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カンボジア旅行最終日──カンボジア2019春ツアー(9) [旅]

2月17日(日)
カンボジア観光最終日。これまで、あまりに多くの寺院を回ったため、頭がごちゃごちゃになりつつあります。それにしても、あらためて実感するのは、9世紀から15世紀にかけ、いかにアンコール周辺に大きな文明ないし国家が築かれていたかということですね。
それがなぜ滅びたか。これも大きな謎です。
最終日のきょうは、シェムリアップの南東にあるロリュオス遺跡群を回り、それからバスでプノンペンに戻ることになっています。約7時間の長旅です。
ロリュオスには、8世紀ごろ王都が築かれていました。アンコールに移る前のことです。ここには、バコン、プリア・コー、ロレイの3寺院が残されています。
9時にシェムリアップのホテルを出発。市場のあたりは車やオートバイで混雑しています。
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9時40分、バコンに到着。
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881年にインドラヴァルマン1世によって建てられた、5層ピラミッド型のヒンズー教寺院です。階段は40段あり、階段にレリーフはありません。クメール王朝では王が代わるたびに遷都がありました。このあと王都はアンコールに移ることになります。
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バコンのてっぺんに登ってみました。
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上から眺める光景です。左右に経蔵があります。
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第3層から上を眺めると、中央祀堂が空にそびえています。
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次に訪れたプリア・コーはさらに古く879年に建てられたといいます。レンガつくりで、現在ドイツが修復に当たっています。
シヴァ神を祀る寺院で、シヴァの乗る牛の像が残っています。
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怪物カーラが門の入り口を守っています。
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兵士の像ですね。金剛力士像でしょうか。日本にくると、これが仁王さまになるわけです。
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壁に経文らしきものも刻まれています。クメール文字のようです。
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最後にやってきたロレイは893年に建てられたヒンドゥー教の寺院です。塔が4本建っていますが、現在修復中。
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壁にはこんな戦士像が……。これもおそらく金剛力士像です。
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ふくよかなデバター(女神)ですね。
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いよいよカンボジア・ツアーも終わりです。
昼食をとったレストランの庭には、ドリアンが実をつけていました。
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12時半出発。プノンペンに向かいます。
途中、アンコール時代の古代橋スピアン・コンポンクディを見学。ナーガ(ヘビ)の彫刻が印象的な12世紀半ばの橋です。当時は、こうした橋がいくつも川にかかっていたといいます。
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国道6号線を南下。
だんだん日が落ちてきます。
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渋滞するプノンペン中心部を迂回し、空港近くで軽い夕食をとります。
内戦終結記念塔がみえました。
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カンボジア内戦が完全に終結したのは1998年12月29日。いまもこの日にはウインウイン記念塔の前で式典が開かれています。
1998年4月にポル・ポトが亡くなったあと、シアヌーク国王はポル・ポト派が休戦に応じたら、罪を問わず、土地やおカネも与えるという条件を示し、ポル・ポト派とフン・センとのあいだの和解にもちこんだといいいます。その後地雷の撤去がはじまりました。
ガイドさんによると、最近のカンボジアは中国の経済進出が目立ち、中国はカンボジアに港まで確保しようとしているといいます。貧困、ゴミ問題、渋滞、中国の進出(そしてガイドさんは言わなかったですが、中国と結びついたフン・セン独裁政権)が、カンボジアの大問題です。
夜8時過ぎ空港に到着。10時50分の全日空便で帰国の途につきました。
短いツアーでしたが、多少なりともカンボジアという国を瞥見できたのはよかったと思います。

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アンコール・トム周辺を見学してからトンレサップ湖へ──カンボジア2019春ツアー(8) [旅]

2月16日(土)

