SSブログ

上海の魯迅 [柳田国男の昭和]

《連載22》
 そのころ中国では、魯迅が上海市内を逃げ回っていた。国民党政府が、党の要人とその取り巻きを笑い飛ばしながら批判するかれの行方を追っていたからである。逮捕されれば銃殺は免れなかったし、それ以前に暗殺の恐怖が常につきまとっていた。そして、皮肉なことに、中国の官憲が踏みこめない租界の存在が、その命を守ったのである。
 その魯迅が、1934年(昭和9)元旦、東京、大阪の朝日新聞に「上海雑感」というエッセイを寄稿している。
 書きだしはこうなっていた〔現代表記に改める〕。

〈感ずるところがあると、すぐに書いておかなければ忘れてしまう。馴(な)れるからである。小さかったときには、西洋紙を手に持てば、変な匂いが鼻についてくるように覚えているが、今では何の変な感じもしなかった。はじめて血を見ると、気持ちがすこぶる悪いが、人殺しの名所に久しく生き残ると、つるしている首を見ても、さほど驚きもしない。つまり馴れたからである。してみれば人々は──少なくとも僕のような人は、自由人から奴隷になることも、そうむずかしくないだろう。なんでも馴れていくからである〉

 日本語で書いたため少しぎこちないが、ここには明らかに魯迅の文体が息づいている。
 魯迅はいう。
 上海は子どものころよく読んだ『西遊記』に登場するような化け物がいつ出現するかわからない状態になっている。だれもが疑心暗鬼で、「僕も農民以上に疑い深くなって、紳士や学者のなりをしている方をクモの化け物ではないかと感ずることがないでもなかった」。
 政治家は陰で策謀をめぐらせ、革命家は弾圧され、その累(るい)は文筆家にもおよんでいる。

〈上海では金持ちが曲者(くせもの)にさらわれて、人質になることはよくあるが、近ごろは貧乏な作者も時々行方不明になる。一部分の人は政府の方にさらわれたというけれども、政府側らしい人はそうでないとほのめかす。しかし、どうもやはり政府所属のどこかにいるらしいので、今度は生きているか、死んでいるかの疑問を残して終わる〉

 それは日本でも似たり寄ったりだったかもしれない。1年前の2月20日には、作家の小林多喜二が特高に逮捕され、拷問死させられていた。

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0