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小さき者の声 [柳田国男の昭和]

《連載19》
 時代を元に戻す。
 斎藤実内閣はリットン報告が出される前に満州国を承認した。リットン報告は満州における中国の主権を認めながら、日本の地位を確認するという玉虫色の解決策を示していたが、満州国の独立を容認していたわけではなかった。国際連盟はリットン報告にもとづいて日本に対し勧告案を採択する。だが、日本は国際連盟からの脱退を選択した。
 関東軍は2月下旬に熱河省〔(ねっかしょう)現在は遼寧省、河北省、内モンゴル自治区に組み入れられている〕を押さえ、山海関を起点とする長城線〔すなわち万里の長城〕以北を満州国に組み入れたのち、4月上旬に河北省に侵入した。
 この段階で日本政府は国民政府行政院長(首相)に返り咲いた汪兆銘(おうちょうめい)と妥協をはかった。5月31日に締結された塘沽(たんく)協定は、河北省東北部を非軍事地帯とする代わりに、日本軍が長城線以北に撤退するというもので、これにより満州国の国境が確定した。言い換えれば、国民政府が満州国を事実上承認したのである。
 満州国では国防・政治・経済の実権を日本側が掌握していた。王道楽土はあくまでも日本側の身勝手な夢にすぎない。虚勢と不安がないまぜになった国際的孤立のもとで、その夢は力をもってしか実現し得なかった。
 軍部や政府が満州国への見果てぬ夢をふくらませるなかで、柳田国男は玉川学園出版部の発行する玉川文庫の1冊として『小さき者の声』を出版する。大きなロマンにちいさな声で応対するところが、いかにも国男らしい時代感覚を感じさせる。
 ただし、この出版企画は国男の校閲を経ない、ずいぶん乱暴なものだったらしく、1942年(昭和17)に改訂版が出るときに、かれは次のような不満をぶちまけている。

〈この本は前年「玉川文庫」という叢書の中で、少部数刊行したことがある。私はあの文庫を助け、かつ地方の知人たちに読んでもらおうという願いをもっていたのであるが、全く自分の知らないうちに、いつの間にか世に出てしまい、1冊も私のところへは持ってこなかった。おまけに著者の姓名までまちがえて、実に不愉快な印象を残している〉

 著者の名前まで間違えてしまったのだから、うかつとはいえ、編集者ができあがった本を持って国男の自宅に参上できなかったはずである。それとともに国男の癇癖(かんぺき)ぶりをうかがわせるところがおもしろい。
 とはいえ『小さき者の声』はいささか中途半端に終わった作品だった。小学校の教員を主な読者として想定したこの本は、全国にわたって児童の語彙(方言)を集める過程で生まれた途中経過報告で、「かごめかごめ」や「ほとほと」「お杉たれの子」「シンガラ(ケンケン)」などの遊戯が各地でどのように呼ばれ、その由来がどうなっているかを探ろうとしていた。
 たとえば国男はこう書いている。

〈かごめかごめの詞(ことば)の意味はもう分かりませんが、この遊びのどうして始まったかは、たいてい想像することができます。一人の子供に目を閉じさせて、円い輪の真ん中にしゃがませます。手をつないだ大勢が、その周囲をきりきりと回って、囃(はや)し言葉の終わるとともに不意に静止して、「うしろの正面だーれ」と問うのです。その答えの的中したときは、名指された子が次の鬼となり、同じ動作をくり返すことになっていますが、もとはこの輪を作っている子供の中の年かさの者が、ほかにもまだいろいろの問答をしたのではないかと思います。この遊戯が今の東京の樽御輿(たるみこし)などと同じく、以前の信仰行事の模倣であることは、現在その変化のいろいろの段階が併存することによって証明せられます〉

 ここでも子供の遊戯に固有信仰の痕跡を探ろうとする国男の姿勢を見て取ることができるだろう。

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]


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