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デリーへ──お気楽インド・ツアー写真日記(1) [旅]

 1月31日から2月10日にかけ、つれあいとインド旅行にでかけました。
 もっとも旅行といっても、阪急旅行社(トラピックス)のパック・ツアーですから、お気楽なものです。
 インドには、まだ体力の残っているうちに、一度行ってみたいと思っていましたので、ちょうどいい機会でした。
 その旅行を、主につれあいが撮った写真でふり返ってみます。
 出発は1月31日、日曜日。
 11時30分出発のエア・インディア直行便で、一路デリーに向かいます。
 機長からアナウンスがあり、眼下に富士山が見えました。雄大です。
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 インドとの時差はマイナス3時間半。
 予定より1時間多く、10時間半の飛行はけっこう長旅です。
 現地時間午後7時半にインデイラ・ガンジー空港に到着。出国手続きに時間がかかります。
 夜8時、バスに乗りこみます。
 デリーは霧がかかったようで、しかもなにやら焦げ臭く、息が苦しくなります。これが評判のPM2・5かと思った次第。
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 現地ガイドはアビシェクさん。夜霧のせいかデリーの街はよく見えないものの、夜目には、大きなビルやホテルと崩れかかった家が混在している印象を受けました。
 本日宿泊するウェルカム・ホテルには夜9時に到着。
 日曜日のせいか、結婚式の披露宴で賑わっていました。赤や緑のサリーに身をまとった女性たちがロビーを行き交っていました。
 ホテルに着いてからバイキング式の食事をとり、この日は11時ごろ就寝。
 明けて2月1日、月曜日。
 スモッグの朝です。ホテルの5階からは街の様子が全くわかりません。
 7時に大きなバッグを部屋の外に出し、朝食をとり、8時半にホテルを出発します。
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 高速道路を走るツアーバスの窓から写真をとると、なかなか生活感あふれるデリー(といっても、このあたりはニューデリー)の町の光景が飛びこんできます。
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 洗濯ものがいっぱい干してあります。子どもたちは遊ぶのに余念がないようです。
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 ガイドさんによるとデリーはどちらかというとイスラムの人が多いといいます。インド全体ではヒンドゥー教徒が90パーセント、仏教徒はごくわずかだとか。挨拶はナマステというと教えてくれます。
 車は日本車が多く、それもスズキが人気のようです。
 デリーには約2000人の日本人が住んでいて、最近は日本の工場が増えているといいます。
 それにしても市内はものすごい渋滞です。
 9時過ぎになって、ようやくスモッグがとれはじめ、日が差してきました。 インドがイギリスから独立したのは1947年8月15日のこと。その前、植民地時代の1911年に、すでに首都はカルカッタ(現コルカタ)からデリーに移っていました。
 バスは昔パーラムと呼ばれた村のあたりを走ります。道路際に牛がいました。ガイドさんいわく、野良牛です。
 牛は神様なので、殺すと犯罪になります。ヒンズー教徒のなかには玉子も食べない人がいるとか。インドは人間より牛の方が幸せなんですよと、ガイドさん。
 乾季のせいか、町全体がほこりっぽい感じです。インドは22も言語があり、州によって言葉が違います。共通語はいちおうヒンディー語ですが、それについても議論があるようです。
 あまりの渋滞にガイドさんの長広舌がつづきます。
 公共バスには赤とオレンジと緑の車体があって、赤が一番料金が高く、緑がいちばん安いとか。
 右側にインド門が見えてきます。これは第1次世界大戦で戦死したインド兵の慰霊碑でもあります。ここまで来るのに、何と1時間半もかかっています。
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 国立ガンディー博物館の隣を通ります。ラージガートにはガンディーの墓があります。
 10時すぎ、ようやく最初の見学地、レッド・フォート(赤い砦)に着きました。正式名はラール・キラー。ここはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位1628-58)の居城でした。このあたりはオールドデリーです。
 シャー・ジャハーンはアグラにタージマハルをつくったことで有名ですが、アグラからデリーに都を移したことでも知られています。そして、その都に自分の名をつけて、シャー・ジャハーナバードと呼んだとか。
 月曜休館のため、なかにはいれなかったのは残念です。外から写真だけ撮ります。赤い砦と呼ばれるのは、建物が赤い砂岩でできているからでしょう。
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 奥のほうには、白い建物もあるようです。独立記念日には、首相が臨席して、ここで盛大な式典がおこなわれる、とガイドさんが話してくれました。
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 レッド・フォートの見学は早々に切り上げて、バスは11時にフマユーン廟に到着します。廟の手前にはスラムが。
 フマユーン廟はムガル帝国第2代皇帝フマユーン(在位1530-40、1555-56)の墓で、その后が建造しました。なかなか堂々とした建物です。
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 廟は赤い砂岩と大理石でつくられています。イスラムの廟ですが、わずかにヒンズー様式も混じっているとか。
 内部の墓は荘厳というより、そっけない感じがします。
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 それよりも窓からはいる光が何やら幻想的でした。
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 最初の写真が逆光だったので、もう1枚ベストショットを。これはつれあいが写したものです。
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 デリー観光、もう少しつづきます。

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