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繁栄のあとで──レヴィンソン『例外時代』を読む(9) [本]

 第三世界にとって、1970年代はけっして悪い時代ではなかった、と著者は書いている。貧しい農村の家族が都会にでて、苦労の末に自宅を確保するまでになった。ブラジルのサンパウロには高層ビルが建ち並び、ジャカルタやカイロでも高速道路に車が走るようになった。
 このころ第三世界の成長を後押ししたのがオイルマネーだ。富裕国の銀行はありあまるオイルマネーを自国でこなしきれず、発展途上国にそそぎこんだ。世界銀行などの公的機関も発展途上国への融資額を引き上げた。そうした資金はほとんどが独裁的な政府に流れ、その運用は自由にまかされていた。
 発展途上国への外国からの融資は、1972年に170億ドル。それが1981年には4620億ドルに膨らんでいた。その資金によって、第三世界は発展した。
 ところが1980年代にはいると、どんちゃん騒ぎは終わりを迎える。債務の支払いが、発展途上国にのしかかったのだ。
 1982年3月にはメキシコが債務危機におちいる。メキシコでは対外債務が膨らみ、通貨ペソが暴落し、融資返済ができなくなっていた。それはほかの国々でも同じだった。
 発展途上国の債務不履行は、富裕国の金融機関に大きな打撃を与えた。不良債権が銀行の連鎖破綻を招く恐れもあった。それを何とか食い止めなければならなかった。
 スイスの国際決済銀行は、各国中央銀行への緊急融資パッケージをまとめた。アメリカ財務省は、メキシコがもちこたえられるよう、多くの資金をかきあつめた。メキシコがデフォルトを宣言しないよう時間稼ぎをするのが目的だった。その交渉窓口になったのが国際通貨基金(IMF)である。
 IMFは1944年に通貨安定のためにつくられた機関だ。それがいまメキシコの債務危機を防ぐために乗り出していた。IMFが融資を実施するにあたっては、厳しい条件が設けられていた。IMFの経済改革プログラムを受け入れなければならなかったのだ。メキシコはその条件を受け入れ、1年間の支払い猶予をかちとる。
 メキシコにつづいて、債務危機はブラジル、アルゼンチンにも広がった。アルゼンチンの軍事政権は借りた金のほとんどを武器や飛行機につぎこんでいた。民間経済はほとんどが破産状態におちいっていた。
 こうした債務国の多くはIMFに泣きつき、経済改革を約束して、返済の延長を交渉した。それによって危機は回避できたかのようにみえた。
 1980年代にはいると、発展途上の債権国は大きな貿易黒字をつづける以外に債務を返済することができなくなる。そのため、途上国の製造品が膨大な量で富裕国に輸出される。そのかたわら、債務危機は富裕国の工業労働者にとって、生活水準を圧迫するひとつの要因になった。
 発展途上国では輸出ブームの陰で国民が耐乏生活を強いられていた。ただでさえ苦しい生活水準はさらに低下し、貧困率は急増した。外国からの投資が干上がったため、人びとはふたたび裏経済の労働に身を落とし、公園で靴をみがいたり、町で大道芸をみせたりして、日銭をかせぐようになった。IMFの改革プログラムは、だれの生活も改善することがなかった、と著者はいう。
 途上国の債務負担はますます増えていった。融資はなかなか返済できず、新規投資は欠如し、経済は縮小していた。国民にとって緊縮経済は災厄をもたらした。
 アメリカ政府は途上国が成長する条件として、政府支出の削減、限界税率の引き下げ、自由貿易、外国投資の受け入れ、民営化を公式のように唱えていた。だが、発展途上国の経済問題は「高い税率と大きな政府よりは、むしろ大規模な税金逃れと無能な政府によるものだ」と著者は論じる。
 著者は債務危機を克服した模範として、韓国を挙げている。韓国も1985年に深刻な対外債務危機におちいった。これを乗り越えるために、韓国が採用したのは、アメリカ方式対策のまったく逆だった。5年計画によって優先的な産業を決め、そこに銀行の融資を集中し、輸入障壁をもうけ、ぜいたく品を抑え、国民に貯蓄をうながした。それによって外国から融資を受けなくても、事業への投資が可能になる体制を整えるいっぽう、人材育成のため教育に膨大な予算をつぎこんだ。こうして、韓国の経済は順調に成長し、対外債務から抜けだし、軍事独裁から選挙制民主主義の国へと転換していくことになる。
 一般的に債務国はなかなか苦境から抜けだせなかった。途上国では軍事指導者の多くが権力の座を奪われていった。だが、そのあとの指導者も経済状況をうまく改善したわけではない。国民の生活水準が回復するには、債務危機から15年、20年の歳月を必要とした。

