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『沖縄の記憶』(奥田博子著)を読む [本]

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 新聞を広げると、青い海、白い砂浜をうたう沖縄ツアーの広告が目に飛びこんでくる。ついこのあいだまで大騒ぎしていた米軍普天間基地の移設問題は、どこかに消えてしまったようだ。日本のメディアは普天間を、民主党政権の迷走ぶりをあぶりだす格好の材料として面白おかしく論じ、けっきょく「日米同盟」の重要性を強調することに終始した。そして日米安保条約がいつのまにか日米(軍事)同盟なるものに変質した事態の重要性にすら気づかないふりをしている。
 考えてみれば、日本の国内、とりわけ沖縄に広大な米軍基地が存在すること自体が不思議なのに、それはいつしかあたりまえの光景になって、米軍という強大な暴力装置に対して「見ざる言わざる聞かざる」の姿勢をとるのが賢明とさえ思われるようになった。米軍基地の集中を沖縄の特殊な問題として見ぬふりをし、自分たちとは無関係と考えているのが、ぼくを含め大半の日本人ではないだろうか。いや、それどころか日本人はどこかで米軍がわれわれを守ってくれているとさえ思いこんでいる。
 本書が取りあげるテーマは、なぜ米軍基地が沖縄に集中し、それがいっこうに縮小されないのか、何のために米軍は沖縄を拠点としているのか、自衛隊と米軍はどのように協力しあっているのかといったことである。軍の活動はとかく機密の領域に包まれ、しかもそれを正当化することばで飾られていることが多い。その実相をあぶり出せるのは、人びとのなかに刻まれた記憶を鏡とする以外にない。沖縄の記憶を通じて立ちあらわれる軍の実態はどのようなものか。そして、ことの本質は、沖縄の記憶をわれわれが分有できるかどうかにかかっている。
 本書を読むと、あらためて沖縄戦のすさまじさを思わないわけにはいかない。大日本帝国時代、沖縄は実際には「内地」として扱われず、沖縄戦自体がそもそも「本土決戦を遅らせるための捨て石作戦」と考えられていた。日本軍は「軍官民共生共死」の合言葉のもと、住民を保護するどころか、前線に追い立て、集団自決を強い、時に殺害することも辞さなかった。沖縄戦で、沖縄県民はほぼ3人に1人の割合で戦死し、15万人が犠牲になっている。
 戦後の米軍による直接統治、1972年の沖縄「返還」(本土「復帰」)、最近の普天間問題にいたる沖縄の歴史に一貫しているのは、沖縄が実体的にはずっと米軍の軍事占領下にあり、名目上主権をもつ日本政府がそれを下支えしているという構図である。
 1947年9月に連合国軍総司令部(GHQ)に出された「天皇メッセージ」。そこには、日本に主権を残しつつ、米国が沖縄を基地として長期占領することを容認するという内容がしたためられていた。こうして「平和国家」日本が、「軍事要塞」沖縄を切り離しながら繁栄を築きあげる体制ができあがった。
 朝鮮戦争とベトナム戦争の時代も、米軍は沖縄を極東の軍事拠点と位置づけていた。その間、米軍基地は地元の土地の強制収容によって規模を拡大し、同時に核戦略の拠点となっていく。こうして「基地の島」沖縄が誕生するのだ。
 1972年のいわゆる沖縄返還は、鳴り物入りの式典とはうらはらに、単純に喜べないできごととなった。本土の米軍基地が縮小、再編されるいっぽうで、日本の国土面積0.6%にすぎない沖縄に在日米軍基地の75%が集中する結果を招いたからである。「核抜き・本土並み」の返還はあくまでもタテマエであり、実際の返還は、秘密合意により、事実上の核つき(有事の持ち込み)、米軍基地の強化を認めるものだった。
 米軍は沖縄の基地をいっさい手放すつもりはなかった(いまもそうだ)。沖縄返還は実際には日本への施政権返還でしかなく、米軍による基地の「自由使用」を前提としていた。
 著者はこう書いている。

