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吉本隆明とマルクスについて(2) [われらの時代]

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 マルクスの政治哲学について、吉本隆明はこう書いている。

〈政治過程の考察が、幻想性(正確にいえば幻想性の外化)の考察であるように、政治についての学は、幻想性についての学のひとつである。幻想性の外化は人間にとってまず宗教の意識となってあらわれた。宗教の意識は、漠然とした自然への畏怖にはじまり、自然崇拝や偶像信仰や汎神論をへて一神教の神学にまで結晶する。マルクスの政治哲学が成立する過程も、この一般的な原則のほかにたつものではなかっった。宗教から法へ、法から国家の実体へとくだる道が、マルクスがたどった政治哲学の道であった。〉

 宗教、法、国家はマルクスにおいては幻想性の領域として把握される。人が直接間接に自然とかかわりをもつ経済社会の発展が、いわば自然史的過程であるのになのにたいして、宗教、法、国家は、経済の営みを通じて、類としての人が幻想として生みだしたものだ。
 マルクスのこの発想を吉本は受け継ぎ、それがのちに『共同幻想論』などの著作となるのはいうまでもない。そこでは人は幻想をもつ動物であること、そして、幻想の幻想たるゆえんを知ることが、いまを見すえる鍵になってくることが語られるだろう。
 宇宙が自分(自己意識)を包むというのがギリシャの自然哲学の発想だとすれば、神が自分(自己意識)を包むというのがヘブライ宗教のとらえ方だった。
「神は、人間が自己意識を無限であり、至上であるとかんがえる意識の対象化されたもので、もともと人間の自己意識のなかにしか住んでいない」と吉本はいう。
 つまり、人間はみずからの幻想によって神をつくりだしたといえる。にもかかわらず、人はその神によってつくられ、守られ、救われると意識する幻想のなかに生きているのだ。ここにも疎外(外化と内化)の関係がみられる。人はみずからの桎梏を克服するために神をつくりだし、神のもとにはじめて人としての自己意識をもつというように。
 その考えをはっきり打ちだしたのはフォイエルバッハだが、マルクスはフォイエルバッハの考え方を拡張しながら、ユダヤ人や法や国家の問題を論じることになる。
「ユダヤ人問題」についてのマルクスの主張は明快である。マルクスの師、ブルーノ・バウアーが、改宗しないユダヤ人には政治的権利をあたえるべきではないとしたのにたいし、マルクスは人間は宗教的アイデンティティにかかわらず、政治的権利をあたえられるべきだと反論した。
 この評論によって、マルクスは師のバウアーと訣別することになるが、いまとなってはどちらの主張が正しかったかは明白だろう。マルクスが宗教の自由を認めていたこと、言い換えれば政治による宗教の抑圧や選別を否定していた点は認識しておく必要がある。それは宗教を否定する一般のマルクス主義的見解とは異なっていた。
 マルクスが批判していたのは、むしろ神学的な国家だといえるだろう。キリスト教国家はユダヤ教を排斥する。しかし、問題はキリスト教を国教として保護することではなく、キリスト教もユダヤ教も同じく個人の信仰として認めることなのだった。
 さらに吉本によれば、マルクスはフォイエルバッハを正確に読みこむことによって、「〈宗教〉は、政治的な共同体がまだ整っていない段階では、自己を至上のものとかんがえる人間の自己意識の表象であるが、政治的な共同体が整備された近代国家では、〈法〉を至上物とかんがえる人間の自己意識の表象となってあらわれる」という認識をもつに至った。
 法と宗教が一体となっていた共同体から、法と宗教が分離し、近代国家が生まれるのだ。
 その段階で登場するのが、偉大なヘーゲルの法哲学だった。
 ヘーゲルは国家が現実的理念(たとえばキリスト教)によってつくられると考えたが、マルクスはそうではないと主張した。
 吉本によれば、マルクスは近代における「政治的国家というものは、〈家族〉という人間の自然的な基礎と、〈市民社会〉という人工的な基礎が、自己自身を〈国家〉にまで疎外する」ことによって生まれた、ととらえた。この段階で、市民社会というのはまだ早いかもしれない。とはいえ、国家は家族や社会のなかから、その桎梏を解決するために、それにおおいかぶさるかたちで登場し、家族や市民社会を統制する存在となる。それを実体的に支えるのが法であり、官僚ということになる。
