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私の哲学 [柳田国男の昭和]

《連載175回》
 雑誌「展望」が「進歩・保守・対談」を掲載したのと同じ1950年1月に、中央公論社は思想の科学研究会編で『私の哲学』と題する単行本を発刊している。そのなかに柳田国男の「村の信仰」という談話が収録されていた。
 思想の科学研究会は1946年(昭和21)に鶴見俊輔、丸山真男、都留重人、武谷三男らによって設立され、先駆社から雑誌「思想の科学」を発行していたが、単行本を編集して、中央公論社から発刊することもあったようである。
『私の哲学』は正続2巻からなり、いかにも「思想の科学」らしく、学者だけではなく政治家、財界人、社会活動家、芸術家、演劇人、スポーツマンまでもが、みずからの人生哲学を語るという内容になっている。哲学といってもむずかしいわけではなく、実際には「私の履歴書」とよく似ている。国男の「村の信仰」も、みずからの来し方行く末を語ったものだ。
 幼いころから、学生時代、官吏生活、さらに現在までをふり返り、最近の心境を率直に披瀝しているが、そのことごとくを詳しく紹介するわけにもいかない。ただ、おそらく戦後になってしか語れなかったことを、いくつかピックアップして取りあげておこう。
 国男は「勢力争いが激しく、人が栄達を計るのに汲汲(きゅうきゅう)としている」官界がいやでしかたなかったと話している。「書生のようにすぐ天下国家を論ずるという者が、役人のなかにいなかったほど、自己の栄達、昇進を大事に考えるのが一般だった」と嘆いてもいる。ちょっと意外な感もあるが、これはたぶん現在も変わらないのだろう。役人の実態は自分の預かった部署の利益をはかることに懸命で、その視野は案外と狭いのだ。
 国男はさらにこう述べている。

〈私らが非常に気にしていったことは軍人のことでした。軍人に時と能力の余裕のある者がなかなか多い。それに優秀な人物が志願して軍人になっている。文官はこれに比べるとあまりに忙しい。のちに後藤[新平]さんなんかにも私は注意しました。こんな制度をつづけたら、今に軍人が政治に口を出す時代が来ますよといったこともあります〉

 ここにとつぜん後藤新平の名前がでてくるのは、このときのインタビュアーが鶴見俊輔だったのではないかと勘ぐることもできる。後藤は鶴見にとって母方の祖父にあたる。
 官僚が目先のことに追われているのに加え、議席の数争いに終始する政党はさらに見苦しかった。
 国男はいう。

〈ことに政党の内幕などというものは、醜状みるに忍びないものがあったので、若い軍人が怒ってタンクで議会を押しつぶしてしまえというようなことをいわれても仕方がなかったのです。軍閥跳梁の原因は一つは政治の腐敗、また一つは軍人に批判力が強くなったことです。今度の敗戦の原因にしても、折があったらいいたいことですが、簡単な理由で片づけるのは間違いです。その根は維新前からあったといえるし、それを育成した事情も一つや二つではないのです〉

 これは注目すべき発言だといえる。国男は、今次の戦争と敗戦の原因は、例外状態とされがちな昭和前期だけにあるのではなく、明治維新前後からの日本の近代全体にあるのではないかと指摘しているのである。以前、折口信夫との対談で示唆した、民衆生活史にもとづく近世史の書き替えという柳田民俗学の方向性もまた、実はこうした意図を秘めたものだったのかもしれない。
 今後向かうべき戦後の基軸についても、国男ははっきりとした意見を述べている。

〈戦争の半ばから、勝っても負けても、とにかく、あとが困ることになるだろうから、少しでも将来起こるべき「ふりはば」を少なくしようというのが、我々の狙いであったのです。無益なものが伴うからそれを少なくしたいというのが我々の考えでした。従って革命というものをしないで行くことが昔からの理想です〉

「ふりはば」(スウィング)はとうぜんある。しかし、どこかに伝統のブレーキがきいていなければならない。革命にはしばしば無益な弊害がともなう、と国男はみていた。
 はっきりいえば、天皇さえ排除しかねないボリシェヴィキ流の革命には反対なのだ。党中央の原則に反対すれば「異端」だと糾弾されるような独裁政治を招くくらいなら、なかなか意見がまとまらなくても、デモクラシーのほうがましと思っていた。
 国家もまた、なくてはならない存在だった。

〈カントリーという言葉はなくては困ると思います。これがなかったら、いわゆる世界政府ですが、世界政府ができてしまったら生きておられないと思いますね。我々にはたくさんの弱みがありまして、そのために非常に悪い条件で我々は生きています。その悪い条件でゆかれるのは群があるからです。この群はどんな形のものにしても、やはり主権を持つべきものです。民族の権利として群は主権を持つべきです〉

 国男は個々の弱い人間を守るために群として「民族」があり、民族が主権を持っている状態が国家なのだと考えている。万一、その民族と国家が解体されて、世界政府などというものができてしまったら、寄る辺のない個々の弱い人間は、まるで巨大なものに管理されるロボットのようになってしまうのではないか。
 人間に最後に残るのは宗教(信仰)だと国男は思っている。とはいえ、道徳は信用するなというところが、いかにも国男らしい。

〈最近の私の経験では、道徳をあまり信用しない方がよいのじゃないかという気がします。理屈を立てて、それでうんといわせることはどうかと思います。……どちらかといえば、既存の道徳律によってひどい目にあっているんですからね。たとえば家を存続させるために悪い息子を切腹させるということを平気でやってきた日本なんです〉

 国男にとって宗教とは、神道でも仏教でもキリスト教でもよかった。むしろ信ずるものをこわすことが、これまでの生活の破壊につながることをよく知っていた。だから、娘がキリスト教に入っても、抑えることはしないと話している。それでは自身はどうなのか。
「私の信仰はきわめて心もとなく、人からは不信心者のごとくみえるか知らぬが、それでもいまだかつて宗教をフィクションと思ったことも、いったこともありません」と語りつつ、国男は民俗学者の立場から、かつてどこにでもあった素朴な「村の信仰」にみずからの思いを重ねていた。

〈私は宗教の必要性を認め、日本人の宗教的な慣習というようなものを、民俗学の立場から確認しようとしております……私も理論というものをはなれて、どう考えれば心が落ちつくか、無邪気にそうなることを願い望んでいるのかを考えてみますが、やはり祖父母たちの信じていた通り、出来るものならば[死んでも魂は郷里の近くに残っていると]信じていたいと思います〉

 こうした考えは戦前から戦後を通じて一貫していたのである。

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