〈沖縄が問いかけているのは、半世紀以上にも及んで外国軍隊を自国の領土内に駐留させ続ける日本のシステムそのものである。〈祖国=日本〉復帰後もなお、沖縄は米軍「基地の島」のまま沖縄戦のトラウマのなかに生きている〉

 著者によれば、沖縄の米軍は日本の防衛を担っているわけではなく、世界の紛争地域での「攻撃」を主要任務にしているのだという。そして沖縄ではいまも軍事政策のほうが住民の安全よりも優先されている。
 日米地位協定では、在日米軍基地の「排他的管理権」が認められている。そのため米軍が環境汚染や事故を引き起こしたり、米軍人や軍属が罪を犯したりしても、日本側にはじゅうぶんな裁判権も認められていない。日本国内にあっても沖縄の広大な米軍基地は、あくまでも治外法権を有する〈外国〉なのだ。
 加えて、在日駐留米軍の経費を日本側が負担する「思いやり予算」の問題がある。1978年に円高ドル安の緊急措置としてはじまったこの予算は当時の62億円から2010年度には1928億円に膨らみ、ほかに支払われる経費も加えると、在日米軍の維持費の50%以上がいまや日本の税金でまかなわれる仕組みになっている。これもまた、おかしなことである。
 冷戦終結後も沖縄の米軍基地が縮小されることはなかった。1995年に発生した「少女暴行事件」で抗議活動が広がるなか、日米両政府は普天間飛行場の「全面返還」に合意した。しかし、その返還には代替となる「新基地」の建設が前提とされていた。巧妙なことばの綾である。
 それは全面返還と称しながら、実際は沖縄の米軍基地の再編強化を進める策にほかならなかった。現在、米軍は「地球上のあらゆる紛争に対応するための」グローバル戦略をとっている。沖縄の米海兵隊の出動範囲はますます拡大され、米軍の日本駐留はさらに固定化されている。
 日米安保条約の変質も見逃せない。最近は安保に代わって、「日米同盟」という呼称が、メディアを通じて盛んに流されるようになった。日本はいつ米国と軍事同盟を結んだのだろうか。安保条約にもそんなことは明記されていない。ところが、あいまいなまま事態はどんどん進行し、いまでは日本が米国に追従するのはあたりまえといった空気さえ生まれるようになった。
 沖縄では県内での基地新設を前提にした普天間移設に反対する声が強い。これに対し日本政府は「抑止力の維持」と「沖縄の負担軽減」をお題目のように唱え、地域振興という名目で予算をばらまきながら、辺野古移設を推し進め、米軍基地の固定化を維持しようとしている。
「日米同盟」の名のもとで、日米軍事再編が進んでいる。1999年に国会で成立した「周辺事態法」では「日本周辺における事態」に日米が共同で対処することが明記された。2000年の「アーミテージ・レポート」でも、日本の対米軍事協力の強化が提案されている。2004年の「防衛計画大綱」は北朝鮮と中国を警戒対象として、「島嶼部に対する侵略への対応」を進めると明言している。
 米国は在日米軍基地を手放すつもりはなく、むしろ基地の再編と機能強化をめざしている。日米軍事一体化(米軍と自衛隊との連携)はさらに強まっている。東日本大震災での「トモダチ」作戦にしても、米軍と自衛隊の連携を通して「日米同盟」を国内外にアピールするねらいがあった、と著者は述べている。
 米陸軍第一軍団司令部がキャンプ座間に移り、いっぽう日本の航空自衛隊総隊司令部が横田基地に置かれることになった。横田では日米の共同統合運用調整所がつくられ、米軍と自衛隊の一体化が深まると予想されている。
 著者によれば、日本の首都圏に米軍の中枢機構が置かれ、「〈日米安保体制=日米軍事協力〉は世界全域を対象とする米国の軍事戦略体系のなかに組み込まれ」ようとしている。普天間問題を契機に、実際には「全国の沖縄化」が進んでいるのだ。
 はたして、それでいいのだろうか。どこかで歯止めが必要なのではないだろうか。沖縄の記憶は、ひとごとでも過去の特異な体験でもない。それはわれわれの未来を考えるための、ひとつの道標なのだといってよい。もう「見ざる言わざる聞かざる」を決めこんでいる場合ではない。

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