 ここで重要なのは、吉本のとらえるマルクスが、神が人の自己意識を疎外(外化)することによって生まれるように、法や国家は家族や社会を疎外(外化)することによって生まれるととらえていることである。
 逆にいえば、そのことは、家族が家族となるのは、社会や法や国家が生みだされることによってだということを意味する。
 原初的には、家族はそれ自体がいわば社会であり法であり国家だった。しかし、社会が生まれることによって、人は職業をもつようになり、国家が生まれることによって、人は法に支配されるようになり、それによって近代家族が形成されることになる。
 家族は社会や国家と区別され、そのことによって、外に開かれた内なる家族へと転化する。こうして近代家族が生まれる。外化による内化、これがほんらいの疎外の意味だ。
 そのことは市民社会も同じである。もともと社会と国家は、分化することのない同一の集合体だった。ところが、社会が国家を疎外(外化)し、国家が生まれると、社会は国家と区別され、市民社会へと発展していく。市民社会の内化がはじまるといってもよい。
 自然哲学でとらえられた疎外、すなわち人間と自然の分離と連関は、こうして人間共同体内部にも適用される。疎外(外化と内化のプロセス)がはたらくことによって、家族は社会を生みだし、社会は国家を生みだし、そのことによって、家族は家族となり、社会は社会となり、国家は国家となっていく。
 こうして、人は家庭生活と社会生活と国家(政治)生活の三重の生活を同時に営むようになる。
家族と社会と国家の関係は、かならずしも融和的ではない。それは外化と内化をともなう疎外関係である以上、けっして完成にはいきつかず、必然的に桎梏や摩擦をはらむものとなる。
 いわゆる「経哲草稿」で、マルクスは市民社会における疎外は、資本家と労働者の対極化となってあらわれる、ととらえていた。吉本の考え方を拡張すれば、ここでもマルクスのとらえ方は独特の位相をもつことになるはずだ。
 人間と自然との疎外関係をもってすれば、市民社会においては労働する人間、すなわちプロレタリアートが社会の基底になることはいうまでもないだろう。
 このとき労働者は対象的世界と疎外関係にはいるが、それは同時に資本家を外化させていくことになる。なぜなら、労働者によってつくられた加工自然物は他者によって消費されねばならず、資本家によって媒介されねばならないからである。
 市民社会においては、社会生活が生産活動と消費活動の二重性の形態をとってあらわれる。
 市民社会は資本主義社会の内実をもつようになる。労働者は資本家がいなければ労働者たりえないし、資本家は労働者がいなければ資本家たりえないというのが、資本主義社会における本質的な疎外関係である。
 資本主義社会においては、商品をつくりだすのは労働者なのに、商品を所有するのは資本家である。労働者は商品を所有する資本家の意思にしたがい、みずからも神をあがめるように商品をつくりだすことに懸命になる。それがまさに疎外された労働にほかならないことを、労働者は自覚するようになる。
 それが桎梏と感じられるときに、はるかに遠く共産主義が遠望される。マルクスにとっては、道徳主義や温情主義、管理主義にもとづく当時の社会主義が、根本的な解決をもたらすとは思えなかった。
 だが、共産主義は実現にはほど遠い夢にすぎない。当面の目標は、自由で民主的な労働者のための国家をつくることだ。それがマルクスにとっての革命だった。19世紀半ばから後半にかけて、それはけっして絵空事ではなかった。
 吉本がマルクスに添って問うのは、人びとが疎外された労働を強いられている「社会の歴史的現存性」についてである。
 吉本はいう。
「なぜ、愚劣な社会が国家として現存し、たれにでもわかる愚劣な人物たちが牛耳っているこの社会は滅びないのか?」
 ほんとうにあのころ、「われら」もそう思っていた。それは日本やアメリカばかりでなく、ソ連や中国にもいだいていた素朴ともいえる感情だった。
 吉本のマルクス論、さらにつづく。

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