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山男と山女──『遠野物語』から [柳田国男の昭和]

《第221回》
 遠野でいちばんこわいのは、山男、山女、山の神のたぐいである。ほかに天狗や河童、雪女といった異形の妖怪、あるいは猿、狼、熊、狐、蛇などの動物も無視するわけにはいかない。
 ここでそのすべてを紹介するわけにもいかないので、とりあえず山男と山女に登場してもらうことにしよう。
 こんな話がある(口語訳、以下同)。

〈栃内村和野に佐々木嘉兵衛という70歳すぎの人がいまも元気でくらしていますが、これはかれが若いころ猟をするため山にはいったときのこと。
 ふと向こうの岩を見ると、まっ白な美女がひとり、長い黒髪をとかしています。剛胆な嘉兵衛は、すわ化け物とみて、すぐ銃にたまを込めて打ち放します。みごと命中。すぐその場所に駆けつけてみると、背の高い女で、ほどけた黒髪は身の丈以上にありました。そこで、撃ち取った証拠にしようと、その髪を少しばかり切って、これをわがねてふところにしまい、すぐ家路に向かいます。
 ところが道を歩いているうちに、耐えがたい眠気がおそってきたので、しばらく物陰に立ち寄って、うたたねしました。夢ともうつつともわからぬ境で、これもまた背のものすごく高い男がひとり近寄ってきて、懐中に手を差し入れ、わがねてあった黒髪を取り返し、立ち去っていったのです。そんな気がしたら、たちまち眠りがさめました。
 あれは山男だったにちがいありません〉

 ついでに、もうひとつ別の話をあげておこう。上郷村の民家の娘が、栗を拾いに山にはいったまま帰らず、とうとう家では死んだものとあきらめて、葬式をあげて2、3年もすぎたころ、ある猟師が五葉山の中腹あたりで、ばったりこの娘と出会い、そこで話を聞くところから話がはじまる。

〈たがいにびっくりし、「どうしてこんな山におるのか」と問うと、女はこう答えました。
「山にはいったとき、おそろしい人にさらわれ、こんなところにやってきたのです。逃げ帰ろうと思うけれど、少しも隙がありません」
「その男はどんな人なのか」とさらに問うと、こういいます。
「わたしにはふつうの人に見えますが、ただ身の丈が異常に高く、目の色がすごいのです。子どもも何人か生みましたが、自分に似ていないからおれの子ではないといって食ってしまうのか、殺してしまうのか、みなどこかへ連れ去ってしまいます」
「まことに、われわれと同じ人間か」
 猟師はしつこくたずねます。すると、
「10日に一度か二度、同じような人が4、5人集まってきて、何ごとか話をし、やがてどこかへ行ってしまいます。食べ物など外からもってくるのをみると、町へもでているのでしょう。こうしているうちにも、そこに帰ってくるかもしれません」
 そう話すので、猟師もこわくなって逃げ帰りました。いまから20年ばかり前のことだといいます〉

