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田中角栄の栄光と挫折──『田中角栄の昭和』を読む(4) [本]

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このところ翻訳の仕事が忙しかったので、ブログの更新をおこたってしまいました。おっくうになったのは、もう一つ理由があります。
田中角栄の総理時代とその後のロッキード事件について書こうと思ったのですが、何となくむなしさを感じてしまったのです。
田中角栄がのしあがったのは、いうまでもなくカネと力によります。そして角栄の足を引っ張ったのも、同じくカネと力が原因でした。
自前のカネをもっていたこと。これがほかの政治家にはない、かれの強みだったのです。しかし、それがのちに権力を利用してカネをつくる、水戸黄門の悪家老のようなイメージを増幅させて、その失墜を早めることになります。
もうひとつの力というのは、かれのバイタリティとスピード感によるもので、それが官僚出身の政治家にはない魅力でした。だが、それも当時のニクソン・ショックと石油ショックという大波の前に、あっけなく失せてしまい、期待の大きかった分、逆の反発を招くことになります。
民主主義時代の政治家は、清潔感と明朗さ、問題解決力を求められます。最初、そのようなイメージで登場したとしても、メデイアによって実態がそうではないと暴露されるようになると、その人気はたちまち落ちてしまいます。田中角栄がまさにその実例でした。
権力を失墜したあとも、田中はカネと力によって、自民党内で大きな勢力を保ち、みずから総理となれない代わりに、キングメーカーの役割をはたすようになりますが、それもけっきょくはむなしかったのです。王になれない王は、酒でうさをはらすか、養分を吸い取られて倒されるのを待つしかなくなってしまうからです。田中が次第に健康をそこね、田中派のなかから竹下派が生まれるのも、そうした文脈にそっています。
江戸時代の権力というのは世襲でした(北朝鮮はいまでもそうです)。日本でも、政治家にはそういう傾向があるけれども、世襲があたりまえになってくると、世継ぎが断絶するか、よほどの不始末が生じないかぎり、少なくとも政治権力の継続性は最初から定められています。こういう社会では、政治への日常的期待というのはあまり起きないというか、逆に政治の要請によって人々が動くかっこうになって、その結果、庶民は政治的関心を失い、社会は停滞することになります。
これに反して民主主義社会においては、庶民自体が〈政治〉になるため、政治に求められるものが大きくなります(昔は、政治はそれほど期待されていませんでした)。だから、政治家はよほどしっかりした哲学をもたないと、たちまち荒海にのみこまれてしまうのです。
プラトンは哲人政治家をもとめましたが、これは哲学者が政治家になるべきだという意味ではありません。前にいったように、政治家は哲学をもたなければいけないということです。
その哲学というのは問題解決能力にほかなりません。問題がどこにあって、それを解決するにはどうするかを正しく把握する力のことです。
実は、世の中、問題というのは、そんなに簡単に解決できるはずがありません。日々の努力を積み重ねて、ようやくトンネルの先が見えてくるというのが実際なのです。
にもかかわらず、問題の所在をごまかさずに、しっかりと把握して、それを解決するための具体的方策を打ちだしていく構想力が必要になってきます。
田中角栄には、そのような哲学があまりなかったように感じられます。
保阪正康は田中角栄著の『日本列島改造論』について、これは「都市の分散化、あるいは地方の都市化という語に集約できる考え方」だったと書いています。いかにも思いつきでした。
アメリカや中国に対する考え方もあったのでしょうが──日中国交回復が田中の最大の政治的功績であったにせよ──その対応は状況にうまく対処するという域を出ず、それ以上の展望はなかったと思われます。
田中角栄がむなしいというのは、そういう意味でもあります。
だが、もちろんそこでとどまっていていいわけではなく、われわれもまた現代の政治家のあり方を模索しなければならないのですが、その出発点はわれわれ自身が〈政治〉であることを自覚する以外にない、というのが、ちょっとしんどい結論です。

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