コモ湖珍道中──イタリア夏の旅日記(12) [旅]
8月20日(日)〜21日(月)
シエナでの滞在も終わり、いよいよ帰路につくことになった。行きはフィレンツェ空港をとったが、帰りはミラノのマルペンサ空港にした。そのため、フィレンツェからミラノまでは列車に乗らなくてはならない。とはいえ、そのまま帰国するのも味気ないので、ミラノの北にある世界有数の避暑地、コモ湖に寄って1泊する予定を立てた。
6時45分、眠そうなユウキを起こして別れのあいさつをかわし、シエナの家を出発。ミワもいっしょに車に乗り、マテオの運転でフィレンツェ駅に。1時間ほどで着く。新幹線イタロの発車時間は8時25分なので、少しまがある。バールでコーヒーを飲んで、しばらくおしゃべりしてから、いよいよ出発となった。
真っ赤な色の特急列車イタロに乗る。ミラノまでは約2時間。あっというまだ。
ミラノで列車を乗り換え、コモ駅に。ここまでは順調だった。
アルプスを背にした氷河湖のコモ湖は地図でみると、人の漢字に似ている。われわれがいるコモはその左下の部分。ここから足の付け根にあたるベッラージオに船で向かい、ここで1泊する。計算では午後3時すぎにホテルにつけると思っていた。
ところが、そうは問屋がおろさなかった。コモの駅から船着場までは800メートルほどだ。荷物はあるが、これくらいの距離ならだいじょうぶと踏んで、歩いたのがいけなかった。思いのほか暑くて、意外と遠い。あとで調べると、駅前からバスが出ているのがわかる。それに乗ればよかったのだが、後の祭り。おかげで手の格好をしたおもしろいモニュメントに出会ったりもした。
ようやく港に着いたのはよかったが、こんどはチケット売り場に長蛇の列ができている。これも最初から予約しておけばよかったのだ。ヴァカンスシーズンなのを忘れていた。1時間ほど行列して、ようやく午後4時10分のベッラージョ行きを確保する。
予定がすっかりくるってしまった。船の出発までだいぶ時間がある。バールに入って時間を潰すことにして、交替で町を見学した。ぼくはドゥオモ(聖堂)を見て席に戻り、そのあと、つれあいはヴォルタ博物館を見に行った。電池を発明したヴォルタはコモの出身なのだ。
ようやく出発時間となった。快速の水中翼船なので、ベッラージオまでは40分ほどで着く。その代わり、船でのんびり遊覧する風情はない。
快速の水中翼船の中で、右の中指が硬直し、熱中症のような症状を呈する。慌てて水分を補給し、難を逃れる。それほど猛暑だった。どこが避暑地だと毒づくが、もうすぐベッラージオだ。
ホテル・フローレンスに到着。ここでも入り口が分からず迷った。部屋にはいって、ようやく落ち着く。
部屋からの眺めも悪くない。
本来は避暑の観光地のはずだが、今日は酷暑のコモ湖だった。それでも夕方になると、少し過ごしやすくなった。湖畔にはレストランのテーブルが並びはじめている。
夜は坂道途中のレストランで。しかし、パスタがしょっぱく閉口する。
翌朝、人の字の付け根にあたるベッラージオの岬まで散歩する。コモ湖はここで大きくふたつに分かれる。ボートを漕いでいる人がいる。きょうも暑くなりそうだ。
船で対岸に渡り、カルロッタ邸を見学することにする。きのうの轍を踏まないよう、朝早くチケット売り場で、対岸までの往復とコモに戻る快速船のチケット売り場で確保しておく。そのとき、何か注意されたような気がするのだが、意味がよくわからなかった。そのしっぺ返しがあとで効いてくる。
ともかくも船で対岸に渡り、10分ほどでカルロッタの船着場に到着。カルロッタ邸は17世紀に建てられた貴族の館で、白亜の館に広大な庭園が付属している。
目の前には湖の景色が広がっている。
室内の様子もいくつか紹介しておこう。
ここは書斎だろうか。絵が飾られ、彫像が置かれ、本が並べられ、机と椅子がある。
廊下の様子もいかにも貴族のお屋敷だ。
門扉の外はすぐ湖だ。
ベッラージオに戻る船の時間がやってきたので、船着場に戻った。ところが、ここでトラブルが発生する。満席なので船には乗れないというのだ。別の船着場からフェリーが出ているので、そこまで歩いていけと案内された。早朝、チケット売場で説明されたのは、このことだったのだ。
そこで、猛暑のなか10分ほど歩いて、別の船着場に行き、フェリーがやってくるのを待った。コモ行きの快速船の時間は決まっているので、それに間に合うか、ひやひやだった。対岸のベッラージオが見えてきたときには、フェリーの船着場から快速船の船着場まで走って行く覚悟を決める。その前にホテルで預けてある荷物も回収しなければならない。
15時28分発の快速船には何とか間に合う。コモの船着場には40分ほどで着き、少し休憩したあと、駅までがらがらと荷物を押していき(これもバスを使えばよかったのだ)、コモ駅でミラノまでの切符を買い、刻印を押して、列車に乗り込む。ミラノ駅に着いたときは、もうくたくたになっていた。おのぼりさんである。
