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ロンドン海軍軍縮条約──美濃部達吉遠望(57) [美濃部達吉遠望]

DT-p7ロンドン海軍軍縮会議で演説する若槻_01.jpg
 1929年(昭和4年)7月に発足した浜口内閣は、軍縮、緊縮予算、金解禁(金本位制復帰)などの方針を示し、その実現に向けて動いた。年末の通常議会は恒例どおり開かれてすぐに散会し、翌年1月21日に再開された。その日の午後、衆議院で浜口首相、幣原外相、井上蔵相による施政方針演説がおこなわれ、政友会総裁犬養毅との質疑応答が終わると、詔書が伝達され、予期されたとおり衆議院が解散された。
 2回目の普通選挙となる第17回総選挙は2月20日に実施された。「選挙の神様」と呼ばれる安達内相はすでに全国の警察を掌握し、人事異動をおこなうなどして、この日に向けて民政党を優位に導く万全の態勢を整えていた。総選挙の結果は、民政党が273、政友会が174、その他が19と民政党の圧勝に終わった。これにより、少数与党だった民政党は議会での圧倒的多数を得ることになった。
 美濃部達吉自身は、今回の解散時期は必ずしも適切ではなかったと論じている。政府は組閣後に対支改善、軍縮、予算の圧縮、金解禁などの政策を打ちだした時点で解散し、国民に信を問うべきであって、予算の審議が未了となるのがわかりきっている通常議会での解散は避けるべきだったのではないか。明治憲法では、審議未了で予算が成立しない場合、前年度の予算が踏襲されることになっていたとはいえ、大きな政策転換がなされる以上、審議を尽くすべき議題は多かったはずだというのが、議会政治の発達を願う達吉の主張である。
 とはいえ、達吉も少数与党の民政党がいずれ選挙に打って出るのは避けられないとみていた。選挙結果により、浜口内閣が安定した政治基盤を得たことにもいちおう満足したにちがいない。それでも力によって強引に政策を推し進めようとする政府の姿勢に、どこかあせりのようなものを感じていた。
 浜口内閣が衆議院を解散した当日の1930年1月21日、ロンドンではイギリス、アメリカ、日本、フランス、イタリアの5カ国による海軍軍縮会議が開かれようとしていた。
 前年の1929年10月7日に海軍軍縮会議の開催を提案したのは、イギリスの労働党内閣のラムゼイ・マクドナルド首相である。軍縮を打ち出す浜口内閣はさっそくこれに応じ、ロンドン会議への参加を決めた。
 ロンドン海軍軍縮会議は、1922年のワシントン会議を引き継ぐものだった。このときの会議ではワシントン海軍軍縮条約が締結されている。その条約で、5カ国の戦艦、航空母艦など主力艦の保有トン数比率は、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアで、それぞれ5:3:3:1.67:1.67と定められた。
 ところが、ワシントン会議では、1万トン以下の補助艦の比率は定められていなかった。今回のロンドン会議は、それを決めようというのである。
 ロンドン会議への参加を決めた浜口内閣は、11月26日の閣議で、補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など)の対米比率は7割を確保するという基本方針を定めた。
ロンドンには首席全権として若槻礼次郎元首相、外務省情報部長の斎藤博(のち駐米大使)、閣僚からは財部彪(たからべたけし)海相が派遣されることになった。
 ここで少し風呂敷を広げておく。
 さきほど述べたようにロンドン海軍軍縮会議はワシントン海軍軍縮条約の延長上にあったにちがいないが、ワシントン海軍軍縮条約そのものは、ワシントン会議で締結された諸条約のひとつにすぎなかったことを頭に入れておく必要がある。
 そもそもワシントン会議とはなんのために開かれたのだろう。
 アメリカは第一次世界大戦終結後、ウィルソン大統領がみずから提案して発足した国際連盟に参加しなかった。共和党が多数を握るアメリカ上院が、大統領との確執から、国際連盟設立を含むヴェルサイユ条約の批准を否決したためである。
 そのため、大戦をへて世界の最強国となったアメリカは、ヨーロッパ中心となってしまったヴェルサイユ体制とは別の戦後秩序をみずから練りなおす必要があった。
 ヨーロッパ諸国とはあらためて個別に条約が結ばれた。しかし、太平洋・中国・極東といったアメリカにとって重要な地域における安全保障の枠組みを、国際連盟とは別の場で仕切りなおさなければならなかった。ワシントン会議の目的は、むしろその点にあった。海軍軍縮はその課題のひとつにすぎない。
 1921年末から翌年2月にかけて開かれたワシントン会議では、四カ国条約、海軍軍縮条約、九カ国条約の三つの条約が締結された。
 海軍軍縮条約の主な内容は前に述べた。
