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共産党宣言をめぐって──ホブズボーム『いかに世界を変革するか』を読む(5) [本]

 これまで主にマルクス死後のマルクス主義の発展を紹介してきた。今回からは、マルクス自身の著作に立ち戻ってみよう。ただし、著者のホブズボームはマルクスの主要著作である『資本論』に、あまり触れていない。マルクスの著作として取りあげられているのは、『共産党宣言』と『経済学批判要綱』(とりわけ「資本主義的生産に先行する諸形態」)である。
 きょうは共産党宣言を取りあげてみよう。
 まず共産党宣言が書かれた経緯を説明する。
 ドイツを追放されたマルクスは、1847年春にエンゲルスとともに、ロンドンを拠点とする急進的なドイツの渡り職人たちの秘密結社、義人同盟に加わった。だが、この結社はあまりに閉鎖的だったため、マルクスの提案によって、組織を刷新し、共産主義者同盟と名前を変えることになった。
 同盟にはマニフェストが必要だった。その執筆をマルクスは依頼された。こうしてマルクスが1848年1月末に1週間で書き上げた『共産党宣言』(Manifesto of the communist party)ができあがる。
 この小さなパンフレットは2月にロンドンで印刷されたが、影響力はかぎられていた。『共産党宣言』に注目が集まるのは1870年以降である。
 著者のホブズボームはその後、共産党宣言が広く普及していく過程を細かく追っているが、それは紹介しなくてもいいだろう。
 宣言の内容をどう受け止めるかが問題である。
 1872年にドイツ語版の「宣言」が出版されたとき、マルクスはその序文で、この文書がすでに時代遅れになっていることを認めていた。ことば遣いも古くさくなっていた。現実に「共産党」があったわけでもない。それは、ひとつの考え方、ひとつの主張、すなわちイズムにすぎなかったのである。
 著者も「宣言」がマルクスの比較的未熟な段階で書かれた文書であることを認めている。当時のマルクスはまだリカード派共産主義者の段階にとどまっていたという。
 それでは共産党宣言とは、どういう文書だったのだろう。
 著者はこう書いている。

〈本質においてこの[『共産党宣言』の]分析は歴史的であった。その核心は、諸社会の歴史的発展の論証であり、とくにブルジョワ社会が先行者に取って代わり、世界に革命をもたらし、転じて必然的にそれが取って代わられる条件を作り出すという発展の叙述であった。〉

 共産党宣言は「ヨーロッパには幻影が出没している。それは共産主義の幻影だ」という一文[訳はいろいろある]からはじまり、「プロレタリアが失うのは鎖だけであり、彼らには獲得すべき世界がある」という力強いことばでしめくくられる。著者によれば、それは「ほとんど聖書的な力をもっている」という。
 共産党宣言は21世紀さえ予言していたというのが、著者の評価である。
 当時、資本主義はまだ前進をはじめたばかりだった。マルクスは資本主義の発展は必然であって、長期的な傾向をもち、しかも革命的な潜在能力をもつことを認めていた。にもかかわらず、この生産様式は永久不滅のものではなく、人類史のなかの一時的段階であり、別の種類の社会によって取って代わられるだろうと主張したのである。
 資本主義による変容は圧倒的なものになると予測されていた。それまで独立した諸州の集まりによって、ゆるやかな統合されていた国家は「一つの政府、一つの法典、一つの国民的階級利害、一つの国境、一つの関税表」をもつ国民国家へと発展していくだろう、とマルクスは予測した。さらに、生産力の発展は、産業的な社会、あるいは圧倒的に都会的な社会をつくりだすだろう、と述べている。
 マルクスの時代、産業はようやく発展の途についたばかりだった。ちなみに著者によれば、1850年に世界の鋼鉄生産量は7万1000トン足らず。それが2016年には16億トン以上におよんでいる。これだけをみても、マルクスの時代以降、産業がいかに爆発的に発展したことがわかるだろう。
 共産党宣言は、資本主義によって社会が広く変容すること、そしてその変容が加速することを予見していた、と著者はいう。輸送通信革命と、生産のグローバル化が進展するのは第2次世界大戦以降である。1970年代までは、産業化は圧倒的に先進国にかぎられ、第三世界は「低開発」のままだった。ところが、マルクスの予言したように、資本主義は全世界に広がり、やがてソ連型の社会主義国をも破壊するにいたった。
 ほかにも共産党宣言は、資本主義が家族の破壊をもたらすことをも予言していた。「[西側諸国では、今日]子供の半分近くがシングル・マザーによって育てられているし、大都市全世帯の半分は単身者である」と、著者は書いている。共産党宣言の予言は、むしろ21世紀になって現実のものになったともいえる。
 いっぽう、「宣言」には、はずれた予見もある。「ブルジョワジーの没落とプロレタリアートの勝利」は実現しなかった。ブルジョワジーが「みずからの墓掘人」としてのプロレタリアートをつくりだすこともなかった。つまり、先進国で社会主義革命が発生することはなかったのだ。
 マルクスは資本主義経済のもとでは、ほとんどすべての男女が、賃金によって雇用されるようになるとみていた。そのこと自体は当たっていた。だが、いまでは労働者は大きく分極化している。給料といっても、会社の経営者や管理者、それに一般労働者のあいだで細かい位階が生じ、正規労働者と非正規労働者との賃金の差も大きい。とはいえ、労働者が窮乏化しているとは、とてもいえないだろう。
 それでも、1970年代までは、労働人口の大半は製造業に雇用される肉体労働者によって占められていた、と著者はいう。しかし、それ以降は資本集約的なハイテク産業が進み、労働者が生産過程から排除されるとともに、都市での貧困化が生じるようになっている。
 長い目で見ると、労働者階級に基礎を置く組織的政治運動はたしかに興隆した。1880年代には世界のいたるところで、労働党や社会党が出現した。そうした政党は、第1次大戦前後にボリシェヴィキ党と社会民主主義政党に分化し、それぞれ政権を担う勢力に成長していった、と著者はいう。
 その点では、労働者階級に基礎を置く政治勢力が政治の中心を担うようになるというマルクスの予測はまちがっていたわけではない。
 著者によれば、マルクスの予測がまちがったとすれば、それは資本主義のもとで労働者の窮乏化は生じず、資本主義が長くつづいたということだ。
 プロレタリアートが資本主義を転覆させ、それによって共産主義への道を開くという展望は実現しなかった。
 マルクスにおいて、プロレタリアートという概念は、たぶんに哲学的抽象だった。
 著者はこう論じている。

