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経済成長論(3)──マルサス『経済学原理』を読む(14) [商品世界論ノート]

 富が創造されるためには、単に物がつくられるだけではなく、人びとの欲求がこの生産物に適応しなくてはならない、とマルサスは書いています。
 富はほんらいストックを指しますが、商品世界においては、フローとしての商品価値を意味するといってもよいでしょう。これを国全体の総計としてあらわすと、国内総生産(GDP)という概念に到達するわけですね。
 商品が商品として自己を実現するには、需要の支えがなくてはなりません。マルサスは、そのことを強調しているわけです。
 その需要はどのようにして得られるのか。マルサスは、需要の根拠となるのは、生産物の分配、言い換えれば、賃金、地代、利潤などからなる所得だと考えました。そして、もし生産物が需要にくらべ過剰に供給されるならば、その商品の価格は下落し、逆に需要が大きければ、価格は上昇する、とみたのです。
 商品に含まれる労働量が2倍になれば、商品価値も2倍になるというのが、リカードの原理でした。しかし、現実にはかならずしもそうはならないのではないか、とマルサスは疑問を投げかけます。
 何かの事情で、需要が減るときには、その商品の価値も減少する。そして、それが長く続けば、資本家は次第にその商品をつくろうとする意欲を失い、労働者は解雇されることになります。
 したがって、富、言い換えれば商品の価値が増大しつづけるには、需要もまた増大していかなければなりません。そのためには、まず所得の有効な分配がおこなわれ、消費者の数と欲求、能力が確保され、「貨物の供給とそれにたいする需要とのあいだに、妥当な比例が維持されることが必要」になります。
 資本の蓄積が、単に上流階級の消費を減らすことによってなされるのであれば、それは富の増進につながらない、とマルサスはいいます。資本の蓄積が有効になるのは、現実に商品価値および収入の増大がもたらされる場合だけです。そうしたことが可能になるのは「収入の年々の増大と、支出および需要の年々の増大とが矛盾することなしに、年々の蓄積がおこなわれうること」によってです。
 マルサスは、経済は需要に応じて拡大するとみていたといってよいでしょう。生産と消費の関係はいたちごっこのようなものです。どんどん消費し、どんどん生産するなかでしか、富の増進ははかれない。知恵と労働によって自然のなかから有用物を取りだし、それによっていのちを保つというのが、人の生き方です。しかし、需要と供給から成り立つ商品世界のシステムは、かぎりない拡大をめざして何かにとりつかれたように自己増殖していきます。マルサスはそこに神のはからいをみたのですが、そんなことがいつまで可能なのでしょうか。
 それはともかくとして、いまはマルサスの「原理」を、もうすこし読みすすめていくことにしましょう。
 農業と製造業が、機械化によって、省力化をもたらすことが、全体としての商品価値を増大させていく傾向があることは、マルサスも認めています。省力化とは、言い換えれば、労働を節約するとともに、労働の熟練度を高めていくことを意味しています。
 そのうえで、マルサスは「労働の賃金によって生きるものは、社会のもっとも重要な部分と考えられなければならない」と付け加えます。拡大する生産物にたいする需要のうちで、賃金が占める割合が大きいことを認識していたのでしょう。
 こう強調しています。

〈生産と分配は富の二大要素であって、これが正当な比例で結合されるならば、地上の富と人口とをまもなくその可能資源の最高限界にまでもたらしうるが、しかしそれが別々にされ、または不当な比例で結合されるならば、数千年を経たあとでも、現在地球上に散在している、貧しい富と乏しい人口とを、生みだすにすぎないものである〉

 このことは、文明の高度な発達段階である商品世界が、産業社会であると同時に消費社会でなくてはならないことを意味します。そして、その社会をリードしていくのが地主(貴族とジェントリー)や資本家だけでなく、労働者でもあることを、マルサスは意識しつつあります。
 この社会においては地主や資本家と同様、いやそれ以上に労働者が、消費者としての役割もはたさなくてはならないと思っていたのです。ところが賃金がまったく、もしくは、不当に低くしか支払われなければ、商品世界が発達することはありえない、とマルサスは考えるようになっていました。
 それが、この節の表題となっている「富の継続的増大を保証するために、生産力と分配手段とを結合する必要について」の意味するところだと思われます。もっともマルサスが、労働者により多く賃金を払うべきだと考えていたととらえるのはまちがいです。かれは労働者への過剰賃金は、人口と窮乏の増加を招くとみていたのですから……。

