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プロは1日にして成らず──鈴木主税先生のこと(2) [人]

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どの本でも同じだが、とくに翻訳の場合は出だしが肝心で、出だしの五六行をみれば、だいたい翻訳の水準がわかる。
たとえば、鈴木先生の訳された『ウォーター』の出だしを引いてみよう。

〈カナダ南部、オンタリオ州の広葉樹林地帯の町、メイヌースにほど近い場所、私の農場はそこにある。農場の家畜小屋の裏手には小さな泉があって、地面から緩慢にふつふつと水が湧きだしている。森を抜ける風がなければ、耳を澄ますとこぽこぽと小さな音が聞こえてくる。おっぱいを飲み終えた赤ん坊のげっぷのようだ。水は草地を通り抜け、遠い昔に農民が残した石の小水路のなかにしたたり落ちたあと、水たまりをつくる。そこからしばらく地下にもぐり、小さい湿地で再び地表に現われ、渓谷に姿を消す。下流へ行くと、それは小さな流れをつくり、別の流れと合流して小川となって、湖となる。そして……そう、あとはおわかりだろう。海に達してからは、そこに当分とどまることになる〉

まさに水の流れるような、よどみない翻訳ではないだろうか。
頭に風景が浮かんできて、何やら壮大な物語の始まりを予感させる。
辞書を引き写しただけでは、おそらくこんなふうにすっきりした翻訳にはならない。本のふところにはいりこんでいかないと、こういう訳はでてこないのだ。
最初に原稿をもらったとき、さすがにプロの翻訳はちがうなと思ったものだ。

しかし、その鈴木先生ですら、最初からプロの翻訳家だったわけではない。人知れぬ苦労があったはずだ。
『職業としての翻訳』という鈴木先生の著書を読むと、翻訳者の条件として、先生は、次のような項目をあげておられる。

(1)何よりも本が好きであること
(2)好奇心が強いこと
(3)細心であり、かつ神経が太いこと
(4)積極性があること
(5)義理堅く、几帳面であること
(6)体力があること

これはまさに鈴木先生の自画像ではなかったかと思われる。
タフで繊細、義理人情に厚く、本が大好き、仕事はもっと好きな人だった。
それを支えていたのは、好奇心の強さである。
中野の事務所で仕事の打ち合わせをしたあと、ブロードウェイ商店街の脇に立ち並ぶ居酒屋などで、先生の話をうかがうのは、ひそかな楽しみだった。
翻訳談義にとどまらず、沖縄の生活や離島めぐりの話、それから最近読んだ本のことなど、それこそ話題はつきることなく、しばしば談笑は深夜までおよんだ。ぼくが山片蟠桃のことについて話すと、先生は松浦武四郎について、一度書いてみたいものだとおっしゃっていた。もし鈴木先生がそれを小説に仕上げておられたら、蝦夷地を舞台にアイヌ、日本人、ロシア人が入り乱れる、壮大な歴史物語が生まれただろうなと想像するが、それはかなわなかった。
ぼくはいい加減、酔っぱらっている。それで、あいさつをして、ふらふらになって駅に向かう。後ろを振り返ると、先生はしっかりした足取りで、シャッターの降りたブロードウェイ商店街を悠然と歩いておられた。これからまた仕事をすると言われたのには、びっくり仰天したものだ。
プロの翻訳家はどれくらい仕事をするのだろう。おそらく1日8時間は机に向かいきりで、鈴木先生の場合は400字で30枚程度訳されていたのではないだろうか。これはほとんど神業である。
しかし、プロの翻訳家になるまでには、日常の努力の積み重ねがあったはずである。
何年も下訳者をされた時代があったし、専門家のところに通われて勉強をつづけられたこともあったと聞く。出版社の顧問をされて、エージェントから送られてくる何冊もの原書を読んで、出版企画を立てるという仕事をされたこともある。たいへんな苦労をされたと思うが、これがまた次につながる修業になった。
『職業としての翻訳』で、先生はこう書いておられる。

〈しかし、習うよりは慣れろと言うが、まさにそのとおりだった。英語を読むのがしだいに早くなったのです。最初は原著を1時間に10ページ読むのがやっとだったのが、15ページ、20ページと早くなり、4、5年後にはよほど難解なものでも1時間に30ページ以上も読めるようになったのです。その会社での仕事は,当初1年くらいのつきあいだろうと思っていたのだけれど、結局10年の長きにわたってつづくことになりました。そして10年後には、日本語の本を読むのとあまり変わらないスピードで原書が読めるようになっていたのです〉

まさにプロは1日にして成らずである。

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