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エトルリア文明に圧倒される──イタリア夏の旅日記(7) [旅]

8月9日(水)
タルクイニアには、あした木曜にマテオの運転で行くつもりだった。しかし、木曜はマテオが友達とサイクリングに行くことになったため、予定変更。急遽ユウキを叩き起こして、8時半にシエナの自宅を出発した。
 タルクイニアに行きたいといいだしたのは、つれあいである。ぼくはそこがどんなところか、何の知識もなかった。
 タルクイニアにはエトルリアの遺跡があるという。シエナから南下すること約2時間。さらにもう少し南下すればローマだ。マテオの運転はレーシングのようで、少し怖い。
 エトルリア人の墓地ネクロポリにやってきた。いまでは丘の上の公園として整備されている世界遺産だ。さっそくはいってみる。にょきにょきキノコのようなものが置かれている。これも墓なのか。何だ、これだけかと思ったら、そうではなかった。むしろメインは小屋のような建物の下にある。その下にエトルリア人の墓があるのだ。
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 入れ替わりで20近い墓が公開されている。そのひとつを選んで、下に降りていってみる。この小屋は現代になって墓を見るためにつくられたものだ。もともとはちいさな土の盛り上がりだったのではないか。
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 地下には墓室があり、ボタンを押すと30秒ほど電気がついて、室内の様子をみることができるようになっている。中央のへこみには石棺が置かれていたはずだ。電気がつくと、彩色された絵のかずかずが浮かびあがる。いまから2500年以上前の絵だ。昔、ここにエトルリア人が住んでいたことを実感する。
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 この絵はいったい何をあらわしているのだろう。左右の壁には、くつろぎながら左ひじをついて食事をとるふたりの男の姿。帯で仕切られた部分の下は海の光景で、波の上を何十匹ものイルカがはね、鳥が飛んでいる。
 正面上部には大きな壺が置かれているが、油のようなものがはいっているのだろうか。壺の横で、ふたりの楽師が古代の弦楽器キタラとアウロスを奏でている。左は豪華な衣装をつけた女性、右は薄衣をまとった少女と裸の給仕が踊っているようにみえる。そして、いちばん上には大きく口を開けた闘志満々のライオンが2頭向きあっている。
 どうみても、現世の楽しみが死後もつづきますようにという感じの絵だ。エジプトの絵などとは根本的にモチーフが異なっている。
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 墓を出て、丘のいちばん向こうの端まで歩く。小麦の収穫はすでに終わっているが、周囲には豊かな穀倉地帯が広がっている。昔から食べるものには困らなかったのだろう。
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 別の石室にはいってみる。ここにも音楽と踊りのモチーフがある。
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 ブルーやグリーンを含め鮮やかな色彩が完璧に残っている石室と出会った。何といっても正面上のヒョウが目を引きつける。
 宴会が開かれているようだ。左右の壁には音楽に合わせて踊る人や召使いの姿。正面のちいさな木の枝にはベリーの実がたわわだ。ふたりの裸の召使いは、客の世話をしているのだろうか。3組の仲のいい男女が宴会を楽しんでいる様子が伝わってくる。
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 次の一室は青いパンサーと赤いライオン。右に座っているのは冥界の番人だろうか。
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 エトルリアの絵は躍動的だ。みているだけで、こちらもからだを動かしてみたくなる。
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 細部をみていても、飽きない。いかんせん、こちらに歴史的教養が欠けている。だが、エトルリア文明が存在したことは実感できる。
 今日は涼しい方だというが、それでも昼近くになると、さすがに太陽が照りつけて、大汗をかく。いくつも墓をみているうちに、さすがにくたびれ、おなかもすいてきた。
 そこで、昼はネットで見つけたシーフードの店に行くことにした。調べてみると、街を離れて海べにちかい場所だった。車で向かうと、ずいぶん辺鄙なところだ。客もいないので、だいじょうぶかと心配したが、そのうち常連さんらしい人もやってきた。
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 今日あがったばかりというタコを前菜とし、新鮮なロブスターのパスタを食べる。絶品。値段は高かったが、値打ちはあった。マテオがおごってくれた。
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 午後はタルクイニアの考古学博物館に行く。エトルリアの遺物が展示されている。
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 エトルリアの石棺。浄化されることのない苦悩と悲しみがそのまま伝わってくるような気がする。
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 回廊には、堂々とした姿の石棺が置かれていた。下にえがかれているのは、おそらくこの人物の事績なのだろう。
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 目を見張ったのは、高い位置に展示された、翼のある2頭の天馬だった。郊外にあった寺院の祭壇を飾っていたものだという。紀元前4世紀の作品で、1938年に発見された。エトルリア芸術の粋といえるだろう。
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 隣の部屋にはミトラ神によって犠牲として屠られる雄牛の像が置かれている。
 エトルリア人は紀元前8世紀から紀元前3世紀ごろにかけて、イタリア中部のトスカーナを制していた部族集団といってよいだろう。のちにローマによって軍事的に吸収されるが、当初はローマよりはるかに高度な文明を誇っていた。王政時代のローマでは、ふたりのエトルリア系の王を輩出している。詳しい歴史はまだ謎に包まれている。
 何はともあれ、エトルリア文明の一端に触れることができたのが、きょうの小旅行の収穫だった。

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