SSブログ

『超マクロ展望 世界経済の真実』から学ぶこと(2) [時事]

 日本が現在どういう位置におかれているかを確認したあと、水野和夫と萱野稔人は、それが長期的な資本主義の歴史において何を意味するかを探ろうとしている。
 論点は多岐にわたるので、ここでもへえ〜と思ったところだけを抜き出しておきたい。
 世界で資本主義のヘゲモニーが移転することについて、萱野はこんなふうにまとめている。

〈要するに、イタリア、オランダ、イギリス、アメリカと世界資本主義のヘゲモニーが移転していくなかで、そのつど生産拡大の局面があり、その後、それがいきづまると金融拡大の局面がある。そしてその金融拡大によって増殖された資本が、バブルのあとにもっといい投資先を見つけて、ヘゲモニーが移転する〉

 まるでマネーがビヒモスのように君臨し、人はその波のなかで翻弄され、もがいているかのようにみえる。しかし、それは共同幻想だと、どこかで冷めていることも必要なのではないか。
 それはともかくとして、この対談では、リーマン・ショック以降のアメリカが世界資本主義のヘゲモニーを失いつつあるとみられている。すると、次にヘゲモニーを握るのはどこなのか。
 アメリカ流の資本主義は、もはや行き着くところまで行き着いている。それは現在、未来まで含め生活空間の隅々までに触手を伸ばし(たとえば保険とか先端医療を考えてみればよい)、また地上、海上だけでなく宇宙にまで光の輪を広げている。
 しかし、そんなアメリカ資本主義に替わってヘゲモニーを握る国、あるいは地域が存在するのだろうか。
 EU、中国にしてもアメリカに替わるとは考えにくいという点で、ふたりの意見は一致している。萱野は「今後はアメリカとヨーロッパの連合体が軍事と金融を牛耳って世界経済のルールを定め、中国の経済成長の果実を吸い上げるというシステム」ができあがる可能性が高いという。
 つまり、生産、軍事、金融の中心地がばらばらになって、世界のヘゲモニーが分担されるという見方である。
 その先の展望は何だか暗い。つまり世界資本主義が国民国家の単位を超えたものとなり、かつてのような「一億総中流」はなくなり、これまでの中産階級は没落して、「国境を越えて中国、中東、欧米のそれぞれでごく少数の富裕層とそうじゃない多数の人たち」が生まれるのだという。
 そして、国民国家は単独では問題解決能力を失うので、「国連やそれに準じるような別の権威ある機関」が必要になってくるのだとも。
 かつての資本主義は「少数の先進国の人間が、大多数の周辺の人たちから搾取できるという構造」のうえに成り立っていた。これからの世界は、1人あたりGDP4万ドル・クラスの先進国がむしろ成長を抑え、中国のような新興国が1人あたりGDPを5000ドルから1万5000ドルに伸ばしていくほうが、資源の制約面からいっても、地球としては平和なのではないかと水野は話している。
 米中EUが共存して世界をリードしていくというのが、この対談の描く未来のシナリオのようだ。そして世界で活躍する企業(あるいは人)だけが成功を収め、そうでない人は没落するという、生存競争の厳しい現実も指摘される。
 それはそのとおりだろう。しかし、どこかで反発したい気分も動く。ビヒモスのように動く世界資本主義の流れをくいとめる知恵を(一大悲劇に終わった社会主義の経験を踏まえながら)、どこかで人類は発現していかねばならないのではないか。それがどんなものであるかはわからないが、少数派であるぼくは、そんなふうに夢想する。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0