午前中は郊外のバンテアイ・スレイを訪れましたが、午後はアンコール・トム周辺の遺跡群を見学します。われわれは、9世紀から15世紀にかけてのアンコール(クメール)王朝がいかに繁栄していたかを実感することになります。
昼食後の道中、バスのなかで、ガイドさんがいろんな話をしてくれました。
「カンボジアの学校は教室が足りないので、7時から11時までと、1時から5時までの2部制になっている。金持ちは私立に行く。公務員の給料は安いので、先生は塾を開いて、そこでちゃんとした勉強を教えている」
先生が学校と別に塾を開いて生徒を教えているというのが、すごいですね。教育もビジネスです。
ガイドさんはなかなか毒舌家です。
警察官はアンコール・ワット周辺の物売りを禁止しているのに、自分の妻には物売りをやらせているとも話していました。
しかし、これなどはかわいい話で、表沙汰にはできないけれど、長期政権の腐敗ぶり、役人の汚職にはすさまじいものがあるといいます。
「カンボジアは貧しい。ご飯はたきぎでたき、水道はないので井戸を使う。お手洗いは外ですませ、最近まで電気はなかった。子どもが多い」
そんなことも教えてくれます。日本でも最近は経済格差の問題が取りあげられるようになりましたが、世界にはまだ貧困国が多いのです。ただの観光客にすぎないぼくも、つい世界の貧困について考えてしまいます。
午後2時、プラサット・クラヴァンというヒンドゥー教寺院にやってきました。基壇にれんが造りの塔が5つ並んでいます。完全に修復されているのは中央の塔だけです。
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さまざまなヴィシュヌ神のレリーフが見られます。
これは8本腕のヴィシュヌ神。その回りで人びとが瞑想しています。
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踊る(あるいは世界をまたいでいる)ヴィシュヌ神です。
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中央塔の入り口には、こんな獅子像も。狛犬の起原でしょうか。
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次にやってきたのが、バンテアイ・クディ。入り口の楼門には、四方を向く仏像が彫られていました。もともとヒンドゥー教寺院でしたが、のちに仏教寺院に変わったといいます。
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森のなか、お寺が見えてきます。
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獅子とナーガ(コブラ)が並んでいます。たしかに、ヒンドゥーも仏教も、動物とゆかりの深い宗教です。
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なかにはいってみます。こんな優しげなデバター(女神)がいます。
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僧院の様子です。
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蓮の上で踊るアプサラ(水の精)たち。
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寺院は女神たちに囲まれています。
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塔門を抜け、西の楼門から外に出ました。
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午後3時、お隣のタ・プロームにやってきました。12世紀末、ジャヤヴァルマン7世によって建てられた仏教寺院ですが、13世紀の宗教戦争によって多くの仏像が壊されたといいます。
東塔門からはいります。何と屋根の上に巨木が突き出ています。いったいどうなっているのでしょう。
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なかにはいると、その様子がわかります。じつに巨木が塔門をのみこもうとしているのです。これはテトラメレス科の熱帯高木です。ガジュマル(榕樹)とはちがいます。
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これもすごいですね。寺院の塔と木が一体化しています。
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まるで寺院が森にのみこまれているかのようです。ここはアンジェリーナ・ジョリー主演『トゥームレイダー』のロケ地だったといいます。
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タ・ケウという寺院にも寄りました。ジャヤヴァルマン5世が亡くなったため、未完成のまま残されたといいますが、とても整っています。その上まで登りました。
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これらの寺院をみたあと、休みなしで17時からのトンレサップ湖クルーズに参加しました。
バスでチョンクニアまで行き、そこから船で水路を通り、湖に向かいます。
トンレサップ湖の大きさは琵琶湖の4倍で、雨期には12倍になるとか。魚がよくとれるそうです。水上生活をしているのはベトナム人で、ここには学校や寺院もそろっているといいます。これがその学校ですね。
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水上生活者の村がみえてきました。
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湖に陽が沈むのを拝むような気持ちで眺めます。明日も平和な日がつづきますように。
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夜明けのアンコール・ワット──カンボジア2019春ツアー(7) [旅]

