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カポーティ [雑記]


きのう(21日)駅前のときわ書房で
レンタルDVDが1本100円の特別サービスに
なっていたので、たまたま棚に残っていた、
「カポーティ」を借りてみた。
「新作ですので、1日レンタルですが、いいですね」
と言われて、「はい」とうなずく。
そんなわけで日曜の朝に、ヨーコさんといっしょに
この重たい映画を見るはめになった。
「カポーティ」とはいうまでもなく、
『遠い声 遠い部屋』や『ティファニーで朝食を』、
『冷血』を書いたアメリカの小説家、
トルーマン・カポーティのことだ。
ぼくは大昔に『冷血』を読もうとした覚えがあるが、
やたら長くて、途中で投げだした記憶がある。
カンザス州の田舎で起こった、
一家皆殺し殺人事件を描いた、
ノンフィクション・ノヴェルだ。
映画はカポーティの半生を描いたものではなく、
かれが『冷血』を書いた時代にだけ焦点を当てる。
映像は美しいが、はっきり言って、
日曜の朝に見る映画ではなかった。
見終わったあと、ふたりでぼそぼそと昼食をとり、
市会議員選挙があるので、
投票所の海神小学校に行き、
DVDを返しにいった。
そのついでに、
中央図書館でジョージ・プリンプトンの
『トルーマン・カポーティ』(野中邦子訳、新潮社、
1999)を借りることにする。そのあと、
いつものように、イトーヨーカドーの7階にある
スイミングクラブで30分ほど泳いだあと、
猫用の砂を買って帰宅した。
机の前に座って、朝に見た映画のことを
もう一度思い起こす。
それにしても、役者が本人に似ているとしたら、
カポーティというのは、ずんぐりむっくりしていて、
ずいぶんキンキン声の人だったんだなと思う。
人付き合いが悪いようでいて、
一面、社交界の王様、
本を書くことに関しては誰よりも熱心で、
1年以上の取材もいとわず、
刑務所の独房に押しかけて、
直接2人の殺人犯と話をする強引さと
粘り強さももっている。
小説家はベストセラーを書きたいと思い、
犯人は何とか上告して、死刑を免れたいと思った。
小説家のジレンマ、
それは犯人が処刑されないかぎり、
本が出版できないことだ。
けっきょく『冷血』が出版されるまでに、
足かけ7年の歳月が流れた。
カポーティは、ペリー・スミスとディック・ヒコック
という犯人の絞首刑に立ち会っている。
『冷血』を出版したあと、
18年後に60歳で亡くなるまで、
カポーティは1作も作品を完成できなかった。
なぜか。
謎を投げかけたまま映画は終わる。
プリンプトンの『トルーマン・カポーティ』によると、
『冷血』には多くの読者から熱心な感想が
寄せられた。
それを読んだカポーティは、
「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに
答えて、こう語っている。
「手紙の70パーセントは、あの本がアメリカの
生活を反映していると考えています──
絶望的で、無慈悲で、あてがなく、
野蛮なアメリカと、
多かれ少なかれ孤立してはいるが安全な
アメリカとの間の衝突。
あの本は、現在起こりつつあることについて、
恐ろしいほどあからさまに描いているからこそ
人の心を打つのです」
そして、犯人のひとり、ペリーについても、
こう述べている。
「ペリーは悪人ではありません。
人生でチャンスを与えられていれば、
ものごとは違っていたでしょう。
しかし、どんな幻想を抱いていたにせよ、
それらはすべて消え、
だからこそあの夜、
彼は傷だらけになり、自分を哀れみつつ、
誰かを殺さずにはいられなかった」
もう一度『冷血』にチャレンジしてみようと思う。


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