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『アンダーグラウンド』を見る──大世紀末パレード(17) [大世紀末パレード]

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 映画『アンダーグラウンド』(1995年)は、ユーゴスラヴィアという社会主義国家の誕生と終焉を描いた歴史コメディだ。
 今回、久しぶりにアマゾン・プライム・ビデオで見ることができた。
 かつてユーゴスラヴィアという国があった。
 その前身は1918年に成立したセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国で、1929年にユーゴスラヴィア王国と改称されたのがはじまりだ。
 その後、1941年にナチス・ドイツによって占領され、パルチザン闘争をへて、1945年に社会主義国家が発足、ユーゴスラヴィア連邦人民共和国が建国される。
 ユーゴスラヴィアの解体がはじまったのは1991年のことだ。まずスロヴェニアとクロアチアが独立を宣言し、マケドニア(北マケドニア)がそれにつづいた。
 1992年にはボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言、激しい内戦がはじまった。この内戦は1995年11月にデイトン合意がなされるまでつづいた。
 セルビアとモンテネグロはゆるやかに連合し、最後までユーゴスラヴィアを名乗っていたが、2003年にそれぞれ独立を宣言する。これによってユーゴスラヴィアの名称は完全に消滅する。さらにコソヴォもセルビアからの独立を宣言した。
 ユーゴスラヴィアの誕生は、第1次世界大戦後のハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の解体と、そのずっと以前からはじまっていたオスマン帝国の解体がもたらした産物だったといえなくもない。このバルカンの地は、南スラヴの領域に属するものの、その民族、宗教、言語、文化は複雑に入り組んでいた。
『アンダーグラウンド』の監督はエミール・クストリッツァ。
 四方田犬彦氏によるクストリッツァ論がある。
 それによると、クストリッツァは1954年にサラエヴォのムスリム系ボスニア人家庭に生まれた。ムスリム系といっても世俗的ムスリムで、両親ともに共産党員、父親は政府の要職を務めていた。
 かれが映画監督の道を選ぶきっかけとなったのは、プラハの映画・芸術学校でミロス・フォルマン(映画『アマデウス』で知られる)の薫陶を受けたためだという。
『アンダーグラウンド』は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞する。だが、この映画がセルビアから多額の資金援助を受けていたことから、セルビア寄りのプロパガンダにすぎないとみられる向きもあるという。
 だが、ぼくはけっこう面白くみた。そして、けっこう考えさせられた。
『アンダーグラウンド』はふざけているのか、まじめなのかよくわからない映画である。そして、かしましい。バックにはロマの楽隊が常に陽気な音楽を鳴り響かせている。話されているのはセルビア語だ。
 映画の中心人物はマルコとツルニ(セルビア語で「黒」を意味することから、日本語の字幕では「クロ」となっているので、ここではそれにしたがう)、それにナタリアだ。
 3人にからんで、それこそ数え切れないくらいの人物が登場し、歴史の時間がかぶさる。主な場所はユーゴスラヴィアの首都ベオグラードだ。すぐそばにドナウ川が流れている。
 映画は1941年4月からはじまり、その後の50年ばかりを追う。このかんにユーゴスラヴィアという国に何が起きたかは、最初に書いたとおりだ。
 マルコは共産党員だが、ほとんど盗賊とみまがうならず者で、女房は愛想をつかして、家をでていき、いまは売春宿に通って、日々の享楽にふけっている。
 そのマルコに誘われて、共産党に入党するのが電気技師の「クロ」で、妻(ヴェラ)のお産をひかえている。
 そして、マルコと「クロ」がともにうつつをぬかしているのが、劇場で女優をしているナタリアだ。
 マルコには動物園で飼育係をしている弟のイヴァンがいて、ナタリアにも障がい者の弟がいる。
 そこにナチス・ドイツの空襲がはじまり、ベオグラードが占領される。マルコは大勢の人たちを、祖父の邸宅の地下に設けられた広大な空間に避難させる。そこが「アンダーグラウンド」となる。「クロ」の奥さんヴェラはここで産気づき、息子ヨヴァンを産んで亡くなる。
 それからしばらくして、レジスタンスが広がる。女優のナタリアはドイツ軍の将校フランツの愛人になっている。「クロ」はマルコとともに劇場に行き、ドタバタ劇を演じた末、舞台のナタリアを奪還し、地下水道を通って、川辺の船でナタリアと結婚しようとする。
 だが、この計画は失敗する。劇場で射殺したはずのフランツは生きていた(防弾チョッキを着ていたのだ)。
 逆に「クロ」は逮捕され、拷問室に送られる。ナチスは「クロ」に電気ショックを与えて、パルチザンの動向を探ろうとするが、電気技師の「クロ」に電気ショックは効かなかった。
 そこにムスリムの医師に変装したマルコがやってきて、フランツを殺し、「クロ」を助けるが、トランクに身をひそめて脱出する途中、トランクのなかの手榴弾が誤作動して、「クロ」は重傷を負い、そのまま「地下室」に運ばれる。マルコはまんまとナタリアを自分のものとする。
 それから20年の時が流れた。ナチス・ドイツは敗北し、ユーゴではチトーの社会主義政権が成立している。
 チトーはスターリンと決別し、独自の社会主義路線を取りはじめる。それが可能だったのは、周辺の社会主義国と異なり、ユーゴがソ連軍に頼らず、パルチザン闘争によってナチスからの解放を勝ちとったからだ。ソ連との緊張関係は、チトーの個人崇拝に結びつく。
 しかし、映画の「地下室」では、じっさいの歴史とは異なる時間が流れていた。時計のごまかしによって、20年は15年に短縮され、ナチスとの戦争がまだつづいているとされていたのだ。
 そこでは、昼夜を問わず武器がつくられ、戦車まで完成した。それを演出していたのがマルコで、マルコは地下で製造した武器を売って、金持ちになり、共産党幹部にのしあがっていた。
「クロ」は地下室で生きていたが、死んだことにされ、地上ではパルチザンの英雄にまつりあげられていた。
 そんな「地下室」で、ある日、結婚式がおこなわれる。「クロ」の息子ヨヴァンが花嫁を見つけたのだ。マルコとナタリアも駆けつける。ワイヤーの花嫁が空を舞って、出席者にあいさつして回るシーンは、じつに美しい。映画史に残る名シーンのひとつだろう。
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 だが、結婚式はやがて酩酊と大騒ぎのなかで、めちゃくちゃになっていく。
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 そんななか、マルコとナタリア、「クロ」は歌を歌う。