2月16日(土)
夜明け前の5時半にホテルを出発します。
アンコール・ワットに朝日が昇るのをみようというわけです。
次第に夜があけてきて、背後にあけぼの色をまとったアンコール・ワットのシルエットが浮かび上がってきます。時刻は6時10分。
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空が白んでくると、池の水面にアンコール・ワットが映ります。
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そして日の出。時刻は6時40分。まさに暁の寺です。
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蓮の花も開きました。
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すばらしいものを見せてもらいました。
いったんホテルに戻り、朝食をとってから9時過ぎに再び出発。
向かうのはバンテアイ・スレイという寺院です。ガイドさんによると、バンテアイは砦、スレイは女性という意味。バンテアイ・スレイは、ですから「女の砦」ということになります。
967年にジャヤヴァルマン2世が、インド人の師(政治顧問)ヤジュニャヴァラーハのために建てたヒンドゥー教の寺院です。
その入り口にやってきました。
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赤色砂岩でできた石門上部の紋様をアップしてみます。中央にはヒンドゥーの神々、そして左右のヘビが牙をむいて、迫力があります(でも、どこかユーモラス)。
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リンガの立ち並ぶ参道を歩いて、寺院のほうに。
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寺院の周りは池。つまり寺院は環濠に囲まれているわけです。
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いよいよなかにはいります。
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アップしてみると、怪物カーラの上に乗っている神の像がみごとです。
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内部には中央祀堂や塔、経蔵が残っています。しかし、圧倒されるのは、やはりみごとにレリーフされた神々の世界ですね。
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物語が多少でもわかれば、もう少し理解が深まるのですが、いまは森のなかで獅子や鹿、象、猿、鳥のあふれる戦いの場面に心馳せることで充分としましょう。
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中央祀堂の前に伺候するのは、まるでカラス天狗みたいです。
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りっぱな寺院です。よく見ると、カラス天狗ではなくて、やはり猿ですね。
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立ち姿が美しいデバター(女神)の像が、あちこちに見られます。
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門をくぐって、ふり返ってみます。
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接近して見ることができず、しかも似たような像なので、残念ながら撮りそびれてしまったのですが、ここには「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバターの像があります。少しちがいますが、それと似た像をここに紹介しておきましょう。
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いずれにせよ、1923年に「東洋のモナリザ」を含むデバター像の彫刻4体を、若きアンドレ・マルローが切り取って盗みだしたのでした。幸いにも船に積み込もうとしているところを見つかって逮捕されたのですが、かれはその話を『王道』という小説に書いています。
それでも、マルローが1960年代にドゴール政権の文化大臣になるところをみれば、シヴァ神のお目こぼしがあったのかもしれませんね。
最後にそのシヴァ神の像を拝んでおくことにしましょう。
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昼食をとって、ツアーはつづきます。

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アンコール・ワット──カンボジア2019春ツアー(6) [旅]

2月15日(金)

アンコール・トムを見学したあと、昼食をとって、しばらくホテルで休憩しました。真昼は暑くて、とても観光ができないのです。昼間からついビールを飲んでしまいます。
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15時出発。いよいよアンコール・ワットに向かいます。途中、森のなかで休んでいる人も。ハンモックには赤ちゃんが寝ているようです。
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30分ほどで到着。ガイドさんによると、アンコール・ワットは12世紀はじめから半ばにかけて、クメール王国のスールヤヴァルマン2世によってつくられた寺院だといいます。
スールヤヴァルマンには子どもがおらず、この町が使用されたのはこの1代かぎりだとか。
ガイドさんはそういいますが、はたしてここが町だったかは疑問です。むしろ、アンコール・ワットの区画は、その全体が神聖な寺院であって、王宮を含め町はその外に広がっていたのではないでしょうか。
見えてきました。周囲には大きな堀があって、乾期のいまも水が満々とたたえられています。
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堀にかかる参道(橋)は上智大学により現在修復中で、そのため仮設の浮橋をふわふわ歩いて、なかにはいります。堀には熱帯睡蓮があちこちみられます。残念ながら夕方なので花を閉じていますが。
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アンコール・ワットがつくられたのはアンコール・トムより30年ほど前だといいます。浮橋を渡って、入り口の門にやってきました。
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塔門脇の象の門をはいると、いくつもデバター(女神)像を見かけます。なかなか妖艶です。
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アンコール・ワットは西向きに建てられていて、もともと王の墓としてつくられた、とガイドさん。春分と秋分に太陽は中央の塔のうえに上がるよう設計されているとか。われわれは西門からはいり、東門に抜けることになります。
おや、猿がお出迎えです。
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門をくぐったところから中央の塔につづく参道は「虹の架け橋」と呼ばれ、入り口には7つの顔をもつコブラの像があります。大きな塔に向かって参道を歩いて行きます。
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中央祀堂をアップしてみましょう。なかなか荘厳です。
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これは参道の左右にたつ左側の経蔵です。
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これも左右に配置された左側の聖池の前から中央祀堂の姿をとらえてみました。水面に塔が写ります。左側の塔は修復中のようです。
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アンコール・ワットは、もともとヒンドゥー教の寺院で、ヴィシュヌ神をまつっています。ヴィシュヌロカと呼ばれる像は、金色に輝いていたとか。
現在の気温は35度くらいですが、3月から5月にかけては40度近くまで上がるといいます。アンコール・ワットと周辺遺跡の見学料は3日で62ドル。ただし、カンボジア人は無料だそうです。
1950年代までは、アンコール・ワットへの道がつくられていなかったため、象に乗ってこなければならなかったといいます。
アンコール・ワットは、ジャングルのなかからフランス人が発見したとされます。しかし、ここに寺院があることはカンボジアではだれもが知っていたようです。森本右近太夫という日本人も1632年にここを訪れ、壁に自分の名前を残しています。ジャングルになったのはそのあとでしょうか。
1990年代にはポル・ポト派がここを占拠し、あちこちにいまも銃弾の跡が残っています。1998年にポル・ポトが死んでから、ようやく観光客が来られるようになったとか。最初は日本人が多かったが、現在は中国人が圧倒的だ、とガイドさん。
いよいよ中心部にやってきました。第1回廊にはラーマーヤナの物語をつづった壮大なレリーフが150メートルにわたって彫られています。猿の軍隊と悪魔の軍隊が戦うおなじみの物語です。われわれは左側の面しかみませんでしたが、ほかの面にはマハーバーラタの物語もえがかれているようです。写真はラーマ王子ですね。
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内部の天井にはさまざまな紋様や彫刻がほどこされています。
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ガイドさんが指さす先には森本右近太夫の墨書が残っています。
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当時の格好をした少年少女たち。これから踊りが始まるのでしょうか。
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これは第2回廊のデバター群像です。
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ヴィシュヌ神も登場です。
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よく見ると、あらゆるところに彫刻がほどこされています。
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残念ながら、時間の都合と人数制限のため、第3回廊にのぼって、中央の祀堂まで行くことはできませんでした。
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その代わり、プレ・ループという寺院に寄り、夕日を眺めることになりました。ジャングルのなかに日が落ちていきます。
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アンコール・トム──カンボジア2019春ツアー(5) [旅]

2月15日(金)
朝7時半、ホテルのレストランで食事。中国人観光客のパワーに圧倒されます。座るところがなく、食べるものもなく、ようやく席をみつけ、パンをほおばりました。
8時半バスでホテルを出発。きょうは午前中アンコール・トムを見学します。途中、小型バスに乗り換えました。
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アンコールは町、トムは大きいという意味です。アンコール・トムは「大きい町」ということになります。つくられたのは12世紀末のジャヤヴァルマン7世の時代です。ジャヤヴァルマン7世は、インドシナ半島のほぼ全域に勢力を拡げました。首都アンコール・トムでは、3キロ四方の城壁の中で8万人が暮らしていたといいます。
ここには王宮のほか、仏教寺院や病院、大学、宿泊所もありました。王が亡くなると、仏教とヒンドゥー教のあいだで宗教戦争が勃発し、国力が次第に衰微し、クメール(アンコール)王朝が滅亡します。
1431年ごろ、シャムのアユタヤ軍が侵攻し、多く存在した高床式の家はすべて燃やされました。ですから、ここはクメール王朝最後の都ということになります。
アンコール・ワットはアンコール・トムより30年ほど前の都ですが、むしろ、よく残っています。ワットは寺という意味。ヒンドゥー教の寺院です。これにたいし、アンコール・トムのバイヨン寺院は仏教寺院です。
9時50分、バイヨン寺院の入り口、南大門に到着します。堀の橋にはナーガ(コブラ)の彫刻。
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多くの仏像が並んでいます。
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ちょっといかめしい感じがするのは、寺院を守っているからでしょうか。
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寺院にはここから1キロほど歩きます。寺院の東門にやってきました。
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この仏教寺院がつくられたのは12世紀末。昔は金箔がほどこされていました。54塔のうち37塔が残っています。54は当時の県の数だといいます。なかにはいってみましょう。
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回廊左手の壁には、さまざまなレリーフが掘られています。これは行進するクメール軍で、チャンパ(現ベトナム)との戦いが描かれているといいます。
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クメールの兵士だけでなく、中国人の傭兵もいるとか。
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食料を運んでいるのでしょうか。庶民も動員されているようです。ゾウや牛の姿もあります。ほかのレリーフでは豚を見かけました。
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中央祀堂のほうに。
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あちこち、こんな女神像(デバター)を見かけます。
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塔には観音さまの像が刻まれています。
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おや、こんなところにも女神像。
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おごそかな像です。
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もうひとつの寺院パプーオンにやってきました。いまの気温は34度です。
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中央の塔の高さは42メートル。いちおうピラミッド型ですが、もとの形はわからないため、途中までしか復元されておらず、石はそのまま放置されています。1060年にヒンズー教の寺院として建てられたといいます。
もう少し接近してみましょう。
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次はピミアナカス寺院。王宮の隣にあるヒンドゥー教寺院です。
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王宮は跡地しか残っていません。アユタヤ軍によって破壊されたのでしょう。
このあたりには、かつて裁判所などもあったとか。王が住んでいたのは寺院の後ろの小高い場所で、そこに木造の高床式住居が建てられていたようです。沐浴をした池も残っています。
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王宮の門を出ると、左側には「ライ王のテラス」。ぼくは読んだことがないのですが、三島由紀夫の戯曲に『癩王のテラス』というのがあり、まさに三島はこの場所に着想を得たといいます。らいを病むジャヤヴァルマン7世が主人公で、アンコール・トムを舞台にしています。
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そして、右側には「象のテラス」がありました。ジャヤヴァルマン7世が閲兵をおこなった場所です。
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ガイドさんによると、1907年までアンコール・ワット近辺はタイ(シャム)が支配していたといいます。フランスがカンボジアを保護国とするのは1863年ですが、その後、タイはフランス領カンボジアに現在のカンボジア中部と北部を割譲します。フランスがこなければ、カンボジアはなかった、おそらくベトナムとタイに分割されていただろう、とガイドさんはいいます。当時のノロドム王はみずから進んでフランスの支配下にはいったわけです。
植民地の歴史にも複雑な背景があって、一筋縄にはいかないようです。

