SSブログ

新シリーズ。商品世界ファイル [商品世界ファイル]

はじめに──商品世界ファイル(1)
91bjGw-t2PL._AC_UL400_.jpg
 えらそうに「商品世界ファイル」などと名づけましたが、何もこむずかしい話を書こうというのではありません。居眠りしながら読んだ本や積み残した本のなかから、商品世界にまつわる話を、合切袋に放りこんでおこうというわけです。
 商品世界を乗り越えようなどと、大胆なことを考えているわけでもありません。体系的な著作を書くつもりもありません。もうこの歳ですから、背伸びはききません。思いつくままに、よしなしごとをつづるだけです。
 さて、こんな話がいつまでつづくものか。先はさっぱり見えませんが、ひまと退屈なあまりに、何となくトライしてみることにしました。
 ところで、商品世界と書いてはみたものの、それはいったい何なのか。自分でもよくわかっていないような気がします。
 とりあえず、商品とは貨幣で売買でき、取引される財やサービスのこととしておきましょう。この社会はそうした商品にあふれていて、われわれは毎日のようにモノやコトを買って、あふれるモノやコトのなかで暮らしています。
 しかし、そうした社会は日本だけでなく、世界じゅうに広がっているといえるでしょう。ですから、商品社会はすでに世界化しているわけで、それでとりあえず商品世界と呼んでみることにしたわけです。
 だからどうしたと言われそうですが、暇つぶしにどうでもいいことをあれこれ考えられるのが、ひまな年寄りの特権で、そんなどうでもいい話をこれからエンドレスで書いてみようと思っています。
 ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によると、人類が誕生したのは250万年前で、場所は東アフリカだったといいます。
 太古の人類は200万年前に東アフリカから北アフリカ、ヨーロッパ、アジアに進出し、その地に定着しました。ヨーロッパとアジア西部にいたのがネアンデルタール人で、アジア東部にいたのがホモ・エレクトス、つまりジャワ原人や北京原人などですね。
 人類は40万年前から10万年前にかけて、食物連鎖の頂点に立つようになります。火を使うようになったのは30万年前からだといわれます。
 ところが、いまの人類はこの太古の人類ではありません。現在の人類、すなわちホモ・サピエンスは20万年前にやはり東アフリカで発生し、7万年前にアフリカ大陸の外に出ます。これが、われわれの先祖ですね。
 10万年前の地球上には、少なくとも6つの異なるヒト種がいたといわれます。
 しかし、ホモ・サピエンスの進出とともに、それ以外のヒト種は滅んでいきます。ジャワ島のホモ・ソロエンシスは5万年前に、ネアンデルタール人は3万年前に絶滅しました。あるいは、ホモ・サピエンスに吸収されてしまったのかもしれません。
 ハラリの挙げる年代がどれほど正確かは、わかりません。気の遠くなるほどの昔だという気もするし、それほど昔じゃないと思ったりもします。
 7万年ほど前の人類の世界人口は一説によると50万人、それが1万年ほど前には500万人に膨張します。キリストの時代には2億5000万人ほどになっていたと聞いたことがあります。
 産業革命のおこる前後の1800年に世界人口は推計で3億9000万人でした。それが2022年11月には何と80億人を突破したというのです。この220年ほどのあいだに、ものすごいことがおこっています。
 人口増加の背景には、もちろんそれを支えるだけの食料をはじめとする、さまざまな資源や資材の確保があったにちがいありません。そして、いまも人類は生活資源確保のために、かぎりない欲望をみなぎらせているといえるでしょう。
 人口爆発は商品爆発と連動しています。
 ところで、ハラリは、ホモ・サピエンスは3万年以上前から長距離交易をはじめていたと書いています。これは農耕がはじまるより、はるか以前のことです。貝殻と黒曜石が交易されていたといいます。
 貝殻も黒曜石もりっぱな商品だったということになりますね。商品は貝殻や黒曜石にかぎらなかったようです。出土品から、琥珀(こはく)や翡翠(ひすい)、玉、顔料なども交易されていたことがわかります。
