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近代国家とは何かーー『世界史の構造』を読む(4) [本]

著者は近代国家の特徴を主権に求め、その淵源が西洋の絶対主義王権にあったとしている。
主権とは何か。いってみれば、それは国内を統治する絶対的な権力のことだ。立憲君主制であれ民主制であれ、近代国家はこの主権を有している。どんな場合でも、被統治者(国民)は、主権を有する国家の意志、つまり法に従わなければいけない。
しかし、主権が大きな意味をもつのは、他の国家に対してであるともいえる。つまり、一定の領土内における他国の干渉を排除するところに主権の本来の性格があるのだ。
著者が、国家は容易に揚棄されないとみているのも、そのためだ。

〈国家を容易に揚棄できないのは、それが他の国に対して存在するからである。そのことが露骨に示されるのは戦争においてである。むろん、現実に戦争が起こらなくてもよい。敵国があるということだけで十分である〉

マルクス(やレーニン)の考えた国家の廃棄が幻想に終わり、それどころか社会主義が惨憺たる抑圧体制を生み落とした理由がわかるだろう。
近代国家は官僚制と常備軍を保有している。そして、国家意志をもっとも体現するのが、この機構であり、ときにそれは無理やり国民に国家意志を押しつけることさえある。
ここで著者は「議会制民主主義とは、実質的に、官僚あるいはそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込ませる、手のこんだ手続きである」とさえ述べている。気持ちはわかるが、もちろん、これは官僚制へのうっぷんと受け止めておけばよい。

近代国家を経済的に支えているのは、いうまでもなく資本主義である。そして、国家を感性的に支えるのが「ネーション」という意識だと著者は考えている。これはとてもおもしろい視点だ。
ネーションとは、日本語流にいえば、もともと「くに」とか「はらから」といった意味をもっている。それが近代にいたって、国民や民族と解されるようになった。
ネーションは感性の産物である。いわば、「くに」を「いえ」のように思うことだ。
ネーションはステート(状態)としての国家すなわち政府と対立することもある。かつての共同体を解体しようとする産業資本に対抗することもある。そのいっぽうで、それは崩壊した政府や産業を再建する役割を果たすこともある。ナショナリズムの形態をとって、国家を動かすこともある。だが、いずれにせよ、それは近代の産物だ。
ネーション=「国民」について、著者はこんな言い方をしている。

〈「国民」とは、現にいる者たちだけでなく、過去と未来の成員をふくむものである。ナショナリズムが過去と未来にこだわるのはそのためである〉

その伝からいえば、まさに柳田国男の民俗学は、まさしくネーション=想像の共同体を求めつづける学だったといえる。
それはともかく、著者は近代国家の構造が、国家と資本、ネーションの環からできあがっているとかんがえている。いわば資本=ネーション=ステートが近代国家の骨組みなのだ。
それはすでにヘーゲルが『法の哲学』でとらえた近代国家の構造であり、それは容易に壊すことができない。これは重要な論点である。

近代国家を前進させている源が、資本主義的な産業経済であることはだれもが認めるところだろう。近代の資本主義には、歴史的に先行する過去の経済システムとは根本的に異なる点がある。それは、資本主義経済のもとでは、商品を媒介として、産業資本と労働力商品の循環構造が成立していることだと著者は指摘している。
著者はさらにいう。

〈産業資本の画期性は、労働力という商品が生産した商品を、さらに労働者が自らの労働力を再生産するために買うという、オートポイエーシス的なシステムを形成した点にある〉

著者は賃金労働者(プロレタリアート)が搾取されているとか、ますます窮乏化するといった説をとっていない。それでは剰余価値はいったいどこから生じるのだろうか。商品を労働者に売ることによって、というのが答えだ。
「資本が蓄積を続けるためのは、たえず新たなプロレタリアが必要なのである」。新たなプロレタリア、つまり賃金労働者=消費者が誕生しなければ、商品が売れるわけはない。こうして資本主義経済は、社会全体、人間全体をますます商品化していかないわけにいかない。
資本主義は、絶え間ない技術革新と、新たな消費者を生みださないと終わってしまう、と著者は指摘している。商品にとどまらず資本自体が、海外に向かうのはそのためだ。剰余価値を求める資本の運動はとどまるところを知らない。
現在の状況について、著者はこう書いている。

〈1930年代の大不況ののちに、世界商品は耐久消費財(自動車や電気製品)に移行した。それは大量生産・大量消費による「消費社会」をもたらした。しかし、それが飽和状態に達したのが1970年代であり、その深刻な不況から脱するためにとられたのが「グローバリゼーション」である。それは、新たな労働者=消費者を見出すことである。それを可能にしたのがソ連邦の崩壊(1991年)であった。こうして、これまで世界市場から隔離されていた旧社会主義圏およびその影響下にあった地域に、世界資本主義の活路が見出された。しかし、これはインドや中国などの巨大な人口を巻き込むものであるがゆえに、それまでに露呈していた諸矛盾を爆発的に激化させるものである。環境破壊も危機的なレベルに達する〉

いよいよ資本主義も末路という気がする。
もう少し先を読んでみることにしよう。
それにしても暑い。本も分厚い。



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