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ハーヴェイ『経済的理性の狂気』を読む(9) [商品世界論ノート]

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 資本の循環過程において、商品は購入されるとその過程から離脱するが、貨幣は残る。そして、貨幣は狂気となる、とマルクスは書いている。
 商品は消費されることで、人の欲求を満たす。だが、貨幣は増殖を自己目的とする。そのためには貨幣は売れる商品を生みだしつづけなければならない。ここに悪無限が生じる、とハーヴェイはいう。
「現代資本主義は、終わりなき蓄積と複利的成長という悪無限にはまり込んでいる」
 こうして貨幣の「完結することなき無限」と商品の「際限のない浪費」が組み合わさる。環境的コモンズは急速に悪化する。
 貨幣の運動を後押ししているのが、利子生み資本(金融資本)だ。利子生み資本においては、貨幣がより多くの貨幣をもたらす不思議な力をもっているかのようにみえる。債務に追い立てられるようにして、資本はさらにエンジンを吹かさなければならない。
 だが、いつしか「終わりなき複利的成長は減価と破壊に帰着せざるをえない」。働かされるだけ働かされて、不況がやってくれば、労働者は職を失い、あとにはローンだけが残って、「債務奴隷」となる現実が待っている。
 貨幣が金や銀などの物質的土台から切り離されて、ドルやユーロ、円といった観念的構築物となり、とてつもなく膨張したのが現在の姿だ、とハーヴェイは書いている。
 いまや外国為替市場では毎日2兆ドルが取引されている。信用貨幣(投資信託、社債、ローンなど)の流れも膨大だ。各国で気の遠くなるほど増大した国債は、合法的に回収される見込みはない。国家も企業も個人も巨額債務の返済に追われるなかで、過剰資金の流れが経済を揺り動かしている。
 ハーヴェイによれば、資本主義の狂気にとりつかれたのは中国も同じだった。2011年から13年にかけて、中国は65億トンのセメントを消費した。この消費量がいかにすごいものだったかは、1900年から99年までのアメリカのセメント消費量が45億トンだったことをみてもわかるという。
 セメントは建造物に用いられる。わずか3年で65億トンものセメントが用いられたということは、この時期に中国ではマンションをはじめとする住宅、道路やダム、飛行場、鉄道駅、コンテナターミナルなどの社会インフラに、いかに莫大な投資がおこなわれたかを示している。
 投入されたのはセメントだけではない。鉄鋼の生産もとてつもなく拡大した。製鉄のための鉄鉱石はブラジルやオーストラリアから輸入されていた。2013年ごろには、世界の鉄鋼の半分以上が中国でつくられいたし、中国は世界の主要な鉱石資源の少なくとも半分を消費していた。
 2007年から2008年にかけ、アメリカで金融危機(いわゆるリーマン・ショック)が勃発し、それが世界じゅうに波及したのは記憶に新しい。しかし、その資本主義の世界的危機を救ったのは、皮肉なことに中国だった、とハーヴェイはいう。
 リーマン・ショックの結果、不況におちいったのは中国も同じだった。中国の輸出は30%減り、南部の工場群は閉鎖寸前となった。2000万人から3000万人の失業者がでたといわれる。だが、このとき中国政府は多くのインフラ事業や巨大プロジェクトを発動し、無制限の融資をおこなった。
 その結果、中国全体の債務残高は膨れあがったが、大規模な建設事業がおこなわれ、不動産価格が押し上げられ、住宅への投機がおこなわれた。そして、突如、大金持ちが生まれた。
 負債金融が実施されたのは中国だけではない。日本でも大量の国債が発行された。しかし、世界経済の回復にもっとも寄与したのは、中国の建設ブームだった。中国は大規模な建設投資によって、大量の労働力を吸収した。ハーヴェイによると、中国のGDPの4分の1が住宅建設によるものであり、さらに別の4分の1が高速道路、水道設備、鉄道、空港などのインフラ投資によるものだったという。
 こうした中国の手法は、ある意味でおなじみのものだった。それは1929年の大恐慌以来、さらに第2次世界大戦後にアメリカがおこなってきた物的インフラや社会的インフラへの大規模投資をまねたにすぎない。新たな都市空間の創出は、恐慌への対応策として、過剰資本と過剰労働力を解決するために古くから用いられてきた手法だ。とはいえ、近年の中国における変容は、その規模もその速度も突出していた、とハーヴェイはいう。
 だが、こうした手法はいつか限界にぶつかる。アメリカでは早くから、「企業型都市再発計画の無味乾燥な試みと陳腐な郊外型生活様式にたいして公然と反抗」する動きがおきていた。そして、あげくのはてに不動産市場が崩壊する。都市の空間形成は、そうした発展と崩壊の波をくり返してきた。中国ではいま住民がいない「鬼城(ゴーストシティ)」があちこちに広がりつつある。
 ハーヴェイはこう書いている。