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サンボー・プレイ・クック──カンボジア2019春ツアー(4) [旅]

2月14日(木)
サンボー・プレイ・クックの意味はサンボーの森のなかのストーブというのだそうです。遺跡がストーブみたいなかたちをしているところから名づけられたといいます。ここには前アンコール期の7世紀に古い都がありました。
東西6キロ、南北4キロにわたる都です。これをつくったのはイーシャナヴァルマン1世(在位613〜628)。玄奘三蔵は、この都をイーシャナプラ都城と呼んでいるそうです。
昔はこの都に291カ所寺院が建っていたといいます。遺跡は20世紀はじめにフランスによって発見されましたが、本格的に修復がはじまったのは1998年です。2017年7月にカンボジアで3番目の世界遺産に登録されました。
われわれがここに到着したときは、すでに午後4時をすぎていました。バスを降りたあたりから、赤土の森のなかに遺跡が点在しているのがわかります。
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見学できるのは都城の東側で、3つのブロックが公開されています。都城は環濠によって囲まれ、かつては2万家族ぐらいが暮らしていた、とガイドさん。
遺跡はいま森にのみこまれています。
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森のなかを歩くと、寺院が姿をみせます。木が寺院をおおっています。
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八角形の建物はクメール様式だとか。
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イーシャナヴァルマン1世は、ラオスからベトナム、タイ、マレーシア北部まで支配していました。支配民族はクメール族とモン族です。ガイドさんによると、昔はここに港があって都として栄えたが、7世紀の終わりに水が涸れ、港がつかえなくなったために、引っ越さざるをえなくなったといいます。
そして、14世紀にはヒンドゥー教と仏教の争いが激しくなり、15世紀にシャム(タイ)のアユタヤ軍が攻め込んできます。アユタヤ軍はこの旧都を燃やし、その結果、あたりはジャングルと化します。
当時のレリーフがきれいに残っていますね。
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20世紀はじめにフランス人が発見したことで、ここに遺跡があることが知られるようになりました。
しかし、ベトナム戦争が拡大するなか、1970年ごろ、アメリカがこのあたりを爆撃します。ポル・ポト派がこの森の中に拠点を置いていたからです。
地面のあちこちに大きな爆撃跡が残っています。いたるところ蟻塚がつくられています。
寺院のひとつにはいってみます。
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堅牢な建物で、なかは吹き抜けになっています。
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入り口には、何やら鬼のような顔が。
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城壁の跡ですね。
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プラサット・タオと呼ばれる寺院。獅子が入り口を守っています。
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咆哮しています。
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その内部です。
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門のデザインが美しい。
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その寺院はこんなかたちをしています。
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サンボー・プレイ・クックの見物は1時間足らず。
あわただしく出発です。途中の休憩場所では、川辺の牛が水を飲んでいました。
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日が落ちてきます。
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ここからシェムリアップまでの道中は長く、ホテルに到着したときは夜の9時過ぎになっていました。

