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中島敦の幻の長編小説 [本]

『狼疾正伝』を読む(3)

 中島敦に「北方行」という幻の長編があることは、この本を読むまで知りませんでした。サモアのスティーヴンソン(「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」で有名な作家)のことを描いた「光と風と夢」は知る人ぞ知る傑作ですが、満州を舞台にしたこんな長編小説を中島敦が書こうとしていたとは、ちょっと驚きでした。
「山月記」や「李陵」などを読めば、中島敦は短編作家というイメージが強いのですが、むしろ本来は大長編作家になる可能性を秘めた人だったことがわかります。
 この小説で満州を舞台にしたのは、ソウルから地続きのこの地が、中島にとって親しい場所だったからでしょう。それだけではないかもしれません。人も土地も異国情緒をかきたてたという点では、満州という場所は、さぞかしかれを引きつけたのにちがいありません。
 川村湊によると、中島敦は何度も満州を訪れています。教師の父が大連の中学に移ったため、修学旅行以来、夏休みや冬休みで帰省したときには満州を旅したといいます。肋膜炎で大連の満鉄病院に入院したりもしています。そして、その経験をもとに「D市七月叙景(1)」や「病気になった時のこと」「ロシヤ人の名前は」などの短編を書きました。しかし、短い旅の印象から、深みのある小説作品を仕上げるには無理があったようです。
 そして24歳の時に書きはじめたのが、幻の長編現代小説「北方行」で、幻というのは、これが未完のまま発表されなかったためです。
 川村湊によると、その舞台は、
〈国際的な謀略や戦略のルツボとしての満洲。上海、北京、南京、大連、奉天(瀋陽)などの中国の各都市は、外国の租界を抱える半植民都市として、中国でもなく、日本でもない、いわば“雑種”混血の都市として成立していた〉
 ここにはジキル博士とハイド氏のように対極的な男たちが登場します。ヒロインたちもなかなか複雑です。〈日本人として生まれながら、中国人留学生と結婚し、北京(北平)のお屋敷街の一角にある邸宅で未亡人生活を送っている白夫人と、その娘である麗美と英美との、混血の姉妹〉
 何かが起こりそうな雰囲気です。短編の話の運び方がうまいのをみても、中島敦の本来の姿は、長編の物語作家なのではないかという気がします。
 しかも、この作品は主人公が現実の中で成長していく「教養小説」の体裁をもち、さらにそれが全体小説・社会小説へと広がっていく可能性を秘めていた、と川村は評価しています。
〈日本─朝鮮─中国の、風雲急を告げる現代史、それは中国への列強の帝国主義的支配の問題であり、軍閥や国民党・共産党などの国内戦、そして植民地問題という、まさに「現代」そのものの問題をこそ、中島敦は、その未完の長編小説で試みようとした[のである]〉
 こうした評価から、中島敦をプロレタリア文学者と考えるのは、全くのまちがいです。むしろかれの場合は、「国士」のイメージに近いのではないかとさえ思えるのです。国士といっても愛国主義を振りまわす右翼暴力団のたぐいではありません。中島敦が好きなのは「斗南先生」に描かれたような人物なのです。つまり陰謀術数の人より、悲憤慷慨の人といえましょう。
 小林多喜二が「党生活者」を発表した翌年に執筆された「斗南先生」は、実在の人物、つまり伯父の中島端(斗南)をモデルにした小説です。「狷介(けんかい)にして、善く罵(ののし)り」、婦人を近づけず、骨灰を太平洋に投ぜよといって死んでいった人です。その伯父のことを中島敦は、ちょっとユーモラスな口調で、それでいて敬愛をもって描いています。
 中島敦は、この伯父と気質がどこか似ていると思っていたようです。そうみると、長編小説の構想といい、悲憤慷慨の正義感といい、中島敦にはこれまでとらえられていたのとは別の側面が感じられます。


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