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五・一五事件──美濃部達吉遠望(64) [美濃部達吉遠望]

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 犬養内閣は1932年(昭和7年)の年明け早々、衆議院の解散に踏み切った。それは議会での数からいえば、与党政友会が少数与党であったがゆえの、やむを得ない行動だったといえる。前民政党若槻政権の不人気と、名望ある犬養毅への期待もあって、選挙結果は政友会の圧倒的勝利に終わった。
 だが、そのひと月の選挙期間中には、いくつかの大きなできごとが発生している。
 満州事変はますます拡大し、1月3日に日本軍は張学良の本拠、錦州に入城、さらに2月5日にハルビンを占拠し、満州の主要都市をほとんど支配下に置いた。軍部は清朝最後の皇帝、溥儀を保護し、満州に傀儡国家を建てる方針を固めている。
 1月28日には上海事変(第一次)が発生した。そのきっかけとなったのは、1月18日に上海市内を托鉢していた日蓮宗僧侶が中国人に襲われ、死亡した一件である。のちに、この事件は満州の錦州占領後、アメリカから非難されていた日本軍が、その矛先をかわすために仕組んだ謀略だったとされる。
 その後、日本人と中国人巡査との衝突もあって、上海での紛争は拡大し、ついに日本海軍の陸戦隊と上海郊外に駐留していた中華民国第19路軍が戦火を交えるにいたった。日中双方とも軍を追加投入するなか、戦闘は本格化し、3月3日に停戦するまで、日本側は796人、中国側は4086人の戦死者を出したとされる。それでも上海事変の拡大を阻いだのは、犬養内閣の功績といえるだろう。
 上海での戦闘がつづく間、日本軍は3月1日の満州国建国に向けて、着々と準備を進めていた。
 国外で満州事変が進展し、上海事変が発生するなか、国内では2月9日に前蔵相の井上準之助が選挙応援のために訪れた東京・本郷の駒本小学校で血盟団員の小沼正によって射殺されるという事件がおこった。
 さらに選挙後の3月5日には、同じく血盟団員の菱沼五郎によって、三井合名理事長の団琢磨が日本橋の三井本館入り口で射殺される。
 井上の場合は金解禁により不況を招いたこと、団の場合は金輸出再禁止直前に大量のドル買いにより巨利を得たことが暗殺の理由とされた。
 通称、血盟団は日蓮宗の僧侶、井上日召が結成したテロ組織で、農民や学生、軍事を巻きこんで、皇国思想にもとづく国家改造をめざしていた。
 井上準之助が暗殺されたあと、美濃部達吉は「中央公論」に追悼文を寄せている。

〈井上準之助君が突然一兇漢の狙撃を受けて、ついにこの世を去られたことは、満天下を震撼したとともに、同君の一家のためにはいうに及ばず、民政党のためにも、進んでは我が日本帝国のためにも償うあたわざる大損失を与えたもので、まことに哀悼に堪えないところである。〉

 達吉はそう切りだしつつ、なぜこのような事件がおこったのかを探ろうとしている。
 井上準之助君が凶変に遭ったのは、かれが金本位制を堅持する政策を掲げたからで、もし政治家としての信念を主張することが生命の危険を意味するとすれば、力ある政治は望めなくなってしまい、それは国家のわざわい以外のなにものでもない。浜口(雄幸)君につづき、井上君までもがこの1年のうちにテロに遭ったというのは、じつに「忌みかつ恐るべき風潮」であって、「こういう傾向が除かれないかぎりは、日本の立憲政治の前途は暗黒の感なきを得ない」。
 達吉はそう述べたうえで、テロが横行するようになった背景には、極端な人身攻撃の言論が近来まかりとおるようになり、相手にたいし、国賊とか売国奴、破廉恥漢といったレッテル貼りがなされ、それにもとづいて陋劣な言辞がくり広げられるようになったことがあると指摘している。
 そうした言論はつつしまなければならないのにかかわらず、政治的、社会的に高い地位にある人や軍の首脳部までが、みずからそうした言を吐き、しばしば過激な国家主義団体を擁護しているのが現在の状況である。

〈政府が左傾思想の取り締まりにのみ汲々(きゅうきゅう)として、こういう過激な右傾的な暴力思想の取り締まりに寛大であったことは、今回のごとき凶変の頻々として起こる有力な一原因をなしているものでなかろうかと思う。〉

 達吉は立憲政治の原則に立ち戻るべきだと主張する。

〈立憲政治は寛容の政治である。反対の主張に対しても寛容の態度を取り、それが国法を無視し国家を否定するものでないかぎりは、ただ言論によってのみこれに対すべく、権力や暴力をもってこれを圧迫することをしないのが、その根本精神の存するところである。それはまた目的のために手段を選ぶことを必要とする政治である。たとえ、その目的において適切であっても、その目的を達するために不法な権力や暴力をもってすることは立憲政治を否定するものである。〉