 次の節に移りましょう。ここでも「全生産物の交換価値を増大する手段と考えられる、土地財産の分割によってひきおこされる分配について」という長たらしい表題がつけられています。平たくいえば、土地財産の分割が、生産や消費にどのような影響をもたらすかが、ここでのテーマといってよいでしょう。
 マルサスが評価するのは、アメリカ合衆国の場合です。アメリカが急速に発展したのは、分割された土地がうまく利用され、わずかな労働で得られた粗生産物を、多くの労働を費やすヨーロッパの工業製品と交換できたおかげだといいます。
 新興国アメリカの強みは、数年間、勤勉な労働と節約をつづければ、「新定住者となり土地の小保有者となりうる」ところにありました。ヨーロッパの場合はそうではありません。ヨーロッパでは、封建時代を通じて、土地が不平等に分割され、大土地所有者の地所のまわりを、きわめて貧しい農民が取り囲んでいるのが実情でした。
 アダム・スミスは大地主にたいし、批判的な立場をとりましたが、マルサスの場合は、むしろ貴族層である大地主を擁護します。かれらはたしかに耕作はしないものの、土地の改良者だったというのです。貴族が大邸宅を維持し、馬車や調度品、衣服をそろえ、多くの召使いをかかえ、森を保護し、狩猟を楽しむといった生活を送っているのは、農業生産の効率という点ではたしかによくないかもしれないが、かれらが土地の資源を保全し、多くの有効需要を生みだしていることも認めるべきだとしています。
 少数でしかない大土地所有者の消費はかぎられています。しかし多くの商工業者が、労働者向けではなく富者のために商品をつくっているのも事実だ、とマルサスはあくまでも貴族層擁護の立場を堅持します。そして、土地財産の分割と、商工業資本の拡充が、国全体の富を増大させることはまちがいないけれど、それが一定限度を超すと、かえって富の増進を阻害することにもなると、貴族層を批判する当時の風潮に、むしろ疑問を投げかけるのです。
 とりわけマルサスは土地財産の細分化に神経をとがらせ、それに反対しました。というのも、この時代、大陸側のフランスでは、フランス革命の影響を受け、貴族の土地の分割が進行していたからです。
 マルサスも、ある程度までの財産分割が望ましいことは認めています。しかし、フランスのような異常な財産平等思想は、かえって貧困と困苦を招き、ひいては軍事的専制政治に行き着くとみていました。これはたぶんにナポレオンを意識した批判です。
 マルサスはかならずしも商工業の発展を否定しません。それによって、中流階級が生まれ、地位と出生にもとづく差別がなくなり、個人的な成功を競うことのできる「公平な舞台」が開かれるからです。ただし、中産階級の上層をになう役割を、貴族の2、3男に期待するのは、いかにもマルサスらしいところではあります。
 マルサスには、イギリスの国制と自由と特権を守ってきたのは土地貴族だという思いがあります。長子相続権を廃止するのは賢明ではない、とかれがいうのは、そのことが土地の細分化を促し、貴族の力を弱めることにつながるからです。イギリスの政治が、勃興しつつある商工業階級に牛耳られるようになれば、この国は民主政治か軍事的専制のどちらかに向かうようになるだろう、と懸念していました。
 マルサスにとって、民主政治とは「専制的暴徒」による政治の壟断であり、軍事的専制とは「専制的統治者」による暴政にほかならなかったのです。いずれの暴政を避けるにも、貴族の穏健な保守思想が欠かせませんでした。
 マルサスはあくまでも懐疑論の立場を崩していません。土地財産の分割が、富の分配にプラスの影響をもたらし、ある程度、需要を喚起することは認めています。しかし、それが行きすぎると、イギリスのような商業国では、農業生産力の低下を招き、物価を上昇させて、資本の蓄積に不都合な影響を与えるだろうと述べています。ロシアのように、いまだに農奴制のもとで大土地所有がなされている国はともかくとして、イギリスでは長子相続制を廃止して、土地分割を進めようとする考え方はまちがっている、とマルサスはいいます。事実、イギリスでは、いまも貴族の影響が色濃く残っています。詳しいことは知りませんが、貴族に関しては長子相続の考え方が、いまでもつづいているのではないでしょうか。

