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『貧乏人の経済学』を読む(3) [商品世界論ノート]

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 貧困の落とし穴から脱出するには、当の家族がみずからの力で脱出の方向を探る以外に方法はありません。すべての人を幸福にする社会主義はひとつの理想かもしれませんが、現実には存在しないといってもよいでしょう。だとすれば、いま現に存在する制度が、はたしてどの程度、貧困からの脱出を手助けする手段となるのかが問われなければならない、と著者はいいます。
 人生にはリスクがつきものです。雇われていた会社を解雇される、夫と離婚する、子どもが引きこもりになる、事業に失敗する、干魃や洪水で田畑がだめになる、その他さまざまな困難が人を襲います。加えて、内乱や政治不安、金融危機や盗難、詐欺が生活を直撃することになれば、そこから立ちなおるのは、そう簡単ではありません。
 いったん貧困のゾーンに陥ってしまうと、そこからはなかなか抜けだせなくなります。しまいには立ちなおろうとする意欲も失い、すっかり落ちこみ、何ごとにも集中できなくなるのは悲しい現実です。
 貧しい人のあいだでも、できるかぎりリスクを避けるための工夫はなされている、と著者はいいます。たとえば所有する畑を分散する、家族のメンバーが多様な職業につく、出稼ぎにいくといったことです。貧しい一家が小作人になる道を選ぶこともあります。たくさんの仕事を掛け持ちする場合もあります。
 村には困っている人を助ける助け合いのネットワークもありますが、それには限界もあります。
 とりわけ健康上の問題が生じて、収入が落ちこみ、医療費もかさんだりすると、近所の助けだけでは間に合いません。そこで、仕方なく金貸しからカネを借りることになりますが、そうなると金利が積み重なって、借金がたちまち膨らんでいきます。
 富裕国ではさまざまな保険が行き渡っていますが、途上国では健康保険を含め、貧しい人向けの保険はほとんどない、と著者はいいます。マイクロファイナンスのなかには、保険を導入しようとした機関もありました。しかし、保険にはいろうとした人はほとんどいなかったといいます。
 なぜ貧しい人は保険にはいろうとしないのか。災害がおこったときは国が助けてくれるとたかをくくっているという見方もあります。保険をかけても、はたして元がとれるのかと疑いをもっている人が多いという見方もあります。
 いずれにせよ、かなりの後押しと説得がなければ、貧しい人は保険にはいりたがらないといいます。保険会社への信用もいまひとつです。さらに、保険が支払われるのは、最悪の病気や事故の場合だけだということが、保険加入をためらわせています。
 そのため、著者は当面は政府による介入が必要だといいます。政府が公共の資金を投入して、保険に補助金を出し、貧しい人のあいだにも保険システムが行き渡るよう努めるべきだと提言しています。保険会社を育成することは、途上国政府のひとつの任務といえるでしょう。

 マイクロファイナンスについて考えてみましょう。
 何も持たない貧しい人が商売をはじめます。路上に果物や野菜を並べて、それを売ります。屋台を引いて、食べ物を売ったりもします。その仕入れ費用やレンタル料はばかにならず、ほとんど稼ぎにならないこともあります。こうした貧乏な人たちの商売を手助けするためにつくられたのがマイクロファイナンスだといいます。
 マイクロファイナンスの目的は、貧しい人への小規模融資によって、人びとを貧困の落とし穴から脱出させることです。銀行は貧乏人におカネを貸してくれません。金貸しは貸してくれますが、法外な利息をとります。それでも貧乏な人たちは金貸しからカネを借りて、その結果、悲惨な目にあうことが多かったのです。
 マイクロファイナンスは、1970年代半ばにバングラデシュでムハマド・ユヌスがグラミン銀行をつくったときがはじまりです。以来、世界各地でさまざまなマイクロファイナンス機関がつくられ、現在、その利用者は2億人ともいわれます。
 マイクロファイナンスの特徴は、個人に融資するのではなく、借り手のグループに融資し、連帯責任を負わせることだといいます。一定額を毎週ごと返済しなければならず、借り手は毎週、グループごとに集まって、決められた返済金額を融資担当者に渡すことになっています。南アジアのマイクロファイナンスでは、年利はほぼ25%ですが、債務不履行はまずないといいます。
 マイクロファイナンスははたして貧困からの脱出に役立っているのでしょうか。奇跡的とはいえないが、まあまあの成果はもたらしているというのが著者たちの結論です。
 それは多くの起業を手助けし、自転車や冷蔵庫、テレビなどの耐久財の購入に結びつくいっぽう、無駄な消費の抑制にも寄与しています。そのいっぽう、女性の地位はさほど上がっていないし、教育や保険への支出も増えていないこともわかっています。
 マイクロファイナンスは全能ではありません。著者たちは、はっきりとその限界も指摘しています。マイクロファイナンス機関を特徴づける「貸し倒れゼロ」のこだわりが、多くの潜在的利用者にとっては厳しすぎるといいます。
 マイクロファイナンスからおカネを借りて、新規事業をはじめ、それを成功させるには、相当の勇気と知恵が必要です。しかも、返済は連帯責任ですから、緊張関係もあります。
 さらにいうと、マイクロファイナンスはあくまでも多くの貧乏な人に低金利で融資するのが目的なので、より大きな企業をめざす人にとってはじゅうぶんではないといいます。リスクをとりたがる人物にはまったく向いていないのです。ほとんどの融資はきわめて少額なままです。
 著者はこう指摘します。