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シルバーパゴダ──カンボジア2019春ツアー(3) [旅]

2月14日(木)
プノンペンの王宮の前にはトンレサップ川が流れています。少し下るとメコン川と合流します。
王宮の隣にある寺院、シルバーパゴダに向かう前に、即位殿に向かって右隣にあるゾウ舎を紹介しておきましょう。
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同じく向かって左側の宝庫には、王朝時代の衣装や食器などが飾られていました。
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ここは国王の執務室ということになっていますが、ほんとうでしょうか。
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王宮を出て、隣の区画のシルバーパゴダへ。側面から見たシルバーパゴダです。
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その周囲には回廊があって、ラーマーヤナのみごとな壁画が、100メートル以上もつづいています。ポルポト時代には放置されたままだったので、痛みがひどく、修復も半ばほどしか進んでいないとか。
それでも修復された壁画はみごとです。
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物語の内容を知っていれば、もっと楽しいでしょう。
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修復が終わった部分を写真に収めました。この先は痛みがひどく、現在も修復がつづいています。
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シルバーパゴダのなかへ。
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ここがシルバーパゴダと呼ばれるのは、床に銀のタイルが5000枚以上も敷かれているからだそうです。内部は撮影禁止。靴を脱いではいります。エメラルドの仏像やダイヤモンドをはめこんだ仏像も置かれていて、豪勢な宝物館です。
前にはこんなストゥーパがいくつも立っています。王様の墓といってよいでしょう。
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10時10分、シルバーパゴダを出て、セントラルマーケットに向かいました。
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その内部はこんな感じ。マフラーなどいくつかおみやげを買いました。
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昼食は中華。12時15分、プノンペンを出発し、バスでシェムリアップに向かいます。
車中でのガイドさんの話。
カンボジアでは仕事がないため、男はタイに出稼ぎに行くことが多い。女性は国内の外国工場で働いている。子供の数は多い。20代が70パーセントの若い国だ。内戦では多くの人が死んだ。内戦が終わってから、政府は子供を産むことを奨励している。
平均寿命は60歳。内戦のときは53歳くらいだった。……
ガイドさんは1996年から2年間、シェムリアップにつくられた日本語学校で学んだといいます。当時は人が集まらず、学校がおカネをだして、試験で合格した10人をそこで学ばせたとか。そのひとりがガイドさんのようです。授業料はただで、この学校をつくった山本宗夫さんは90歳になるいまも元気だそうです。
トンレサップ川にかかった橋を渡ります。これは中国の援助によってつくられた「カンボジア中国友好橋」で、その隣の「カンボジア日本友好橋」は老朽化して、現在修理中。そう思ってはいけないのですが、何やら象徴的なものを感じてしまいました。
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しばらくメコン川に沿って北上。郊外に出ると田んぼが広がります。石灰岩の山がむきだしになっているのは、たぶんセメントの材料が採取されているためです。
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このあたりは一毛作だが、トンレサップ湖の近くは二毛作だとガイドさん。炎天のなか北上をつづけます。
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白いやせた牛があちこちに放し飼いされています。スイギュウの姿も。暑いためか人の姿はあまり見かけません。
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家はみんな高床式ですね。
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午後3時半ごろ、コンポントムを通過。ここから脇道にはいってサンボー・プレイ・クック遺跡群に立ち寄ります。

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王宮──カンボジア2019春ツアー(2) [旅]