 よく読めばわかるように、どちらの場合も実際に山男が登場するわけではない。
 最初の話でも、夢うつつのうちに、山男の幻影をみただけである。しかも、はたして、どこから夢がはじまったのかも定かではない。実はまっ白な美女に向けて発砲したというのも夢のうちではなかったか。
 あとの話は「20年ばかり前のこと」というのがミソである。明治維新直後、海岸地帯では多くの異国人を見かけるようになり、おそらくそのうわさが内陸の遠野でも広がっていたにちがいない。山男のイメージには、異国人の姿が投影されており、しかもその姿は実際に見届けられたわけではなく、あくまでもまぼろしの恐怖にとどまる。
 国男が考えたように、ここから先住民の実在可能性を導きだすのは、どうみても無理なのである。
 恐怖のみなもとはただひとつ。ひとり山にはいった自分を、魔性の者がじっと観察し、隙あらば襲ってくるのではないかという一種の予感である。しかも、あとの話の場合は、山男らしき異形の者が街にも出没し、どこかで食料を調達し、ひょっとしたら人さらいもしているのではないかとさえ思わせるところが、恐怖をいやます。
 ここで、論理を飛躍させると、高所の山をふくめて共同体の外部に出ることの原初的な恐怖から、いわば〈まつりごと〉がはじまるといえるのかもしれない。言い換えれば、恐怖をつかさどり、統御することが〈政治〉の原型なのである。山人の物語は、アイヌにせよ、別の先住民にせよ、異人種の存在可能性を指しているわけではなく、むしろ、現代人のわれわれも通有する恐れのありかを指し示しているのではないだろうか。
 そのことは、たとえば『古事記』のスサノオ伝説をとりあげてみれば、よく理解できるだろう。
 高天の原を追放されたスサノオはさまざまな乱暴をはたらきながら、出雲の国に降りてきて、そこで泣いている老人夫婦と若い娘をみかける。わけを聞くと、八つの頭と八つの尾をもつヤマタノオロチという怪物が娘を貢ぎものに出せとおどしているというのだ。
 そこでスサノオは自分が娘をもらう代わりに、この怪物を退治しようと申し出て、策略をめぐらせる。強い酒を満たした八つの酒船をつくらせて、じっと待った。

〈その時に、そのヤマタノオロチが、まことにアシナヅチ[娘の父親]の言葉どおりの姿でやってきたのじゃった。そして、すぐさま船ごとにおのれの八つの頭(かしら)を垂れ入れての、その酒をみな飲み乾してしもうたのじゃ。そしてハヤスサノオの企みのとおりに、やつは飲み酔うて動けなくなっての、そのままつっ伏して寝てしもうたのじゃった。
 さあ、それを待っていたハヤスサノオは、みずからの腰に佩(は)いておった十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜き放つと、その蛇(くちなわ)を斬り刻んでしもうた。……〉

 こうしてスサノオはヤマタノオロチを退治し、その尾から「草薙(くさなぎ)の剣」を取りだし、妻をめとって、ついに出雲の国を治めることになる。
 スサノオの物語は、政治の源泉が、恐怖に打ち勝つ「力」、ないし「暴力」にあることを示しているが、それはまた同時に人をおそれさせる「力」でもあった。アマテラスとスサノオの後裔であるスメラミコトの一族は、太陽と剣によって地上を支配したのである。
『古事記』という雄々しい物語が地上支配の正統性を語っていたとしたら、『遠野物語』は支配される側のしたたかな論理を打ちだしていたといえるだろう。
 明治の維新(復古=革命)政権がまるで『古事記』をなぞるように、政治、経済、文化の近代化を推し進めていたことは言うまでもない。農政官僚として出発した法制局参事官の柳田国男もまた、明治エスタブリッシュメントの一員として農業の近代化を推し進める側にあった。
 だが各地を旅しているうちに、かれはいわば〈常民世界〉なるものが存在していることに気づくのだ。その心の動きが『後狩詞記(のちのかりことばのき)』や『遠野物語』などに結晶する。
 はじめ「山神山人の伝説」とみていた『遠野物語』の底は意外と深かったといわねばならない。『遠野物語』は日本近代の文脈において『古事記』を逆照射する潜在性を秘めていたのである。
 そこには神話、民話、伝説、昔話などの民間伝承やオシラサマなどに代表される民間信仰が、民衆の生活誌と渾然一体となって詰めこまれていた。これらを全国的に収集し整理することによって、常民世界を明らかにするのが、これからの大きな仕事になることに国男はうすうす気づきはじめている。
 柳田民俗学とは民俗資料の収集運動を指すわけではない。〈近代世界〉と〈常民世界〉の往還のなかで、〈常民世界〉の位相を探究し、それを実践の土台に据えることが求められていた。その意味で、『遠野物語』はやはり柳田民俗学の出発点となったのである。

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