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かりんの墓 [かりんの話]

わが家のねこ、かりんが亡くなってから1年半。
雨のなか、このあいだ修善寺で買った置物を、お墓のところに置いて、冥福を祈りました。
ちょっとイメージがちがって、たぬきみたいだけど、ごめんね。
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さよなら、かりん [かりんの話]

ついにその日がやってきた。
3月24日午後7時、わが家の愛猫、かりんが息を引き取った。
2月初めからほとんど食欲がなく、牛乳と生ミルクくらいしか飲まなかった。
3日に1度くらい動物病院でリンゲルの点滴と肝臓の機能改善薬を打ってもらっていた。
注射を打った翌日は、かろうじて食欲が戻るのだが、長続きはしなかった。
この1週間ほどはじっとしたままで、ほとんど動かなくなっていた。
あぶないと思ったのは前日の日曜からだ。
いつものように朝5時に起きたらかりんは意識がほとんどなく、呼んでもこたえないほど衰弱していた。
目がうつろで、鼻も乾燥しきっている。
それまでは足も割合しっかりしていて、2階と1階を往復していた。
てっきり臨終が近いと思い、ヨーコさんを起こしに行こうとしたら、何と階段の降り口にかりんがたたずんでいた。
ソファのところから歩いてきたのだ。

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究極の無欲 [かりんの話]

出社前、かりん(わが家のネコ)の頭をなでてやる。
このところミルクを少しなめるのが精一杯で、食欲はまったくない。
きのうの夕方、手のひらにのせたカリカリを10粒ほど食べてくれたので、ヨーコさんと大喜びしたほどだ。
そんな一喜一憂の日々がつづいている。
何も食べたくなく、ただ日だまりでうとうとしながら過ごせればいいというのは、究極の無欲だといってもよい。

2日前、通勤途上で読んだ村上春樹の短編「パン屋再襲撃」を思い出した。
10年前、主人公の「僕」は相棒といっしょにパン屋を襲撃したことがある。
18歳か19歳のことで、時代はおそらく1960年代後半だ。
猛烈な空腹感に襲われていた。
そのパン屋は、親父が毎朝一人でパンを焼いて、売り尽くしたらおしまいにするような小さな店だった。
その成功したとも失敗したともいえる思い出を「僕」は妻に話す。
たしかにふたりはパンの略奪に成功するが、はたしてそれが「略奪」だったかどうか疑問だったからだ。
〈パン屋の主人はクラシック音楽のマニアで、ちょうどそのとき店でワグナーの序曲集をかけていたんだ。そして彼は我々に、もしそのレコードを最後までじっと聴きとおしてくれるなら店の中のパンを好きなだけ持っていっていいという取引を申し出たんだ。僕と相棒はそれについて二人で話し合った。そしてこういう結論に達したんだ。音楽を聴くくらいまあいいじゃないかってね。それは純粋な意味における労働ではないし、誰を傷つけるわけでもないしね。それで我々は包丁とナイフをボストン・バッグにしまいこみ、椅子に座ってパン屋の主人と一緒に『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』の序曲を聴いた〉
こうして、襲撃犯の僕と相棒はパンの略奪に成功するのだが、どこかに不全感が残る。
それが、新しい相棒となった「妻」と10年後にパン屋を再襲撃する動機となるのだ。


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眠りつづけるネコ [かりんの話]

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かりんはいつも眠っている。
東照宮の「眠り猫」みたいな顔をして眠っている。
最近まで「かりん」と自分の名前を呼ばれると、しっぽを振って応えていたが、けさはそれもおっくうらしい。
電気ストーブの前にうずくまり、しっぽを巻いたまま、じっとしている。
おとといの夕方からほとんど何も食べていない。
階段をのぼって2階にくるのも難儀な様子だ。
とはいえ、いつも穏やかな顔をして眠っている。

ぼくもわりによく眠るほうだ。
夜はだいたい10時ごろに寝て、5時に起きる。
3時か4時に目が覚めてしまうことも多いが、いろいろ考え事をしながら、5時までは蒲団のなかにいる。
ただ、昼間やたらと眠くなる。
とくにお昼前後がひどい。
そのまま30分ほど寝てしまえばすっきりするのだが、昼間、眠いままの気分をそのまま引きずって、夕方になってようやく頭の回転が戻ってくる。
傾眠症状がすでに始まっている。
眠りを誘われるのは、とくに会議の最中や本を読んでいるときだ。
「眠り猫」の魔法にかかったのかもしれない。