 贈与と交易はほぼ並行していたのではないでしょうか。贈与が交易に先行したとは、かならずしも言えないようです。
 もちろん、小さな共同体のなかでは、交易ではなく、贈与、正確に言えば贈答関係が、もののやりとりの基本になります。
 しかし、共同体は孤立していたわけではありません。別の共同体があることは、強く意識されていたことでしょう。そして、共同体と共同体のあいだには、古くから、つまり農業革命以前の狩猟採集時代から、交通・交易関係があったとみることができるでしょう。移動は人の習性みたいなものですから。
 すると、商品の歴史ははるか昔にさかのぼるわけです。先ほど、貝殻や黒曜石、琥珀、翡翠、玉といった商品を挙げましたが、これらは装飾品や呪物、武器や石器(斧や包丁)として利用されました。
その地では産しないがゆえに、交易で手に入れるほかなかったものです。これらの商品は、それが欲しいものにとっては、まさにのどから手が出るほど欲しい、光輝くものだったにちがいありません。しかし、これらの商品を手に入れるためには、それ相応の見返りを必要としたにちがいありません。
 ここで話は変わりますが、マルクスの『資本論』には、その難解さで知られる価値形態論があります。学生時代に読んで、さっぱりわからなかったのですが、ふつうは商品から貨幣がいかに生じるかの必然性を論理的に説明したものとされます。
 しかし、はたしてそうか。井上康、崎山政毅の『マルクスと商品語』は、そんな一般的理解に疑問を投げかけています。
 マルクスは価値形態論を論じるにあたって、商品語を聞いてみようという言い方をしています。商品語とは商品が語ることばですね。商品はただのモノではありません。人に何かをささやき、話しかけているのです。人はその魅力や幻惑にとりつかれます。人が言語をもつように、商品は世界共通の言語をもっている、とマルクスは考えていました。
 商品世界というのは、商品語が飛び交っている世界ですね。
 その商品世界は、商品─貨幣─資本の三位一体構造で成り立っている、とマルクスはいいます。
商品、貨幣、資本はそれぞれ実体なのですが、単独では成立しません。商品は貨幣と資本があってこそ商品なのであり、貨幣は商品と資本があってこそ貨幣なのであり、資本は商品と貨幣があってこそ資本なのです。
 三位一体構造というのは、そうした意味なのですが、キリスト教の三位一体が、父と子と精霊によって成り立っているとするなら、商品世界では、さしずめ父が資本であり、子が商品であり、貨幣が精霊ということになります。
 ここでむずかしい価値形態論を立ちいって説明するのはやめておきます。
 重要なのは、マルクスが商品には商品を呼びさます性格があるととらえたことですね。商品は単独では商品になりえません。いま貨幣を抜きにして考えてみると、商品が商品になるには、別の生産物を商品として呼びさまさなければなりません。
 むずかしい言い方をしたかもしれませんが、何かの見返りを渡さなければ、商品はけっして自分の手にはいりません。それがなければ、商品はただの憧れであって、商品ですらないのです。だから、商品を手に入れるためには、その見返りとして、こちらも何か商品のようなものを相手に渡さなくてはなりません。
 すると、商品が商品を呼んで、その連鎖が無限に商品を生みだしていくことになりますね。商品の背後には労働がありますが、商品は完成したモノだけとはかぎりません。人間の労働奉仕そのもの、つまり広い意味でのサービスも商品となっていきます。
 話が商品の発生からはじまって、いきなりヘンな方向に広がってしまいましたが、ここで、ぼくはできるだけ倫理主義を抑えて(といっても限度がありますが)、商品世界をふり返ってみたいと思っています。
 頭から、商品や貨幣はいけないものと決めつけることはやめておきます。また労働を神聖化するのもやめたほうがよさそうです。がまんと礼賛が独裁主義を正当化することにつながったのは事実ですから。
 人類の築いてきた商品世界をどうとらえるのか。それはどこに向かっているのか。結論は出そうにありませんが、いきなり大風呂敷を広げてみました。いずれにせよ、とっちらかった話をはじめることにします。

nice!(9)  コメント(0) 

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント