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『貧乏人の経済学』を読む(4) [商品世界論ノート]

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 貧しい人たちは思いもかけぬ手段を用いて、稼ぎを得ようとします。かれらは天性の起業家だ、と著者はいいます。
 ゴミ拾いから始めて、ゴミの分別をし、そこからリサイクル事業を立ち上げた人もいます。服飾学校を終えたあと、村の人に服飾を教え、中古ミシンを買い、縫製事業を始めた人もいます。その事業は大成功を収めました。しかし、それはごくごく例外です。
 現実はといえば、多くの人の営む事業(商売)はとてもちいさくて、競争相手も多くて、ほとんどもうからないのです。インドでは1日2ドルほどの儲けがでればいいところだといいます。そういう人は、さらに融資を受けて、商売を大きくしようとはしません。
 たとえ投資をして商売を大きくしても、商品を多く仕入れ、人も雇わなければいけないし、忙しい目にあうだけで、たいして儲からないことがわかっているからです。
 本気で稼ぐつもりなら、どこかで壁を突破しなければなりません。それが起業のむずかしさです。たいていの人はそこであきらめてしまい、たとえ融資を受けることができても、その多くを別のことに使ってしまいます。
 残念ながら貧乏な人の商売は働き口がないときに、何とか食っていくための手段でしかないようです。商売をするのはたいてい女性で、家事とかけもちです。
「貧乏人による多くの事業は、その起業家精神を証明するものではなく、むしろ彼らの暮らす経済がもっとましなものを提供してくれないというひどい失敗の症状なのかもしれない」と、著者は書いています。
 そこで、成長著しいインドあたりでは、貧乏な人の夢は子どもに公務員か民間企業のサラリーマンになってほしいということになります。女の子なら、教師、公務員、看護婦が職業選択の上位を占めます。
 特に公務員が人気があるのは、安定性への欲求が強いからです。「実は雇用の安定性こそが、中流階級と貧乏な人々との大きなちがいのよう」だ、と著者も指摘しています。
 安定した雇用は人生の見通しを変えます。未来があるという感覚が与えられるのです。これは貧困の落とし穴にはまった人にはないものです。
 都市への移住は貧乏から脱出するひとつの可能性を与えます。しかし、都市でも安定した所得が得られる仕事はごくまれです。出稼ぎはあくまでも一時的な収入を得るためでしかありません。それでも同じ村の人が都市に移住しているのなら、村のつながりをあてにして、都市でも何かの仕事を見つけられるかも知れません。とはいえ、都市で「よい仕事」を見つけるのは至難の業です。
 著者はマイクロファイナンスの融資が10億人もの「はだしの起業家」を生み出すというのは幻想にほかならないと断言します。

〈マイクロ融資など、ちっちゃな事業を助ける手法は、それでも貧困者の生活において重要な役割を果たせます。というのも、そうしたちっちゃな事業は、おそらくこの先当分のあいだは貧乏な人たちが生き延びるための唯一の方法であり続けるからです。でも、それが貧困からの大量脱出になると思うのは、自己欺瞞でしかありません。〉

 これはなかなか厳しい結論です。
 それならば、マイクロ融資の手助けには限界があるとしたら、政治もまた救いの手にはならないという結論が導かれるかもしれません。
 貧困国政府の無能ぶりと汚職はずいぶん前から指摘されてきた、と著者はいいます。たとえば、ウガンダでは、初等教育を改善するために外国からの援助をもらっても、途中でピンハネされて、その予算が実際に学校に届いたときには、ごくわずかの金額になっていました。
 ところが、その調査報告がウガンダの新聞に発表されると、全国で怒りの声が巻き起こったのです。そして、ついには学校が自由に使える資金が増えていったという事実があります。
「小刻みの進歩とこうした小さな変化を積み重ねれば、時には静かな革命だって起こるのだ」と、著者はコメントしています。
 途上国ではダメな政治・経済制度のもと、汚職や怠慢が横行しています。しかし、著者は、それでも「小刻みの進化」と「小さな変化」を積み重ねるなら、「静かな革命」が起こりうるのだというのです。
 選挙方法のチェックと改善、公共サービスの情報開示と苦情の受け付け、村落集会の新しいやり方、そうしたこまごまとした点検と改革から大きな変化が生まれてくる可能性があります。とりわけそのなかで女性の果たす役割がだいじです。できることはいろいろ残っている、と著者はいいます。
 途上国でも公務員がしていいこと、悪いことについてはたくさんの規定があります。しかし、公務員の給料が低く、監視もふじゅうぶんな場合や、裁量と目に見えぬ賄賂が横行しているところでは、つねに汚職と怠慢のリスクが発生します。
 また紙の上でつくった官僚のルールが、現場と適合していないこともよく見かけられます。それは医療現場でも教育現場でも、しばしばあることです。多くの計画がかたちだけしか知らされず、実際に機能していないこともあります。それらはすべて改善の余地があります。
「大規模な無駄と政策の失敗が起こるのは何か深い構造問題があるからではなく、政策設計の段階できちんと考えなかったからであることが多い」という著者の指摘には聞くべきものがあります。
 政策にたいする低い期待は、政策そのものの効果を奪っていきます。こうした悪循環を断つことがだいじです。政治といえば、「公共の利益」よりも「利益誘導型」の政治のほうが優位に立ちがちです。しかし、信頼できるメッセージがあれば、有権者は全体の利益につながる政策を支持するはずだ、と著者は述べています。
 周縁部分で制度や政策を改善する余地はあり、こうした変化を持続し、積み重ねていくことが、「静かな革命」につながるのだというのが、著者の考え方のようです。
最後に貧しい人たちの生活を改善するための5つの教訓が示されています。
 第1に、貧しい人は正しい情報をもっていないことが多く、それを伝えることがだいじだということです。
 第2に、貧しい人はあまりにも多くさまざまな問題をかかえこみすぎており、たえず心配を強いられているが、預金にしても健康にしても、正しいとわかっていることを確実に実行すれば、現在の生活を改善できるということです。
 第3に、貧しい人たちはこれまで市場や金融からも排除されていたが、マイクロファイナンスが新しい生活の可能性を開き、公共サービスの充実もますます求められているということです。
 第4に、貧乏な国は貧乏だからといって、失敗を運命づけられているわけではなく、むしろ周縁から無知、イデオロギー、惰性を克服していけば、いくらでも改善の余地はあるということです。
 第5に、悲観主義におちいらず、無理のない期待をもちつづけることがだいじであって、それは楽ではないが、不可能な道ではないということです。
 最後に著者は貧困を解決する一般原理などはないと述べています。現場の実情を辛抱づよく理解することに努め、貧困から抜けだす道をさぐる以外にないのです。貧困は何千年も人類とともにありましたが、さまざまなアイデアを探求することで、だれもが1日1ドル以下で暮らさなくておいい世界に到達できるはずだと記しています。
 われわれはおうおうにして自分の国のことしか考えず、それもしばしば自分に都合のいいことばかりを想定しがちですが、もっと世界全体のことに目を開くのもだいじではないでしょうか。そのことを本書は教えてくれます。

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