SSブログ

「よど号」事件再考 [われらの時代]

【連載50】
はっきり記憶しているわけではないが、1970年3月31日に赤軍派による日航機「よど号」ハイジャック事件が起きたとき、ぼくはたしか大学のサークル(雄弁会)の合宿を終えて、東京・新井薬師の下宿に戻っていたような気がする。
あのころ赤軍派は遠い存在ではなかった。
サークルの先輩に赤軍派の幹部がいて、この伝説の人物にぼくは一度も会ったことがなかったけれども、かれが昨年、大菩薩峠事件のあと逮捕されたという話を人づてに聞いていた。
首相官邸襲撃を目ざす赤軍派のグループが、山梨県の大菩薩峠で武装訓練をしているところを一網打尽にされた事件は新聞で大きく取りあげられた。
69年の秋ごろだったか、友人に誘われて赤軍派の集会に出たことがある。
ヘルメット姿にサングラスをかけ、手拭いで口をおおったまま絶叫するように演説していた青年が、世界同時革命、前段階武装蜂起を唱えていた。
すでに安田講堂は陥落し、日大闘争もつぶされ、学園闘争はほぼ終わっていた。
そこに出てきたのが武装闘争路線であり、前段階武装蜂起の主張だったのだ。
革命とは何かが、さっぱりわからなかったぼくは、前段階武装蜂起に二・二六事件のイメージを重ね、ピストルや散弾銃、手製爆弾を持ったグループが首相官邸でも襲うのかなと思っていた。
その結果が茶番に終わることは目に見えていた。

よど号事件と、その後の連合赤軍事件が起こったあと、革命はしょせん幻想だと思うようになった。
流される日々が始まる。
いまも当時の友人たちと話すと、あのころのことはまだ「総括」できていないとか、もう思い出したくないとか、考えたくないとかという答えがよく返ってくる。
たしかに、いまさら青春でもないかという気がしないでもない。
どこかで「断念」があり、どこかで「再出発」があり、また「断念」がある。
そのくり返し。
70年代のことを振り返ってみようという気になったのは還暦の定年が間近になってからだ。
はたしてまた「再出発」があるのだろうか。
世の中のことがいまだにわかっていないという思いがある。

図書館で久能靖著『「よど号」事件122時間の真実』という本を借りて読んでみる。
「よど号」事件にはいくつかの疑問がある。
最大の疑問は、なぜ赤軍派が飛行機をハイジャックして、北朝鮮に入ろうとしたのかということだ。
この本によると、ハイジャックした「よど号」のなかで、赤軍派のリーダー田宮高麿は131人の乗客に向けて、こう演説している。
〈乗客の皆さん、私たちは共産主義者同盟赤軍派です。私たちは昨年、共産主義者同盟赤軍派を結成し、60年代後半において明らかに、ベトナムにおいて、あるいはラオスにおいて、あるいはカンボジアにおいて、そしてアメリカにおいて、それぞれのプロレタリア人民が明らかに世界革命の鬨(とき)の声に決起している。
私たちはそんな状況の中にあって、昨年11月、安保闘争として対決し、それ以後、前段階蜂起をもって世界的プロレタリア人民とともに世界革命の波を、世界革命の橋頭堡(きょうとうほ)を築こうとした。しかし私たちの否定的……否定的であったがゆえにまだ十分な闘いを築くことなく挫折せざるをえなかった。
われわれの闘争は常に万国プロレタリアート団結主義であり、そして常に国境と国籍を捨て、民族を超えたところの強い闘いを展開しなければならない。
私たちはこのような観点から、明らかにそうした世界の人民と団結したところの強い闘争を組まなければならないというふうに総括し、国境を越え、民族を超え、国籍を捨て、新しい世界党の人民と団結する路線固めの世界党建設への第一歩を踏みださんとした。
そしてその第一歩が今日のこの飛行機乗っ取り、ハイジャックというような話でもって決起しました。
私たちは北鮮に行き、そこにおいて労働者、国家、人民との強い連帯を持ち、そこにおいて軍事訓練等々を行い、今年の秋、再度、いかに国境の壁が厚かろうと再度日本海を渡って日本に上陸し、断固として前段階武装蜂起を貫徹したいとしています。
われわれはそうした目的のもとに今日のハイジャックを敢行しました。
乗客の皆さん、乗客の皆さん。危害を加えようとは思わないし、そしてあるいは今日、急ぎの用事等々があるかもしれませんけれども、どうかこうした理由でもってわれわれが敢行しているんだということをはっきり銘記してもらって、われわれからのあいさつにしたいと思います〉
当時のアジ演説の雰囲気がよく伝わってくる。
ばか正直なくらい率直に、田宮は北朝鮮に向かおうとする理由を述べている。
世界革命という言葉が何度も出てくる。
しかし、その実態はつかみがたい。
万国プロレタリアート独裁による世界国家を目指すというのだろうか。
いまベトナムでもラオスでもカンボジアでもアメリカでも世界革命の鬨の声が上がっているというが、それは都合のよい解釈にすぎない。
ほんとうはベトナムやラオスやカンボジアで起こっていたできごとは、インドシナ植民地が崩壊したあとの国家建設をめぐる闘いである。
アメリカではベトナム反戦運動が燃えあがっていたのであって、世界革命が始まっていたわけではない。
だから赤軍派が世界革命というのは、アメリカ帝国主義と結びつく国家――たとえばアメリカ、日本、イギリス、フランス、イスラエル、中南米諸国の独裁国など――によって抑圧されている人民の側に立って、永続的に闘うという意味なのである。
そこに彼らは大義を見いだした。
闘う場所を日本に限らず世界中に広げるのが、これまでの左翼に見られない赤軍派の方向性だった。
しかし、実をいうと、赤軍派はもう日本国内ではほとんど闘えなくなっていた。
前年秋の国際反戦デーや大菩薩峠でも多くのメンバーが逮捕されていた。
その後、最高幹部の塩見孝也なども逮捕され、組織は壊滅状態になっていた。
田宮高麿ら9人がハイジャックを試みるのは、最後のあがきだったといえる。
田宮は北朝鮮に行くのは、そこで半年ほど軍事訓練を行い、また日本に戻って、「前段階武装蜂起を貫徹」する――つまり革命の捨て石になる――ためだと表明している。
ハイジャックした飛行機の乗客に向かってこんな演説をするのだから、かれらがいかに無防備でお人好しであったかがわかる。
そして北朝鮮(正式には朝鮮民主主義人民共和国)のことを「北鮮」と呼んでいるのをみても、ほとんどこの国について知らなかったのではないかと思われる。
地図を眺めると、海を渡ったところに社会主義国の北朝鮮があるという程度だったかもしれない。
追いつめられた赤軍派は3つの方向に走る。
ひとつがいま述べてきた北朝鮮に向かうグループ、もうひとつが重信房子に代表されるような中東に向かうグループ、そして京浜安保共闘と結びついて連合赤軍を結成するグループである。
話が長くなった。
「よど号」について、もう少し触れておきたい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0