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騎馬民族説批判 [柳田国男の昭和]

《連載171回》
 日本民族学協会の発行する雑誌「民族学研究」に、石田英一郎の司会による柳田国男と折口信夫の対談が掲載されたのは、1949年(昭和24)12月号と翌50年2月号においてである。対談はもともと4月に民俗学研究所と民族学協会の合同座談会として2日にわたっておこなわれたから、掲載までに半年以上の月日がたっている。
「日本人の神と霊魂の観念そのほか」、「民俗学から民族学へ──日本民俗学の足跡を顧みて」と、ふたつのタイトルがついている。対談の時点で柳田は数えの75歳、折口は同じく63歳。年齢差からしても、折口は柳田を師とあおぐ立場になる。とはいえ、長年の友人でもあり、ライバルでもあったふたりは、とりわけ日本人における神と霊魂の問題をめぐって、一歩もゆずることなく意見をぶつけあった。
 おだてたり、挑発したりしながら、ふたりの見解を引きだしたのは、石田英一郎のみごとな司会によるところが大きい。
 石田の関係する「民族学研究」には、柳田・折口対談が実現する前に、実は「日本民族──文化の源流と日本国家の形成」という画期的な座談会が掲載されていた。なぜそれが画期的かというと、江上波夫のいわゆる騎馬民族征服王朝説がはじめて発表されたのが、この座談会だったからである。江上の新説は日本中で大きな反響を呼んでいた。
 したがって、柳田・折口対談をはじめるにあたって、石田が対談のテーマを、ひとつは騎馬民族説をめぐって、もうひとつは民俗学と民族学の関連にしぼりたいと発言したのは、タイミングのよい、あざやかな問題提起だったといえる。
 騎馬民族説は、いってみれば4、5世紀に日本を征服し、大和王朝を開いたのは、東北アジアの扶余系騎馬民族だという大胆な仮説にもとづいている。
 ここで、話は横道にそれるが、たとえば韓流ドラマをよく見る人なら、高句麗を建国した「朱蒙(チュモン)」がまさに扶余の出だったことを思い浮かべれば、騎馬民族のイメージが少しはわくのではないだろうか(ドラマをみると、朱蒙軍の旗印が、神武天皇の大和征服を導いたとされる、同じ3本足の八咫烏[やたがらす]であることに驚く)。
 江上説が大きな反響を呼んだのは、その物語が騎馬民族による壮大なドラマを連想させただけでなく、戦前の抑圧的な皇国史をぶった切るような爽快感を読者に与えたからにちがいない。梅原猛の古代学や、出雲王朝説にも、どこか騎馬民族説の影響がこだましているように思うのはうがちすぎだろうか。
 ところで、国男は折口との対談で、江上の大胆な仮説に敬意を払いつつも、騎馬民族説には疑問をぶつけている。そのいうところを聞いてみよう。

〈私は日本民族の構造については、今までだって人種の混淆(こんこう)ということを認めている。決して単一な民族が成長したものとは思っていない。ただ種々の参加はあったが、たとえばこの神霊観念、死後の存在に関する固有の信仰を、今日までもち伝えたいちばん優秀なものは、その中の一種族、数が多いか、力があったか、知能が進んでいたか、ともかくも最も重要な一種族であった、というように考えていたのであった〉

 ここで、国男が話していることは、日本人の固有信仰を考えると、それは人種の混淆からなる日本民族の内部から徐々に練りあげられていったもので、「騎馬民族が朝鮮半島の突端まで来て、ひょいとこちらに越えた」というような突発的な出来事からは、とても説明できない、というのである。
 さらに、国男はこんなふうにも指摘する。

〈いちばん気になる点は船のことです。それをちっとも説明してみないで、これだけ海上の隔離をひょいと跳ね越えて、騎馬民族がやってきたということは、いささか大胆に失した飛躍ではないかと思う。……武者とその騎馬とをどうして運んだかが説明を要求する。そんな大きな船は千五百年前にはなかった〉

 船の痕跡がどこにもみあたらない、というわけだ。
 また「北のほうから馬に乗って半島の端まで来た民族は、米をもって神を祀る習俗をいつ採用したろうか」とも述べている。「米を供御(くご)とすること、米をもって祖神を祭ること、この慣行はどう考えても新たに加わったものでない」というのが国男の信念だった。
 鳥居龍蔵以来の民族学に立つ側がどちらかといえば、日本民族の北方起源説をとるのに対して、国男は南方起源説に傾いている。
 そして、その点は折口も同じだった。国男が「南についてもう少し民族学という学問が系統的に調査しなければならないことになるのではないか」と、これまでの民族学の傾向に苦言を呈するのを受けて、折口が「いずれにしても、北に豊富に資料があり、南にはこれが乏しいということは、われわれの民族を考えるものにとって、肯定否定両面にわたって、不幸なことだと思います」と師の援護射撃をするのをみても、ふたりの民俗学者が南島、すなわち沖縄に関心を向けていることはあきらかである。
 神をめぐって、ふたりの意見が鮮明に分かれるのは、それからだ。

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