 先に進みましょう。
 次に取りあげられるのは、国内商業と外国貿易の発展が、富の増進といかに結びつくかという問題です。
 最初にマルサスは、たとえば山奥の途絶した別々の場所に銅と錫の鉱山があったとして、もしこれが町と交通路で結ばれたとしたら、銅にたいしても、錫にたいしても大きな需要が生じるだろうと書いています。需要を拡大するには、交通網の発達が欠かせないと考えていました。
「あらゆる国内取引は直接国民生産物の価値を増大する」。これがマルサスの基本的な考えです。
 商品が通常に交換される場合は、その商品に含まれる生産コスト(とりわけ賃金)が回収されるだけではなく、利潤が得られます。商品が資本によってつくられるのはまちがいないでしょう。しかし、生産された商品は市場において一定の価格で販売されねばならず、それが売れるかどうかはあくまでも「社会の欲求と嗜好」、すなわち需要に依存する、とマルサスはいいます。
 もし、需要が供給より大きければ、市場価格は実際の商品価値よりも高くなり、生産過程でさらに多くの労働が投入されることになる。ところが、その逆であれば、雇用は削減され、国富の成長は停滞する。そんなふうにマルサスは想定しました。
 だとすれば、労働を維持するための基金を潤沢にし、労働者に支払う賃金を高くすれば需要が増えるではないかと思うかもしれない。しかし、そうではないとマルサスは断言します。というのも、賃金をむやみに上げれば、利潤が減少し、生産者が「貨幣上の損失」を招くことにもなりかねないからです。そうなると商品にたいする生産意欲も失われ、けっきょく労働者は職を失うことになります。
 貨物の単なる増大は、国富の増大にはつながらない、とマルサスは考えます。貨物は分配されてこそ意味をもつといいます。
 物資の生産レベルが限界に達すれば、国は沈滞期にはいると、よくいわれます。しかし、マルサスは「国内で生産された財貨を多量に消費しようとする志向がなく」、「内外の市場がきわめてかぎられている国」も発展することがないといいます。そこでは「需要の増大をひきおこすのに絶対に必要な、欲求および嗜好と消費の願望」が形成されるのが、妨げられているからです。
 ここでも需要に重点を置くマルサスの姿勢が鮮明です。

 次に取りあげられるのが外国貿易です。外国貿易は生産物の販路を海外に広げ、「国民生産物の価値の比例的増大」をもたらす。これがマルサスの基本的な考え方です。
 マルサスは外国との貿易が需要を拡張し、時に生産コストを大きく超えた商品価値を実現しうることに注目しました。そこで、外国との貿易は一般に社会の富を増大させるというわけです。
 輸出入が均衡しているときには、国富は増えていないようにみえます。しかし、海外との貿易が拡張すれば、労働にたいする需要も増大し、経済成長を刺激することはたしかだし、外国貿易による財貨の増加は、交換価値自体の増大をもたらす、とマルサスはいいます。かれは一国だけでは需要の限界にぶつかる生産物が、輸出の場合でも輸入の場合にも、新たな需要を喚起するとみていました。
 マルサスは、機械の改良、もしくは外国貿易によって、ある物品の価格が下がったとしても、それらがより多く売れて、全体としての交換価値は、むしろ増大する場合があるとして、綿製品をその例としてあげています。またワインなどの場合も、自国でつくるよりも海外から輸入したほうが、はるかに効率的だといいます。こういう考え方は、穀物法をめぐって対立するリカードと変わりません。
 しかし、外国からの輸入品が国内産業を駆逐する場合もある、とマルサスは論じています。その場合、資本はほかの進路をみいだして、国民所得を維持するにちがいないが、一時的にはそれが実現しないために国民所得が減少し、困窮が生じるケースもありうるとしています。
 多くの有効需要が形成されるには、正しく生産物の分配がなされること、すなわち所得の適正な配分がおこなわれること、加えて、商品が「社会の欲求ならびに嗜好」に適合していることが前提になる、とマルサスは述べています。
 どの国でも、国内の生産物の増大は、外国貿易に負うところが大きい、とマルサスはいいます。外国貿易のメリットは「国内においては価値のより少ないものをより多くの価値をもつものと交換することから生じる」とも書いています。それによって、商品の生産が、一時的な供給過剰と、需要の一般的不足におちいりやすいのを防ぎ、国民所得を増大することができるというのです。
 マルサスはリカードの比較優位説は、取るになりない論点だといいます。そもそもシェリー酒やワイン、オレンジ、レモン、綿花、茶、砂糖などを、イギリスでつくろうという者はいないはずだし、それをつくること自体不可能だと断言し、比較優位説をしりぞけるのです。
 そのうえで、こんなふうに述べています。

〈[貿易の利点は]すなわちより少なく欲求されるものをより多く欲求されるものと交換することによって生みだされる価値の増大これである。われわれが内国商品を輸出してそれと引き替えに必要なすべての外国商品を獲得したあと、われわれは自分たちの商品の分量を増やしたのかそれとも減らしたのかを確定するのは、なかなかむずかしい。しかし、たしかにいえることは、輸出した貨物よりも自分たちの欲求と嗜好とにはるかに適した商品をわれわれが手に入れたということである。こうして新たに生じた生産物が分配されることによって、われわれは所有物や享楽手段、富といった交換価値を決定的に増やしたことはまちがいないのである〉

 マルサスは、リカードとはちがう観点から、外国貿易のメリットをとらえていたとみるべきでしょう。
 きょうの論点は複雑に入り組んでいて、うまく整理しきれませんでした。もう一度ゆっくり考えなおしたほうがいいと思いつつ、とりあえず書き流しました。すみません。後日を期すことにします。

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