 だが、そんな正論は次第に耳にはいらなくなっていた。
 達吉はいう。
 ここ数年来、とりわけ満州事変以降、政党が不信用をこうむり、ファッショ政治団体が台頭しているのは事実である。政治的、経済的危機のなかでは、力強い政治が求められるのはたしかだ。かといって独裁政治によって明るく自由な社会が生まれたためしはない。あくまでも暴力否定の精神を貫くことこそが、不幸にも災厄に遭った井上君の霊をなぐさめる唯一の手段だろう。そう達吉はこの追悼文を結んでいる。
 達吉の願いにもかかわらず、それ以降もテロは収まらなかった。

 犬養政権の状況はどうだったのだろう。
 犬養首相は政友会総裁ではあったが、自身はいわば、かつぎあげられた存在で、政友会内部の実権は司法官僚出身の鈴木喜三郎、古参の床波竹二郎、それに新参の久原房之助の派閥連合が握っていた。
 そのため、犬養自身の政権基盤は弱く、満州事変についても、古くからの中国コネクションを使って、独自の和平工作を展開しようとしたものの、軍によってはばまれるありさまだった。そもそも内閣書記官長(いまでいう官房長官)の森恪(つとむ)が軍と密接につながっていた。
 総選挙に勝利したあとも、政友会内の派閥抗争はやまなかった。内閣改造も内務大臣のポストをめぐって、もめにもめる。けっきょく、議会開会中は犬養が内相を兼任することにし、その後、ようやく党内の妥協が成立し、鈴木喜三郎が内相に就任した。
 総選挙後の3月20日に開かれた第61回臨時議会は、満州事変関係の経費捻出のため公債を発行することを決めただけで、わずか5日で閉幕した。
 犬養内閣はすぐさま満州国を承認しようとはしなかった。日本軍の主導によって強引につくられた満州国には問題があるとみていた。慎重な検討を必要とした。
 そんなさなかである。
 5月15日午後5時半ごろ、三上卓海軍中尉をはじめとする海軍士官4人と陸軍士官学校生、計9人が2台のタクシーに分乗し、首相官邸に乗り込んでくる。ピストルを撃ちながら内部に乱入したかれらを犬養首相は客間に招き、みずからの考えを話そうとする。だが、そのうちの一人が「問答無用、撃て、撃て」と叫び、銃弾が放たれた。頭部に2発銃弾を受けた犬養はしばらく息があったが、その日のうちに死亡する。
 いっぽう、古賀清志海軍中尉の率いる第2組5人は泉岳寺に集合し、三田の牧野伸顕内大臣邸に向かった。午後5時に手榴弾を投げこみ爆発させたものの、それだけで引き上げている。
 そのほか、政友会や警視庁、憲兵隊本部、三菱銀行、日銀にも襲撃が及んだ。だが、いずれも手榴弾が投げられた程度で、かたちだけの襲撃に終わっている。
 橘孝三郎を中心とする別働隊の農民決死隊は、東京府下の変電所6箇所の破壊活動をおこなうことになっていた。しかし、たいして被害を与えることができず、府下を停電にするというもくろみは完全に失敗した。
 五・一五事件では、陸軍の青年将校は時期尚早として決起に加わらなかった。満州事変の行方をいま少し見守るという姿勢をとっていた。
 事件がおこったあと、美濃部達吉はすぐに「帝国大学新聞」に「テロリズム横行と政局の前途」と題する感想を寄せている。次の首相はまだ決まっていなかった。
 危惧したのは、五・一五事件の主犯が現役の軍人だったことである。

〈こういう驚くべき事変の起こったのは、もとより突然の出来事ではなく、大正の中頃から多年積もりに積もった種々の原因が鬱葱(うっそう)して、遂に爆発するに至ったもので浜口、井上、団諸氏の凶変もやはり同じ原因に基づいていることは疑いない。ただ今回の事変に特有な事柄は、軍人がその主犯者であることで、この点にことにその重要性がある。経済上の世界的恐慌に基づく、国内産業の窮迫、ことに地方農村の悲惨を極めた状態とこれに対する政党政府の無能力さは、政党政治に対する不信用、憤懣の念を広く一般国民の間に拡がらしめ、しかして左右両翼(ことに右翼)から来る不謹慎な議会否認、政党呪詛の叫びは一層この勢いを煽動した。この国民的な憤慨の感情が軍人の間にも及んでいることは、もとより怪しむに足らぬところで、これが遂に今回の事変をひき起こすに至ったものと思われる。〉

 達吉は事件の背景を十分に認識している。それでも現役軍人による犯行はゆゆしき事態であり、将来に向かって国家と社会の安定を保つためには、厳正な措置をとらねばならないと主張している。
 犬養毅なきあと政治の行方はまだ混沌としていた。政友会総裁を継いだ鈴木喜三郎が政友会内閣を組閣するのか、それとも挙国一致内閣をつくるのか、あるいは軍部を中心とした軍事政権が生まれるのか。
 その行方は首相指名権をもつ元老西園寺公望の手にゆだねられていた。

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