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ハーヴェイ『経済的理性の狂気』を読む(8) [商品世界論ノート]

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 一般に企業はみずからが占有する特定空間にたいして独占権を有している、とハーヴェイは書いている。その空間にたとえ競争相手がいるとしても、その競争は一定の地理的範囲をめぐるシェアの奪いあいで、いわば独占的競争がおこなわれるにすぎない。
 かつては高い運輸費と貿易障壁が企業の独占範囲を守っていた。従来、工業にとっては、原材料に近いという立地条件が重要だった。いっぽう、パンなどの生活必需品や傷みやすい商品は、商圏がせまく、業者は他の競争者から守られていた。金や銀、ダイヤモンドなどの世界商品を除いて、かつて市場は局地市場にかぎられていたといえるだろう。
 マルクスの時代は、国際貿易は現在ほど盛んではなかった。とはいえ、マルクスは国際経済を念頭に置いていた。国ごとに労働力価値が異なることも認識していた。
 国ごとに労働力価値が異なるということは、国ごとに価値体制(貨幣の形態や値段のちがいを含め)が異なるということである。そして、国どうしで貿易がおこなわれるときには、マルクスのいうように「恵まれた国は、少ない労働と引き換えに、多くの労働を受けとる」。
 言いかえれば、恵まれた国は、別の国で安くつくられた商品を国内で比較的に高く売ることができるのである。そして、その差額を受けとるのが「特定の階級」であることを、マルクスは指摘していた。
 地域的な価値体制が存在することによって、先進国と途上国との貿易は先進国に価値と剰余価値を移転させることになる。そうした状況は現在もつづいている。
 マルクスはさらに局地的な法定紙幣と世界貨幣(金や銀)が深刻な分裂を引き起こすことも認識していた。貨幣は国内の流通部面から外にでるときは、その局地的機能を失って、地金(重量としての金や銀)のかたちをとる、と書いている。貨幣が金や銀という純粋な形態をとるのは、世界市場においてである。
 だが、1970年代以降、状況は一変した、とハーヴェイはいう。金本位制の痕跡を残していたIMF体制は崩壊し、世界は不安定な変動為替制に移行した。そうしたなか、世界の主要通貨間の相対的価値が変動するなかで、さまざまに異なる価値体制がそれぞれの発展をみせることとなった。
 ハーヴェイは資本の歴史地理を重視する。世界の貿易関係が発達し、密になるにつれて、価値体制の異なる国どうしは、まず地域的に結びつき、さらにグローバルなかたちで結びつきを加速していった。
 たとえば、アメリカの地方スーパーを例に挙げて、ハーヴェイは1970年と2015年の品揃えについて、こんなふうに書いている。

〈1970年でさえ、アメリカの地方スーパーマーケットでは外国産のチーズやワインは見られなかったし、ビールですら、その大部分が各地で醸造されていた。ナショナルボヘミアン・ビールを飲むならボルチモアであり、アイアンシティ・ビールを飲むならピッツバーグであり、そしてクアーズ・ビールといえばデンバーであった。こうした状況は劇的に変わった。あらゆる地方スーパーマーケットに世界中の食料品が置かれ、主要都市でならほぼどこの地ビールも飲むことができる。〉

 これは日本もほぼ同じだといえる。ビールはともかくとして、どの町のスーパーでも、世界中の食料品が置かれるようになった。日本中でつくられる酒が並んでいる。どこにいってもマクドナルドの店をみかけるようになったし、イタリアンの店も多い。
 たしかに1970年代以降、どこの町にも世界の商品が押し寄せるようになったのだ。
 だが、その動きは第2次世界大戦後から加速していた。1945年以降、資本の歴史の大部分は、運輸費の削減と貿易障壁の段階的撤廃に捧げられた、とハーヴェイは指摘している。
 地域的な価値体制間の差異は消失しつつあるともいう。とはいえ、空間をめぐる独占的競争がつづいていることもまちがいない。TPPなど多くの貿易協定が結ばれ、中国が一帯一路構想を打ち出すなどをみても、空間の支配をめぐる競争がますます激しくなっていることはあきらかだ。
 もうひとつ重要なことがある。巨大企業はそれまでも市場支配力をもっていたが、1970年代以降、空間的障壁が徐々に取り払われるにつれて、企業の考え方は一国的なものからグローバルのものへと転換した。
 たとえば、アメリカではそれまでGMやフォード、クライスラーが自国の自動車市場を占有していたが、1980年以降は日本やドイツ、イタリア、韓国、中国からの挑戦を受けるようになった。そのいっぽうで、アメリカの企業がグローバル化する傾向も強まっている。農業関連産業やエネルギー産業、製薬業、通信業は世界市場を想定するようになった。最近ではグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなどが世界を席巻している。
 資本は集中と規模の拡大を見境なく追求することによって、競争上の優位を保ち、独占をめざそうとする。ハーヴェイのいうように「資本主義的競争が創造するダーウィン主義的世界では最適企業のみが生き残る」。その手段のひとつが、企業の合併吸収(M&A)だ。
 1980年代以降はとりわけ生産と流通の加速化が進んだ。運輸費や調整時間が削減され、多くの企業が猛烈な競争をくり広げるいっぽうで、労働者は海外の労働者との熾烈な競争を強いられるようになった。だが、労働者はそれによって利益を受けることはなかった、とハーヴェイは断言する。
 世界経済のなかでは、さまざまな地域的価値体制が関係しあい、その力関係を変動させている。先進国と開発途上国が存在することをみても、その価値体制は、ある程度長期的なものだ。
だが、過去40年にわたり、とりわけ特徴的なのは、さまざまな価値体制が接近し、交錯し、収斂していることだ、とハーヴェイはいう。世界のグルーバル化が進んでいる。
 とはいえ、単一の価値体制が存在するわけではない。いまのところ世界貨幣も存在しない。むしろ、資本は価値体制の差異を利用して、価値増殖を実現しようとしている。局地間競争、地域間競争、大国間競争はむしろ激化している。
 グローバルな価値連鎖は複雑さを増している。たとえばアメリカの企業が自国市場向けの商品をメキシコでつくるとしよう。その企業はアメリカのノウハウをメキシコの低賃金労働者と結びつけて製品をつくりだすわけだが、そこに投入されるのは中国製の部品やアフリカ産の原料だったりする。
 産業による空間と時間の形成は、大きく変動しつづけながらも、けっして立ち止まることはない。アメリカでは、中西部で旧産業(鉄鋼・石炭・自動車など)の夢の跡ともいえるラストベルトが生まれるいっぽうで、いまや南部や南西部に宇宙産業や先端技術に特化したサンベルトが生まれているのも、その象徴だ。
「価値の運動法則は空間と時間のなかで自らを貫徹していく」。資本の本性のなかには、世界市場の征服と構築のために、あらゆるものを(自然も人間をも)犠牲にすることをいとわない暴力性が備わっている、とハーヴェイは書いている。

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