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西部邁『ファシスタたらんとした者』を読む(6) [人]

 著者にとって、2014(平成26)年3月の妻の死は、まるで半身をもがれるようなショックを与えた。自分は生と死のあわいにある「半死者」になったと感じた。
 左翼の学者、知識人、ジャーナリストはばかだと思いつづけてきた。民主主義、高度情報社会、したり顔のインテリや解説者が気にくわなかった。それでも自分の無力を感じていた。酒を飲んで世間話をするのは楽しいが、それにも飽きがきた。世間は煉獄なのだと思った。
 自分の発行する雑誌も孤立して、おさらばする潮時が近づいていた。もうろくと病気にどう対処するかだけが課題となった。安楽死や尊厳死などもばかげている。著者は55歳以来、シンプル・デス(簡便死)を選ぶと公言していた。最初、友人の暴力団員からピストルを入手しようとしたが、うまくいかない。そして、ついに妻に先立たれてしまった。自分のこの先を考えると、家族や社会に迷惑をかけたくなかった。かっこよく死にたいと思っていた。
 人間の時間(歴史)と空間(社会)はあまりにも複雑、広大だ。それにたいし全知を得ることなど不可能である。人間にできるのは、そのなかで、決断し、実践し、何かの規準を選び取ることだけだ。総合知に向けての努力を、著者はエッセイのかたちで表現しようとした。
 人間の意識は「総合への欲動」に突き動かされている、と著者はいう。人は一回切りの人生で、ひとつの「物語」をつくろうとするのだ。著者は他者との連帯を求めて、エッセイをつづった。それはひとつの幻想にすぎなかったが、それでも人はその幻想を生き、死んでいくしかない。
 自分の生は芽も出ず花も咲かず実も成らなかった、と著者は絶望した。著者はみずからの考えを穏健な思想だという。だから世間の支持を得られなかったとふり返る。しょせんはアウトサイダーだったと自嘲している。言論活動にもあきあきしていたのかもしれない。
 ここで、この長いエッセイはしめくくりを迎える。
 著者はみずからの遍歴をふり返り、自分はエッセイで人間と社会の全体像をせめて輪郭だけでもえがこうとしてきたのだという。仕事の中心は人性論と実践論、大衆社会・マスメディア・アメリカニズム批判、保守思想の普及からなっていた。
 著者は仮説を体系化して理論化する、いわゆる社会科学にうんざりし、体験にもとづいて知の発露をこころみるエッセイストに転じた。ケインズやヴェブレン、オルテガ、福田恆存、福澤諭吉、中江兆民などの評伝を書いた。亡き友人たちを顕彰するために一文を草した。書くことはしゃべることと同じなので、テレビや講演会にでたり、塾を開いたりもした。
 状況のただなかに身を置くと、生のアクチュアリティが実感されるように思えた。それはじゅうぶんに満足できる人生だった。
 著者がとりわけ力を入れたのが大衆批判である。というより、人を大衆として扱い、それにもとづいて、あるいはそれにおもねって、自己の思想と行動を正当化する風潮への批判である。それは知識人やマスメディア、大量情報社会やアメリカニズムへの批判につながった。だが、日々発生する果てしなき戦いにもくたびれはてた。妻の死が人生の幕引きを決意させたのだという。
 現在、世界は混迷状態にあり、第三次世界大戦の前哨戦がはじまっている、と著者は感じている。だからこそ、日本はアメリカの道具となるのではなく、みずから身を守らなければならず、そのためには核武装もやむなしと主張した。しかし、それもどうにもならないと思うようになった。
 天皇制は「半聖半俗」の虚構だと考えていた。それは日本の伝統として、長くつづく安定した文化制度だった。国家による政策決定には、宗教的儀式が必要になってくる。その点、天皇はカトリックでいう法王と同じ位置にいる。現人神ではないし、普通人ではない。
 国家がつづくためには、伝統が継承されなければならない。そのことを象徴するのが皇位の世襲なのだ。天皇は国家の歴史に時代の刻印を押す存在である。著者は女帝を否定しない。むしろ国民を統合する能力としては女帝のほうがすぐれていると考えている。
 そのいっぽう著者は天皇が平和主義や民主主義に同調する言動をすることに反対している。むしろ、日本の漂流を防ぐために、天皇と皇室はなくてはならぬ存在だと感じていた。
 神仏は信じなかった。俗世から隠遁しようとも思わなかった。信心なるものは、現世利益への執着を延長したものにすぎない。良心をつらぬいて、恬澹(てんたん)として生き、そして死ぬことだけが残された課題となった。
 世の中は現実主義的な保守とグローバル資本主義に支配される時代になっている。著者の「真性保守」思想は、右翼を喜ばせ左翼を怒らせ、また左翼を喜ばせ右翼を怒らせた。著者は市井の散人として終わるのではなく、あくまでも輝く星になることをめざした。りっぱな戦いぶりだったと思う。

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