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政治的ロマン主義ないし文学的発想への疑念ーー『世界史の構造』を読む(5) [本]

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近代の資本=ネーション=国家(ステート)という三元構造を解体して、アソシエーショニズム(本来の社会主義、つまり協同組合主義)にもとづく世界共和国をめざすことを、著者は現代の課題と考えている。
これは何を意味するのだろうか。
ネーション=国家、すなわち国民国家は、容易に解体されないにせよ、「それは歴史的な構築物であり、かつ不安定なものであり」、「国民国家が最終的な単位でないことも確かである」と、著者は断言する。
さらに1990年代以降については、アメリカの絶対的なヘゲモニーが崩れ、多数の帝国(中国、ロシア、インド、イスラムを含めて)がせめぎあうようになった時代と認識する。つまり、現代は新自由主義の時代というよりは、新帝国主義の時代なのだ。
しかも、そのなかで産業資本主義は危機に面している。

〈産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としている。第1に、産業的体制の外に、「自然」が無尽蔵にあるという前提である。第2に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提である。第3に、技術革新が無限に進むという前提である。だが、この3つの条件は、1990年代以降、急速に失われている〉

戦争の危険性は常に残っていると著者はいう。
それでは、どうすればよいのか。
資本と国家への対抗運動、すなわちアソシエーショニズムが求められるのだ。
これまでの労働運動は資本にとりこまれるものでしかなかった。これからの社会運動は、市民または消費者が大きな役割を占め、それにマイノリティやジェンダーの運動が加わるというのが著者の見方である。消費者=生産者協同組合や地域通貨・信用システムをつくるのもいいという。
国家や帝国がなくなるのは、一国家ないし一帝国の革命によってではなく、原理的にいえば世界同時革命によってだと著者はいう。そうでないと、革命は国家ないし帝国の再構築に帰結するからだ。
ここで著者がカントの「世界共和国」をもちだすのは、それに共感を覚えているためである。世界共和国とは、世界国家ではなく、諸国家連邦の延長にあるものであり、その理念は現在の国連や欧州連合(EU)のようなかたちで、不完全ながら実現されている。

〈国連を新たな世界システムにするためには、各国における国家と資本への対抗運動が不可欠である。各国の変化のみが国連を変えるのである。と同時に、逆のことがいえる。国連の改革こそが、各国の対抗運動の連合を可能にする、と〉

著者は「互酬にもとづく世界システム、すなわち、世界共和国の実現は容易ではない」が、それはカントのいう「統整的理念」として、世界の将来を照らしつづけるのだと述べて、本書をしめくくっている。

こうしてまとめてみると、いまさらながら気づくのは政治的ロマン主義のにおい、しかもかなり文学的な雰囲気である。
資本=ネーション=国家を揚棄するという発想からしてそうだ。たとえば、資本や貨幣については、消費者=生産者協同組合や地域通貨・信用システムがそれに替わるものとして想定されている。しかし、そうした団体やシステムが機能するのは、自給自足的な村や、地域でのめずらしい変わった取り組みとしてであって、これが世界的な普遍性を獲得するとは思えない。
世界同時革命によって国家を揚棄するとは勇ましいが、その具体的なヴィジョンは語られていない。国連の改革、あるいは諸国家連邦というのが関の山である。国連を改革・強化して、戦争をなくし、南北の経済格差を是正するといったところで、各国が国連の命令に素直に従うかどうかはわからない。そういうようにさせるために、各国で同時に社会運動を巻き起こさねばならないというのかもしれないが、社会運動が直接、国連の改革に結びつくとは考えにくい。
また諸国家連邦は概してブロックどうしの対立をもたらす。それに諸国家連邦といっても、ネーションの問題、つまり民族や言語、文化の問題は容易に克服しうるとは思えない。主権国家の存在はけっして無視するわけにいかない。
そうしたことを考えると、著者のいう「互酬にもとづく世界システム、すなわち、世界共和国の実現」というのは、とてつもないホラ話にみえてくるし、イカロスの神話を再現するだけと懸念するのもとうぜんだろう。
そこには無益な飛躍がある。
ダメだ、ダメだ、というのは本意ではない。
互酬なき資本や国家の自己増殖は、掣肘されてしかるべきである。商品が人の世に何をもたらしているかについても検証されなくてはならない。貧富の格差をできるだけ少なくしていくのも、あたりまえの課題だろう。国家間の戦争もできるかぎり避けなければならない。一国だけの視野ではなく、世界に恥じぬ視野が必要だろう。
問題はそれらのことであって、けっして資本=ネーション=国家の揚棄と「互酬にもとづく世界システム、すなわち、世界共和国の実現」ではないと思うのだが、そうした考え方は打算的で、没理念的だというのだろうか。




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