四カ国条約は、アメリカ、イギリス、フランス、日本が太平洋に所有する領土を互いに尊重することを定めたものだ。イギリスは香港、フランスはポリネシア、アメリカはフィリピン、グアム、アリューシャン列島、日本は国際連盟から統治を委任されたミクロネシア地域を保全する。だが各国はその地域の軍備を強化せず、非武装のまま維持することが決められた。
 四カ国条約の締結にともない日英同盟は廃棄されることになった。その背景にはアメリカによるイギリスへの強い働きかけがあったといわれる。
 九カ国条約は中国とかかわりのある8列国と中国との関係を定めたものといってよい。ここでは、各国が中国の主権と領土を保全するとともに、各国の中国における既得権を尊重すること、さらに中国にたいし各国が商業や経済発展に機会均等の立場をもつことが確認された。
 ヴェルサイユ条約がヨーロッパの戦後秩序を定めたのにたいし、ワシントン条約はアジアの戦後秩序を定めたものである。それにより、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの戦間期においては、ヴェルサイユ体制とワシントン体制、さらに国際連盟がそれを補完するかたちで、国際的安全保障体制がかたちづくられたといってよい。
 ところが、ドイツを抑えつけようとしたヴェルサイユ体制は、とうぜんヨーロッパの戦勝国にたいするドイツの憎悪を沈潜させることになった。
 ワシントン体制も同じである。ワシントン体制は一見、参加各国の勢力をうまく配分するかのようにみえて、実は各国の不安をかきたてずにはおかない共振装置にほかならなかった。
 日本はアメリカに頭を抑えつけられていると感じるいっぽう、日英同盟のくびきを解かれて南方進出をも射程にいれた戦略を構想するようになる。日本が中国、とくに満洲で既得権益を拡大しようとすると、アメリカはそれを門戸開放政策にたいする重要な挑戦と受け止めるようになった。
 こうして1920年代後半になると、ヴェルサイユ体制とワシントン体制、それを補完する国際連盟によって支えられた国際秩序は、ファシズム勢力と国際共産主義運動によって揺り動かされるようになる。
 1922年のワシントン海軍軍縮条約を引き継ぐかたちで開かれた1930年のロンドン海軍軍縮会議には、戦間期秩序が不安定化する予兆がただよっていた。このとき、日本の国内では、国際秩序維持勢力と、それを突破・解体しようとするファシズム勢力、ならびにわずかに命脈を保っていた共産主義勢力がせめぎあっていたのである。
 余分な背景説明に時間をとりすぎたかもしれない。ロンドン海軍軍縮条約をめぐる動きをみておくことにしよう。
 浜口政権は緊縮財政のもと軍縮を進める考えだった。これにたいし、海軍内部はまっぷたつに割れていた。
 軍事参議官の岡田啓介(前海相、のち首相)、海軍次官の山梨勝之進らは、政府の軍縮方針を支持していた。「条約派」と呼ばれる。
 これにたいし、海軍軍令部長の加藤寬治、同次長の末次信正はあくまでも強硬姿勢を崩さなかった。アメリカとの対立を必至とみる。いわゆる「艦隊派」である。
 当初、アメリカの全権代表、ヘンリー・スティムソン国務長官は日本の総トン数比率を対米6割にすべきだと主張していた。だが、日本側のねばりにあって、3月12日には6.975とする最終妥協案を示した(ほかに大型巡洋艦や潜水艦に関する案も示された)。
これにたいし、日本の全権代表、若槻礼次郎元首相は、これ以上アメリカから譲歩を引きだすのはむずかしいとして、3月14日に日本政府に請訓を送った。
 日本側の求める対米7割では、最終的にアメリカ上院の批准を得られないと判断したのである。もし条約が締結できなければ、日米間ではてしない建艦競争がくり広げられるる恐れがある。そうなれば日本の国家財政は立ちゆかなくなる。このあたりが妥協のしどころだった。
 3月15日、浜口首相は岡田軍事参議官と山梨海軍次官に海軍内の取りまとめを依頼した。ところが、海軍の艦隊派がこれに反発、ロンドン会議の様子を新聞に暴露し、政府の軟弱ぶりを批判させた。
 浜口は3月27日に昭和天皇と会い、天皇から「世界平和のため早くまとめるよう努力せよ」と言われ、条約締結の意思を固めた。
 強硬派の海軍軍令部は、ひきつづき政府の姿勢に反対しつづけた。しかし、政府はついに4月1日に天皇の裁可を得て、ロンドンの全権団に条約締結の回訓を発する。翌日、ようやく上奏を認められた加藤軍令部長は天皇に回訓反対の考えを伝えたが、すでに時遅しの感があった。
 その後も海軍軍令部の抵抗はつづく。
 海軍軍縮条約は4月11日に各国間で合意がなされ、4月22日にロンドンで調印された。
翌4月23日から日本では第58特別議会が開かれ、条約問題がさっそく大きな議題となった。野党の政友会は、統帥権干犯というそれまでにない表現を用いて、政府を攻撃した。
 ロンドン海軍軍縮条約をめぐる動きについて、美濃部達吉は新聞や雑誌に多くの論評を書き残している。

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