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鈴木主税先生のこと(1) [人]

翻訳家の鈴木主税先生が亡くなってからもう4カ月すぎた。
早いものである。
先生に初めてお会いしたのは、たぶん1999年の初めではなかったか。
それからぼくが単行本部門から異動になる2007年春まで約8年間おつきあいいただいた。
鈴木先生とその翻訳グループ牧人舎とのあいだでは、こんな仕事をさせてもらった。

ジェームズ・マン『米中奔流』(1999年12月)
ダニエル・バースタイン、アーン・ド・カイジャー『ビッグ・ドラゴン』[田川憲二郎訳](2000年3月)
セオドア・ローザック『賢知の時代──長寿社会への大転換』[桃井緑美子訳](2000年10月)
カール・サフィナ『海の歌──人と魚の物語』(2001年3月)
コリン・サブロン『シベリアの旅』[小田切勝子共訳](2001年11月)
マルク・ド・ヴィリエ『ウォーター──世界水戦争』[佐々木ナンシー、秀岡尚子共訳](2002年11月)
アグネス・チャン、マイラ・ストロバー『この道は丘へと続く──日米比較 ジェンダー、仕事、家族』[桃井緑美子訳](2003年9月)
ジョン・エスポジト『オックスフォード イスラームの歴史』(全3巻)[小田切勝子訳](2005年4月、6月、8月)

このほかにも、ロバート・マクナマラ『果てしなき論争──ベトナム戦争の悲劇を繰り返さないために』[仲晃訳](2003年5月)でもご協力いただいた。そして、最後にぼくが担当したものの挫折し、けっきょく他社から出版されることになったモンテフィオーリの『赤いツァーリ』(白水社から『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』というタイトルで最近出版)を、4分の1ほど鈴木先生が訳されたところで、倒れられたのだった。
どれもいい本だったが、採算がとれたのは『米中奔流』と『ウォーター』だけで、あとは赤字だったと記憶している。増刷できたのは『ウォーター』のみというのは少し残念だ。
虚勢を張っていたものの、ふりかえってみれば、あのころ社内での立場は苦しく、まったく孤立し、上のほうからは白い目でみられていたことを覚えている。
2003年以降の本が少ないのは、ぼくが管理職と現場をかけ持ちするようになったことと、リストラの影響で人が少なくなってしまったことによる。
しかし、思えば、この10年、単行本をつくっていたのは、ぼく一人なのだった。意地みたいなものである。それがまた社の上層部から嫌われる原因となった。

そんなことは、どうでもいいことで、一種のお家事情にすぎない。
1999年の初めと記憶するのだが、中野の事務所で先生と初めてお会いしたときは、若くてエネルギッシュで、とても65歳近い人とは思えなかった。肌つやがよく、声も朗々として張りがあった。
いま国会図書館のNDL-OPACで鈴木主税の名前で検索してみると、216件の該当書があり、件数が200件を超えたときの「絞り込み再検索を行ってください」の表示がでてくる。牧人舎グループで翻訳されたものも多いのだろうが、翻訳書に大作が多いことを考えれば、これは異様な仕事量である。毎年平均5冊、いやおそらく多い年には10冊以上の仕事をなさっていたのだろう。
それは多くの出版社から注文がきたということでもあるが、出版社が鈴木先生に翻訳を依頼したのは、鈴木先生に信頼感があったからである。
ぼくも経験があるが、いつかいつかと待った末に、もらった翻訳原稿がちんぷんかんぷんで頭をかかえたことは、編集者ならだれでも一度は経験したことがあるのではないだろうか。そのときは目をつぶって出すこともあるが、自己嫌悪にかられる。少なくとも、二度とこの人に翻訳は頼むまいと思う。
その点、鈴木先生は安心だった。まずできあがりが早い。それに原稿が読みやすい。つまり、編集者が楽できる先生だったのである。
つまり鈴木先生は、ノンフィクション部門(歴史、時事、経済、環境問題など)での翻訳のプロだったのである。
プロという意味はいろいろある。ひとつは日本語として読める翻訳ができるということ。もうひとつは約束した期日までに翻訳を仕上げてもらえるということ。そして、さらに翻訳でめしが食えている人だということでもある。
しかし、プロの翻訳家になるまでには、ぼくらのような凡人にはおよびもつかぬ努力をされたにちがいない。
そのことをもう少し書いてみたい。

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