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富岡製糸場を見学 [旅]

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9月23日。次女とその夫が休暇をとって、福岡から戻ってきたので、荒船山ふもとにある山荘あらふねに寄り、近くのコスモス園を見て、それから昔勤めていた会社の軽井沢寮で1泊しようという計画を立てていました。
ところが、あいにくなことに、この日は大雨。しかも、きのうの残暑から一転して、気温が10度以上下がるという悪天候になりました。
そこで急遽、予定を変更して、富岡インターで下り、世界遺産への登録をめざしている富岡製糸場を見学することにしたというわけです。
コイン駐車場に車をとめると、歩いて300メートルほどのところに、横長の煉瓦づくりの建物が見えてきます。明治のはじめにつくられた建物がきれいに保存されているのも驚きですが、1980年代半ばまで、この場所が工場として実際に稼働していたというのもすごいですね。
最初は官営のモデル工場でした。建設の決定には当時、大蔵・民部省に勤務していた渋沢栄一が大きくかかわっています。現在の深谷にあった栄一の実家は、もともと糸や繭玉を扱っていましたから、栄一自身もこのあたりには土地勘があったのでしょう。原料となる繭玉はもちろんのこと、工場建設の素材や石炭、水も不足しなかったので、富岡が実験工場に選ばれたのは、それなりの理由があったのです。
手元に「渋沢栄一伝記資料」がないので、詳しいことはわかりませんが、フランス帰りの栄一はフランス人技師のポール・ブリュナなどに依頼して、明治政府出仕早々に、この工場の建設を決めたようです。なぜフランス式の工場だったかといえば、おそらく当初から生糸をフランスに輸出することが決まっていたのでしょう。ここから富岡─横浜─マルセイユ─リヨンのルートが、目に浮かんでくるようです。
開港が生糸を世界商品にして、明治の文明開化が急速に進展するというのは一大ドラマです。
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この日は大雨だったので、いまは資料室となっている、かつて繭倉庫をゆっくり見学しました。そうこうしているうちにガイドツアーがはじまったので、その一団にもぐりこんで、操糸場などを案内してもらうことにしました。
次女は大学生のときに、製糸場の工女をしていた横田英の『富岡日記』を読んだことがあるというので、あちこち興味がつきないようです。ガイドの方が、工場のことについてはすべて知っているというくらい、熱心にいろんなことを説明してくれて、時間があっという間にすぎていきます。いまは外観しか見学できないところが多いのですが、ブリュナ館や女工館、貴賓室なども内部を見学できるようになれば、工場見学の楽しみはもっと増すことになるでしょう。
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富岡を出てからは、最初の予定どおり、山荘あらふね近くのコスモス園を見学。寒さのためふるえあがり、入り口のところで引き返す始末でした。
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しかし、ものは考え方で、雨の日も悪くないかもしれません。富岡製糸場を見学できたのもよかったし、南軽井沢への道をたどる途中で、雲海に包まれた浅間山を望むことができたのも、雨の日ならではの一日となりました。

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