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超訳「万葉集」[22−33] [超訳「万葉集」]

[第1巻のつづきです]

■天武天皇の時代
天武天皇と額田王の娘、十市皇女(とおちのひめみこ)が伊勢神宮に斎宮として下られるさい、波多の横山[現三重県津市]の大岩をご覧になった。そのとき吹黄刀自(ふきのとじ)のつくった歌
[22]
川のほとりの
すべすべした
岩々は
草むしていません
あんなふうに
いつまでも
清らなおとめで
あられますように

■麻続王(おみのおおきみ)が伊勢の伊良湖の島に流されたとき、人がそれをあわれんで、つくったとされる歌
[23]
打った麻をうむ
そんなお名前をおもちの
麻続王は
海人(あま)だったのでしょうか
伊良湖の島の
玉藻を刈る
わびしい暮らしを
送られているようです

■これを聞いて麻続王が嘆き、こたえた歌
[24]
ぬけがらの
この命が
惜しいのです
だから
波にぬれて
伊良湖の島で
玉藻を
刈っています

■天武天皇のお歌[壬申の乱を思い、人生をふりかえりながら]
[25]
吉野にある
耳我(みみが)の峰に
はてしなく
雪が降り
たえまなく
雨がしたたる
雪は
いつまでもつづき
雨は
やまなかった
そんなふうに
曲がりくねった
長い道のりを
思いわずらいながら
やってきた
きびしい山道を

■別のバージョン
[26]
吉野にある
耳我の山に
雪が降りつづくという
たえまなく
雨がそぼふるという
その雪や雨に
終わりがないように
わたしはやってきた
このはてしない山道を

■天武天皇が吉野の宮においでになったときのお歌
[27]
よき人が
よしとよく見て
よしといった
その吉野を
よく見よ
よき人が
よく見た吉野を

■持統天皇の時代
天皇のお歌
[28]
春がすぎ
夏がきたようだ
白い衣を
干しているよ
天香具山に

■近江の廃都を通りすぎたとき、柿本人麿のつくった歌
[29]
たすきをかけたように
うるわしい
畝傍山のふもと
橿原を
はじめて治められたころから
お生まれになった
神々のごとく
尊い数々のみことが
ツガの木のように
つぎつぎと
天下をすべられてきたのに
空いっぱいに広がる
大和をおいて
奈良山を越えられ
どのように
お思いになったのか
遠く離れた
田舎の地、
水豊かな
近江の国の
湖のほとり
大津の宮で
天下を治められたのだ
その天皇の大宮は
ここと聞いたのに
大殿はここのはずなのに
春の草が
おおい繁っている
霞が立ち
春の日が煙る
大宮あたりを
見るのも悲しい

■添え歌
[30]
さざなみの
志賀の
辛崎は
どこも変わっていないのに
大宮人の
船は
いつまで待っても
やってこない

[31]
さざなみの
志賀の
大わだは
水をたたえているけれど
昔の人に
また会うこともない

■高市古人(たけちのふるひと)が近江の旧都をあわれに思い、つくった歌
[32]
すっかり年をとってしまった
そのせいだろうか
さざなみの
古き都を
見るにつけ
涙があふれてくる

[33]
さざなみの地
その国つ神の
心もすさみ
荒れ果てた
みやこを見ると
悲しくなってくる

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