい感性を失ってしまったのかもしれないと思いました。
 映画はほぼ原作に忠実なようです。役者さんはそれぞれがんばっています。カムイ役の松山ケンイチはからだをはっているし、漁師の女房となった元忍者スガル役の小雪も悪くないし、その娘役の大後寿々花もかわいいし、狂気の殿様を演じる佐藤浩市も、奥方の土屋アンナも、カムイを狙う側の伊藤英明もなかなかの好演(怪演)です。特殊効果もちょっと稚拙なところはあるにせよ、なかなか決まっています。
 それでもおもしろくないのは、どうしてなんだろうと考えてしまいました。そもそも劇画というのは、大げさに描かれているので、それを実写にするのはむずかしいし、かえって滑稽になる部分もでてくるのかもしれません。原作にはちょっとエロティックな箇所もあるのに、映画ではそれはほとんど省かれています。青少年が見ることを意識したのでしょうが、それにしては残虐な場面が多いことも気になりました。
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 映画に主人公が設定されるのは、おそらく観客が主人公に自分を投影するためで、逆に自分を敵役に擬する人はあまりいないでしょう。すると、おもしろくないというのは、劇画流のストーリーの無理な展開もさることながら、たとえば主人公のカムイに自分をうまく投影できないことが大きな原因かもしれないと思うようになりました。いまテレビでも時代劇がだんだん敬遠されているのは、制作面のコストに加えて、そういう側面もあるのではないでしょうか(しかし韓流ドラマの「イ・サン」がおもしろいのは、次々と難題が押し寄せる脚本の勝利ともいえるのですが)。
 カムイは自由を求めて抜け忍になったといいます。そのために元の忍者集団から執拗に命をねらわれます。『カムイ外伝』は、各地を放浪するカムイを追忍が時に謀略をしかけながら、執拗に襲撃し、それをカムイがさまざまな術を考案しつつ、みごと撃退するという話です。日本の豊かな自然や、カムイと各地の人々との交流が、もうひとつの柱になっていることはいうまでもありません。
 問題は「自由」というけれども、カムイが何をめざしているかがよくわからないことです。ただ追いかけられるので殺す、しかしゴールは見えないというのでは、カムイはいったい何をしようとしているのか、さっぱりわかりません。そもそも忍者とは何なのか、カムイはなぜ忍者集団を抜けたのか、そして追忍たちはなぜ執拗にカムイの抹殺をはかろうとするのか、そこのところも映画ではよく伝わってきませんでした(カムイは徳川家の出自にまつわる秘密をつかんでしまったはずなのですが)。
 おそらくカムイは江戸時代(いや現在の日本自体)のあり方を否定しつづける存在(アガンベン流の言い方をすればホモ・サケル)として仮構されているはずなのに、映画では(ひょっとしたら原作でも)そのかっこよさがどこか空まわりして、ただのかっこつけの忍者=おもしろくないゲームの主人公になりかかっていることが問題です。松山ケンイチは「デスノート」シリーズを見てもいい役者なのに、わけのわからない「カムイ」を割り当てられたのは、ちょっと気の毒でした。
 未完結の『カムイ伝』全巻を凝縮したうえで、現代に怒りを覚える若者の気持ちを代弁するような作品をつくるわけではなく、『カムイ外伝』の「スガルの島」というわりあい安直な劇画にべったり寄り添ってしまったことが、この映画をつまらなくした原因ではないか、と思った次第です。
 それに加えて、物語にリアルな脈絡がないこと。殿様と奥方は理不尽な悪そのものだし、村人は絶対的な善で(一人の例外は裏切り者として殺されます)、最後に村人全員が殺害されるというのもへんです(原作では村人は全員殺されるわけではありません)。映画では、カムイは村人を殺した忍者の頭目と戦って、かれを倒しますが、それでさっさと村を去ってしまい、いちばん悪い城主と戦わないのも中途半端です。要するに何もかも劇画的で、ほんとうの劇になっていないといえるでしょう。
 細かく書くときりがないので、このへんでやめておきますが、図式とか様式に終わるのではなくて、人間や世の中の構造が描けないと、おカネと時間をかけても、せっかくの大作がムダになってしまうという典型的な作品です。もっとも、要は話題づくりをして、もうかればいいのかもしれませんが……。