2月14日(木)
朝起きて、部屋の窓から周囲の様子を写真に収めます。
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ビルの谷間に寺院のようなものもみえます。
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7時バイキングの朝食。中国の人が多い。ガイドさんによると5年ほど前から、中国人観光客が猛烈な勢いで増えているといいます。
観光客だけでなく中国資本の進出も際立っており、ビルの建設ラッシュがつづいています。そのため土地価格も高騰し、プノンペンの地価がいまでは1平米あたり5000ドルから1万ドルもするとか。
ホテルの前の食堂で、大勢の人が出勤前の朝食をとっていました。
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8時すぎホテルを出発。朝から大渋滞です。要人や政府幹部が通ると、その都度交通が遮断されるといいます。トヨタの車もよく見かけます。日本企業では、シャープやスズキ、コニカ、日立、ソニー、キヤノンなども健闘しているようです。これはファーウェイとサムソンの店。
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中国製品にくらべ、日本製品の品質の高さはいまも評価されているとか。独立記念塔が見えてきます。シアヌーク殿下の像も。写真はバスのなかからほんの一瞬。毎年11月9日は独立記念日で祝日となるそうです。1953年のこの日、カンボジアはフランスからの独立を宣言しました。
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路上で、ちまきを売るおばさんの姿。
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8時半、王宮に到着します。
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サルスベリが花を咲かせています。マンゴーの木もありました。
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王宮の入り口に。
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バナナの木がありました。
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ガイドさんによると、これは沙羅双樹の木だといいます。
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その花です。白い花だと思っていたのですが、赤い花なんですね。沙羅双樹はカンボジアの国花になっています。
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ガイドさんによると、カンボジアの歴史はアンコール時代を中心に3つに分かれるそうです。
1世紀ごろから802年までは前アンコール時代、それから802年から1431年までが、アンコール時代。それから1431年から1863年までが後アンコール時代です。
その後は近代です。
カンボジアは1863年から約90年にわたって、フランスの植民地になります。
1953年の独立後は苦難の歴史がつづきました。シアヌーク時代、ロン・ノル時代、ポル・ポト時代、ベトナムの侵攻、王制復古と現在のフン・セン時代というわけです。
ガイドさんは、プノンペンに王宮ができたのは1432年ごろではないかといいます。このころ、アンコールの都はシャム(タイ)のアユタヤ朝によって陥落しました。その後、カンボジアの王朝は存続したものの、シャムとベトナムに隷属する状態がつづきます。
プノンペンが都になるのは1866年のことで、すでにフランス植民地時代にはいっています。その前はウドンというところに都がありました。
現在の王宮はフランス時代に建てられたものです。メインの建物が即位殿で、いまも謁見はここでおこなわれるようです。
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柱の菩薩像がおもしろいですね。
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尖塔の観音さまが東西南北を見ています。
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屋根や階段などには、あちこちにヘビの図像が……。ナーガ(コブラ)はブッダの守り神です。
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即位殿の内部は撮影できませんでしたが、その天井にはラーマーヤナの物語が描かれており、内戦のときも被害にあわなかったそうです。
即位殿の奥には王の住居がありますが、ここはもちろん立ち入り禁止です。青いカーテンが下りているときは、在宅中だといいます。この日は青いカーテンが下りていました。
現在のシハモニ国王は66歳ですが、まだ結婚していないそうです。外国に彼女がいるが、結婚が認められていないため、いちおう独身というかたちになっている、とガイドさん。王位はお兄さんの息子が継ぐといわれているとも解説してくれました。
ナポレオン三世の妻が提供した洋館「ナポレオン三世の館」は現在、修理中で、見学できませんでした。
これは宴会ホール。われわれは、この宴会ホールと工事中の「ナポレオン三世の館」(写真右側)のあいだを通って、王宮の次の区画、シルバーパゴダに向かいます。
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カンボジア2019春ツアー(1) [旅]

ことしも気がつけば師走。何もかもすぐに忘れてしまうきょうこのごろですが、ともかくもこの1年無事にすごせたことを感謝しなければならないでしょう。
年末の大掃除をはじめました。といっても、読み終わった本を古書店に売ったり、電気こたつを出して、部屋を掃除したりといった程度なので、たいしたことはありません。
ことしは自主制作のKindle本を12冊もつくってしまいました。もっとも、これはホームページの一部を整理し、移動しただけで、まあ自己満足です。あとは翻訳書が1冊(ケネス・ルオフ著『天皇と日本人』)。
閑人の楽しみのひとつ、夫婦での海外ツアーはカンボジアとウズベキスタンに。ウズベキスタンについては本ブログで紹介しましたが、先に出かけたカンボジアについて書くのを忘れていました。
そこで、これも年末の整理のひとつとして、ごく簡単にカンボジア・ツアーの思い出を写真中心に記録しておこうというわけです。例によって、お気楽なぼんやり紀行です。

