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トスカーナの避暑地めぐり──イタリア夏の旅日記(9) [旅]

8月13日(日)〜15日(火)
 暑くなる。避暑のため、フィレンツェ東の山中ヴァッロンブローザの僧院に向かう。標高は約1000メートル。少しは涼しかろうと思った。
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 10時前に家を出発して、モンテヴァルキにあるミワが務める会社の前を通り、山道を登り、1時間40分ほどで着く。駐車場がいっぱいで、少し離れた場所に車を止める。
 僧院ではミサが行われていたため、中に入れず。僧院の前は菜園になっている。
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 大勢の人が訪れている。屋台もでている。
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 少し下ったところにレストランがあったので、そこで食事をする。
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 けっこう豪勢に食べた。夏休みだから、いいだろう。
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 そのあと、止めてある場所に不安があるというので、少し降った場所に車を止め直し、山中を上って僧院までハイキングをする。
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 僧院を見たあと、ポツリときたかと思うと、日がさしているのに、突然、猛烈な雨が降りはじめた。木の下に避難するが、雨の勢いはますます強くなり、雹まで落ちてきて、30分ほどやまなかった。ふたたび僧院の門まで駆けこむが、びしょ濡れになる。小降りになったので、なんとか自動車に戻る。たしかに避暑の効果はじゅうぶんだ。
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 われわれはもう一枚着るものを持っていたので、それに着替えることができたが、ミワは濡れたままで車を運転し、なんとか6時前に家まで戻ることができた。わが娘ながら、たくましくなったものだ。
 翌日は、朝、掃除を手伝い、マテオの運転で建築中の家を見に行き、あたりを散歩してすごした。
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 午後はのんびり休息。パリオの予行演習がはじまるというので、テレビをみていたら、雨が降りはじめる様子が映しだされた。街にほど近い家のあたりはまだ晴れている。
 すぐやむだろうと思っていたら、家のあたりも雨になる。そのうち猛烈な雷雨となった。それが1時間ほどつづく。地球温暖化による天候異変を実感した。夕方の予行演習は中止になった。
 翌朝、ネットの日本のニュースをみる。台風7号が関西に上陸したらしい。円ユーロのレートは1ユーロ=160円近くなった。
 朝10時すぎ、昨日の雨が建築中の家に吹きこんでいないかを確認したあと、ミワの運転でアミアータ山に出かける。途中、トスカーナの典型的な風景が広がる。いまは小麦の収穫が終わっているので、ちょっと殺風景だ。
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 標高1738メートルのアミアータ山は行楽客で溢れ、道路側のあらゆる場所に車が止まっていた。森の中でのんびりキャンプしている人もいる。
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 頂上に向かう道は規制され、下りだけの一方通行になっている。途中で車を止め、歩いていく。ブナ林が広がっていた。
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 道の脇には奇妙なかたちをした巨岩も。
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 頂上近くの駐車場は満車になっていた。このあたりで標高は1670メートルある。その付近のレストランは大混雑で、あるレストランは42ユーロのメニューしか扱っておらず、もう一つのレストランは長蛇の列で、30分以上、待たなければならないという。
 そこでお手軽なバールでパンとハム、ビール、ジュースなどを注文して、そこのベンチで食べることにした。
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 お昼はこれでじゅうぶんだ。
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 今日は聖母マリアの被昇天日にあたり、イタリアも休日だという。バカンス中であることも手伝って、一番混んでいる日にきてしまった。頂上は見ただけで登らず、引き返す。
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 帰途、ローマ時代の温泉遺跡が残るバーニョ・ヴィニョーニに立ち寄る。ちいさな村の真ん中に、水槽型の鉱泉があり、いまもお湯がわきだしている。
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 泉の脇のバールで休憩。
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 岩場にお湯が流れだし、足湯ができるようになっている。下の川のきわにはプールがつくられ、そこで温泉を楽しんでいる人たちもいる。
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 あとで知ったのだが、ここバーニョ・ヴィニョーニは、タルコフスキーの『ノスタルジア』の舞台だった。
 予言者ドメニコは、世界の終末を巫女から聞き、のちにローマの広場で焼身自殺する。主人公のゴルチャコフは、そのドメニコから温泉場の端から端まで炎を絶やさずにたどりつくことができれば奇跡がおこるといわれて、それを実行に移す。
 温泉場にはいつも微風がそよいでいる。そのため蝋燭は二度にわたってかき消される。それでもゴルチャコフはこの奇妙な儀式をやめようとはしない。そして、ついに成功したとたんに心臓麻痺で命を落とす。
 その瞬間、ゴルチャコフの薄れゆく意識のなかで、天井の落ちたサンガルガーノ教会の廃墟に粉雪が降りはじめ、それが追放されたロシアの光景と一体化する。
 ゴルチャコフが奇跡をもとめて、儀式をつづけるロケ地が、じつにこのバーニョ・ヴィニョーニだった。
 そんなことも知らないわれわれは、きょうもお気楽な観光地めぐりをしていた。

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