〈資本が建設するのは、人々や諸機関の投資先としての都市なのであって、民衆が住むための都市ではない。どれほどの正気がこれにあるというのか?〉

 中国の建築ブームが後退すると、グローバルな原材料需要は落ちこみ、とりわけ中南米の国々が苦境におちいった。それは先端の工作機械などを輸出しているドイツでさえ例外ではなかったという。
 歴史的にみて、資本は過剰蓄積問題を解決するために「空間的回避」をおこなってきた。過剰資本と過剰労働力を海外に向けるのが帝国主義の論理だったが、こうした「空間的回避」の思考はいまもつづいている、とハーヴェイは論じている。
 日本は1960年代後半から、韓国は1970年代から、台湾は1980年代前半から、過剰資本を輸出しはじめた。そして、2010年以降、それを盛んにおこなっているのが中国だ。
 中国は過剰な鉄鋼能力を保有しており、可能なかぎり多くの鉄鋼を安い値段で輸出している。さらにいろいろな国に資金を貸し付けて、鉄道や道路、港湾などのインフラや建造物をつくらせている。ニカラグア横断運河や南米大陸横断鉄道もそのひとつだ。一帯一路構想という巨大プロジェクトもある。これらが実現すれば、過剰資本問題が解決するとともに、対中貿易の増加につながるだろう。
 しかし、過剰資本によるグローバル空間の再編は、さまざまな軋轢を呼びさまさないではおかない。
「普遍的疎外」が始動する、とハーヴェイはいう。
 複雑化する大量の商品をめぐって競争が激化すると同時に、運輸・通信費の削減や移動速度の上昇も猛烈な勢いで進んでいる。「時間と空間の圧縮」は、労働者に大きな負担と緊張をもたらさざるをえない。
 いま世界では大量移民の波が生じている。移民をめぐっては、反移民運動やナショナリズム的熱情が引き起こされるいっぽう、多文化主義の動きも生じている。
 世界各地でさまざまな抗議活動が広がっている。異議と不平、場合によっては絶望の風潮が世界に満ち満ちている、とハーヴェイはいう。
 その根拠にあるのは、いったい何なのか。
 人間と自然との関係の悪化、経済成長至上主義の破綻もそのひとつかもしれない。だが、それだけではない。
 世界の「時間と空間」の再編、グローバルな競争、ますます進む機械化と自動化、人工知能をはじめとする新しい技術の導入、下がりつづける労働分配率、偶発的な雇用と失業、正規と非正規の区別、無意味な仕事、労働者間の仕事の競い合い、人種差別、ジェンダー差別、尊敬と敬意の喪失──こうしたことが、働く人びとに疎外感をもたらしている。
 そのいっぽうで、資本が多くの有用な商品を生みだしていることもまちがいない。資本主義の発展は世界の多くの地域で平均余命の延長をもたらした。社会的福祉の増大にも貢献した。しかし、多くの商品は両刃の剣でもあり、たとえば自動車が公害や渋滞、危険をもたらしたことも事実だ。大気汚染が人びとを苦しめている。
 人びとの欲求や欲望ははてしなく、その実現の困難性が疎外感を深めている。スマホやパソコンが、幸せをもたらしているとはかぎらない。社会は便利になったぶん、刹那性を増し、また思わぬ落とし穴を生んでいる。さらに、商品世界の進展から取り残された多くの人びとのあいだでは、絶望と不満が深まっている。
 近年では、世界の大半で労働分配率が低下し、技術の発展にともない、多くの労働者はその恩恵を受けるどころか、かえって失業の脅威や生活水準の低下にさらされるようになった。資本主義世界のほとんどで、所得と富の不平等が拡大している。そのいっぽう多くの人が債務(ローン)に縛られ、債務懲役状態に陥っている。
 ハーヴェイは、こう記す。

〈債務負担による規律づけ効果は、現代資本の再生産にとって決定的に重要である。……『聖書』が求めるように負債が赦(ゆる)されることなど、資本は認めることがないのであって、むしろわれわれは、未来の価値生産をつうじて自己債務の返済を資本に要求されることになる。……債務懲役は、資本がその特有の奴隷形態を強制するのにおあつらえむきの手段なのだ。〉

 その背景にはカネ、カネ、カネの世界がある。
 ケインズのいう「財産としての貨幣愛」、すなわち貨幣を富とみなし、それを蓄積しつづけようとする傾向は、それ自体が問題であり、われわれは「このような、ひどく厄介なまでに狂った世界」に生きている、とハーヴェイは記している。
 だが、その「狂った世界」からの脱出は可能なのか。それが容易でないことをハーヴェイも認めている。だから、社会主義革命をなどと安直にはいえない。せめて資本の生みだす「狂った世界」を見つめることを忘れず、そこから出発するしかないのだと主張しているようにみえる。

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