2月13日(水)
11時ごろANAで成田を出発し、現地時間16時にプノンペン空港に到着しました。カンボジアとの時差は2時間。約7時間の飛行ということになります。
空港のロビーでJTB「旅物語」ツアーの一行31人が集合し、午後4時半にバスに乗ります。
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宿泊先のグリーンパレスホテルまで1時間かかりました。渋滞していなければ20分ぐらいの距離だといいます。
気温は30度くらいで、蒸し暑い。カンボジア の人口は1600万、そのうちプノンペンに300万人が集中しています。
ものすごい渋滞で、道路にバス、乗用車、バイクがひしめきあっています。道路側には商店が立ち並びます。建設ラッシュで、中国資本が進出しているらしい。高層ビルやマンションも増え始めています。
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店では携帯電話や靴、メガネ、コーヒー、洋服などを売っていて、活気があります。マツダやスズキの車を多くみかけます。
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夕方5時は学校が終わる時間でもあるらしく、学校帰りの高校生たちがバイクに相乗りして、道路を走っています。カンボジア では16歳からバイクに乗れますが、150ccまでは免許なしでもだいじょうぶだといいます。学校は2部制で、子供たちは家の手伝いをしながら、学校にかよっている、とガイドさん。
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空港の反対側は経済特区になっていて、味の素やデンソーなどの日本企業も数多く進出しているそうです。しかし、町なかの印象は漢字の看板や中国料理店の派手な暖簾が目立ちます。
いい会社に就職するには英語が必須になっており、そのため、英語学校が繁盛しているといいます。じっさい、ホテルの近くでもインターナショナル・ユニヴァーシティというのがありました。これは通りの別の英語学校ですね。
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ポル・ポトは都市の発展を嫌ったのでしょうか。かれにとって、都会は喧騒と猥雑と腐敗のたまり場であって、理想の農村社会には程遠いものと感じられたのでしょう。
午後5時半、ホテルに到着。「地球の歩き方」の地図でみると、ホテルからほど近いところに「トゥール・スレン虐殺博物館」というのがありますが、行く時間はなさそうです。
ホテルの部屋から街の様子を写真に収めます。
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日が落ちてきました。あちこちに高層ビルが立ちはじめています。
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タシケントを駆け足見学──ウズベキスタンの旅(14) [旅]

 帰国まで、タシケントのあちこちを駆け足で見学です。
 日本人抑留者がつくったといわれるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場をみました。もっともなかにははいれません。
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 正面はこんなふうです。
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 なかにはいれないので、せめて入り口天井の写真をとっておきましょう。なかなか立派な劇場です。
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 劇場側面の壁には「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、この劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」旨の銘板がかかげられていますた。ガイドさんによると、最初は「日本人捕虜」となっていたのを「日本国民」と直させたのは、カリモフ前大統領だといいます。
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 おなじみのテレビ塔もありました。
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 日本庭園も訪れます。その由来も聞いたような気がするのですが、すっかり忘れてしまいました。コウノトリがいます。
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 水辺では睡蓮が顔をのぞかせます。
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 バラク・ハン・メドレセです。16世紀にバラク・ハンによって建てられた神学校です。ソ連時代はここに中央アジアのイスラム本庁が置かれていたといいます。
_DSC1042 2バラク・ハン・メドレセ/タシケント.JPG
 その向かいにあるのが、ハズラティ・イマーム・モスク。このなかにはコーラン博物館があり、ティムールが遠征から持ち帰ったという世界最古(7世紀)のコーランをみることができます。ほかにも世界各国で翻訳されたさまざまなコーランが展示されており、井筒俊彦訳の岩波文庫版コーランも飾られていました。
_DSC1043 2ハズラティ・イマーム・モスク/タシケント.JPG
 短い時間ですが、チョルスー・バザールにも寄りました。
_DSC1046 2チョルスー・バザール/タシケント.JPG
 チョルスー駅から地下鉄に乗ります。
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 2駅目で乗り換え。
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 ムスタキリク・マイダニ駅にやってきました。これはティムール朝の政治家で詩人のアリシェール・ナヴォイ(ナヴァーイ)の像ですね。先ほどのナヴォイ劇場は、この人物を記念してつけられています。
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 広大な独立広場を歩きます。かつてここはレーニン広場と呼ばれていました。
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 レーニンの巨大な像は取り払われ、そこには母子像が据えられています。
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 広場の一角には、第2次世界大戦の犠牲者を慰霊する場所がありました。そこには帰らない息子をいつまでも待つ「嘆きの母」の像が置かれ、消えることのない火がともされていました。人の死を悲しみ、平和を祈る気持ちは、どの国の人も変わりません。それなのに一瞬、靖国の発想とのちがいを思ったりもしました。
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 ウズベキスタンの旅もこれで終わりです。遠かった中央アジアが、多少なりとも身近に感じられるようになったのが、今回の旅の成果でした。夕飯後、タシケント空港に向かいます。今回もガイドさんをはじめ、いろいろな人のお世話になりました。

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