通勤電車で、引きつづき村上春樹の短編集『象の消滅』を読む。
「眠り」という小説がおもしろかった。
主人公は歯科医の妻で30歳そこそこ、かわいい男の子にも恵まれている。
彼女は金縛りに遭ったことがある。
ふと気づくと足元に老人が立っていた。
〈それはぴたりとした黒い服を着た、痩せた老人だった。髪は灰色で、短く、頬はこけていた。その老人が私の足元にじっと立っているのだ。老人は何も言わずに、鋭い目で私を凝視していた〉
彼女は「これは夢じゃない」と思う。
そして、この老人は「昔風の陶製の水差し」から、彼女の足に水をかけ続ける。
大きな悲鳴を上げたところで、目がさめると体が汗でぐっしょりと濡れていた。
その彼女が、あるときから眠くなくなる。
というより眠らなくなってしまうのだ。
そして夫と子どもが寝静まったあと、ソファに座って、ブランデーを飲みながら、トルストイの『アンナ・カレーニナ』やドストエフスキーの作品を明け方まで読みふけるようになる。
こうして眠らない日が2週間以上つづくうちに、彼女は「眠れないことを恐れなく」なり、「私は人生を拡大しているのだ」と思うようになる。

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ネコの行方 [かりんの話]

食欲が戻って猛然と食べはじめたかと思うと、次の日はどうも気分が悪いらしく、まったくえさを食べようとしない。
かりん(わが家のネコ)は、そんな毎日がつづいている。
きょうはヨーコさんが自転車の荷台にかりんを積んで、くわじま動物病院に注射を打ちにいってくれた。
2週間ほど前、インスリンのショックで、ほとんど死にかかったので、注射といっても肝臓の機能を改善し、吐き気を抑える程度が関の山だ。
通勤時間に村上春樹の短編集『象の消滅』を読みはじめる。
420ページのうち100ページほどしか読んでいないけれど、その冒頭「ねじまき鳥と火曜日の女たち」から村上春樹のワンダーランドが広がっている。
その世界は電話や路地、井戸、あるいは眠りを通じて、『不思議の国のアリス』のような異次元世界へとつながっている。
そこに登場する女性たちはどこか現実離れしているし、そこで交わされるあかぬけた会話もどこか空想めいている。
面白いと思う人もいるだろうし、つまらないと思う人もいるだろう。


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すこし元気になりました [かりんの話]

10日ほど前、危篤になった15歳のかりんが少し元気になった。
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ひなたぼっこも気持ちいい。
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ごはんは少しずつゆっくりとしか食べられないけど、食欲が戻ってきた。
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テーブルに乗って、何だかうまそうだな、と横目で見るときもある。
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ちいさな奇跡 [かりんの話]

2月20日(水)
かりんは明け方までぼくの足元でじっとしている。
心配になって時々電気をつけて様子をみるが、別状はなさそうだ。
足元にどんと陣取られると、寝づらくて仕方ないが、ここはがまんする。
朝5時すぎ起床して2階に上がるととことことついてくる。
まだ階段を上る元気がある。
エサのボールをみると、真ん中だけ少し減っている。
夜のうちに少し食べたのだ。
けいれんを起こして死にそうだったのに、これはちいさな奇跡である。
うれしくなって、古いエサを取り換え、モンプチを1袋あける。
すると何とボールに頭を突っ込んで、3分の1くらい食べたではないか。
この調子がキープできればいい。
朝は例によって書斎にきて、電気ストーブの前に陣取って暖をとる。
出社して、夕方帰宅してヨーコさんに聞くと、夕方はあまり食べなかったらしい。
危篤状態だったのだから、いっぺんに回復するのは無理だろう。

2月21日(木)
朝5時起床。かりん、食べることは食べるが、昔の3分の1くらいか。
久しぶりに1日年休(公休以外の休み)をとり、調べものをしたり海神山を散歩したりして、のんびり過ごした。
春めいて温かかったので、かりんは終日、穏やかに窓辺でひなたぼっこしていた。
こういう毎日がつづいてくれるといい。
海神のアントレでモンブランと苺ケーキを買って帰る。
3時ごろエサをほしがったので、かりんに食べさせる。
6時ごろにもう一度。
けっきょくこの日はいつもの半分くらい食べたことになる。
仕事から帰ってきたヨーコさんと食事をしたあと(晩酌はやめた)、ケーキを食べる。
とくにモンブランが絶品で感激。
こちらも初老夫婦の日々がつづいている。


