SSブログ

富と労働──マルサス『経済学原理』を読む(3) [商品世界論ノート]

 富とは何か。重農主義者(エコノミスト)は富を「土地から得られる生産物」としましたが、これはあまりにも狭い定義だ。いっぽうローダーデール卿は富を「人間が、自分にとって有用でかつ快適なものとして、欲求するいっさいのもの」としましたが、逆にこれは広すぎる定義だとマルサスはいいます。
 富の定義は、なかなかやっかいです。アダム・スミスは富を物質的なものに限定し、「土地および労働の生産物」としました。これにたいしては定義自体に富の源泉が説明されているという批判があります。
 そこで、マルサスは富を「人類に必要で、有用な、または快い物質物」と定義します。富は「物質物」にかぎられるというのがマルサスの考え方です。そして、ひとつの国はその面積に応じて、この「物質物」がどれだけ供給されているかによって、豊かさが決まってくるといいます。
 次に、生産的労働と不生産的労働についてです。
 生産的労働の規定は、富の定義と密接にかかわっています。重農主義者(エコノミスト)は富を土地からの生産物としましたから、かれらにとって生産的労働とは土地に用いられる労働にかぎられるわけです。その定義が狭すぎると考えるマルサスは、アダム・スミスを支持して、生産的労働の規定を拡張したと書いています。
 エコノミストの見解があまりにも局限されていることは、次のように考えれば容易にわかるとマルサスはいいます。同じ面積と人口をもつふたつの国があるとして、どちらも同じ数の農業労働者がいるとして、いっぽうの国が残りの人口を商工業にふりむけ、もういっぽうの国が兵士や召使いなどに雇っているとします。この場合、どちらの国が豊かになるかは歴然としており、商工業の国のほうが豊かなのに決まっています。
 これをみても、商工業が富を生みだすことがわかる、とマルサスはいいます。つまり、スミスにしたがって、兵士や召使いは不生産的とみてよく、これにたいして商工業労働者は生産的だというわけです。
 この生産的労働と不生産的労働との区別はスミスの体系の礎石といってもよい、とマルサスは強調しています。
 とはいえ、マルサスはスミスのように労働を生産的か不生産的かというように画然と区別するのはやめたほうがいいかもしれないといいます。労働はすべて生産的なのであって、ちがいがあるとすれば、それはより多く生産的か、より少なく生産的かというだけだというのです。スミスのいう不生産的労働は、より少なく生産的な労働と言い換えるべきだというわけです。
 つまり、生産性の順位によって、労働を区分けするというのがマルサスの発想です。より多く富をつくりだせる労働が、より生産的な労働というわけです。そして、たとえば召使いにたいする支払いが、多少なりとも富の生産を刺激するとしても、それ自体はけっして富を創造するわけではない、とマルサスは書いています。
 ここでマルサスは「貧困の特質は手から口へと生活すること」であり、これにたいして富の特質は「たくわえ」をもつことだと述べます。そして、より生産的な労働の意義を、このたくわえ、すなわち国民的ストックを増やすことに求め、「物的生産物のうえに実現される労働が、蓄積もできれば、また一定の評価もできる労働の種類のただ一つのものである」と言い切るのです。
 商人の事務員が生産的労働者で、政府の事務員が不生産的労働者とされるのはおかしいという議論にたいして、マルサスは生産的か不生産的かは、あくまでも物的生産物を生みだすかいなかによって決まるというアダム・スミス流の分類の仕方を支持しています。
 ただし、それは不生産的労働が重要ではないということではないといいます。ニュートンやシェイクスピア、ミルトンなどが、国の水準をどれだけ高めたかは計り知れない。とはいえ、富はあくまでも、人間の欲求を満たすために生産された物を指し、そうした富を生産する労働を生産的労働とするのが、もっとも妥当な見方だろうと述べています。
 以下、このブログでは1章ずつ、マルサスの「原理」を読んでいくことにします。長い章も短い章もありますので、それによって分量はまちまちになると思いますが、その点はご了承ください。
 この第1章は短い章なのですが、ここで興味深いのは、マルサスが経済発展の3つのモデルを並べていることですね。
 それは次のようなものです。

(1)一定期間において、その国の消費よりも生産が多い場合は、資本を増やす手段が与えられる。その結果、人口は増大するか、人口あたりに割り当てられる生産物が増加する。
(2)同じ期間の消費と生産がまったく等しい場合は、資本は増えず、社会は停滞する。
(3)もし消費が生産を超えるなら、次の期間には供給されるものが少なくなって、社会はより貧しくなり、人口は下落していく。

 マルサスがスミスにならって、(1)の経済発展をめざしたのは明らかです。しかし、その場合も人口が増大し、人びとはけっして豊かになるわけではないと考えているところは、やはりマルサス流だといえます。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0