〈プロレタリアートというものについてのマルクスのヴィジョンはその本質上、資本主義を転覆することによって全人類を解放し階級社会を終了させるように運命づけられていたが、それは彼の資本主義分析のなかに読み込まれた希望の表明ではあっても、その分析によって必然的に与えられた結論ではなかった。〉

 資本主義は必然的にその墓掘人によって埋葬されるよう運命づけられている、というのがマルクスの確信だった。だが、それは決定論ではなかった、と著者はいう。
「歴史的変化は人々が自分たちの歴史を作ることを通じて進行する」と著者は信じている。その核心は「社会的実践を通じての、集団的行動を通じての、歴史的変革」である。
 著者も資本主義の膨張が、どこかの時点で壁にぶつかり、資本主義の変容を招くことを確信している。しかし、「資本主義後の社会」がソヴィエト・モデルをとることはありえないし、どこまでマルクスやエンゲルスのヒューマニズム的価値を体現するかは、人びとのこれからの政治的行動によると述べるにとどまっている。
 本書では示されていないが、ここで念のために、マルクスが『共産党宣言』のなかで描いていた社会主義のイメージを示しておこう。

(1)国家による土地所有
(2)強度の累進税
(3)相続権の廃止
(4)亡命者および反逆者の財産の没収
(5)排他的独占権をもつ国立銀行の創設と、そこへの信用の集中
(6)運輸機関の国有化
(7)国有工場ならびに生産用具の増加、共同計画による土地の開墾
(8)万人にたいする平等の労働義務、とりわけ農業にたいする産業軍の編成
(9)農業と工業の結合、ならびに都市と農村の対立除去
(10)すべての児童にたいする公共無料教育、児童の工場労働の廃止、教育と生産の結合

 ずいぶん国家主義的色彩が強いことがわかる。こうした政策は、いわば「プロレタリア独裁」にもとづく強制力によってしかなしえなかった。
 しかし、「発展の進むにつれて、階級の差別が消滅し、すべての生産が協同した諸個人の手に集中されたならば、公的権力は政治的な性格を失」い、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような一つの協同社会があらわれる」。それが、社会主義をへて共産主義に向かう、マルクスのヴィジョンだったといってよい。
 いくつか賛成の部分はあったとしても、いまやこのプランに魅力を感じる人は少ないだろう。社会主義のヴィジョンはすでに時代遅れだといわざるを得ない。マルクスは遠くなりにけり、なのだ。

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