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ハイパー資本主義──『資本とイデオロギー』を読む(6) [商品世界論ノート]

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 ハイパー資本主義が登場するのは1980年代以降だ。
いまや世界中の国々はこれまでにないほど密接に相互依存している。とりわけ1990年代以降は、デジタル技術の時代となり、グローバル化が段違いに進んだ。しかし、経済格差や貧困の度合いは、1980年代以降、むしろ拡大している、とピケティはいう。
 ヨーロッパや中国、米国より経済格差が大きいのは中東だ。中東では、人口の少ないいくつかの国に石油資源が集中している。中東の国境は第1次世界大戦後にイギリスとフランスによって引かれたもので、その後、欧米列強が石油産出国を保護した。
 中東では石油産出国と非産出国とのあいだで極端な経済格差がある。産出国内の格差も大きく、国家の富はごく一部に集中し、そこではたらく外国人労働者とのあいだでは極端な差がある。
 欧米諸国では、第1次世界大戦後、富の集中は拡散へと向かい、1970年代までそのままの状態がつづいたが、1980年代からふたたび集中傾向に転じた。中国とロシアでは1990年代に民営化の波が到来して以来、経済格差が急速に広がった。インドも同じだ。
 しかし、所得と富の分布に関するデータはまだまだ不正確だ。その理由は分布トップの回答者が、富、とりわけ金融資産を過少申告しているためだ。これを解決するには公的金融台帳をつくるほかないのだが、いまのところその方向性は政治的に阻まれている、とピケティはいう。
 なぜビッグデータとITの時代に、資産とその分布に関する統計が透明性を欠いているのか。ピケティによると、その理由は、再分配を嫌う財産主義イデオロギーが復活したせいだ。資産の透明性を拒絶するのが、現在の新財産主義の特徴となっている。
 近年の税制競争によって、かつてより直接税の税率は抑えられているにもかかわらず、租税回避やタックス・ヘイブンなどを利用した、企業や個人の資産隠しが横行している。そのいっぽうで、中下層階級の負担(消費税、賃金と年金からの控除)は軽減されず、高所得と巨額財産に累進課税を課すといった税制は検討されていない。
「金融不透明性と相まったきわめて高い富の集中の復活は、今日の世界的な新財産主義的格差体制の本質的特徴の一つだ」と、ピケティは指摘する。
 2015年現在、米国ではトップ1%が総私有財産(不動産、事業資産、金融資産)の37%(1980年は23%)を所有し、トップ10%が総私有財産の74%(1980年は65%)を所有している。ロシアではトップ1%が42%、トップ10%が71%、中国ではトップ1%が30%、トップ10%が67%。フランスではトップ1%が23%、10%が55%、イギリスではトップ1%が20%、トップ10%が52%といった割合になっている。
 富の遍在は1980年代以降、とりわけ90年代以降拡大した。こうした傾向は今後減速するかもしれないが、まだ持続するかもしれないという。
 1970年から2000年にかけ、世界の最貧諸国はさらに貧しくなった。人口が増加しているのに、税収は少なく、国はじゅうぶんな教育投資や医療投資さえおこなうことができないありさまだ。
 2008年以降の劇的な変化は、中央銀行が短期間で莫大な貨幣を創造するようになったことだ、とピケティはいう。いわゆるリーマン・ショック以降、世界の主要中央銀行は「量的緩和」に踏みこみ、貨幣創出オペレーションを編みだした。
 量的緩和には銀行への長期融資と民間および政府発行の債券の買い入れが含まれる。中央銀行のこの大規模介入によって、富裕国は1930年代の世界大恐慌に匹敵する危機に陥らずにすんだ。中央銀行は銀行破綻の連鎖を防いで、「最後の貸し手」としての役割を果たした。

〈だが、中央銀行は世界のあらゆる問題を解決し、資本主義全体を規制すること(あるいは資本主義を超克すること)などできない。過度の金融自由化、拡大する格差、気候変動と闘うには、他の公的制度が必要だ。つまり、集合的な熟議と民主的な手続きに基づく議会で作られる法、税、条約などだ。〉

 ピケティは中央銀行の限界をそんなふうに指摘している。とはいえ、金融危機や戦争、大規模な自然災害において、貨幣創造によって、膨大な資源を短期間で動員できる機関は中央銀行しかない。
 中央銀行は民主的正当性にもとづくことなく、GDPの数倍にわたるマネーを創造することができる。だが、そのことは深刻なガバナンス問題を引き起こす可能性があるのだ。
 経済金融化がここ数十年で驚くべき水準に達したことは強調に価する、とピケティはいう。ユーロ圏でも、金融資産と負債の総価値はGDPの10倍以上に達している。だが、金融部門全体の規模が実体経済よりも早く成長するような状況は永遠につづくわけがないという。
 貨幣創造はいまのところさほどインフレを引き起こしていないが、一部の資産価格は上昇している。国債の名目利率はゼロに近く、実質金利はマイナスだ。これは中央銀行が大量の国債を買い入れているためだ。だからといって、大口投資家がもうかっていないかというと、そうではなく、かれらは年間6〜8%の利益を確保しているという。
 ピケティは疑問を投げかける。

〈多くの国民は、ヨーロッパ経済活性化に目に見える効果がほとんどないのに、金融機関救済のためになぜあんな巨額のお金を創造したのか、そんなリソースを苦しむ労働者の救済、公共インフラ開発、再生可能エネルギー移行への大規模投資の資金に動員できないのかと、当然ながら問い始めている。〉

 これはとうぜんの疑問である。
 さらにピケティが問うのが、現在の新財産主義を支えるイデオロギー、とりわけハイエクの権威主義的リベラリズムだ。
 ハイエクは『法と立法と自由』で、あらゆる再分配政策への恐れを表明している。再分配は既存の財産権に疑いを投げかけ、累進課税の悪循環をもたらすというのだ。ハイエクは憲法で累進課税という発想自体を禁止すべきだとも主張する。議会に財産権を損なうような立法権を与えてはならないともいう。けっきょくのところハイエクの求める議会は財産権を擁護する議会に尽きる。
 ここ数十年で台頭してきた新財産主義イデオロギーは、極端な能力主義とも結びついている、とピケティはいう。それは経済システムにおける勝者を称賛するいっぽうで、敗者を無能と非難する。さらに貧困者が貧しいのは当人のせいだと主張する。
 1980年代以降、教育の不公正と能力主義の偽善はますます強まっている。
能力主義イデオロギーは、起業家と億万長者賛美とも結びついている。億万長者の慈善活動への期待や称賛も絶えない。だが、それらは新財産主義がもたらす権力の讃仰にほかならないのだ、とピケティは断言する。
 そろそろハイパー資本主義を終わりにしたほうがいいのではないか、というのが、ピケティの主張である。
(ピケティの『資本とイデオロギー』をこれで半分ほど読んだことになります。このあと、さかのぼって、前近代社会とは何か、近代社会について、さらに現代の政党分析などにも触れなければなりませんが、ちょっと休憩をいれます。)

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U3

経済格差の次に起こるのは、劇的社会変革か戦争(あるいは内戦)のいずれかだと私は思っています。
by U3 (2023-10-22 14:43) 

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