シエナでの滞在も終わり、いよいよ帰路につくことになった。行きはフィレンツェ空港をとったが、帰りはミラノのマルペンサ空港にした。そのため、フィレンツェからミラノまでは列車に乗らなくてはならない。とはいえ、そのまま帰国するのも味気ないので、ミラノの北にある世界有数の避暑地、コモ湖に寄って1泊する予定を立てた。
6時45分、眠そうなユウキを起こして別れのあいさつをかわし、シエナの家を出発。ミワもいっしょに車に乗り、マテオの運転でフィレンツェ駅に。1時間ほどで着く。新幹線イタロの発車時間は8時25分なので、少しまがある。バールでコーヒーを飲んで、しばらくおしゃべりしてから、いよいよ出発となった。
真っ赤な色の特急列車イタロに乗る。ミラノまでは約2時間。あっというまだ。
ミラノで列車を乗り換え、コモ駅に。ここまでは順調だった。
アルプスを背にした氷河湖のコモ湖は地図でみると、人の漢字に似ている。われわれがいるコモはその左下の部分。ここから足の付け根にあたるベッラージオに船で向かい、ここで1泊する。計算では午後3時すぎにホテルにつけると思っていた。
ところが、そうは問屋がおろさなかった。コモの駅から船着場までは800メートルほどだ。荷物はあるが、これくらいの距離ならだいじょうぶと踏んで、歩いたのがいけなかった。思いのほか暑くて、意外と遠い。あとで調べると、駅前からバスが出ているのがわかる。それに乗ればよかったのだが、後の祭り。おかげで手の格好をしたおもしろいモニュメントに出会ったりもした。
ようやく港に着いたのはよかったが、こんどはチケット売り場に長蛇の列ができている。これも最初から予約しておけばよかったのだ。ヴァカンスシーズンなのを忘れていた。1時間ほど行列して、ようやく午後4時10分のベッラージョ行きを確保する。
予定がすっかりくるってしまった。船の出発までだいぶ時間がある。バールに入って時間を潰すことにして、交替で町を見学した。ぼくはドゥオモ(聖堂)を見て席に戻り、そのあと、つれあいはヴォルタ博物館を見に行った。電池を発明したヴォルタはコモの出身なのだ。
ようやく出発時間となった。快速の水中翼船なので、ベッラージオまでは40分ほどで着く。その代わり、船でのんびり遊覧する風情はない。
快速の水中翼船の中で、右の中指が硬直し、熱中症のような症状を呈する。慌てて水分を補給し、難を逃れる。それほど猛暑だった。どこが避暑地だと毒づくが、もうすぐベッラージオだ。
ホテル・フローレンスに到着。ここでも入り口が分からず迷った。部屋にはいって、ようやく落ち着く。
部屋からの眺めも悪くない。
本来は避暑の観光地のはずだが、今日は酷暑のコモ湖だった。それでも夕方になると、少し過ごしやすくなった。湖畔にはレストランのテーブルが並びはじめている。
夜は坂道途中のレストランで。しかし、パスタがしょっぱく閉口する。
翌朝、人の字の付け根にあたるベッラージオの岬まで散歩する。コモ湖はここで大きくふたつに分かれる。ボートを漕いでいる人がいる。きょうも暑くなりそうだ。
船で対岸に渡り、カルロッタ邸を見学することにする。きのうの轍を踏まないよう、朝早くチケット売り場で、対岸までの往復とコモに戻る快速船のチケット売り場で確保しておく。そのとき、何か注意されたような気がするのだが、意味がよくわからなかった。そのしっぺ返しがあとで効いてくる。
ともかくも船で対岸に渡り、10分ほどでカルロッタの船着場に到着。カルロッタ邸は17世紀に建てられた貴族の館で、白亜の館に広大な庭園が付属している。
目の前には湖の景色が広がっている。
室内の様子もいくつか紹介しておこう。
ここは書斎だろうか。絵が飾られ、彫像が置かれ、本が並べられ、机と椅子がある。
廊下の様子もいかにも貴族のお屋敷だ。
門扉の外はすぐ湖だ。
ベッラージオに戻る船の時間がやってきたので、船着場に戻った。ところが、ここでトラブルが発生する。満席なので船には乗れないというのだ。別の船着場からフェリーが出ているので、そこまで歩いていけと案内された。早朝、チケット売場で説明されたのは、このことだったのだ。
そこで、猛暑のなか10分ほど歩いて、別の船着場に行き、フェリーがやってくるのを待った。コモ行きの快速船の時間は決まっているので、それに間に合うか、ひやひやだった。対岸のベッラージオが見えてきたときには、フェリーの船着場から快速船の船着場まで走って行く覚悟を決める。その前にホテルで預けてある荷物も回収しなければならない。
15時28分発の快速船には何とか間に合う。コモの船着場には40分ほどで着き、少し休憩したあと、駅までがらがらと荷物を押していき(これもバスを使えばよかったのだ)、コモ駅でミラノまでの切符を買い、刻印を押して、列車に乗り込む。ミラノ駅に着いたときは、もうくたくたになっていた。おのぼりさんである。
2023-11-25 06:27
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