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『近世考』讃 [本]

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 その名前からして粋な日暮聖(ひぐらし・まさ)の『近世考 西鶴・近松・芭蕉・秋成』を一読して、なかなかの作品とお見受けしました。
 中身が濃いので、再読、三読しなければ、安直な評など書けないのですが、ぼくがこの本にひかれたのは、著者が出版に踏み切った「あとがき」のこんな述懐をみたからかもしれません。

〈わたしの問題意識の一つは、近世文芸を貨幣経済社会のなかで考えていこうとするものですが、井原西鶴の浮世草子、上田秋成の『雨月物語』など、散文のなかで、あるいはまた、近松門左衛門の人形浄瑠璃という演劇のなかで、この問題をとらえようとしてきました。けれど、韻文である芭蕉の俳諧については、対象として取り上げることができずに、詩歌の世界は特別視するべきなのか、いや芭蕉であっても社会的背景と無縁ではないはずだ、と迷いのなかで過ごすことになりました。
(中略)
 そうしているうちに「芭蕉の「わぶ」」を書き、元禄期の作家が遭遇している共通の問題のなかで西鶴・芭蕉・近松と批評することができましたので、十八世紀の江戸の黄表紙にまでは至れませんでしたが、著書出版にむけて踏み出すことにしました〉

 これで、ほぼこの本の概要が把握できます。
 つまり中心──それは無の位置という意味でもありますが──に芭蕉をおくことによって、西鶴、近松、秋成という近世文芸の巨匠たちを全体の構図のなかに、うまく配置することができたというわけです。少なくとも、著者はそういう実感をもっています。
 ですから、中心は芭蕉にあります。そのせいか、本のなかでも芭蕉(蕉門の俳諧)についての記述はほぼ真ん中の位置におかれています。
 いかにも芭蕉らしい行動として、著者は「郷里を離れ、意気軒昂として新興の地江戸において宗匠として俳諧活動を展開し、人生を切り開こうとした矢先であるにもかかわらず、早くも職業俳人としての生活から退いてしまう」ことを挙げています。
「わざとも侘びてこそ住むべけれ」というのが芭蕉の姿勢だったといいます。著者によると、これは芭蕉が「自分を貧乏人の底辺に置き、それの味わうわびしさの感性を、日本の社会に定着させようと懸命になる」境地にいたったことを指しています。
 ちょっといやな言い方ですが、俗のなかにあって、脱俗をその立脚点にしたとでもいいましょうか。これは柳田国男の民俗学にたいする考え方と似ているような気がします。柳田が芭蕉を愛好し、発句としての俳句より、連句に俳諧の醍醐味をみた理由も、何となくわかります。
 それはともかく、おそらく著者は、芭蕉のなかに、貨幣経済社会のただなかにあって、それを無化する方向性を感じとったのだと思います。
 それによって、経済社会の小説を書いた西鶴や、カネのもたらす悲劇をえがいた近松、それに「富と貧困」の理路を考察した秋成の像が、芭蕉を中心に結びついてくるのです。
 もちろん、ぼくのまとめ方は、あまりに理屈に走って、近世文芸自体のおもしろさをつかみそこねています。しかし、心配ご無用。この本は、理屈なくおもしろい。作者の心情や作品の構造が、あちこちから立ち上ってくるので、すみからすみまで楽しめることは請け合いです。
 ぼく自身はこれからおもに経済史を勉強したいと思っているのですが、著者とは少し視点がちがうとはいえ、この本からずいぶん得るところがありました。芭蕉論もさることながら、近松の『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』の解読は圧巻でした。

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