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中国の台頭がもたらすもの──『北京のアダム・スミス』を読む(10) [本]

長々とつづってきた読書メモもいよいよ終わりに近づいた。
最後の章の見出しは「中国台頭の起源とダイナミズム」。
外国資本にとって中国の魅力は「巨大で安価な労働予備軍」ではなく、「労働予備軍の高い資質」だと、著者のアリギは書いている。
中国が台頭し、「経済的ルネッサンス」を迎えたのは、「中国が外国資本を必要とした以上に、外国資本が中国を必要とした」からである。中国の経済拡張は「外国貿易と投資に開かれている」。そのあたりが、昔の日本とちがうところだとも書いている。
かといって、中国はしっかり国益を守っている。海外からの直接投資を認める場合も、それが自国に役立つ場合にかぎられている。
規制緩和と民営化は慎重な配慮のうえになされ、政府は新規産業の創出、経済(輸出)特区の設立、高等教育、インフラ整備に力を注いでいる、とべたほめがつづく。
中国の経済特区には、労働集約型(部品生産や組み立て)の珠江デルタ[たとえば深セン(土偏に川)]、資本集約型(半導体、コンピューターなど)の長江デルタ[上海]、中国版シリコンバレーというべき北京中関村などがあるけれども、その場合も中国政府は対外貿易だけを応援しているわけではない。
中国政府が何よりも優先するのは、産業化の基盤として教育であり、国内市場であり、さらには農業開発である、とアリギは断言する。
それは資本主義への移行というより、アダム・スミス的な市場経済重視の姿勢のあらわれだと著者はいう。まず全国で外国の技術に対する企業者の情熱が生まれ、それによって国内市場が開拓され、最後に海外市場に向かうという方向は、まさにアダム・スミスの方策でもある。
正規部門の労働者は雇用が保証され、医療や年金に対する給付金もじゅうぶんに支給されている。「国内市場の形成と農村地域における生活条件の改善」、これが中国政府が何よりもめざすものだ、とアリギは断言する。
中国の農村を豊かになったのは、1970年代後半から農業生産請負責任制が導入されてからだ。それによって農業の生産性と農民の収入が一気に高まった。加えて農村地帯に「郷鎮企業」が生まれ、農村の余剰労働力を吸収していったことも、農民の生活改善に役立ったという。
郷鎮企業は中国経済に大きく寄与し、農村の収入を増やすとともに、国内市場を拡大する役割を果たした。それはマルクスのみた農村の分解、あるいは「本源的蓄積」とはまったく異なるスミス的な発展経路であり、「産業(industrial)
革命」ならぬ「勤勉(industrious)革命」のもたらした成果だともいえる。
アリギは鄧小平の改革を高く評価している。この改革は企業者の活力を引き出し、一人あたり所得の上昇をもたらし、市場経済を引っ張っていく共産党の政治基盤を強固にした。中国ではソ連とちがって、「農村の破壊ではなく、農民の経済と教育の高揚」を通じて近代化が進められた。
しかし、現在の中国に社会的矛盾がないわけではない、と最後にアリギはつけ加える。
「一つは所得の不平等の大幅な拡大であり、もう一つは改革の手続きや結果に対する人々の不満の増大である」
各地で社会的騒擾やストが頻発し、いっぽうでは言論の自由が封殺されている。それがどういう方向にいくかは、だれにも予想できない。しかし、アリギは奇妙に楽観的である。
ぼくなどは、アリギが現代の中国をスミスにあてはめて理解する反面、社会主義の後始末をつけていないような気がしてならないのだが……。

本書の「エピローグ」で、アリギは中国の台頭が世界の文明にどのような意味をもつかを問うている。
こう書いている。

〈本書の中心的問題は、スミスが230年前に予見し主張したように、中国の台頭がヨーロッパ人と非ヨーロッパ人の間のさらなる平等と相互尊重の先駆けと見なせるのか、またいかなる場合にそう見なせるのかという問題[であった]〉

アリギは、アメリカが同盟国と中国を対峙させて「漁夫の利」をねらったり、昔ながらの「封じ込め政策」をとったりするのは、まったく時代に逆行しているし、むしろ世界を混乱におとしいれる危険性をもっているという。かといって、キッシンジャーの考えるように、中国をアメリカのシステムにいつまでも包摂しておくのも無理がある。
どちらかというと、アリギは中国の展開するこれからの外交に期待を寄せているようだ。
それは、次のように書いていることからも、あきらかだ。

〈古いバンドン体制ではできなかったことが、新しいバンドン体制にできる。それは、南北の権力関係を平等にする道具として、グローバルな市場を結集し、利用することである〉

バンドン体制とは何か。それは1955年にインドのネル−、インドネシアのスカルノ、中国の周恩来、エジプトのナセルが、インドネシアのバンドンに集まって、西側にも東側にも属さない「第三世界」の理念を高らかにうたいあげたことを指す。
その理念はたちまち崩壊するが、いまアリギは新バンドン体制を提唱して、中国が南北対立の解消に積極的な役割を果たすことを期待するのである。
締めくくりの一節はこうなっている。それはけっして楽観的ではない。

〈新たな方向づけにより、中国が伝統の再興に成功し、自立した市場を基盤とする発展、収奪なき資本蓄積、非人的ならぬ人的資源の動員、大衆参加型の政治による政策形成を遂げることができるなら、中国が文化のちがいを尊重しあう諸文明連邦の形成に大きく寄与するようになる公算が高い。しかし、その方向づけがうまくいかなければ、中国が社会的・政治的混乱の新たな震央に転じる可能性もある。その場合は、北側(先進資本主義諸国)が巻き返しをはかって、崩れつつあるグローバルな支配を再構築しようとするかもしれない。あるいは、ふたたびシュンペーターの言い方を転用すれば、社会的・政治的混乱が、冷戦体制の消滅に続いて生じている暴力をエスカレートさせ、人類を恐怖(もしくは昇天)へと駆り立てていかないともかぎらない〉(改訳)

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