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期待と回想 [本]


「黒いネコでも白いネコでもネズミをとるのがよいネコだ」
「黒いネコは白いネコよりも絶対すぐれている」
前の言い方がたぶんにプラグマティズム風だとすれば、後の言い方はたぶんにマルクス主義風だ。
前者が実証的で、後者が思想的(イデオロギー的)なのはいうまでもない。
だとすれば、前者が絶対正しいかといえば、必ずしもそうとは言い切れないのがおもしろいところだ。
ネズミをとりすぎて絶滅に追い込むネコがはたしてよいかどうかわからないし、長期的にみれば、形質的には黒いネコのほうが白いネコよりすぐれているかもしれない。
人はだれしも間違う。
間違いから学ぶのが人の特質だ。
ただし、プラグマティストが間違いを認めやすいのに対して、マルクス主義者はなかなか間違いを認めないし、それどころか人に間違いを押し付けようとするきらいがある。
鶴見俊輔の談話集『期待と回想』を読みながら、そんなことを思った。

自由と拷問が交互に訪れ、しょっちゅう自殺を考えるという自身の人生を、当のご本人はこう語っている。
〈しかし、その[私に与えられる]自由は小さいんですよ。母親の拷問はゼロ歳から15歳まで、私にとっては重大な力として働いていた。もう一つ、拷問に近い感じは鬱病なんです。それが3度――12歳のとき、29歳のとき、38歳のとき、まったく存在の運動として起こっている。自分の自由がきかなくなるわけです。……その4つが私には拷問でしたね。それがなんらかの仕方で私の思想の特色をつくっている。一種の、どうしようもないドグラマグラで、輪廻転生(りんねてんしょう)なんです〉
こういうドグラマグラの人の話がおもしろくないわけがない。
それをいちいち紹介するわけにもいかないので、ここではマチガイ主義という、鶴見の変な「主義」を中心にメモしておくことにする。
このマチガイ主義を取り上げたのは、本書に解説を寄せた津野海太郎である。
マチガイ主義とは何か。
〈われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、マチガイの度合の少ない方向に向かって進む。マチガイこそは、われわれの知識の向上のために最も良い機会である。したがって、われわれが思索に対して仮説を選ぶ場合は、それがマチガイであったなら最もやさしく論破できるような仮説を採用すべきだ〉(鶴見俊輔『アメリカ哲学』)
津野は「解説」で、若いころ、このマチガイ主義がよくのみこめなかったと告白している。
〈なぜそうだったのか。逆に考えてみればいい。むかしの私に「マチガイ主義」がのみこみにくかったのは、おそらく私のうちに、なんらかの「マチガッテハイケナイ主義」が根をはっていたからにちがいない。それは鶴見が批判してやまない「ひたすら正解だけをもとめる明治以来の日本の教育制度」のせいかもしれないし、戦後の規範的な民主主義教育やなかば宗派宗教化したマルクス主義の影響のせいかもしれない。なんにせよ私は、まちがいに価値をみいだす習慣を身につけることなく、まちがうことをおそれ、正しいことをいわなければと思いつづけて若い時代をすごしてしまったらしいや〉

鶴見が自分も人もまちがうというところから出発し、さまざまな人との対話から、まちがいを見つけ、それをだんだんよい方向に修正していくという思考法(批判的常識主義)を身につけたのは、青少年期のアメリカ留学を通じてであることはまちがいない。
政治家で文筆家でもあった鶴見祐輔(ゆうすけ)を父親に、明治・大正期の大政治家、後藤新平の娘を母親に生まれ育った当人は、学校を3度も放校されるような不良少年で、1937年、15歳のときに、困り果てた父親によってアメリカに連れていかれた。
予備校にはいってしばらくすると英語がわかるようになり、それからハーヴァード大学に入学して哲学を専攻する。
変わったのはそれからだ。
大学で勉強したのは2年半、この短い期間で記号論、論理実証主義、プラグマティズムを集中的に学んだことが、それからの人生を決定づけた。
当時、ナチスの迫害により、ウィーン学団に属していたユダヤ人の学者が大挙してアメリカに亡命していた。
アメリカ哲学の水準がそれまでの経験主義哲学から飛躍したのは、大西洋を越えた知識の流入があったからである。
鶴見はまさに知の沸騰するハーヴァード大学で最新の哲学を学んだ。
しかし、太平洋戦争が始まると、1942年3月に「敵性外人の無政府主義者」として連邦捜査局(FBI)に逮捕され、禁固刑を受けたが、大学はかれに卒業証書を与えた。
同年6月、戦時の「交換船」で日本に送り返される船内で二十歳を迎え、戦争中は海軍軍属に志願し、バタヴィア(現ジャカルタ)で勤務した。

敗戦の翌年、雑誌「思想の科学」創刊号に掲載された論文「言葉のお守り的使用法について」で、鶴見は自らの才能をいかんなく発揮する。
軍隊で上官が部下をなぐるときに、それに先だって垂れる訓辞が、自己を正当化する一種の「お守り」であることが記号論的に分析されている。
そのマチガイがどのようにして生じるのかを鶴見は分析した(だが、その後の連合赤軍事件や内ゲバなどをみると、マチガイの教訓は生かされなかったわけだ)。
かれの大きな仕事といえば、誰でも『共同研究 転向』を思い浮かべるだろう。
この共同研究を始めた動機について、鶴見はこう語っている。
〈アメリカから帰ってきたら、軍国時代の言論の指導者が大正時代の平和主義の指導者と同じだった〔これは父親に対する感想のようだ〕。このことはナチスドイツでも同じように起こったのか。ムッソリーニのイタリアではどうなのか。ナチス占領下のフランスではどうなのか。さかのぼってローマ皇帝がキリスト教を受け入れたときはどうだったのか。権力と正義とが一致したという錯覚をもったとき、知識人はどうなるのか。それを全体として記述していく新しい枠を見つけたと思った〉
非転向を貫いたとするマルクス主義者に対する評点はけっして甘くない。
〈私は戦前から、マルクス主義はキリスト教の新形態だと思っていた。マルクスもレーニンも、あまりにもキリスト教的だと思っている。実践的なキリスト教の一形態としてのマルクス主義に対しては脱帽しますけど、マルクス主義の考え方はどうしても、「真理はここにある、これを信じなさい、まだわからんのか」と、頭をポカッとぶん殴る方向に行くんです。それは具合が悪い。マルクス主義者たちは自分たちが犯したまちがいがどういうものであったかを認めて、そこから真理の方向を探るというのがいいんだけど、なかなか敗退を認めないんだな〉
マチガイ力を学ぶには絶好の1冊だ。


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