  月は真昼に照り
  太陽は真夜中に輝く
  真昼の暗黒を誰も知らない
  誰も知らない
  誰も知らない
  太陽の輝きを誰も知らない

 映画『アンダーグラウンド』を象徴する歌といえるだろう。スターリンよりましと思われたチトーの社会主義もまた情報をとざされ自由を奪われたアンダーグラウンドにすぎなかったのだろうか。だが、それはどこの世界も同じかもしれない。
 あとの悲劇は簡単に紹介する。
 パルチザンとアンダーグラウンドの虚構も長くはもたない。イヴァンの飼っていたオランウータンのソニが地下室の戦車にはいり、誤って砲弾を発射したため、アンダーグラウンドの世界は崩壊する。現実の歴史があらわれる。
 うそがばれたマルコは地下室を爆破してナタリアとともに失踪する。
 息子のヨヴァンとともに地上に出た「クロ」は、自分をパルチザンの英雄に仕立てて撮影中の映画を現実と混同して、ナチス役の役者を殺し、逃亡する。
 その途中、泳げないヨヴァンはドナウ川で溺死、その前にヨヴァンがいなくなったことに絶望した花嫁は地下室の井戸に身を投げ、自殺していた。
 1980年に終身大統領のチトーが死亡すると、ユーゴスラヴィアの混乱がはじまる。映画の舞台は、すでに1990年代に移っている。
 かつてのユーゴスラヴィアはもはや存在しない。マルコとナタリアは裏切り者として国際手配されている。ここはどうやらボスニアで、激しい内戦がつづいている。
 そのなかで民兵組織を率いているのが、「クロ」だ。そして、マルコとナタリアは武器商人となって、敵側に武器を売っている。
 そのマルコとナタリアを組織の民兵がつかまえ、隊長の「クロ」に指示をあおぐ。
「クロ」は武器商人の処刑を命じ、部下たちはそれを実行し、ふたりを燃やす。そこにやってきた「クロ」は、ふたりが友人のマルコとナタリアであることに気づき、「何ということだ」と、絶望に襲われる。
「クロ」は深い悲しみのなか、近くの井戸をのぞき込む。すると、そこに死者たちが泳いでいるのを見る。行方不明になった息子のヨヴァンも花嫁も、マルコとナタリアも、マルコの弟で自殺したイヴァンも楽しそうに泳いでいる。「クロ」は井戸に飛びこむ。
「クロ」の幻想のなかで、もう一度ヨヴァンと花嫁の結婚式がおこなわれることになる。死者が再会をはたす。映画のフィナーレでもある。
 今度の場所は地下室ではなく、ドナウ川のほとりだ。結婚式には「クロ」の妻でお産のときに亡くなったヴェラも参加している。もちろん親友のマルコとナタリアも。マルコの弟イヴァンもいる。
「クロ」はマルコに向かって、許そう、でも忘れないぞという。ロマの楽隊がにぎやかに祝いの音楽を演奏する。これは結婚式であるとともに死者の復活祭でもある。
 イヴァンが「昔あるところに国があった」と、いまは亡き愛すべきユーゴスラヴィアを懐かしむ回想を語る。
 そして、人びとが浮かれ踊るうちに、何と会場が岸辺から切り離され、ドナウ川のまんなかにただよいはじめるのだ。
 それはかつて存在したユーゴスラヴィアのかたちをしている。字幕が流れ、「この物語に終わりはない」という文字が浮かんで、映画は終わる。
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 これをどう受け止めればいいのか。パルチザンの神話を茶化したとも、社会主義の実態(真昼の暗黒)をとらえたとも、くり返される戦争の悲劇をえがいたとも、さらには多民族、多宗教の共生したユーゴスラヴィアを懐かしんだとも、どうとらえるかは、それこそ見る人の自由だろう。
 ただし、言えることは、冷戦の終わりが、ユーゴスラヴィアにとっては解体のはじまりを意味していたということだ。
 冷戦の終わりは、戦争の終わりでも歴史の終わりでもなかった。それは新しい戦争のはじまりであり、新しい歴史のはじまりにほかならなかったのだ。そのことをこの映画は教えてくれる。

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