〈マイクロファイナンス運動は、困難はあっても貧乏な人に貸すのは可能だということを実証しました。マイクロファイナンス機関がどれほど貧乏人の暮らしを変えるかについては議論の余地があるでしょう。でもマイクロファイナンス融資がいまのような規模に達したという事実だけでも、驚くべき成果です。貧乏な人に向けたプログラムのなかで、これほど多くの人を助けたものはありません。でも、貧乏人への融資を成功に導いたプログラムの構造そのものが、もっと大きな事業の創設と資金提供への踏み台になれない原因になっています。発展途上国の金融にとって、次の大きな挑戦は中規模企業への資金提供手法を見つけることです。〉

 限界はあるにせよ、マイクロファイナンスが多くの貧しい人を救っていることは事実のようです。

 貯金の話にもふれています。
 貧乏な人はほとんど融資をあてにできない。かといって、リスクを避けるための保険にはまずはいらない。貯金するかというと、貯金もしない。そんなふうに著者は書いています。
 貧乏人はなぜ貯金しないのか。かれらも将来のことを心配していないわけではない。しかし、貧乏人でフォーマルな貯蓄機関に貯蓄口座を持っている人はあまりいない。かれらがよく利用するのは英語ではメリーゴーラウンド、フランス語ではトンタンと呼ばれる回転型貯蓄信用組合だといいます。
 これは昔、日本にあった講のようなものです。何人か、あるいは何十人かのメンバーが定期的に集まって、共通の鍋に同じ金額を預け、ある程度の期間がくると、メンバーのひとりが、鍋の全額を受け取れるという仕組みです。いくつもの貯蓄信用組合(講)にはいっている人もいます。
 このいわば講からおカネをもらった人はトウモロコシを買ったり、家を建てる資金の一部にしたりします。これは伝統的な創意工夫ですが、それはほかに代替案がないからです。
 銀行は少額口座を扱おうとしません。管理費用がかかるからです。おカネを引きだすには引き出し手数料がかかるため、貧しい人は銀行口座をつくろうとしないといいます。
 改善策がないわけではありません。たとえばグループを組んで、グループで口座をつくり、みんなで引き出しや預け入れをおこなうというのもひとつです。銀行が近くになくても、地元の商店に行けば預金ができるようにするというのもひとつの方法です。携帯電話を使って預金の出し入れを簡単にすることもできるでしょう。
 しかし、そもそも預金しようとする人が少ないのです。預金を増やすには、たとえば少しお茶を控えるだけでいいのです。塵も積もればというわけですね。ところが、そうしないで、おカネがあればついつい使ってしまい、肝心なときにはおカネがないというのが実情のようです。
 人間の心理と時間不整合はよく生じることだといいます。きょうはほしいものを買って、明日からはもっと有意義なおカネの使い方をするぞと決心するのは、よくある心理です。ところが明日になると、誘惑に負けてしまいます。その点、アルコールやタバコ、お菓子、お茶などは典型的な誘惑財だといいます。
 収穫直後におカネを手にした農民が、その一部を貯蓄しないで、すぐに使ってしまうのには、あればパッと使うという心理がはたらいているのだろうか、と著者は推察します。
 なかには娘の結婚資金として貯蓄するために、マイクロファイナンスから借金をするという人もいます。おカネを借りれば返済しなければならないから、無駄なおカネを使わないようにできるというのです。貯蓄をするために、わざわざ高い利子を払ってマイクロファイナンスからおカネを借りる必要はないのに、そうするのは転倒した心理ですが、少しずつ貯金しておカネを貯めようとしても、途中で使ってしまいそうで、自信がないというのもわかります。
 しかし、こうした心理も貯蓄慣れしていないことから発しているのかもしれません。おカネがあれば、それを無駄づかいしかねません。どうせ明日誘惑に負けるなら、今日のうちに使ってしまおうというわけです。その結果、負のスパイラルが生じます。
 能動的に預金するにはよほどの自制心を必要とします。サラリーマンならば、天引きで自動的に貯金することも可能ですが、日々ストレスにさらされている貧しい人が自制心を発揮するのはかなり困難なことだ、と著者はいいます。
 こうして豊かな人はますます豊かになり、貧しい人はますます貧しくなるという構図が生まれます。
 貯蓄のない貧しい人は、何らかの物入りがあれば、借金をしないわけにはいかず、借金をすれば、そこからなかなか抜けだすことができません。すると、ますますストレスがたまっていきます。
 貧困の落とし穴から抜けだすには、長期的な目標と楽観主義が必要です。目先の気まぐれに流されず、無駄を切り詰め、ストレスを回避し、将来に希望をもつこと。そこから、貯金をしようという動機も生まれてくるはずだ、と著者はいいます。
 できるだけ簡単に紹介しました。次回は結論になります。

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