インスリンショック? [かりんの話]

2月16日(土)
朝10時半、くわじま動物病院にかりんを迎えに行く。
ケージから出すとき、うなって大騒ぎする。
先生の話ではよく食べるようになったとのことだったが、家に戻ったあとは何も食べず、じっとしている。
2月17日(日)
きょうもかりんはまったく食べない。
このまま衰弱してしまうのだろうか。
かわいい顔をして寝ている。
ひなたぼっこをしながら逝くのも、悪くないかもしれない。
プールに行って少し泳ぐが、何だか情けなくなってくる。
怒りに 似た感情さえ湧いてくるのが不思議だ。
2月18日(月)
きょうもかりんはまったく食べない。
このまま即身仏になろうとしているかのようだ。
夕方帰宅してから病院に連れていき、状況を説明して、いつもの肝機能改善の薬とインスリンを注射してもらう。
2月19日(火)
1時40分、かりんの様子がおかしいのに気づく。
ベッドの足元で寝ていたかりんが、どさっという感じで毛布の下に潜り込み、はく前にだす低い声でニャオと鳴いた。
そのあと3回ニャオと鳴く。変だと思い、毛布をめくると手足が硬直し、瞳孔が開いていた。
思わず「お母さん、かりんが死んだ」とヨーコさんを起こす。
だが、まだ死んではいなかった。
虫の息だが、息はある。

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悪夢、そして入院 [かりんの話]

夜中の2時ごろ、かりんがぼくのベッドにやってくる。
2階のソファで寝ていたが、たぶん寒かったのだ。
ふとんのなかに入れてやる。
からだが冷え切っている。
しばらくしたら満足したのか、ふとんを出て、ぼくの足元で寝はじめる。
妙な夢を見た。
ぼくはかりんを連れて、にぎやかな酒場で飲んでいる。
そばにいたサンタクロースのようなおじさんが手招きして、かりんを呼び寄せると、かりんのほっぺたに何か白いクリームのようなものを塗りつける。
すると、かりんの息が早くなり、そのあと、あおむけになって手足を広げたまま動かなくなってしまう。
サンタのようなおじさんは、ワインの箱のようなものを取り出し、そこにセロファンに包んだかりんを入れてぼくに手渡す。
ぼくはものすごく怒っている。
怒鳴り声を上げそうになったところで、目が覚めた。

かりんは足元で寝ていた。
5時になったので起きると、かりんがついてくる。
けさもミルクしか飲まない。

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横の生き方 [かりんの話]

朝5時、久しぶりにニャーと鳴いて、ぼくを起こしにくる。
きのうはお医者さんに行って注射を打ってもらったあと、食欲が少しあったのだが、けさはあまり食べない。
かりかりをほんの少しとミルクだけ。
冷たい雨の降る寒い1日だった。
ふたりともきょうは仕事がある。
夕方戻ると、ヨーコさんが鳥のささみをほぐしてやっていた。
ふつうのかりかりを食べないので、ささみにしたという。
わりあいがつがつと食べるので、ひと安心する。(2月12日)

けさは5時になっても寝室にやってこなかった。
こういうことはめったにない。
心配になって2階の居間をのぞくと、ソファのひじかけの上で鳥みたいにじっと座っていた。
きのうささみを食べたからかと思ったりしたが、これは関係なさそう。
エサをやるが、まったく食べるそぶりも見せない。
牛乳だけは少し飲む。
書斎に連れていって、電気ストーブの前におくと、からだを横にし、前足と後ろ足をそれぞれからませるようにしながら、のびのびと気持ちよさそうな表情をする。

一説によるとネコの15歳は人間の90歳にあたるという。
このあいだ読んだ『なぜ、猫とつきあうのか』という本のなかで、吉本隆明さんがおもしろいことを話している。
〈種族としての猫というのは、犬と比べたら、横に生活している気がするんです。だから、そのうちでほんとになれている猫でも、たぶん人間とは別のつながりとか別の世界を持っていて、それは人間の世界とたてよこの違いがあります。ここの家で一生懸命飼ってよくなついているから、これはうちの猫だなんておもっていると、誤解を生ずるとおもいます。たとえば、ある時間帯はほかの家の方へ行ったり、ほかの家の猫と仲良くしててほかの家でかわいがられたり、というようなことをしているとおもった方がいいところがあります〉
ネコは横に生活している、というのがおもしろい。

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