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新左翼とは何だったのか [われらの時代]

【連載59】
ブントの「戦旗派」を率いた荒岱介(あら・たいすけ)による新左翼興亡史である。
よくまとまっていて、けっこう読みごたえがある。
語られているのはタイトルのとおり、著者にとっては、すでに過去となったできごとだ。
しかし、現実に革マル派や中核派をはじめとするグループは現在も活動しているわけだから、新左翼を過去として語る著者の姿勢に反発を覚えるにちがいない。
それに、そもそも左翼が嫌いな人にとっては、さらに過激な新左翼などの本など、ましてその当事者がいけしゃあしゃあと書いた本など読みたくもないと思うかもしれない。
ぼく自身は学生時代、いわゆる「学園闘争」の端に連なっていて、党派にこそ所属しなかったものの、大学では著者の率いる共産主義者同盟(ブント)と近い位置にいた。
だから、思いは多少複雑である。
もう忘れたいような気もするし、あのころの経験を少しふり返ってみたいような気もする。
しかし、一読して、いい本だと思った。
読んでいて、ぼく自身がブントにいちばん接近したのは、68年の10・21国際反戦デー前後だったかもしれないと気づく。
ぼくの記憶は混乱していて、以前このブログ(「雄弁会時代」)で書いたように、東京医科歯科大学に連れていかれたのは、安田講堂陥落後の69年4月28日だと思い込んでいた節もある。
それが少し揺らぎはじめた。
前に書いたようにM氏の記憶のほうが正しかったのかもしれない。
10・21前後のできごとを著者はこう記している。
〈10月8日には新宿で米タンク車輸送阻止闘争が行われ、中核派などが群衆もまじえ5000人で新宿駅構内に突入しました。バリケードが築かれ、警官隊と衝突、150人が逮捕されます。それに呼応するように20日には社学同26人が防衛庁に突入します。筆者は東京医科歯科大学に学生を集め、トラックの荷台に乗った学生を先導して、この闘争にかかわりました。トラックを横づけして正面入り口から入ったのですが、警備はなかったのです。ペンタゴンとは大分違うなと思ったものです〉
この日、ぼくも東京医科歯科大学にいた可能性がある。
そして10月21日、新宿駅では中核派、ML派など1500人が構内を占拠、その他ブント系1000人が防衛庁に突入、解放派1000人が国会構内に乱入するなどの大騒ぎになって、新左翼各派に騒乱罪が適用されるのである。
この日の逮捕者は全国で900人にのぼった。

新左翼はマルクス・レーニン主義を存立根拠とし、ロシア革命を革命のモデルとしている。現在残っている左翼政党は、マルクス・レーニン主義やロシア革命と縁を切った政党が多い。しかし、かつての旧左翼は、日本共産党にしても、それらを高く評価していたものである。
だとすれば、旧左翼と新左翼のちがいはいったいどこにあるのだろう。
新左翼の思想的人脈はトロツキーにさかのぼるとされる。
レーニンとともにロシア革命を指導したトロツキーは、のちにスターリンと対立してロシアを追放され、メキシコで暗殺された。
トロツキーはマルクス・レーニン主義を世界革命の原理としてとらえ、ロシア革命を挫折した革命と位置づけ、ソ連をスターリニズム国家と規定した。
新左翼は基本的にこのトロツキーの考え方を引き継いでいる。
日本で新左翼が華々しく登場するのは60年安保の時代以降である。
その後、一時退潮するが、60年代末から70年代初めにかけ、ベトナム反戦運動、「大学紛争」によってよみがえり、最高潮に達する。
そしてその後は連合赤軍事件や連続企業爆破、内ゲバなどによって、大衆的支持を失い、急速に衰退していくのである。
あのころから30年以上たった現在、著者は新左翼没落の理由を次のようにとらえている。

(1)新左翼は共産党=スターリン主義をあってはならないものと考え、真のマルクス・レーニン主義に立ち返れと主張したが、その結果、「とんでもない自己絶対化と尊大化」に陥ってしまった。
(2)新左翼がマルクスとレーニンを経典とし、それ以外をすべて否定の対象とする原理主義に走ってしまった。
(3)社会党や共産党に代わる「前衛党」の建設を唱えて、自己の内部に閉じこもる閉鎖的な組織をつくりあげてしまった。
(4)科学的と称する古くさい「唯物史観」にとらわれ、新たな現実をとらえる視座を見失ってしまった。
(5)武装蜂起による権力奪取を金科玉条とし、内実のともなわない直接民主主義をかかげ、議会制民主主義をはなから否定してしまった。

こうした頭でっかちの自己閉鎖的で暴力優先的な体質が新左翼の没落をもたらしたというのだが、要するに新左翼はカルト化していたのである。

70年前後のベトナム反戦運動と「学園闘争」が盛り上がった時代、著者に言わせれば「70年安保闘争」の時代については、こう記されている。
〈70年安保闘争の高揚を、自派拡大のチャンスとしか考えられなかった新左翼各派は、共産党伝統のような前衛党志向をこえられないまま、「全世界を獲得するために」という自家中毒を深めてしまったのです。……その最も端的な表れが、運動の高揚後、70年代に本格化する中核派と革マル派による内ゲバの勃発、中核派いうところの「絶対戦争」の勃発です。……もう一つは、同じ理由が別の形で表れたものともいえるのですが、武装闘争を主張する赤軍派のブントからの分派と、「戦争」への突入に象徴される事態です〉
「よど号」ハイジャック事件などに見られる赤軍派の国際化と、その後の連合赤軍事件、さらには中核派と革マル派の内ゲバは、まさに新左翼の「自家中毒」だったと言わざるを得ない。
トマス・ホッブズは「万人の万人に対する戦い」を唱え、人間にはほんらい闘争本能が備わっているとしたが、新左翼の「自家中毒」現象をみれば、その考えは修正したほうがよさそうである。
人が恐ろしいほどの闘争本能に駆られるのは、むしろ組織に属する人が組織のために身を滅しようと決意するときではないだろうか。


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革命21事務局

はじめまして。貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。「運動型新党・革命21」準備会の事務局です。
 この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。
 この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権による軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て政策などに抗し、新しい政治潮流・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)
 この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニオンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当サイトでご覧になれます。rev@com21.jp
by 革命21事務局 (2008-10-10 16:24) 

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