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細見和之『「戦後」の思想』がいい [本]

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閑居老人のくせに、このところ、何かと忙殺されてしまって、ほとんど本を読んでいない。
新聞は何だか小うるさいし、テレビはほんとにうるさい。
たまに東京に出るときは映画を見る。「のだめカンタービレ」も「アバター」もおもしろかった(好きなのは言うまでもなく「のだめ」)。
本はこの1カ月で半冊しか読んでいない。つまり、1冊を読み終わっていないというわけだ。
このブログのテーマは「本」のはずなのに、これではいささか情けない。
半分読んだという本は、細見和之の『「戦後」の思想──カントからハーバーマスへ』(白水社)である。
著者はタイトルから察するに、ドイツ哲学を専門とする学究のようだ。
ぼくのような哲学知らずには、なかなかむずかしい本だが、わずかなひまを見つけて、少しずつページをめくっていくと、意外や意外、ハラハラドキドキするのに自分でも驚いた。
ハラハラドキドキの哲学書というのはめずらしい。そもそも形容に矛盾がある。静かに思索を深めるのが哲学なのに、なぜハラハラドキドキなのか。ちょっとへんなのである。
しばらくするうちに、その理由がわかってきた。戦争をめぐる本だからである。もっと正確にいうなら、戦争を超える哲学はあるのかというのが本書のテーマである。『「戦後」の思想』というタイトルには、有史以来、殺し合いをつづけ、いまもアフガン・イラク戦争やパレスチナ紛争などから抜け出すことができない人類が、はたして戦争をやめて、これから生きのびていけるのかという、著者の思いが秘められている。
一等最初にカントの『永遠平和のために』がとりあげられるのは、とうぜんだろう。
永遠平和──すばらしい理念だ。「[しかし]カント以降、およそ平和とは縁遠い二百数十年の歴史が続いたのであり、それはいまも変わらない……永遠の平和どころか永遠の戦争というのが実情に近い」と著者も書いている。
カントの思索の強靱さには圧倒される。
すべてを紹介するわけにもいかないが、ほんの一例を挙げてみる。

〈将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約と見なしてはならない〉
〈独立して存続している国は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有とされてはならない〉
〈常備軍はいずれは全廃されるべきである〉

この提言が守られてさえいれば、そもそも第一次、第二次の世界大戦も起こらなかったはずなのだ。
カントは国家間の競争を否定してはいない。しかし、それが戦争にいたることは避けねばならないと信じていた。

〈[戦争のあとになって、人はようやく]理性があればこれほど痛ましい経験を積まなくても実現できたはずのこと、すなわち無法な未開の状態から抜けだして、国際的な連合を設立するという課題[に気づく]〉

それでも、相変わらず人は同じことを繰り返している。
カントは人の理性を信じた。世界市民=哲学者が自由に交流する仮想の世界共同体を、現実の国家の上にかぶせることによって、戦争が避けられるのではないかと思った。
だが、カントの構想は、新たな現実によってあっさりと突破される。それがナショナリズムの登場だったと著者はとらえている。
この本、ますます目が離せない。

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