 これまで長々とまとめてきた本書も、ようやく最終章にたどりついた。
 最後の章は「新しい世界」と題されているが、全体の結論とみてよい。1970年代の転換期をへて、世界はいまどんな状況にあるのかが論じられている。
 1959年から73年にかけ、先進12カ国の労働生産性は年平均4.6%成長した。しかし、石油ショック以後、生産性の伸びは低下する。それから25年のあいだ、同じ12カ国の平均成長率はほぼ2%にとどまっている。
 生産性が鈍化したのは、農業から工業への人口移動が終息したこと、ベビーブーム世代の労働力が増えたため労働節約的な技術への投資が控えられたこと、企業の収益性が悪くなったこと、エネルギーコストの上昇、環境保護意識の普及などが考えられる。生産性の伸びが低下したのは製造分野だけではなかった。農業でも1960年代に爆発的に向上した生産性が、1980年代にはそれほど伸びなくなった。サービス分野でも、消費者がマイホームや車、家電、家具などを買い終わると、需要の伸びは低下し、商品よりもサービスが求められるようになった。さらにサービス業で生計を立てる労働者が増えるにつれて、労働生産性の平均成長率は鈍化していった。
 だが、著者はむしろ「世界が経済成長の新しい段階」に進んでいることを強調する。もはや高度成長期のような黄金時代を取り戻すことはできない。
 1980年代になって、インフレは抑えられたが、失業率は高いままで、所得の増加もほとんどなかった。そのなかで日本だけは例外と思われたが、その日本も1990年代初頭以降は欧米以上に厳しい20年以上におよぶ停滞期に突入する。
 政府による刺激策は一時的に景気をよくするかもしれないが、経済の長期的成長の可能性は、生産性の高さに依存する、と著者は断言する。
 革新的なイノベーションが実用化されるには長い時間を要する。たとえばアメリカでは、カラーテレビは1950年代に開発されていたが、それが普及するには10年後のカラーテレビ番組放送を待たなければならなかった。1971年に発明されたマイクロプロセッサは20年間、生産性に貢献することはなかった。
 第2次世界大戦後の高度成長期は、それまでのイノベーションのサイクルによって一挙に景気が上昇した時期だという。だが、それ以降の伸びは緩慢なものとなり、生活水準の向上も遅くなった。1970年代以降のイノベーションは娯楽や通信、情報の収集と処理に関するものが多く、根本的な衣食住に関しての進歩は微々たるものだったという見方もある。
 さらに1970年代後半以降のイノベーションによって、かつての大規模工業団地は過去の遺物となった。いまやコンピューターによるネットワークが、生産単位をつなぎ、労働を配分するようになった。
 1980年代以降はグローバル化が進み、国境を越えた供給の仕組みができあがった。その恩恵をもっとも受けたのが東アジアの新興国だ。だが、21世紀にはいると、東アジア新興国の生産性の伸びも鈍化し、中国でも2012年に奇跡の生産性も終わりを迎えた。
 もはや自由市場という魔法の薬も、政府の力強い計画も、生産性の鈍化を回復させることはできない。世帯収入は停滞した。所得の伸び率が低下すれば、生活水準の向上も見込めない。スマホ、パソコン、ワイドテレビ、病院での治療など、物質的な進歩は広がっているが、人びとがそこそこの生活を実現するには、長期のローンを組んで、とりあえず手に入れたい商品(住宅にせよ車にせよ)を確保する以外に方法がなくなっている。2008年のリーマンショックは、その行きすぎが最悪の結果を招いた。
 富裕国でも、所得増はごく一部の世帯だけでしかみられなかった。資本がより高い見返りを求めて流動的に飛び回るなかで、そこから利益を稼ぎだす人はごく一部にすぎない。政府は安定したフルタイム労働者の賃金を上げようと介入する。しかし、大多数の労働者は、短期的で臨時的な仕事にしかつけず、それまで親の世代が経験しなかったような不安定な生活を強いられている。
 生活水準が低迷するなか、豊かさが得られないという不満、自分たちの仕事を奪う移民への怒り、増税への憤り、公共サービスへの批判が、政治の主流ではない新しい指導者を求めて噴出するようになった。それがトランプを生んだ土壌だ。
 戦後の平和と繁栄は、一種の社会規制によってもたらされたものだ、と著者はいう。それは異例な時代だった。競争は制限され、操業時間や営業場所も決められ、投資や輸入も規制され、そのなかで企業家も労働者も、安定した経営と賃金を保証されていた。だが、1980年以降は、その体制を維持するのがむずかしくなる。そのために、さまざまな改革がおこなわれたが、いずれもふたたび奇跡をおこすことはできなかった、と著者は総括している。
 経済成長や繁栄は、政府の意図によってもたらされるものではない。予期せずにおこるものだ。実際、政府のもたらした繁栄が、長期的には逆効果をもたらす場合もある。株価が上がって景気がよくなったようにみえても、下層では生活水準の低下に苦しむ人びとが多くなっている。2008年のバブル崩壊も、生産性の伸び率以上に早く経済を成長させようとした政治介入のもたらした結果だった。それと同じことがおきないという保証はない。
 著者は本書のしめくくりに経済学者ポール・サミュエルソンのことばを引く。

〈アメリカ人経済学者ポール・サミュエルソンがうまくまとめている。「20世紀の第3四半期は、経済発展の黄金時代だった。この時代は、あらゆる合理的な期待を上回っていた。そして、同じような時代が近いうちに再び訪れることは、まずないだろう」〉

 そのなかで、どう生きていくかがこれからの課題といえるだろう。

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